The Demon King Seems to Conquer the World
Episode 140: Winning Eve
その晩、最寄りの宿場町ともなっている町の境界あたりに、俺たちは陣取った。
陣幕はすべて避難民に貸し与えられ、広場に張った幕の中では、敷き詰められるように人々が寝ているはずだ。
既に臨時徴発されていた家屋の中もまた、同じ状態であった。
そんな町の外側――何もない、つい最近木が伐採され、一辺がささくれ立った切り株の群れと、無造作に放っておかれた乾燥中の倒木だけがある、そんな寝るに適さない場所に、俺たちは集まっていた。
三百と数十人は、夏のうす曇った空の下に、ただ身のままだった。
しかし、寒いわけではない。
皆が囲んでいる真ん中には、キャンプファイヤーのような大型の焚き火があった。
パチパチと爆(は)ぜる薪の炎は、周囲を赤く照らし、放射される熱は人々を温めている。
そして、全員はめいめいに酒を持っていた。
足に傷を負っているものは倒木に座っているが、他は皆、立っていた。
「お前ら、今日はよくやってくれた!!」
と、俺は盃を手に持ち、焚き火を囲む輪から一歩内側に立ち、大声で言った。
「お前らの勇戦のお陰で、敵は何一つ得るものなく尻尾をまいて逃げた! 我々の勝利である!」
遅ればせながらの勝ち鬨をあげると、皆は一斉に唱和し、オォォーー!!! とコダマするような声が響いた。
大声の余韻が過ぎると、
「このような状況ゆえ、浴びるような量の酒は確保できなかったが、どうか今日は飲んでくれ!」
と言って、
「と、まあ俺からはこれくらいにしておこう。お前らを讃えてやりたいのは山々だが、野郎の演説なんざ、あんまり耳に良いもんじゃあないからな」
そう締めくくると、気がほぐれている兵どもの中からは、ぱらぱらと笑いが沸いた。
あっさりと下がって、椅子に座った俺の代わりに出たのは、キャロルだ。
キャロルは、戦塵で煤けた金髪を焔火で赤く照らしながら、一歩進み出た。
それだけで兵たちから賑やかしい声が消え、スッ――と耳を澄ます音が聞こえた気がした。
それほど静かになった。
俺には実感がないが、封建社会に生まれ育った人々にとり、王女たるキャロルの存在は、やはり特別なのだ。
それは、シヤルタの民にとっても、キルヒナの民にとっても変わりはない。
ましてや、城の奥にいるはずの王女が、今ここにあり、まさに勇を労おうとしている――。
大人になり、政治を知り、忠義を横に置いてでも守らなければならない家庭を持ったなら、また感じ方が変わってくるのかもしれない。
だが、今ここにいる少年あるいは青年は、まだ無垢な世界の中に生きている。
「まずは、諸君に感謝を述べたい。今、この村にいる民の命があるのも、そして私の命があるのも、諸君の今日の働きのお陰だ。本当に良く戦ってくれた」
そして、キャロルは目を瞑って、一瞬下を向いた。
何気ない仕草が、劇的に見える。
「そして、惜しむらくも今日、戦場に散った十四名の魂に、祈りを捧げたい」
キャロルは、ちらと焚き火の横を見る。
そこには、小さなテーブルに、同じように酒が注がれた盃が十四杯乗っている。
この十四杯の酒は、今日飲まれることはない。
死者に捧げられた杯なのだ。
十四名の中には、最初の五十六名の学院生も、二人入っている。
俺は、彼らの親族に、彼らの死を伝えなければならない。
そして、キャロルは目を瞑った。
めいめいが俯き、俺もまた瞼を閉じる。
しばらくして目を開けると、キャロルはまだ黙祷を捧げていた。
だが、さほど待たぬ内に頭(こうべ)を上げた。
「諸君は今日、万の無辜(むこ)の民草(たみぐさ)を救い、そして姫を護(まも)った――」
姫というのは、キャロルのこともあるが、もう一人のことも含まれているのだろう。
「今、この巨(おお)きなる半島にあるどの人でさえも、諸君の功を謗(そし)ることはできぬ。なぜならば、今日、諸君が為したことこそが、騎士たる者の栄誉、そのものだからだ」
キャロルは一瞬区切り、息を吸った。
「誇れ! 諸君にはその資格がある! そして……」
若干もったいぶって、続ける。
「勝ち鬨を上げた戦士には、しばしの休息が必要だ。それでは、今日の勝利と、散っていった仲間たちに!」
キャロルは、手に持っていた杯を掲げ上げた。
皆が一斉に追従する。
「乾杯!」
キャロルがそう言うと、乾杯! と、折り重なるように三百人の声が続いた。
*****
宴会は、酒も料理も少ないながら、戦が終わった興奮で賑やかしいものになっている。
各々(おのおの)の若者が、槍を並べた仲間と歓談し、あるいは別の方面で戦った者の話に聞き入り、ガヤガヤと武勇伝を言いあっていた。
一人数杯しかない酒でも、特に酒に弱いのか、顔を赤くしている奴もいる。
いい夜だ。
俺は、椅子に座って、少し離れたところから、ただそれを見ていた。
「どうしました? 気が乗りませんか?」
傍観を決め込んでいた俺に、隣に来たミャロが言う。
軽く横を見ると、鎖帷子を含め、軍服の類は全て脱いで、町民のような格好をしていた。
そうしていると、本当にただの少年のように見えた。
いや失礼か。
でも、男ものの服を着ているのだからしょうがない。
「いや、楽しそうだな、と思っていた」
再び視線を火に戻し、俺は言った。
「それは、そうでしょう。勝ったんですから」
「だが、ここに居ない奴らもいる」
十四名ほど。
「それを考えていたんですか」
「そうだ」
「戦争を始めれば、必ず犠牲者は出ます」
ミャロは、何かを察したのか、死に水で言葉を濡らしたような声で言った。
「それはそうだな。当たり前のことだ」
戦争で人が死ぬのは、路面を走れば車輪が削れるように、当たり前で必然的な結果だ。
敵幾人に対してこっちの被害が何人、とかの比率はあろうが、人対人の戦争である限り、ゼロにはならない。
消耗は最初から見込まれているし、人死にが出るとは思わなかった、などという戦争はない。
「まあ、感傷に浸っているだけだ」
「……生者にも慰めは必要です」
この戦勝の宴を批判しているように思われただろうか。
勝利を祝うのではなく、死者を悼めと。
「分かってるさ。兵たちは十分な働きをしたし、勝利を楽しむべきだ」
この宴が気に入らないわけではない。
誰かに必要性を諭されて許可をしたわけでもないし、むしろ自分から行うように言い、盛り上がるよう工夫さえした宴だ。
戦勝には祝いが必要だ。
そうでなければ命をかけた兵は報われないし、勝ったのに葬式のような雰囲気では、戦う甲斐もない。
「ユーリくんのことです」
ミャロはぴしゃりと言った。
「ユーリくんは、大変苦労して務めをこなしました。今くらい、気を楽にしてもいいと思います」
俺のことか。
「……いや、どうかな」
死んだ連中は、戦わなければ死ななかった。
それを考えると、やはり思う部分がある。
だが、戦っていなかったら、今眠っている避難民のほうに死者が出ていただろう。
恐らく、百倍、千倍の数が犠牲になっていた。
それでも、死者は数字では計れないのだ。
死んだ人間には、それぞれの人生があり、それぞれの物語があった。
一人一人の人間として、彼らの人生を終わらせたのは、俺の判断の結果なのだ。
一つ違っていたら、ここで輪に加わって酒を飲み、勝利の日を謳歌していた死者たちがいる。
今、俺の目の前で宴に興じている人々と、なにが決定的に違ったわけでもない。
それなのに、俺には判断に後悔があるわけでもない。
それが不思議な感覚だった。
これがホウ社の仕事であったら、人死にが出るような事故があれば、後悔も自責もしただろう。
二度と起こらないよう、再発防止の措置もしただろう。
だが、人が死んだというのに、そういうものが一切ないのだ。
後悔も自責もなく、俺は自分がよくやったと思っている。
「どうやったら責任を取れるんだろうな」
ぽつりと言うと、
「え……?」
ミャロは意味が理解できない、というように不思議そうな顔をし、
「応募要項の免責事項にありましたし、責任を問われることはないと思いますが」
と言った。
あぁ、それはそうなんだが。
「そういう意味じゃなくてな」
「では、償い……ということですか?」
「まあ、そうだ」
「償いという事なら、お亡くなりになった二人の家には金銭的な保障はできるでしょう。既にご報告しましたが、お二人とも嫡男ではありませんので、世継を亡くしたという意味の問題も起こりません」
「分かってるよ。もう聞いた」
「では、もしかして、死者への償い、ということでしょうか……?」
ミャロが訝しげに言った。
まさか、俺がそんなことで悩むとは思っていなかったのかもしれない。
「まあ……そうだ」
「それは……死者はなにも話しませんし、こちらから何かを渡して……その、嬉しがってもらう事もできませんから……。難しいですね」
ミャロの口調に、馬鹿にしたような響きはない。
真面目に考え込んでいるようだ。
「魂の行く先には諸説ありますし、命が絶えた瞬間に消えるという説もあります」
シャン人の宗教観というのは、宗教というより神話のようなもので、死生観をきっちりと定義するようなものではない。
色々とアバウトなところがある。
古式ゆかしい信仰では、聖沼(せいしょう)の底に沈んで輪廻転生のような形で再利用される。という教えがあったが、聖沼を離れて長い今では、極楽浄土のようなところにいく、という考えも生まれたりもしている。
聖沼というのは、つまりは黒海のことで、大皇国の首都(シャンティニオン)が健在であった頃には、一種の聖地でもあった。
「何らかの形で弔っても、それで償いになっていると思うのは、自己満足なんだろうな」
死者は何も意思表明をしないのだから、自分で何かをやって、それで償いになったと思うのは、自分を慰める意味しかない。
それでも、何かをしたいと思うから、名誉を称え、家族に勇敢に戦ったと伝え、遺族の生活を保障をしたりする。
さきほどキャロルが黙祷を捧げ、大勢の前で死を悼んだというのも、その一端にはなるのだろう。
実際、それは無価値なことではない。
死後の霊魂に意思が宿っているなら、かなりの確率で慰められると思うのは、間違いではないだろう。
だが、そのことで俺が何かを果たしたと思うのは、違う気がする。
「でも、償いが難しいのは死者に限った話ではありませんよ。騎士院にいてさえ、骨が粉々に折れて、手や足が不具になる事故は起きます。そういう人にどれだけ償いをしても、謝罪やお金で手足が治るわけではありません。人生は台無しですし、悲観して自ら死を選ぶ生徒もいます。他人に取り返しのつかないことをしてしまうことは、悲しいですが起こってしまうものです」
「……まあ、そうだな。深手を負っている奴もいるし」
斬り傷や矢傷を負った者は数え切れないほどいる。
おおかたの処置は終わったが、包帯を取ってみれば神経が切れていて手が動かない、という者も居るかもしれない。
また、破傷風かなにかで状態が悪化して死んでしまう。という者も居るかもしれない。
そいつらに対して、俺はなにができるわけでもない。
「あっ……。いえ、そうじゃなくて……、特別に責任を感じる必要はないと言いたかったんですが……」
「ああ、そうか」
別に、責任を感じているわけではないけどな。
ミャロの言っていることは、いちいち正論だ。
俺は、単に戦争という行いの特性に、面食らっているだけなのだろう。
酒を初めて飲んだとき、酔う感覚に戸惑うのと同じで、やがては慣れる。
そんな予感がする。
それを好むようになるかは分からないが。
「ボクは……駄目ですね」
ミャロがぽつりと言った。
何がだ?
「きっと亡くなった方々も、ここでお酒を飲んで、楽しんでいます……とか、もっと上手くお慰めできれば良かったのに」
なんだそりゃ。
思わず、フッ、と吹き出してしまった。
どういう気休めだ。
「あいにく、そういうのは苦手でな。さっきくらいのほうがいい」
「そう、ですか……」
「それに、俺は落ち込んじゃいない。もう一度……」
もう一度、なんだ。
ああ、そうか。
「もう一度、戦うことがあっても、やっぱり……同じようなことを、できればもっと上手くやるだろう。だから、心配しなくていい」
「わかりました。でも、お傍(そば)には居させてください」
本当に物好きなやつだ。
「勝手にしろ」