The Demon King Seems to Conquer the World
Episode 210: The First Part of a Day in Sibyak
五月二十一日、俺は王城の執務室で、紙に判を押す仕事をしていた。
嫌という程積まれた植物紙の山に、目を通しては判子を押してゆく。
広い机の奥には、木でできた書類ケースが置かれており、右側のケースが重要案件ということになっている。
秘書役の人間が予め目を通して、重要度を判断して分配しておくわけだが、量が多い。
重要案件に目を通し、報告書を読んだり、指示書を書いているうちに、四時間も経ってしまっていた。
重要でない通常案件のほうは、ケースに入り切らない量溜まっており、倒れては困るので山が二つになっている。
こっちのほうは、読んでいる暇がない。
ようやく最後の重要案件書類に判を押すと、俺は机の上のベルを手に取った。
手のひら大の大きなベルが、カランカランと大きな音を鳴らした。
「御用ですか?」
秘書役をしている女性がドアを開け、顔を見せた。
「今、待たせている者はいるか?」
「接見ですね。お一人待っておられます。残りは帰られました」
「通してくれ」
「はい、承りました」
さすが、ミャロの下で働いているだけあって反応が早い。
すぐに部屋を出て行った。
通常報告の山のほうから、ランダムに何枚か抜き出してチェックする。
一枚は、とある千人規模の部隊の駐在地の兵糧についての報告書で、もう一つは駐留地にいる軍と現地住民との諍い事の顛末書だった。
そういうことも把握しておいたほうが良いのだろうが、正直なところ、いちいち読んでいたらキリがない。
手遊(てすさ)びに書類を捲り回していると、ドアが開いた。
「お連れしました」
部屋に入ってきたのは、見覚えのある顔だった。
「懐かしいな、おい」
「久方ぶりにお会いする」
慇懃に敬礼をしたのは、ギョームだった。
「まあ、座れ」
俺が指示すると、ギョームは椅子に座った。
「ギョーム……だったよな? ズス? スス? なんだっけか」
「ギョーム・ズズだ」
「そうだった。ギョーム・ズズ。今まで何をしていた」
ギョームは、キルヒナからの最後の脱出組に含まれていた騎士の一人で、あの戦いでは班長を務めていた。
キルヒナの騎士院で同期の中では成績トップだったという男だが、どうも性格が悪く、あまり人望がなかったのを覚えている。
キルヒナからの帰還組の殆どは、やはりというか任官の口がなく、結構な数がホウ社の面接を受け、社員として就職した。
だが、やはり彼らは騎士として産まれ育ってきた人間なわけで、庶民に混じって働くことに馴染めなかった者が多く、結局社員として定着したのは三分の一ほどだった。
他の者たちの行方は、詳しく追跡調査したわけではないので、詳しいところは分からない。
騎士章を持つ一兵卒として安月給の軍隊に入ったり、別のどこかで働いたり、報奨金を食いつぶしてニートをしていたり、いろいろするのだろう。
ホウ社の社員となった者の中にも、今回の騒ぎで血が騒いだ者が多いらしく、十人以上の人間が戦いたいと俺にかけあってきた。
断る理由もなく、その者たちは今、ホウ家の中で下士官のような扱いで働いている。
「貰った金を使い潰して、大図書館で勉強したり、旅をしたりしていた」
「そうか」
働かない若者(NEET)か。
いや、勉強してるから違うのか。
「それで? 今日はどうして来たんだ」
「端的に言う。俺も戦わせてほしいのだ」
「ふうむ……」
なるほど。
「一兵卒でもか?」
「それでも構わぬ意気込みであるが、できれば仕官したく……」
語感から「できれば士官扱いで採用してもらいたい」という希望が滲み出ていた。
「しかし、遅いな。せめて二ヶ月前に来ていれば、座れる椅子は多かったものを」
「遅れたのは自覚しておる。上手く世渡りできぬ、不器用な性格なのだ」
自分で言うか。
難儀なやっちゃ。
「お前、テロル語はできたんだったか」
「それは、覚えた。これからの時代、出世に有利だと聞いたゆえな」
そんなんで覚えようとするのか。
いや、皆そうだし、何も不自然ではないんだが……なんだかミーハーな側面を見た気がする。
そういうのとは別次元なところで生きている、マニア的な性格なのかと思っていた。
『どれだけ喋れるのかテストをしよう』
俺は、テロル語に切り替えて言った。
『うむ』
『敵の集団を追い詰めた状況を想定してみよう。投降を勧告してみろ』
『おまえはもうしんでいる。あきらめてとうこうしろ』
うわぁ……。
駄目だこりゃ。
「大分下手だな。実用の水準にない。というか、聞き取れていないだろう」
俺はシャン語に戻して言った。
「……話すのは苦手なのだ。本なら読める。筆談なら自信がある」
筆談……。
大方こいつのことだから、本を読むばかりで、対話の練習をロクにして来なかったのだろう。
リーディングはしたが、リスニングとスピーキングはして来ず、ライティングもあまり良くないといった感じか。
コミュ障にありがちな学習の失敗例だ。
「まあ、いい。騎士院で成績が良かったという話を信じて、取り立ててやろう」
「そうか! 感謝する」
素直に嬉しいのか、ギョームは顔をほころばせた。
「ただし、今晩早速、所属する部隊に挨拶に行け。そして、明日からは教養院に通ってテロル語の勉強をみっちりやれ。モノにならなかったらクビだ」
「なっ――! 教養院に通うのか」
女の園に通うのは、抵抗があるようだ。
ギョームは、今も服装がきれいとは言い難いし、性格も理屈くさいし、女性に好まれる資質を持っているとは言えない。
教養院関係では、恐らくあまり良い思い出がないのだろう。
だが、そんなことは知ったこっちゃない。通わないなら使わないだけのことだ。
「お前を引き立てるのは、かろうじてテロル語ができるからだ。この国には、騎士のテロル語話者は本当に数が少ない。その点でお前は便利だ」
「むう……」
「所属する部隊は、ドッラのところだ。そこでドッラへ助言しろ。場合によっては、テロル語を使って敵と対話する。それが役目だ」
尋問するにしろ、投降を促すにしろ、用意した紙を提示して要求を理解させることはできるが、やはり言葉を解す者が帯同しているのが一番良い。
特に、ドッラが率いることになっているドーン騎兵団は騎兵が主なので、敵と接触する機会が多い。
ドーン騎兵団は、市街地の警邏をする時は軽装だが、本来は野戦での騎兵突撃が主任務の、重装騎兵団となっている。
団員の騎士たちは、ちゃんと家に鎧を保管している。
全身を鎧う板金鎧といったものではないが、要所に装甲を施した、古式ゆかしい揃いの鎧だ。
鎧の形式は時代錯誤の感はあるが、実のところそれほど悪くはない。
軽量で、ちょっとやそっとの斬撃では抜けない程度の強靭さは確保している。
全身板金鎧で、鳥にも鎧を被せるといったことをすると、鈍重で機動力がなくなるので、逆に好みであった。
そんなものを身に纏っても、鉄砲は防げないからだ。
弾丸すら跳ね除ける装甲となると、ドッラが前に着ていたような超重量のアホ鎧になってしまうので、騎兵が着るものとしては適さなくなる。
「ドッラとは、あの腕利きの武者のことか。橋のときの」
「ああ。色々あって、あいつの親父は出世することになってな。ドッラが、後釜で千人規模の騎兵団の頭をやることになった。ドーン騎兵団という」
腕っぷしは大人顔負けだし、あれで兵からの人望はある。
人望というか、人気だよな。
ドッラは、少なくとも自らの身を顧(かえり)みず率先して敵と戦うし、無私というか、俗な欲がない。
実際には、恋愛に関してはかなり欲があるが、表には見えない。
騎士の美徳と考えられているものの幾つかは持っている。
「千人規模の騎兵団……意外と良いところのお坊ちゃんだったのだな」
そう言われると違和感で総毛立つ気分がするが、確かにその通り、ドッラは良いところのお坊ちゃんなのだ。
騎士院のなかでも上の中くらいには入る。
「ところが、あいつは腕が滅法立つだけの男だ。騎士院の座学も、可ばっかりでな……まあ、騎士院の成績なんて大して重要ではないが、要するに頭を使うのが苦手なんだ」
「そこを俺が補うわけだな」
「お前は、頭はいいが人を率いるのは向いていない。あいつは、頭は悪いが兵からの支持は厚い。助言役は適材適所だろう」
「うむ……まあ、な」
さすがに、自分が兵に好かれる人間ではないことは自覚しているようだ。
「一応、騎兵についての認識を確認しておく。騎兵の役割を言ってみろ」
「うむ。野戦における機動戦で優位に立つこと。つまり敵軍の弱点へ(ウィークポイント)の騎兵突撃による打撃。そして自軍の弱点へ(ウィークポイント)の敵騎兵による打撃の阻止。これは敵騎兵に限らず、敵歩兵による通常攻撃により自陣が意図せず破けた場合、崩壊箇所への救援も含む。つまりは機動防御……端的に表現すれば、そんなところか」
まあ、的を射ている。
「野戦以外では?」
「偵察。ただ、これは主に歩兵軍麾下に配された軽騎兵が行うことで、話を聞く限りでは打撃力優先の重騎兵団であろうから、余程の敵軍の存在が予想される地域への威力偵察以外では、主任務とは言えないだろう。あとは野戦、要塞戦、包囲戦……なんでもいいが、それに勝利した場合、敗走する敵軍への追撃」
「つまり放胆な戦果の拡張だな。その際の注意点は?」
「注意点は、騎兵の全力には補給がついてこられないこと。六頭立て馬車など特別な車両を用意した場合を除いて。よって補給を置いての追撃は、追跡距離に注意を要する」
「教科書通りだな」
基本的には、騎士院で習う内容と同一のものだ。
ただ、知識を自分の言葉でスラスラと表現できるという事は、本質を理解している証左と言える。
「用兵上の注意点を言ってみろ」
「突撃の際には地形が重要である。十分な助走距離を確保し、突撃衝力を最大にした状態で接触すること。できるなら上り坂は避け、下り坂を選ぶこと。馬防柵や長槍の槍衾(やりぶすま)など、騎兵対策の施してある陣への突撃は、余程の場合を除いて避けること……」
「あとは?」
「む……もっとか。んん……」
いいあぐねた。
「まあ、そこまで言えれば上出来だ。あとは俺の考えを言うから、覚えておいてくれ」
確かに、勉強はよくしているようだ。
まずまず及第点と言ってよい。
「騎兵は弱い、ということだ。なので、使用に際しては注意を要する」
それは、俺が常々考えていたことだった。
騎兵を兵器というのは変だが、一つの兵器として見た場合、あまり褒められた性能ではない。
偵察目的で用いられる軽騎兵に関しては、文句の付け所のない優秀な兵器と言えるが、野戦で攻撃力として用いられる重騎兵に関しては、大いに問題がある。
「騎兵は、一騎で十の兵を養う金額がかかる。育成を考えれば、十倍以上の金がかかる。ただの兵なら単に扱(しご)き上げればものになるのだから、当たり前だよな」
騎兵の場合は、毎日の手入れが必要な鳥を一から育て、調教し、兵にも騎乗術を習わせ、鞍の上からの戦いにも習熟させねばならない。
一兵あたりにかかる手間と時間は、歩兵とは比較にならない。
「それでいて、大抵の場合、一騎の騎兵は十人もの兵を屠ることはできない。そうじゃないか?」
「……まあ、そうであるな」
「騎兵を一騎仕立てるための費用が、例えば歩兵の六倍だったとする、それで安定して六人の敵歩兵を倒せるのならばいい。幾らでも騎兵を作って、敵歩兵にぶつけて構わない。だが、三人しか倒せないのではお話にならない」
騎兵というのは、実際は矢を受けただけで転んでしまう脆いものだ。
鈎(かぎ)付きの長柄武器(ポールウェポン)で引きずり降ろされることもある。
十倍以上の費用(コスト)がかかるというのに、歩兵と比べ、無双の働きができるわけではない。
「まあ、それは極端な例だがな。現実にもその傾向はあって、騎兵突撃は大抵の場合割に合わないわけだ。騎兵を使えば使うほど、歩兵と交換すれば交換するほど、長い目で見れば自国は不利になっていく計算になる。だったら騎兵突撃などやめて、偵察の用途だけに用い、歩兵だけの軍隊にすればいい。だが、現実にはそうはならない。どの軍隊にも騎兵突撃用の重騎兵は存在しているし、それがなければ野戦では勝てない。なぜだ?」
「それは……騎兵には、歩兵に備わっていない機動力が備わっているからであろう」
その通り。
「そうだ。機動戦力を持たない軍は、簡単に包囲され、殲滅されてしまう。騎兵は、相対的に歩兵に勝る機動力を持っている。機動力と打撃力を両立する存在は、今のところ騎兵しかいない」
だから仕方なく使うのだ。
現実には、銃器の発達により廃れてゆく存在なのだろう。
遠距離での射撃精度、連射性能。
歩兵装備の進歩により、馬防柵などの特別な設備による対策がなくとも騎兵への対処が容易になるのであれば、重騎兵など金を食うだけの無用の長物でしかなくなる。
クラ人の連中は、相手がシャン人なので板金鎧を用い続けているようだが、こちらが鉄砲を大量に配備するようになれば、それも次第に消えてゆくだろう。
「機動戦力は、流動的に変化する戦況の中で、主導権(イニシアチブ)を握るために絶対に必要なものだ。だから、費用(コスト)の面で問題があると分かっていても、どの軍も騎兵を運用している」
「うむ」
「つまり、騎兵突撃とは、単に歩兵と被害を交換するものであってはならない。騎兵と交換に得るべきなのは、歩兵の命ではなく、主導権なんだ」
ギョームは、やはりこういう話が好きなのだろう。
目を爛々(らんらん)と輝かして、頷いている。
「実際には、騎兵が突撃すれば敵には損害が発生する。損害が発生しておきながら、主導権の奪い合いに寄与しないという現象はない。それが問題点を分かりにくくしている」
「うむ。分かるぞ。要は時機を待ち、決定的な地点に突撃を仕掛け、戦の趨勢を変えるのが最良の用兵ということだな」
若干不安な要約だが、まあいいか。
「確かにそれが理想だが、現実にはそう上手くいかないだろう。だが、大したことのない場面で突撃を仕掛け、ろくな戦果も出さず、後(のち)に騎兵が必要な場面が現れたとき活躍できないということでは、話にならない」
「ユーリ殿の言いたいことは理解したと思う。肝に銘じておこう」
それはいいんだが、ドッラと衝突しねえだろうな……。
まあ、そうしたらクビにしたらいいか。
俺は紙にサラサラと文章を書き、第一軍宛ての任命書を作ると、サインと判を押した。
ついでに教養院宛ての紹介状も書き、二枚の紙をギョームに渡した。
「巧妙な人付き合いは望まんが、喧嘩はするなよ」
「分かっておる」
ギョームは、紙を受け取った。
俺は椅子から立ち上がり、入り口まで歩き、ドアを開き、部屋を出た。
「どうした、お前も早く出ろ」
「なんだ、見送りの必要はないぞ」
ギョームは、部屋を出ながら言った。
なにを言ってやがる。
誰が見送るか。
「俺も今日はこれで上がりなんだよ。これから病人の見舞いに行く」
「む? 誰の見舞いだ。キャロル殿下か」
キャロルのわけがない。
「違う。誰でもいいだろう。余計なことは聞くな」
執務室は直接廊下に繋がっておらず、小さな秘書室が、前室のような形で置かれている。
部屋を出たところに秘書官のデスクがあり、そこには先程の女性が座っていた。
「お疲れ。今日はもう上がるから」
ミャロの部下である秘書役の女性に、一言告げた。
「はい。お疲れ様でした」
俺はそのまま、ミャロが寝ている部屋に向かった。