The Duchess of the Attic
8. Attic
「こちらが南のお茶会室でございます」
「ありがとう、ベス」
ベスに案内されて部屋へと入ったオパールはかすかに息を呑んだ。
そこは南側の壁全面が窓枠以外ガラス張りになっており、とても明るく今日のような快晴の日は、まるで屋外にいるような錯覚にさえなる。
壁色も新緑色のせいだろう。
そして部屋には応接セットが二つ据えられており、椅子の布地も机も白く、とても気分がよかった。
いくつかの窓が開いているので爽やかな風も入ってくる。
こんな素敵な部屋があったのかと感嘆の吐息を漏らした時、日陰になっている壁際の一人掛け用の椅子に誰かいることにオパールは気付いた。
体の大きさからして、ヒューバートではない。
「ごめんなさい、お邪魔してしまったかしら?」
相手が眠っているわけでないのは気配からわかったので、近づきながらそっと声をかけた。
すると、ゆっくりと振り向いた人物の顔を見て、オパールはやはりと思った。
「いいえ、大丈夫よ。今日はお天気がいいから外を見ていたの」
「外には出ないの? いつもお庭を散歩しているでしょう?」
「散歩じゃないわ。歩けないんだから。それで、あなたはヒューバートの奥様でしょう?」
「ええ、ご存じだったのね。どうぞオパールと呼んでちょうだい。そしてあなたはステラさんでしょう?」
「正解。私はあなたが私のことを知っているって知っていたわ。屋根裏部屋からよく私のことを見ていたでしょう?」
金色の巻き毛を揺らし、にっこり笑うステラは体も小さく本当に天使のようだ。
だが、その青色の瞳の奥に意地の悪い光が宿っていることにオパールは気付いた。
だてに三年も意地悪な社交界で過ごしてはいない。
「せっかくのお時間をお邪魔しては悪いから、私は行くわね?」
「どうして? ここでヒューバートと待ち合わせているんでしょう?」
「よく知っているわね?」
「みんなあなたの噂はよくしているもの。ちょっと耳を澄ませば廊下の話し声や窓の外の声が聞こえるのよ」
「そう……」
体が不自由なら退屈なのだろうが、やはり盗み聞きはいただけない。
しかし、オパールは注意することなく、踵を返そうとした。
「あなたは私からヒューバートを奪ったのよ。本当なら私が彼の妻になるはずだったのに。あなたが汚らわしいお金でヒューバートを買ったのよ!」
「あなたがお金を持っていなくて残念だったわね」
ステラの侮蔑の言葉にも、オパールは冷静に答えた。
すると、突然ステラは激しく泣き始め、咳き込み出す。
いきなりのことにオパールが呆気に取られていると、勢いよくヒューバートが入ってきて、ステラに駆け寄った。
「どうした、ステラ。落ち着いて、ゆっくり息を吸ってごらん。そうだ。今度はゆっくり吐いて……吸って……」
ステラの咳が治まる頃になって、ノーサム夫人やステラについている侍女がやって来て騒がしくなった。
また従僕がステラを抱き上げ部屋から連れ出していく。
そして、部屋に二人だけになった途端、ヒューバートは怒りをオパールにぶつけた。
「いったい、ステラに何を言ったんだ?」
「別に大したことじゃないわ」
「そんなわけないだろう! ステラがあれほどに動揺するなんて……。ああ、あなたには大したことではなくても、ステラにとっては衝撃だったに違いない」
「そう?」
「とにかく、ステラには会わないようにと言ったはずだ!」
「私がこの部屋に来た時にはもういたんですもの。どうしようもないわ。そんなに心配なら、私を屋根裏部屋から出すべきではなかったのよ」
「何を……」
ヒューバートにとっては、ステラはいつもこの時間は昼寝をしているはずで、オパールと会うことになるとは思わなかったのだ。
ベスを通じてオパールから話があると伝えられた時、ついに彼女が謝ってくるのだとヒューバートは思っていた。
だから彼女のためにも堅苦しい書斎より、この部屋のほうがいいと考えたのだが、全て台無しになってしまった。
しかもステラをあれほどに苦しませておきながら、オパールには反省の色もない。
そう思うと、収まりかけた怒りがまた込み上げてくる。
「あなたには心底がっかりしたよ。あんなにか弱いステラを傷つけておきながら、謝罪もなく、心配さえしていないのだから!」
「心配はしているわ。でも私以上に彼女を心配し、面倒を見てくれる人がたくさんいるのだから私は必要ないんじゃなくて?」
「ああ、まったくだ! あなたなど必要ない!」
「私のお金以外はね」
「ばっ、馬鹿なことを言うな!」
「そうかしら? でももうご心配はいりませんわ。今日、私が旦那様にお話したかったのは、ここを出ていこうと思ったからです」
「……出ていく?」
たった今まで怒りに顔を歪ませていたヒューバートは、ぽかんと口を開けた。
その表情はとても幼く、オパールは本当にこの人は年齢よりも子供なのだとつくづく思う。
公爵という身分から、誰も彼に厳しくすることなく、ひと通りの勉強だけをすませて今まできてしまったのだろうと。
「ええ。伯爵領にしばらく滞在しようかと思いまして。結婚後の里帰りというやつですね。そうすれば旦那様は大切なステラさんを苦しめる心配をなさらなくてもよろしいでしょう? できる限り、向こうでの滞在を引き延ばしますから、どうぞ皆様方で今まで通りの生活をなさってください。シーズンが始まる前には一度、話し合いが必要かとは思いますけど」
「あ、あなたの父上が何と言うか……」
「何も申しませんわ。おそらく知らせなければ、私が領地に滞在していることにも気付かないでしょう。ですから、申し訳ございませんが、馬車をお貸しください。一日もあれば伯爵領へは着きますので、御者や馬を一晩休めて次の日には引き返してもらいます。それと、よろしければ道中の退屈しのぎに図書室から本を何冊か借りてもよろしいでしょうか?」
自分の動揺とは裏腹に、淡々と計画を告げるオパールに、ヒューバートは苛立ってきていた。
なぜか出ていくなという言葉が口から飛び出しそうになったが、ぐっと堪えてヒューバートもまた平静を装い答える。
「別に、この家のものはもはや全てあなたのものと言っても過言ではない。好きなものを持って行けばいい。馬車でも、本でも、何でも!」
最後は感情がこもってしまったが、それでもヒューバートは堂々と部屋を出ていった。
厄介者がいなくなると思えば嬉しいはずなのに、その胸中はなぜかもやもやとして落ち着かない。
だがすぐに、これは罪悪感だと――彼女の言う通り、彼女によってもたらされた金のみを必要とするせいだと思う。
オパールは部屋を出ていくヒューバートを見送ると、疲れたようにソファへ腰を下ろした。
大げさなものを持って行くつもりはなく、必要なものは領館に全てあるので、荷造りはとても簡単で急ぐ必要はない。
それなのに胸が騒ぐのはきっと、心のどこかで引き止めてくれることを願っていたのだと気付いた。
やはり一度は心惹かれた人なのだ。
結婚してがっかりさせられてばかりではあったが、意地を張ったオパールも悪いということはわかっていた。
もう少し歩み寄る努力をすればよかったのかもしれない。
だが後悔しても何もならないことはよく知っている。
くよくよする暇があるなら行動するべきなのだ。
そしてオパールはもうこの屋敷を出ていくと決めており、離縁も来年にはしたいと決意していた。
オパールは体に力を入れて立ち上がると、明日の出発のための準備に取りかかったのだった。