The Duchess of the Attic

9. Count collar

「まあ! まあまあまあ! お嬢様! お戻りになるなら一言先にお伝えいただけたら、もっと皆で盛大にお迎えしましたのに!」

公爵家の家紋が入った馬車がホロウェイ伯爵の領館前に到着した途端、慌てた様子で従僕が駆け下りてきて馬車の扉を開けてくれた。

そして従僕の手を借りてオパールが馬車を降りると、再び慌てた様子の執事や家政婦のマルシアが玄関から飛び出してくる。

そのままオパールに抱きついたものだから、転びそうになったが、そこは慣れた従僕が支えてくれて事なきを得た。

その様子を、公爵家の御者は呆気に取られて見ていた。

実は公爵家の御者――ケイブは王都より出たことがなかったのだが、不安な思いを抱えたまま伯爵領へと今朝早く公爵家を発ったのだ。

馬車の中に悪女と名高い公爵夫人と少しばかりの荷物を乗せ、緊張しながら馬を走らせ、前日にじっくり確認した街道を進み、どうにか伯爵領に入ったまではよかった。

だがやはり分かれ道を少し進んだところで車内から合図があり馬車を止めると、道を間違えていると指摘されたのだ。

急ぎ謝罪して引き返そうとしたが、公爵夫人は自分を馬車から降ろせと命じた。

恐る恐る扉を開け、踏み段を下ろした御者が怒鳴りつけられるのを覚悟した時、驚くことに夫人は自分も御者席に座ると言い出した。

「だって、道なら私がわかっているもの。車内からあれこれ指示するより、隣に座ったほうがいいでしょう? それにほら、こんなにいいお天気なんだもの。車内にいるよりずっといいわ」

それから言葉通り、御者席に座った公爵夫人はケイブにあれこれと領地の説明をしながら道案内をしたのだ。

身分の低いケイブの隣に座ることも、風に髪の毛が乱れることも厭わずに。

以前、違う貴族の家で働いていたこともあるケイブにとっては、驚くべきことだった。

そもそもケイブが公爵家で働くようになったのは、以前仕えていた貴族の家の令嬢をいやらしい目で見たとクビにされたところを、ノーサム卿に拾ってもらったという経緯があったのだ。

もちろん、実際はいやらしい目で見たりなどしていない。

ただ令嬢のドレスが風に煽られたところをたまたま目撃してしまっただけ。

それ以来、貴族の女性は高慢で自意識過剰で我が儘だと思っていた。

唯一違うのは、公爵家の天使であるステラだ。

とは言っても御者であるケイブは出かけることのないステラに会ったことは一度もなく、ノーサム夫人とも話したことはないので噂でしか知らない。

使用人の皆が手放しで褒めるのだから、そうなのだろうと思っていた。

そんな中で金銭面で困っているらしい公爵様につけ込み、結婚を迫って公爵夫人に収まった悪女の話はここ数日いやと言うほど聞いていたのだ。

その噂内容はケイブがよく知っている貴族女性そのもの。

お優しい公爵様と純真なステラ様のために、使用人一同が一丸となって悪女から守らなければと皆で誓い合ったのだった。

そのため、今回の伯爵領までの仕事は皆にかなり同情され、励まされた。

無事に伯爵家領館に送り届ければ、公爵家はしばらく悪女から解放されるのだと。

ケイブはその任務を背負っていたのに、道中はまったく予想とは違った。

何より、御者席に座った公爵夫人を領民が喜んで迎え、夫人もまた手を振り笑顔で応えていたのだ。 

やがて陽も傾き始めたところで、公爵夫人は叱られるからと車内に戻った。

いったい誰が公爵夫人を叱るのだろうと不思議に思いながら、ケイブは教えられた道を進んだ。

そして今、目の前で繰り広げられている大歓迎の嵐。

ぽかんとしたままのケイブを、領館の厩番たちが疲れただろうと労い、後は任せてくれと言う。

玄関前に放り出されてしまったケイブは、従僕に裏口を案内されて屋敷に入り、調理場の裏にある使用人休憩室で温かくもてなされた。

しかもお腹が空いただろうと出された夕食は、今までに食べたことがないほど豪華だった。

「これは豪華すぎるだろう! 俺はただの使用人だぞ?」

「ああ、わかってるよ。俺も前は別のところで働いていたから最初は驚いたが、これがここの俺たちの食事なんだよ。お嬢様が――いや、今は公爵夫人だったな。公爵夫人が――ああ、面倒だ。とにかくお嬢様が俺たちの食事を改善してくださったんだ」

ケイブは目の前の食事を見て、喉元までこみ上げる何かを必死に飲み込んだ。

それを勘違いした使用人の一人が笑う。

「ほらほら、遠慮せずに食えよ。これは俺たちが運ぶだけの手をつけちゃいけねえ食事じゃないんだ。しっかり食え。おかわりもあるぞ」

そう言われて、恐る恐るスプーンを持ったケイブはスープを一口飲み、あとは一気に口に入れた。

その様子を見て皆が笑ったが、ふと一人のメイドが何かを思ったのか心配げに顔を曇らせる。

「ねえ、公爵様のお屋敷では使用人の扱いは酷いの? お嬢様が嫁がれたのに?」

「まだそれほど時間が経ってないからじゃない? きっと公爵様のお屋敷は広大すぎて手が回っていないのよ」

「でも、お嬢様がそんな状態でここに戻っていらっしゃるなんておかしくない?」

「確かに……」

明るかった食事の席は、一瞬にして静まり返ってしまった。

ケイブもまたパンが喉を通らない。

「あら、私が先ほど耳にした話では、お嬢様はどうしても確認したい大切なことがあって戻ってきたのだと、マルシアさんにおっしゃっていらしたわ」

「そうなのか? それなら仕方ないな」

「ああ、そうだな。なあ、ケイブさん、お嬢様は公爵様のお屋敷でお幸せに過ごしていらっしゃるんだろう?」

「そ、それは……俺は、普段外にいるから……。屋敷にもめったに入らないし……だが、おそらくそうではないかと……」

従僕の一人に問われたケイブはしどろもどろに答えた。

実際、屋敷にはほとんど入ることがないので、内情はよく知らないのだ。

ただ使用人仲間からの話で、公爵夫人は屋根裏部屋に住んでいると聞いてはいた。

主寝室をステラ様に使われていることに腹を立てた、意地の悪い仕返しのためだろうと。

だから、ケイブは嘘を言うしかなかった。

「心配しなくてもお嬢様は大丈夫よ。だって、あの嘘っぱちの噂のせいでお嬢様の評判は台無しになってしまったけれど、それでも公爵様はお嬢様を選ばれたのでしょう? お嬢様だって誰とも結婚するつもりはないっておっしゃっていたのに、なされたんだもの。きっと大恋愛だったのよ」

「そうだな。そりゃそうだ!」

「お嬢様とちゃんとお話をすれば、あんな噂は嘘だってすぐにわかるものね!」

「ああ、間違いないな!」

伯爵家の使用人たちは事情を知らず、二人を恋愛結婚なのだと思い込んだ。

そして明るい結論が出たところで、また活気ある空気に戻り、皆が和気あいあいと食事を進めた。

その中で一人、ケイブは居心地の悪い思いをしながら、その場に座っていたのだった。