The Duchess of the Attic

29. Departure

「それは……クロードのご家族と一緒にってこと?」

クロードの言葉に驚いて、オパールは勢いよく腕の中から抜け出した。

それからまじまじとクロードを見つめて問いかける。

すると、クロードは苦笑して首を横に振った。

「ちょっと違う。俺と結婚してほしいってこと」

オパールは聞き間違えたのかと思わず自分の耳を触った。

だからといって何かわかるわけではない。

明らかにうろたえているオパールを見ながら、クロードはさらに言い募った。

「俺はオパールが好きだ。ずっと昔から。だけどあまりにも分不相応で、本当は告白するつもりもなかったんだ。それでも今までに二度、伯爵にオパールと結婚させてほしいと頼んだことはある」

「それは……」

「伯爵から聞いただろ?」

「ええ……つい、先日に……」

「先日か……。それはかっこ悪いな……」

クロードの告白に、オパールは胸がいっぱいで、上手い返事をすることができなかった。

父から話を聞いた時はもちろん嬉しかったが、馬鹿な自分への後悔と、あとは同情からではないかとの思いもあって、素直に喜べなかったのだ。

しかし今、クロードはオパールを好きだと言ってくれた。

それが嬉しい。それで十分だった。

「あの時の俺は正しい手順を踏んだつもりだった。だけど本当は、オパールに告白する勇気がなかっただけだと気付いた。だから今度はちゃんと直接言うよ。何度でも。オパール、俺と結婚してくれ」

「……それは……無理よ」

「やっぱり、今さらずうずうしい?」

「そんなことはないわ。でも……」

「でも、何? 友達だから無理?」

クロードからのプロポーズは信じられないほど嬉しかった。

体の内から湧いてくる力で、この大岩から飛び降りることができそうなほどに。

それでもオパールは目を伏せ、理性を総動員して断ったのだが、クロードは引き下がらない。

「俺が嫌い?」

「まさか!」

「じゃあ、俺が好き?」

「……クロード、私たちはこんな、子供染みたやり取りをするような――っ!?」

説得を試みようとするオパールの言葉は、いきなりクロードにキスされたことで途切れてしまった。

クロードとの初めてのキスはとても心地よく、オパールはこれが本物のキスなのかと考え、我に返った。

「クロード!」

「嫌だった?」

「――っ、こ、ここはとても見晴らしがいいのよ!」

「知ってるよ。どこからでも目印になって便利だよな」

「だから、誰かに見られていたらどうするのよ!」

「何だ、評判を気にするのか?」

「気にするような評判なんてないわよ、私はね。でもクロードはこれから結婚しないといけないんだから……」

オパールの抗議にもクロードはまったく気にした様子はない。

腹が立つやら悲しいやらで、徐々に勢いをなくしていくオパールを、再びクロードが抱きしめる。

「俺はお前と結婚するんだから、これくらいはみんな大目に見てくれるよ」

「……ねえ、私の話を聞いてた?」

「十分聞いたよ。オパールは昔から嘘が嫌いで、どうしても嘘を吐かなきゃいけない時は目を逸らすし、話も逸らす。だから、オパールは俺のことが好きで、結婚したいってことだよな?」

ずばり言い当てられたオパールは、クロードを押しのけると急いでその場を逃げ出した。

だが岩の上は安定が悪く、大岩から足場代わりの少し大きめの岩の上に飛び下りたところでクロードに捕まってしまった。

「無茶するなよ、オパール。俺もお前も、もう体力が落ちたんだから。自分で言ってただろ?」

「そうよ。だから……無理なのよ」

「何が?」

登った時ほどではないが、お互い軽く息を切らしている。

ただオパールの動悸が激しいのは、先ほど以上にクロードに強く抱きしめられているからだった。

もうこんな拷問からは解放してほしいのに、クロードは許してくれそうにない。

「クロードは、侯爵様になったんだから……跡継ぎが必要でしょう? でも、私はもうすぐ二十七で、子供は――」

「俺に必要なのはオパールであって、跡継ぎじゃない。俺が欲しいのはオパールであって、跡継ぎじゃない。わかった?」

「そういう問題じゃないわよ」

「そういう問題だよ。相変わらず頑固だよな、お前は。いいから、結婚するって言えよ」

「言わない」

ヒューバートに対してはそれほど気にならなかったことが、クロードに対してはとても気になってしまう。

できれば好きな人の子供を――クロードの子供を生みたかった。

だが、自分の年齢を考えると怖かったのだ。

それなのに、クロードは引こうとしない。

「よし。じゃあ、俺が侯爵位を返上すればいいんだな?」

「よくないわよ! そんなことをしたら、おば様が――ご家族が何て思うか! それに、クロードはきっと立派な領主になっているでしょうに、領民が困るでしょ!」

「だが、オパールが結婚してくれないなら、俺が困る」

とんでもないことを言い出すクロードに、オパールが怒っても効き目はない。

クロードも十分に頑固なのだが、自覚はないようだ。

「あのね、私にも小さいけれど管理しないといけない土地があるの。犬だって飼い始めたし、他にもたくさんやるべきことが――」

「じゃあ、俺がこっちにオパールと一緒に住んで、たまにあっちに帰るよ」

「それなら、私がたまにこっちに帰るべきでしょう?」

「よし、そうしよう。決定だな」

どうにかクロードを納得させようとするのに上手くいかない。

それどころか、気楽な解決方法を提案するクロードに思わず突っ込んでしまった途端に、決定事項になってしまう。

「ちょっと、クロード。私はまだ結婚するって言ってないわよ」

「それでも、してくれるんだろ? だから俺を見ろよ、オパール」

今度は逃げたくてもまだしっかり抱きしめられたままで、逃げられない。

追い詰められたオパールは、ついに降参して顔を上げた。

すると、クロードは昔にはなかった目尻のしわを寄せて、嬉しそうに微笑んでいる。

なんだか悔しくて、オパールはとっておきの秘密を口にした。

「飼い始めた犬は、クロードって名前なの」

「……名前の変更は?」

「ダメよ。いたずらっ子でまだ躾の最中だけど、自分の名前だけは覚えたんだから。できの悪い子ほど可愛いって本当ね」

「……受け入れるよ」

諦めたようにため息を吐いたクロードを見たオパールは笑った。

すると、クロードはわざとらしく顔をしかめ、再びオパールを強く抱きしめキスをする。

そしてオパールは、これこそが本物のキスなのだと理解した。

さすがにクロードも、あの見晴らしのよすぎる場所では手加減をしていてくれたらしい。

* * *

オパールは初めての船旅にナージャとともに浮かれ、初めての異国の地――タイセイ王国の繁栄ぶりにただただ圧倒されていた。

港から王都までは旅客鉄道で移動するのだ。

以前から国力の強い国ではあったが、八年前に疫病と内戦で荒んでいたとは思えないほど、王国は発展していた。

この国の技術力はマンテストでわかっていたつもりだが、まだまだ甘かったらしい。

これでは確かに、オパールとタイセイ王国のルーセル侯爵の婚約が発表された時、社交界が騒然となったのも納得できる。

ようやく静かに暮らせるようになっていたオパールの許には、婚約が発表されてから、また多くの招待状が届くようになったのだ。

しかし、それらはルーセル侯爵と近づきたいという下心が透けて見え、クロードと二人で笑いながら全てに断りの返事を出した。

どうやらまだ誰も男爵家の三男であるクロードがルーセル侯爵だと気付いていないらしく、クロード宛てには一通も届いていない。

それはヒューバートも同様で、いつの間にあの二人はそれほど親しくなったのかと、何度か父に訊ねたそうだ。

だが父はいっさい答えることなく、オパールの個人的なことはもう関係ないのだから、自分とこれからの家族のことを考えるべきだと忠告したらしい。

ヒューバートはそれ以来すっかり悄然としてしまったそうで、社交界の中には下世話な勘繰りをする者もいるようだが、オパールもクロードも無視することにしていた。

(気は進まないけど、あの国の社交界にもこれからは顔を出さないといけないし、また公爵様とも会う機会はあるわよね。ルーセル侯爵の正体もそのうちわかるでしょうし……)

オパールはマンテストの投資者であり、ヒューバートとの縁は切れていない。

しかも女性のための団体を立ち上げたばかりなので、これからは寄付を募るためにも社交の場には出なければならないだろう。

その時に、必要な話をすればいいだろうと思ったところで、列車は駅に到着した。

そして列車を降りたオパールたちは、クロードが用意していた侯爵家の馬車三台に男爵夫妻たちと別れて乗り込んだ。

クロードはオパールとナージャと犬のクロードの乗った馬車で一緒に王都のルーセル侯爵邸へと向かう。

やがて馬車が走り始めると、オパールもナージャも車窓から見える街並みに感嘆するばかりだった。

犬のクロードは船内と列車内ではゲージに入れられていたせいか、馬車の中では座席にどっかりと寝そべって顎をクロードの膝の上に載せている。

人間のクロードは微妙な気分でしばらく沈黙していたのだが、結婚前に話しておかなければならないことを思い出して口を開いた。

「そういえば、言い忘れていたけど、今回帰国するにあたり、陛下には幼馴染みに結婚を承諾してもらえるまで、この国には戻りませんと伝えていたんだ」

クロードの突然の告白に、オパールは驚いて意識を車内へと戻した。

ナージャは気を遣っているのか興味ないのか、窓の外を覗いたままだ。

「……おば様たちはどうするつもりだったの?」

「みんな大人なんだから、手配さえ整えておけば自分で行動できるよ。それよりも、今度こそ遠慮なんてせずに、オパールを根気よく口説くつもりだったんだ。どうすればただの幼馴染から脱却できるか、かなり考えた。まあ、どうしても上手くいかなかったら、攫ってでもこの国に連れてきて、また口説くつもりだったけどな」

「クロード……人攫いは重罪よ」

「大丈夫さ。陛下がおっしゃったんだ。『それならば、その幼馴染みを攫ってでも戻ってこい』って」

「……タイセイ王国の国王陛下はとても立派な方だって聞いていたのに」

「立派な方だよ。それで本題だけど」

「まだあるの?」

「大したことじゃないよ。陛下から、この国を離れる条件として、戻ってきたら公爵位を賜ることになってるんだ。遠慮したんだけど、以前の騒動で有爵者が減ったから余ってるんだよ」

「余ってるって問題じゃないと思うけど……。じゃあ、クロードは公爵様になるの?」

「この国でね。というわけで、オパールはまた公爵夫人になるわけだ。領地もさらに増えるけど、一緒に管理してもらえると助かるな」

「それは……もちろん、頑張るけど……不安だわ」

「心配はいらないさ。二人でなら大丈夫だろ? それにオパールは領地経営も得意だし、俺は果報者だよな」

「……公爵様になって、領地も増えるって……大したことあるわよ……」

今聞いた話にオパールが呆然としている間に、馬車はルーセル侯爵邸に到着した。

オパールがクロードの手を借りて馬車を降りると、先に到着していた男爵夫人は顔馴染みの執事や使用人たちと感動の再会を繰り広げている。

家族は母親に任せて大丈夫だと判断したのか、クロードは侯爵邸を見上げるオパールと並んで説明を始めた。

犬のクロードは階段を上ったり下りたりしてはしゃいでいる。

「ここはルーセル家が伯爵位の頃からの王都での屋敷で、使用人も半分は変わっていない。だが、母さんには申し訳ないけど、少々不便だったので現代的に改装したんだ」

「……とても、素敵だわ」

「そう思ってくれると嬉しいよ。だけど暮らしてみれば違うかもしれないから、不満があればいつでも言ってくれ。また直すから」

オパールはルーセル侯爵邸を見上げながらも、脳裏にはあの決別の日に見上げたマクラウド公爵邸の姿が浮かんでいた。

そのため、ぼんやりと答えたオパールだったが、続いたクロードの言葉で現在に意識が戻る。

「不満なんてきっとないわ。それに……屋根裏部屋も住み心地がよさそう」

「ああ。いくら屋根裏だとしても、部屋として使うなら窓が大きいほうが気持ちいいだろう?」

「そうね。それは間違いないわ」

自信を持って答えたオパールは、クロードに向けて満面の笑みを向けた。

その笑顔を見たクロードは、問いかけるように片眉を上げる。

オパールのことをよく知っているため、何か意味があると気付いたようだ。

「たまには屋根裏部屋に籠もってみるのも、楽しいかと思って」

「なら、俺も一緒に籠もるよ」

オパールの言葉に驚くことなく、クロードはにやりと笑って答えた。

そのクロードらしい返しに、オパールは声を出して笑った。

確かにクロードとなら、この先も何があってもきっと一緒に楽しめる。

思い出は――意地を張って屋根裏部屋で暮らしたことは、そのうち話せばいいだろう。

クロードならまた笑い飛ばして聞いてくれるはずだ。

だから、今は前を向いていけばいい。

オパールはクロードと一緒に笑みを浮かべたまま、これから二人で暮らす屋敷へ一歩一歩階段を上っていった。