「父上! 大丈夫ですか!?」

少し離れた位置からバポット侯爵に声をかけたエリクは、オパールをキッと睨みつけた。

傍聴人たちはエリクの存在を思い出したのか、詰めていた距離を再び開ける。

「貴様、父上に何をするんだ! たとえ被疑者でもこのような暴力が認められるわけがない! 即刻退場させるべきだ!」

「夫を侮辱されたのですもの。抗議するのは妻の権利でしょう?」

「何を――」

「ルーセル侯爵夫人、続けよ」

エリクに反論したオパールにアレッサンドロは続きを促した。

要するに、オパールの主張を国王が認めたのだ。

オパールは軽く膝を折ってお礼と了承の意を示し、エリクは悔しそうに押し黙った。

「これらの手紙が偽物かどうかの検分は終わっております、侯爵。またセイムズ侯爵もあなた様との繋がりを認められたそうです。こちらがそのときの記録で署名人にはマクラウド公爵とクロイゼル子爵の名前がありますわ」

「マクラウド公爵はあなたの元夫ではないか」

「ええ、それが何か?」

「そんなものは信用できない。あなたが手を回したんじゃないか?」

「……何のために?」

「マクラウド公爵は最近、王宮でずいぶん権勢をふるっているそうじゃないか。それでセイムズ侯爵が邪魔になったんじゃないのか? ルーセルだってそうだろう? 陛下の第一の臣下となるのに私や息子が目障りだったはずだ。それでこんな両国を跨いだ陰謀を企んだに違いない。皆さん、そう思いませんか?」

バポット侯爵は傍聴している者たちへ自信満々に問いかけた。

すると中でも貴族たち――特に穏健派だの中立派だのとされている者たちは、周囲とひそひそ話し始める。

その様子をクロードやバルバ卿は呆れたように、アレッサンドロはおかしそうに見ていた。

「――バポット侯爵、あなたの仮定はとても面白いものではありますが、なぜマクラウド公(・)爵(・)がわざわざセイムズ侯(・)爵(・)に、ボッツェリ公(・)爵(・)がわざわざバポット侯(・)爵(・)であるあなたやアマディ子(・)爵(・)を陥れなければならないのですか? 私の夫も元(・)夫(・)も、すでに地位も財産もこれ以上ないほどに持っております。ああ、それと、私も少なくない財産を保持しておりますのよ? 上納金を惜しむほどに困窮していることが今回の騒動の理由でしたら、私がいくらでもご融資いたしましたのに」

嫌みなオパールの言葉に、皆は今になってようやく目の前の女性が高い地位と有り余る財産を有していることを思い出したらしい。

それまでは悪い噂ばかりに気を取られ、敵に回すとどれだけ恐ろしいことになるのかわかっていなかったのだ。

それまで囁き合っていた者たちはぴたりと口を閉じ、心なしか姿勢を正した。

「何と卑しい。地位ある男を手玉に取ったことを自慢しているだけではないか。噂通りとんだあばずれ――!?」

負け惜しみでしかないテューリの蔑みの言葉を遮ったのは、クロードの拳だった。

今度は近衛もクロードの動きに気付いていたが止めることはなく、咎めるつもりもないらしい。

「クロード! お前、兄上に何をする!?」

「妻を侮辱された夫の当然の権利だろ?」

右手を軽く振りながらエリクの抗議に答えたクロードにオパールは駆け寄った。

そしてクロードの右手を摑んで怪我がないか調べる。

「赤くなっているわ。痛みは?」

「大したものじゃないよ」

「だけど――」

「ルーセル、そのやり取りはいささか飽きたぞ」

心配するオパールと大丈夫だと笑うクロードに、アレッサンドロが不満そうに声をかけた。

昨日と真逆のやり取りに対する嫌みだろう。

周囲の者たちは驚いてはいたが今度ばかりは仕方ないといった意見らしく、漏れ聞こえてくる会話に否定するようなものはない。

オパールとクロードはアレッサンドロに軽く頭を下げると、頬を押さえて忌々しげに睨みつけてくるテューリやバポット侯爵から離れ、元の位置に戻った。

「それでは続けさせていただきます。こちらにあるリード鉱山の裏帳簿……これらの金の産出量とセイムズ侯爵の帳簿に記載されていた密輸入量とがほぼ一致することは、ソシーユ王国の法務官たちが確認しております。ここにケンジット法務官を代表とする数名の法務官の署名入りの証書が――」

「なぜだ!? なぜソシーユ王国の法務官たちがその帳簿を確認できたんだ!?」

「それはもちろん、私が知らせたからです」

「だからなぜ! どうやって!? そもそもその帳簿は早々に処分したはずだ!」

必死の形相で問い詰めるコールに、すでに答えは出ているのになぜわからないのだろうとオパールは首を傾げた。

それともコールは自分のあり得ない失態を認めたくないだけなのかもしれない。

「私がリード鉱山の麓にある公爵家の屋敷に滞在している間、退屈しのぎにとジュリアンがこの帳簿を持ってきてくれたのよ」

「ジュリアン! やはりあいつか!」

コールは怒り半分嘆き半分といった様子で叫んだ。

ジュリアンの名前にコナリーだけでなくバポット侯爵までも動揺したのか一瞬表情が変わる。

オパールが屋根裏部屋に閉じ込められているとき、ジュリアンが持ってきたのは本ではなくコールの裏帳簿だった。

その帳簿の中から数字を抜き出し、ソシーユ王国の法務官である叔父に調べてほしいと書いた手紙をオパールはジュリアンに託したのだ。

「お前はまさか帳簿を自分で処分せず、ジュリアンに任せたのか!?」

「コナリーさん、あなたがジュリアンは信用できると言ったんじゃないですか!」

「そもそもジュリアンはバポット侯爵から紹介されて――」

「黙れ!」

責任のなすりつけ合いを始めたコールとコナリーを一喝して黙らせたのはバポット侯爵だった。

その剣幕に広間中が静まり返る。

侯爵は怒りの表情のままオパールを睨みつけた。

「私は確かにセイムズ侯爵と何度か手紙を交わした程度の親交はあった。それらの証拠とやらは、おそらくその関係を利用され偽造されたのだろう。ただセイムズ侯爵がどれほど慎重な男かは知っている。法務官たちの動きを先に把握することはできたはずだが、なぜ対策を取れなかったのかが不思議でならない」

「……誰だって悪事は許せませんもの。きっと法務官よりも先に動いた者がいたのではないでしょうか?」

法務官やヒューバートが動くよりも先に、オパールはルボーに頼んでそれらの証拠を手に入れてもらったのだ。

真(・)っ(・)当(・)な(・)金貸しのルボーが二つ返事で引き受けてくれたことを思い出し、つい笑いそうになったオパールは慌てて表情を引き締めた。

「やはりお前が先に手を回したんだな?」

「バポット侯爵、あなたの態度は妻に対して失礼だろう。謝罪してくれ」

「クロード、いいの。口先だけの謝罪なんて必要ないわ。息子さんにしろご本人にしろ、私をどう思っているか、よくわかっているもの」

立ち上がって庇うように抱き寄せたクロードに、オパールは大丈夫だとその腕を軽く叩いた。

このような場でもいつものペースを崩さないオパールとクロードに、エリクはいい加減に我慢できなかったらしい。

前へ進み出ようとして近衛に阻まれながらも、オパールを指さし訴えた。

「クロードもマクラウド公爵も騙されてるんだ! 陛下、お気をつけください! あの女はきっと男を惑わす悪魔に違いない! ジュリアンという男もあの女に誑かされたんだ!」

「あら……」

悪魔なんて久しぶりに言われたなと呑気に考えたオパールと違って、クロードは怒りに拳を握った。

それに気付いてオパールはぐっとクロードの腕を摑んで止める。

「オパール……」

「怒るほどのことでもないわ、陛下も――」

楽しんでいると言いかけて、アレッサンドロの笑みが大きくなったことに気付いた。

いったいどうしたのかとオパールもクロードも疑問に思い、現れた人影にはっと息を呑む。

そんな二人の前を通り過ぎ、人影はエリクへと近づき近衛が止める間もなく殴りつけた。

「ジュリアン!」

「……ジュリアンだと?」

女性たちの悲鳴が上がる中、オパールだけでなくコールやコナリーも闖入者の名前を呼んだ。

その名前に驚いたのはテューリで、エリクは声を出せないまま近衛に拘束されているジュリアンを呆然として見上げた。

「衛兵たちは何をしているんだ! なぜその男がこの場にいる!?」

「証人として呼ばれたからですよ。それに近衛騎士はちゃんと仕事をしているじゃないですか。だが放してくれませんか? 私にはこいつを殴るだけの権利があるのですから」

バポット侯爵の怒りに満ちた問いにジュリアンは飄々と答え、近衛騎士たちに解放するように告げた。

バルバ卿が従うように騎士たちに手で合図すると、騎士たちはためらいながらもジュリアンから手を放す。

今までの従僕の姿とは違う、国王の御前に出るに相応しい正装をしたジュリアンは乱れた衣服を整えた。

「権利だと? その女の愛人にいったい何の権利があるんだ!」

怒りが収まらない侯爵の訴えから、ジュリアンがオパールの駆け落ちの相手だと知った傍聴人たちの興奮は高まった。

あちらこちらでひそひそと噂する声でざわつく中、ジュリアンは侯爵と傍聴人たちに向けて優雅にお辞儀する。

「お久しぶりです、バポット侯爵。コナリーさんもコールさんもその節はお世話になりました。そして初めましての皆様方、どうぞよろしくお願いいたします。私の名はジュリアン・ホロウェイ。そこでぼうっと突っ立っている不肖の妹、オパールの兄でございます」