The Economics of Prophecy

Two stories, fellow students in trouble.

新年祭まで後十日、春休みまで三日。この国の最高学府、王立学院の廊下は少し浮ついていた。

「ふぁ、あああ……」

俺はあくびを開放した。入学して一年、馴れたとはいえ中学校レベルの内容に辟易する。歴史や社会制度はこっち独自のものだが、入る前に必死で勉強した。数学においては、この世界の最高峰は俺じゃないかと思う。

まあ、五歳の頃取り戻した前世の記憶あってのことだから、俺の手柄じゃないけど。ちなみに前世では大学院でマクロ経済学と企業統治を専攻していた。「経済予測は世界で最も信じてはいけない学問だが、だからこそ燃える」が口癖の恩師から学んだことは結構役に立っているのかもしれない。

修了前に死んだから中途半端だけどな。

異世界といえば、この世界には魔術があるが。平民らしく魔力など使えないので授業は取ってない。魔術は魔結晶の助けなしには実用に達しないので、それがほとんど産出しないこの国ではあまり見ない。騎士団の魔獣退治に使われるのが最大にして最重要な用途だ。

俺がこの学院に通うのは二つの目的があるからだ。一つ目は、他の学生と変わらない。人脈作りだ。貴族だけでなく優秀な平民が入学を許される学院は、保守的な王国で唯一と言ってよい身分間の交流がある場所だ。

建前上、学生は学生であり出身は関係ないとされる。もちろん、出身身分によって学生の中で”序列”が組み上がるだけの話だし、卒業後を考えれば自ずと態度は決まる。誰が高い学費を払って将来の上位者の不興を買いたがるだろうか。

平民は将来のパトロンを探し、貴族は優秀な平民を囲い込む。俺もまた、将来手を組める相手を探すためにここにいる。だが、この点では俺は苦戦していた。原因の大部分は俺のコミュ力に帰されるが……。

「端を歩け平民」

「…………建前ぐらい守れよ。一応君も平民だろう」

うんざりしながら振り返ると。ふっくらとした体型の、いかにもお坊ちゃまという男子学生が俺を睨んでいる。名誉男爵の息子は建前上は貴族ではない。貴族相手には平民として、平民相手には貴族であるように振る舞う器用なやつだ。コミュ障を前世から引きずってる人間としてはその切替は感心するほどだ。だからといって尊敬しないが。

「貧乏人と一緒にするな。ドレファノが学院にどれだけの寄付をしているかしらないのか。つまり、君たちはいわば僕達のおこぼれで学んでる身なんだぞ」

父親の影響か入学当初からあたりは強かったが、授業のディベートでちょっとやり込めたらこのザマだ。俺を見る目は歪んでいる。当然の権利を行使していると考えているのだ。むしろ俺がそれを理解していないことに苛立っているのだろう。

別に俺を自分より劣ると判断するならそれで良い。こいつの中の俺の評価はこいつのものだ、好きにすればいい。いや正確に評価されたら困るくらいだ。理解できないのは、今まさに俺のことを敵だと公言しているのに、俺から反撃されると思っていないことだ。

自分にはリスクなど無いと信じることが出来る精神に辟易とする。もちろん、立場が強ければ強いほど反撃される可能性は減る。それは道理だ。だが、どれだけ強い立場の人間でもリスクはゼロにはならない。強者も365日、この世界は360日だが、変わらず強いわけではない。弱った隙を衝かれれば弱者に足元を掬われる危険はある。

それどころか持つ者だからこそ、時間と労力をかけて狙われる対象になりうる。詐欺師が貧乏人を一生懸命騙そうとするか? 狙われるのは、時間を掛けて騙す価値のある財産を持つ人間に決まっている。そんな当たり前の保身的常識をどうしてわからない。

そもそも、お前が俺よりも百倍優れた人間だとしても、他人である俺にとってはそんなものは糞だ。お前がお前を第一に考えているように、他人はそれぞれ自分を第一に考えているんだぞ。誰にとっても自分は世界の中心なんだ。

そういう意味でのみ人間は平等だと気がついたのは、前の世界で二十歳すぎてからだったから、偉そうなことは言えないけど。

「その者が行商人の息子か」

「はい。ロワン様」

尊大な声が割り込んだ。体格の良い男子生徒が現れる。制服の袖から覗くシャツには銀色の刺繍がある。ドレファノは一瞬にして腰をかがめた。俺を見る目はドレファノと同じ、いやそれ以上だ。自分の乗馬にはもっと温かい目を向けるだろう。

俺は努めて心を鎮める。ドレファノが後ろ盾を誇示するのは珍しいことでは無いが、これまでは農務卿ゴート侯爵の息子だった。ドレファノとの繋がりは当然だから大した情報にならなかった。ロワン伯爵は確か騎士団関係だったか。

息子と関係しているということは、ほぼ間違いなく親同士がつながっている。食料のドレファノと騎士団の繋がりは何を意味するのか。商人にとって情報は最大の武器だ。弱者にとってもしかり。こちらの情報を隠しながら、あちらの情報は得る。こんな都合のいい関係は、向こうが油断している時にしか成立しないのだ。

「味も香りもない蜂蜜もどきを売っているそうではないか」

ドレファノから聞いたのだろう。我がヴィンダーの主力商品のことを口にした。人類最古の甘味料はこの世界にも有り、砂糖よりも珍重される。ミツバチが特定の樹木のウロにしか巣を作らない上、魔獣の領域である森や林に入るのが命がけだからだ。

当然、買えるのは貴族だけ。そして、貴族への販路はドレファノのような大商人が独占している。国民の殆どがエンゲル係数80パーセント以上、可処分所得の殆どを貴族階級が有するこの世界で、貴族とのツテは決定的な要素だ。当然、大商人達は利益と同じくらいその参入障壁、シェア維持に血道をあげる。何代も続いた格式ある商人しか貴族に相手にされない商習慣が作られる。○○伯御用達という看板を掲げる。

何代か前のギルド長が「妻を寝取られることが許せても、御用看板を取られることは許せない」と言った話が伝わるくらいだ。

つまり、養蜂の技術を開発して草原で大量の蜂蜜を得ても、大商会に買い叩かれ、次に生産の秘密を知られてお払い箱。最後には秘密を守るため○○というコースだ。それを防ぐために俺が考えたのは、

「水で薄めたまがい物の蜜で庶民を騙しているのです」

あえて評判を落とすことだった。一体どんな花が蜜源になってるのかしらないが、従来の蜂蜜には柑橘系の風味がある。そこで、レンゲ蜜のすっきりとした味わいと色を利用して、貴族にとっては口にする価値もない似て非なるものとして市民に売り出した。天然と養殖の違いなのだが、イクラと人工イクラの違いと認識させたわけだ。新しい市場を作ることで、ドレファノとの対立を避け力を蓄える時間を得る。

商品の悪口を商売敵と一緒に広めるという自虐的情報操作は苦労の連続だったが、本物の蜜は確かに一味違うのでなんとかなった。市場では金の蜜に対して、銅の蜜と呼ばれているらしい。貴族が金貨を使い、庶民は銅貨を使うことと掛かっている。

「嘆かわしいことに庶民は風味の違いなどわかりません。それで、籠背負ごときが増長したのです」

籠背負いとは行商人の蔑称だ。父親を馬鹿にされるのは流石に腹が立つ。お前の実家の息の掛かった料理人に、話にならないつまらない品だと誤認識させるためどれだけ苦労したと思っている。

そのうち教えてやるさ『イノベーションのジレンマ(by クリステンセン)』という異世界概念を。資本調達手段と生産拡大手段に溢れた地球と違って、ここでそれをやるには何十年掛かるかわからないけど。

「まあ、私は賞味したことがありますけど、すっきりした風味がとても美味でしたよ」

俺が心のなかでつぶやいていると、穏やかで上品なイントネーションが聞こえてきた。覚悟の上とはいえ、自分が育てた商品を散々けなされた後だ。それはことさら優しく聞こえた。素直な風味は俺が考えるレンゲ蜜の長所。まさかこんな場所に正当な評価をしてくれる人間が――。

振り向くと、青銀の髪の毛の少女が俺に微笑んだ。真っ直ぐなロングヘアが窓の光を反射して、平民の目には豪華な学院の廊下ですら、彼女にはみすぼらしいと錯覚した。

だがそれが誰か認識した瞬間、血の気が引いた。

「なっ、あのようなまがい物をアルフィーナ様が口になされたのですか」

学年で唯一の王族の登場に、ニヤニヤしながら俺達の様子を伺っていた周囲の学生たちがざわめき始める。引きつりそうな顔を必死で繕う俺の横で、ドレファノが唖然とした声を上げた。皮肉なことだが、今この時点において俺とこいつの思惑は完全に一致している。何てことを言ってくれるんだこのお姫様は。万が一、王女御用達なんて噂になれば、今のヴィンダーの力ではそのデメリットはもちろん、メリットにも耐えられない。

まずい。まずい。まずいぞこれは。だが、何故だ?

王族の言葉は一つ一つ政治だ。この姫様はどんな思惑があってこんなことを言い出した。

同級生と言っても王女は聖堂の巫女姫だ、学院には週の半分も来ない。学院でもお付の女生徒に守られて、俺は付き合いどころか言葉を交わしたことすらない。格式に関わることを口に出してまで、しがない零細商人の息子を庇う思惑はなんだ。

まさかプロジェクトレンゲの蜂蜜以上の全貌を!? いや、今の時点で解るわけ無い。大半はまだ俺の脳内にしかない。俺は必死で頭を回転させる。

「な、なるほど。清貧が尊ばれる聖堂では、当家の水割り蜜がお役に立てるのかもしれません」

言うまでもなく、聖堂では清貧は尊ばれていないし、市民向けとはいえ蜂蜜を味わえる時点で清貧ですら無い。地方はともかく、王都の大聖堂など貴族出身者の巣窟だ。だが、俺はなんとかそう言葉を紡いだ。

「そんなことはありません。私は本当に……」

「姫様。このようなものと軽々しく言葉をかわしてはなりません」

赤毛のポニーテイルの女生徒が主を守るように間に入った。ほぼ同じ高さからの鋭い目が俺を睨みつける。平民風情は近づく事自体が不敬だと言わんばかりだ。彼女の後ろで王女の顔が曇った。

「クラウ。私達は同じ学生ですよ」

「いえ。王族の恵みに取りすがろうとする平民は少なくありません。姫さまのお優しさに付け込もうとする者もいます。今の言葉とて、聖堂への納入を狙った詐術やもしれないのです」

好き勝手に言ってくれる。だが、これはある意味助け舟だ。身分秩序を信じきっているこのムカつく女のほうが、何を考えているのかわからないお姫様よりも相手にしやすい。

今一番大事なことは、王女の評価という地雷を処理することだ。リスクはあるがこいつを挑発してかき回す。くそ、なんで保身第一の俺がこんなことに……。

「すると、騎士団への納入を狙う場合は伯爵家にすがる、そういうわけですか」

クラウディアではなくロワンとドレファノを見て言った。

「なっ」「貴様」

背景化していた二人が怒る。俺が王女に取り入ろうとしたなら、ドレファノはロワンに取り入ってるのはどうするという皮肉だ。言えんよな、ロワン家次男にアデル家次女が物申すなど、序列的にな。怒りのあまり髪の毛のように真っ赤になったクラウディアに俺は内心ほくそ笑んだ。

さて、王女様はどう出るか。いくら公平を装っても、側近の肩を持つに違いない。そこで頭を下げて、蜜の評価云々もご破産にする。難しい綱渡りだ。まあ、言葉の選択が過激になったのは、自分の正しさを信じているバカに我慢できなかった俺の未熟だが。

「ヴィンダー君の言葉は正論です。証拠もなく疑ったことは感心できません。クラウが私を守ろうとする忠誠は信じていますが。ヴィンダー君に謝罪すべきです」

「ひ、姫さま。わ、私は……」

俺はあっけにとられた。この王女はどうしてこちらの思惑を外すんだ。いやいや、まだ綱渡りの最中だ。クラウディアは最悪頭を下げればそれで済む。死んでも下げたくない頭だろうが、下げても死なない。一方、こっちは下げた頭が胴から離て地面に転がりかねない。

新しい落とし所を用意しなければならない。茶番を創りださなければいけない。俺は腹に力を込める。だからなんで保身を心がける俺が…………。

「確かに我が家の蜜は風味も色合いもドレファノ商会の金の蜂蜜に比べると物足りないでしょう。ですが己が扱う商品に誇りを持てなければ、商人は立ち行きません。それは……ドレファノ君もよく知っていることでしょう」

俺は言った。強引に変えられた論点に、ドレファノが雰囲気に飲まれたようにうなずいた。どうせ何も考えてなかっただろうが。俺は女騎士に目を向ける。

「クラウディア殿」

「……なんだ」

「高貴な方の威を借りんとする者を、側近であるクラウディア殿が警戒することは当然です。姫様が仰られたようにクラウディア殿の忠義なのでしょう。私などには理解が及ばぬ、王国の藩屏の誇りなのでしょう」

「…………うむ。そのとおりだ。だが、証拠もなく疑ったのは行きすぎだったかもしれんな」

クラウディアは鷹揚にうなずいた。自分が悪いなど欠片も思っていない。それでも場の空気が緩んだ。キーワードは誇りだ。皆が誇りのためにしたという茶番に置き換える。誰も信じてなくても、皆がその幻想を支持すればいい。これが空気というものだ。自然に空気を読めないからこそ、空気が何かを論理的に追求してきた俺の技能だ。

それに、お前らが心配するまでもない。王族なんてボラティリティーの高い生き物を利用するつもりなど無い。さあ、最後の問題だ。頼むからもうこれ以上はかき回してくれるなよ。

「アルフィーナ様、我が商会の”誇り”を救っていただいてありがとうございました」

「私は本当に……。いえ、ヴィンダーくんの言葉はもっともですね」

王女は少し戸惑った声で応じた。場が完全に弛緩した。平民が慈悲深い王女に感謝して頭を深々と下げる。この国のあるべき姿だ。まあ、俺としても他の人間に頭を下げるよりはいい。

…………あっ、一人忘れてた。俺は恐る恐る体格のいい男子生徒を見た。

「話は終わりだな」

ロワンは一瞬だけ顔を歪めると、興味を失ったように去っていく。ドレファノがこれ幸いと後ろに付き従う。少し意外だ。王女の手前自己弁護くらいするかと思ったが。

まあいい。ドレファノとロワンの繋がりは要注意だ。姫様の意図が最後までわからなかったが、これ以降は接触を避けるように気をつけよう。

あと少しで春休みだ。それで有耶無耶になってくれればいい。