The Economics of Prophecy

Two Stories: First Half Statistical Information Analysis

廊下を行き交う役人、いや官僚、の群れ。音楽室の壁に飾っているような服装の男女は面白みのなさそうな顔で黙々と歩いている。

ここは国政の中枢、規制の本丸だ。……敵地という気がしてきたな。まあ、国家の安定は基盤だから文句ばかりも言ってられんが。

「ミーアは一度来たことがあるんだよな。確か、クルトハイトに竜が来るちょっと前だったか」

俺は同行する少女に話しかけた。

「アルフィーナ殿下と大公閣下と一緒にですね。先輩は苦手そうな場所ですよね」

「そうだけど問題はないさ」

今日の主役はミーアで、俺はただの付き添いだからな。

「リ、リカルド・ヴィンダー!? どうしてこんなところにいる」

廊下の先で、若い男が立ち止まった。誰だっけ?

「……レオナルド・グリニシアス」

ミーアが俺に耳打ちをした。ああ、いたいた。そういえば宰相の次男だったな。去年四年生だったから卒業していたわけだ。父親の職場に縁故採用だ。おっと、ここに限らず縁故じゃない方が珍しいんだった。というか、縁故以外じゃ採用されない。

「だから、なぜ平民……学生がここにいる」

OBは俺の方に詰め寄ってきた。

「はは、レオナルド先輩のお父上に用事がありまして……」

対魔獣騎士団長とベルトルド大公と大賢者の紹介状を見せると、レオナルドは信じられない物を見たという顔になった。それでも、案内してくれるらしい。

この前のお茶会でヒルダを凹ませたばかりなんだが。変なところでまじめというか義理堅い。あるいは、父親の立場の変更に従って息子も中立になっているのか。現代日本と違って、行動や意思決定の単位が個人ではなく、家だからな。縁故採用もそういう意味では当然だ。

もう少しだけ自由度をと思うが、今はそんな場合じゃない。

「帝国から通告が来たらしいですね、結構過激な内容だったらしいですけど、どう思いますか?」

一般的な官僚の感覚を知りたくて俺は尋ねた。

「なんで、お前が…………。「王国からの食糧で生きている蛮国が」と皆笑っている。皇女をさらったと難癖を付けられた第一騎士団長などは激高しているという話だ」

レオナルドは言った。帝国にとっては実質上の大使追放と皇女の拘束だ。真相を知っている者にとっては盗っ人猛々しい話だが、この手は結局事実じゃなくてあっちの都合を宣言しているだけだからな。

帝国国内ではそういう風に宣伝されるんだなと思う程度だ。

だが、王国の反応はとても気が滅入る。そんな余裕ないんだぞ。

◇◇

その地位にしてはシンプルな執務室。広い机には、きちんと整理された書類が分類されている。

「クレイグ殿下から帝国の”馬”の話は聞いた」

行政の長の口調は冷静で、あくまで事実確認といった感じだ。動揺されたり、感情で否定されるよりよっぽど良い。

ちなみに、息子は父親の厳格な視線一つで扉の外に逃げていった。

「事実と確認されれば、相応の報賞を与える」

「分析の主役は大賢者様とダルガン商会なので、お間違いなく」

俺は弾よけの裏に隠れた。事実なので問題ない。それに、ダルガンならその手の名誉もちゃんと扱える気がする、俺と違って。

「……今日は暗号を解くという話だな」

「素人が解けるわけがありません。このような得体の知れぬ平民に、国家機密に触れさせるなどあり得ないことです」

宰相の側に控えていた二十代半ばくらいの文官服の男が口を開いた。プライドが傷ついている模様だ。

保身第一の俺だってこんな波風は立てたくない。だけど、状況的に言ってられないんだよな。

「解けるかどうかは、見せてもらわないと判断出来ません」

俺はミーアをちらりと見ていった。帝国の暗号の程度次第だけど、ミーアなら解けるかどうかは見れば判断出来るはずだ。

「……まずは暗号文書を確保した状況から教える」

宰相が言った。バイラルが逃げ出した朝。

リーザベルトとバイラルが別々の門から公館を出た後、宰相の下にいる王都の治安部隊である衛兵が公館に踏み込んだ。使節長の部屋で侍女の一人が書類の束を焼き捨ていているのを見て、取り押さえたらしい。火傷も物ともせず、燃えかけの書類を素手で暖炉に押し込もうとしたのだから大した物だ。

「これだ、さあ読んで見せろ」

文官が無茶を言った、平文で書かれていても俺もミーアも読めない。話し言葉はほぼ共通らしいが、帝国語知らないんだからな。

大体、その手の文章って専門家しか解釈できないような表現ばっか使ってるんだろ。

不満たらたらの男の手で、所々焦げ目のある書類がテーブルに広げられる。ほぼ完全に残った物から、半ば灰の物。そして数行の切れ端まで整理されて番号が振られている。丁寧な仕事だ。

まともな文書はだいたい十五枚くらいか。これくらいサンプルがあればなんとかなりそうだな。

ラテン語みたいな文字だ。ぱっと見でスペースもピリオドもなし。改行もなしだ。これだけで暗号化にある程度の神経が使われていることが分る。シーザー暗号のように、三文字ずらしましたでは流石にないらしい。

「どうだ、ミーア」

「……大丈夫だと思います」

書類をざっと見たミーアが言った。

「何だと、なぜそんなことが断言出来る。それほどの大言を吐くなら何が書いてあるのか読んで見せろ」

少女の言葉に文官が目をむいた。

「私も興味があるな。まさか、暗号表を持っているなどと言わないだろうな」

宰相が酷薄にすら見える視線を向けてきた。いやいや、暗号表なんて真っ先に焼き捨てられてるに決まってるでしょ。ああ、帝国の逆スパイの疑いはまだ終わっていないのね。

「先輩」

ミーアが俺を見た。俺はうなずいた。やり方を見せれば誤解は解ける。

「私にはこの文章の意味は全く分りません。ですが、この記号の並びには解読するに十分な冗長性、言い換えればパターンがあることは分ります」

「何を言っている。おい」

ミーアは手短すぎる説明をすると、書類に戻った。数の世界に入ったミーアは時に俺より空気が読めなくなる。

ぽかんとした顔になった老若二人。疑いを増した四つの視線が俺に集中した。付き添いとしては、解説役くらいは引き受けるか。

「えっとですね。今からやろうとしていることは、この文字の並びから情報を引き出そうって試みですよね」

パズルに没頭し始めたミーアの横で、俺は最初から始めることにした。

「えっとですね。ここにある文字は、紙にインクのシミを規則正しく並べた物ですよね。ランダムにインクを散らした模様じゃあない」

俺は目の様の紙に、王国の文字を一つ、ヴィンダーのV《ブイ》を書いた。その横に、同じくらいのインクの量で、でたらめな点を打つ。

ランダムなインクのシミと、文字を分ける物、それはパターンだ。もっと言えば線や曲線だ。二人は当たり前だろうという顔をしている。

「そして、文章も同じです。王国の文字は27種類ですけど、この27種類をランダムに並べても意味がある文章にはならないわけです」

正確に言えば意味がある文章になる可能性はある。アルファベット二十七文字をランダムに並べてもたまたまTHISやWHATができあがる可能性はあるのだ。有名な例えだが、猿にタイプライターを叩かせてもハムレットができあがる可能性はゼロじゃないのだ。ただし、その文章には意味がない。猿はハムレットを書こうとしたのではないのだから。

とにかく、人間の意思が介在する以上、何であれパターンが生じてしまうのだ。逆に言えば、そのパターンこそが意味だ。

「つまり、意味を持った文字の並びと意味のない文字の並びは、その意味を全く理解出来なくても区別出来るわけです」

俺は言った。宰相は黙って聞いているが、若い文官は今にも切れそうだ。これでもかみ砕いてるんだよ。文字の並びを生み出す脳内アルゴリズムのエントロピーを計算とか言っても分らないだろう。俺だって分らないんだから。

「文章に記されている”意味”の振る舞い方は、その文字が着ている服とは関係なく存在するわけです。そうですね、宰相閣下なら部下が意味のある仕事をしているのか、サボってるのをごまかしているのか後ろ姿で分るのでは?」

「……なるほど」

せっかくのウイットなのに、宰相が難しい顔になった。そして、若い文官はなぜか居心地が悪そうな表情になった。

視覚化されていれば、人間はかなり優秀なパターン認識機だ。

一方、文字のように一段抽象化すると難易度が跳ね上がる。そこで統計の出番だ。統計とはランダムからの逸脱、つまりパターン化の度合い計算する手法だからだ。

さっきの例えだと、ランダムに散らしたインクのシミはペン先を中心に正規分布する。一方、文字はそうならない。

まあ、数字の世界が見えている人間にとってはその限りじゃないんだけど。丁度そのとき、隣でミーアが顔を上げた。

「先輩、終わりました」