「……レントミア?」

俺は声に出して呼びかけてみた。だが、やはり返事は無かった。

銀の指輪は大切な「男(・)同(・)士(・)の友(・)情(・)の証(・)」だ。今も俺の右手できちんと通信用の魔力回路は生きている。

寝たのだろうかと考えたが今はまだ宵の口だ。それに館に居た時でさえ「おやすみ」という挨拶を欠かしたことは無かったハーフエルフは、旅に出でしまってからも毎日欠かさず連絡をくれていたのだ。

――やはり何かあったのだろうか……?

胸の奥でざわりと不安が募りはじめた。

しかし、単に皆でワイワイとメシを食っている最中かもしれないし、うたた寝をしているだけかもしれない。それに、いつのも「定時連絡」までは大分時間があるのだ。

ここは慌てずに少し様子を見るしかないだろう。

「賢者ググレカス、どうかなさいましたか?」

俺の左耳から心地の良い澄んだ声が聞こえてきた。

「メティウス。友達からの返事が無くてね。魔法でいつも話をしているんだが」

「魔法で……遠く離れた御友人と会話を?」

「あぁ」

わずかに驚いたような声色を交えて、一瞬メティウスが黙り込む。そして、

「心配ですね。御友人が会話できない状態にあるのでしょうか? あるいは遠隔空間魔力伝達術式……ええと、『魔力糸(マギワイヤー)』が伝達系路上で切断、もしくは伝達妨害(ジャミング)されているとか……」

すらすらと幾つかの可能性を口にする。

その知識と正確性、論理的な推論――、メティウスの検索妖精(サーチエンジェル)としての働きは、まるで優れた人工知能のようだと俺は舌を巻く。

確かに離れた俺達を結ぶ魔力糸(マギワイヤー)が何処かで切れてしまった可能性もあるし、メティウスの閉鎖空間に迷い込んだ時、もしくは脱出する時に切断してしまったのかもしれないが……。

だが実際のところそれを確かめる術(すべ)は無さそうだ。「自己診断」のできる術式でも組み込んで置けばよかったが、それでは到達距離が減衰してしまう。

「すみません賢者ググレカス。わたし……出過ぎた事を?」

顔を左に向けると、俺の頬に小さな小さな手を当てた妖精メティウスと目があった。妖精に生まれ変わった姫君は、黙り込んだ俺の様子を不安げに伺っている。

碧い瞳に金色に光る髪、背中に生えた透明な羽は精巧なガラス細工のように美しい。

「そんなことはない。メティウスは凄いなと思っていたのさ。俺の思考の先を行くのだからな、驚いたよ」

「嬉しいわ賢者ググレカス、でもわたし……お役に立てるのかしら?」

唇は微笑んでいるが、どっか不安げな様子で眉を曲げる。

もし、また冒険に出るような事になればメティウスの力は俺を大いに助けてくれるだろう。

「もちろんだ。これからいろいろな場面で助けてもらう事になりそうな気がするよ」

「まぁ……!」

妖精メティウスが嬉しそうに頬を赤らめるとキラキラと光った。どうやら俺に必要とされたりするほどに、その存在は強固になるらしい。

彼女はちょうど俺の首筋の左に立っている格好で、賢者のローブの「襟口」にあたる部分の、内側にいるのだが、どうやらそこは風も遮られるし、安心できるお気にいりの場所らしい。

こうして会話ができるのは、左の耳にヘッドセットをつけているような感覚に近いからだ。

「確かにメティウスの言うとおり、切断している可能性もあるな。まぁ……寝ているだけかもしれないが。あ、友人の名はレントミアというハーフエルフの魔法使いでね、」

と、そこでメティウスが目を丸くして手をぱん! と唇の前で合わせた。

「わ! 知ってます! 王宮にも出入りしている偉大な魔法使いさまですね? 強くて賢くて、とても可愛らしいお方! 物語の大切な登場人物の一人ですもの」

メティウスの口から語られる言葉は、生前の記憶なのか、自らが記していた英雄譚の中の事なのか判然としない時がある。だが、それをとやかく詮索する意味は無いだろう。

俺は静かに微笑んで、今度紹介するよ、とだけ応える。

「素敵……! 僧侶様の次は魔法使いさま。ほんとうにこの世界は楽しいのね、……あら?」

「どうした、メティウス?」

「急に……眠くなってきました……」

ほわ、と小さな欠伸をして、眠そうに目を擦る。どうやら「活動限界」らしい。

「君は本の隙間で休まなければダメだ。とりあえず、この本の隙間で寝るといい」

俺は胸の内から小さな文庫本を取り出して広げた。

本が無いと命が危ういのはメティウスだけじゃなく実は俺も同じだ。活字が無いと賢者エネルギーが枯渇する可能性もあるので、一冊は常に持ち歩いている。

内容は百年ぐらい前の作家が書いた私小説だが、メタノシュタットに実在した魔法学舎を舞台にして、幼馴染との愉快な掛け合い、ツンデレ委員長、後輩や先輩の女の子との淡い恋模様を描いた軽小説風の作品だ。時折主人公が敵役の男子生徒を説教して殴ったりするのはこの世界でもお約束なのだろうか?

「……ほわ。わかりました……賢者ググレカス」

おやすみなさいと言い残し、メティウスは本の隙間に入り込んだ。俺は本をそっと胸に仕舞いこんだ。

こうしている間にも馬車は暗い夜道を館に向けて進み続けていた。俺は再び操車に集中する。

だが、心の奥に生まれた一抹の不安は燻ったままだ。

――レントミア、何処で何してるんだよ……。

俺は胸騒ぎを覚えつつも、まだ慌てるような事態じゃない自分に言い聞かせ、前方の暗い夜道に目を凝らした。

ふと、荷台のほうを振り返ると、イオラとリオラは肩を寄せ合って静かに遠ざかるメタノシュタットを眺めていた。

プラムとヘムペローザは、マニュフェルノに寄り添ったまま眠ってしまったようだし、当のマニュフェルノもウトウトしている。

ほんの一瞬、マニュの横顔と綺麗に手入れされた髪に目を奪われる。……これじゃ別人じゃないか、とその変わりぶりに改めて驚く。

綺麗になって可愛く見えるのはそれは嬉しいのだが……、ちょっと置いて行かれた気になる。

例えば地味で目立たない者同士、仲の良かったクラス委員長が、ある日突然髪をおろして可愛くなって、クラスの人気者になっていく、とかそんな感じだ。

もちろんそれは俺の勝手な妄想だし、マニュは多分……中身は以前のままのはずだ。

車輪が石を踏み、ガタリと揺れる。俺は慌てて前方に顔を向ける。

馬車はメタノシュタットから大分離れ、都市の全容が見える小高い丘に差しかかった。他にも馬車が何台か走っているらしく、前後の道にも時折ランプの明かりがチラチラと見えている。

空を見上げれば星にはうっすらと雲が掛かり、地平線と暗闇の境界を曖昧にしている。賢者の館への街道は暗く、時折吹き抜ける風が冷たい。

「うぅ……寒い」

首をすくめて思わず呻く。何かいい魔法は無いだろうか、と考え始めたその時

「ぐっさん」

「賢者さま」

イオラとリオラの静かな声が、すぐ背後から聞こえた。

ん、なんだい? と振り返ろうとしたとの時――。ふわりとしたものが俺の首に巻きつけられた。

「お――!? え? これ……」

それは毛糸で編まれたマフラーだった。色は落ち着いたオレンジ色でとても長い。

「へへ、どうかな?」

「その……、私達からのプレゼントです」

驚いている俺の左右から、イオラとリオラがひょこっと顔を出した。

「マフラー? 俺に……? 俺にくれるのか!? でも……これ」

呆気に取られたまま、思わずそのマフラーを手にとってみる。丁寧な作りの毛糸のマフラーは、何処かの村の女が編んで、街に売りに来たものだろう。

首の周りがほかほかと暖かくなった。

他人から何かをプレゼントしてもらったことなんて今まで無かった俺は、どう言葉を返していいか思いつかず、本当に貰っていいのか? なんて間抜けな事を口にしてしまう。

「リオがさ、値切って買った分のお釣りを貰ったじゃん? それで買おうって」

「はい。途中のお店で見つけて、賢者さまに似合うかなって……」

その言葉に、思わず二人の顔を交互に見つめる。

――そんな、俺の為に? これを……

俺が図書館にいる間、二人は街を見たいといって飛び出していった。あの時、これを買いに行っていたのか。しかもなけなしの、折角のお小遣いを使って。

「どうかな? すこし派手か?」

「そんなことないよ、ローブにも合う色だと思うけど」

二人は左右から俺の肩に手を置いて、マフラーをぐるっとひと巻きする。肌触りのいい毛織のマフラーは、暖かく俺の首の周りを包んでくれた。

ほらね、似合うよ! とリオラが微笑んでイオラを顔を見合わせる。

「……あ、あ! ありがとうよ! イオラ、リオラ! でも、お小遣い使っちゃったのか?」

「けど、あれは元々ぐっさんのお金だし。喜んでくれるかは……わかんないけど」

「いつも……お世話になってばかりで、何も出来ないですけど」

照れくさそうに頬をかくイオラと、すこし不安そうに声を漏らすリオラ。

俺はそんな二人の様子を見てちょっと目頭が熱くなった。

「なんだよ……くそ! 嬉しいのに、こんな……メガネが曇る……」

思わず俺は両手で双子の兄妹の顔を抱き寄せる。わ! きゃ! と左右から同じ声質の悲鳴を聞きながら、頬(ほほ)を摺り寄せた。

冷たかったほほに、少年と少女の熱い体温が伝わってきて、思わず鼻水が垂れてしまう。

「うわ! ぐっさん汚い、てか、前見ろよ前!」

「賢者さま、鼻水、涙!」

ハンカチで拭いてくれるリオラと手綱を引っ張るイオラ。それでも俺はスリスリとしてしまう。

多分、エルゴノートならもっと素敵にかっこよく感謝の意を示せるのだろう。

だけど俺にはこれが精一杯だった。

「ありがとうよ、二人とも。大事にするよ……」

「そうか、よかったー」

「よかったです」

でも――。

俺は少し怖くなった。

馬車の行く先を照らす燐光魔法(ウィル・オー・スプライト)の光が届かない道の両脇は、底知れぬ闇だ。

気がつけば大切だと思うものが増えすぎて、いつか、手のひらから零れ落ちてしまわないだろうか? と。

もし、これから先、イオラやリオラ、そしてプラムやヘムペロ、そして仲間達に何かが起こってしまった時、俺は……耐えられるのだろうか……?

この子たちが傷つく事や、もっと辛い運命に。

――いや。

だからこそ、守るんだ。

「俺が、必ず……」

この先、何があろうとも。

「ぐっさん?」「……賢者さま」

手綱を握ってくれたイオラの手を、顔を拭いてくれたリオラの手を、俺は離すまいとぎゅっと握り締めた。

<つづく>