The Former Hero Wants To Lead An Ordinary Life
53. The Demon King is Transformed
魔王との再会は、俺が考えているよりもずっと早くにやってきた。
始業開始前、校内でバッタリ会うどころか、その気配が徐々にF校舎に近づいてきたあたりから嫌な予感はしていたのだ。
俺は、表面上はなんとか平静を装いつつも、内心、かなり強い焦りを覚えていた。
魔王の目的を探るどころか、すでにこちらの居場所がバレているのだとしたら……、
(逃げるべきか?)
だが、変装ならぬイメチェン済みなのだからここは様子見をするべきか……。
ぐるぐると愚にもつかない考えが頭を巡る。
――魔王に関しては、どうしても判断が狂う。
出会ったはなからそうだ。
たとえ短くとも、時間なら、あった。
魔王の存在を感知してから、今この時まで。
まるで運命のように、今日に限ってロビーで顔を合わせた兄に伝える機会(チャンス)もあった。
だが、……俺はそれをしなかった。
今は小学生時代とは状況が異なる。
兄が居て、姫が居て、騎士が居て、王子も居る環境。
一人じゃない。
かつての頼もしい(…くせ者ぞろいだが実力だけは折り紙つきな)仲間がこんなにも近くにいる。
対応だって対策だって適切に練ることができる。
――なのに、それを無視して一人で抱え込んでいる俺は、きっと愚かな判断をしているのだろう。
イメチェンだ変装だ…なんてみみっちいことをやっているよりも、もっと有効な方策があるだろうし、俺の魔王探知能力も有用な使い道があるはずだ。
なのに、それを活用せずに誤魔化して、逃げ隠れしている自分は、正しく勇者失格である。
しかし、みなに対する罪の意識はあれど、とうの昔に選んでしまっている。
彼らを裏切ったのは、もう何年も前のことだ。
自分の力のみでどうにかできるなどと過信しているつもりはないけれど、誰にも介入してほしくない。魔王と自分の間には、他の誰も。
この欲が、いったい何から派生しているものなのか、自分でもわからないけれど、……もし決着をつけねばならないのなら、誰にも邪魔されることなく己自身の手で――、
ぐちゃぐちゃと考え続ける俺の動悸と緊張が最高潮に達したとき、担任と一緒にヤツは教室に入ってきた。
「ホームルームはじめるぞー。席につけー」
俺の心境とは真逆ののんびりした担任の声掛けに、思い思いの場所で話していたFクラスの生徒たちはガタガタと音をたてながらそれぞれの席に座った。
しかし、ざわめきは一向にやまない。
私語の多いFクラスだが、その日はいつにも増して騒々しかった。
相変わらず不精髭をはやしたまま、だらしない姿勢で立つ担任の隣に、――皇洞学園の制服を着た見慣れない生徒が立っていたためである。
生徒たちの視線を一身に浴びながらも、その生徒は悠然と教室内を睥睨しただけで眉一つ動かすことはなかった。
俺はそいつが教室に入ってきた姿を目にした瞬間、愕然とし、とっさに俯(うつむ)いて表面にでそうになった動揺を押し隠す。
(誰アレ!?)
――誰って魔王だし。
わかっていてもつい脳内で一人ボケツッコミをした俺の周りでも、疑問符は飛び交っていた。
「誰?」
「すごい美形」
「見たことないよね」
「もしかして転校生?」
「じゃ、外部生ってことか?」
興味津々で言いあうクラスメイトの言葉すら、どこか遠い雑音のようだった。
目を瞑ってもわかる。
魔王だ。
魔王が居る。すぐそこに。
確かに気配は魔王なのだ。
しかし、記憶にある魔王と違いすぎる姿に俺は激しく混乱していた。
小学生のときから顔だけはキレイなヤツだった。
だが、――全然違う。
小さくて華奢だった魔王は、俺の想像の範疇を越えた成長をとげていた。
……俺はちょっとこの世界の成長期をなめていたかもしれない。
(誰アレーー!?)
俺はもう一度心の内で同じことを叫んだ。
魔王の外見が、なんかフェロモンをばんばん振りまくエロエロ高校生になっちゃってるんですけど……!
ちらりと見た魔王の変貌ぶりに俺は正直おののいていた。
成長した魔王、というのを俺はあまり考えていなかった。
なんとなく成長しても魔王は小さいままだと思っていた。……そんなはずないのに。
田中から送られてきたキャラグッズも俺の勘違いを助長した一因だ。
デフォルメ魔王はあざといくらい可愛らしかったから、なんとなくそんなイメージでいた。二次元恐るべし。
実物とまったく違うじゃないか田中! 騙(だま)された! おまえ魔王を可愛く描きすぎだ!
「せんせー! その人、転校生ですかー??」
クラスのどこからかそんな質問が叫ばれた。
続けて、他にも便乗した声が次々にあがり始める。
「うちのクラスに入るのー?」
「名前なんてーの?」
「どこからきたのー?」
「彼女いるのー?」
「彼氏いるのー?」
Fクラスは、……なんというか全体的にこの学園の生徒にしては品位に欠けている。
やたらとお上品な他クラスの連中に比べ、俺はここ数日で、このクラスが案外居心地のいい場所であると思い直しつつあった。つまり良くも悪くも俗っぽいのである。
他クラスが標準装備している気取った感じがあまりない。かわりにヤサグレ感が濃いが。そもそも担任からして、教育者にあるまじきやさぐれっぷりである。
「うるせーな、騒ぐなガキども」
相変わらずやる気なさげな口ぶりで騒ぐ声をいなすと、担任はどこか面白がる色を含む声で続けた。
「……あーじゃあ、おまえ、せっかくだから自己紹介しとくか。ほれ、名前と自己アピール」
しんと教室が静まった。
担任の声は、さして大きくもないのによく通る。
俺は顔をあげないまま、約五年ぶりになるヤツの声を聞いた。
「俺は西九条(にしくじょう)輝灯(てるひ)だ」
知らない声が知らない名を紡ぐ。
声まで変わっていた。どこか艶(つや)を帯びた低音。声までエロい。今朝がた俺を叩き起こした子供の声とは大違いなそれ。
その声でヤツは続ける。
「……貴様らに言いたいことは一つだけだ。くだらないバカ騒ぎに巻き込むな。俺は、」
西九条と名乗った魔王は一呼吸溜めてから、重々しく宣言した。
「――人間だ」
思わず顔をあげていた。
俺以外の生徒の全員が「ぽかーん」と魔王を見ていた。
懐かしい俺様口調に上から目線、態度は尊大で不遜。
まるで小学生のときにヤツが転校してきたときの再現だった。
いや、「魔王宣言」をしたときはみんなどん引いてたけど。
魔王宣言よりは人間宣言の方がマシだが、……魔王は毎度ろくな自己紹介をしないというところは同じだった。もうちょっとなんとかならんのか。
こんなに大勢の「ぽかーん」顔を見るのは初めてだぞ俺。
あのどこか人を食った態度の担任すらぽかーんとしていた。
無感動にそんな教室内の反応を見ていた魔王と俺の視線が眼鏡越しに出会う。
『アロイス…!』
何度も何度もしつこいくらいに呼ばれた名が脳裏によみがえり、とっさに身構え、慌てて下を向いた。
……しかし予想に反して、魔王は動かなかった。目が合ったように感じたのも気のせいかもしれない。
それにほっとしつつも、俺の心臓はどきどきと早鐘を打っていた。
バレてない…はずだ。たぶん。アロイスはきっとメガネなんかかけてなかっただろうし。俺もメガネキャラじゃなかったし。
――それに、気になるのはそれだけじゃなくて…。
(なんで西九条? テルヒ? 名前が違うってどーゆーことだ!?)
俺の記憶違いでなければ魔王の名前は鈴木(すずき)輝(てる)だったはず…。
(テルの部分しか原型をとどめてねーし)
自分だけでなく、まさか魔王までも改名しているとは…。なんというか、してやられた気分だ。完全に自分のことは棚上げして、「なんで名前変わってるんだよおまえ!」と肩をひっつかんでガクガク揺さぶって問い質してやりたい。やれないけど。
(それに西九条って……もしかして、あの西九条か!? ラッキーアイテムな!?)
こんなにもちっともまったくぜんぜんラッキーな感じがしないラッキーアイテムが果たしてあっていいのだろうか…? 完全にありがたみが失せた。いつか「西九条」に会って幸運ゲットだぜ、とひっそり意気込んでいた俺の純情を返せ。
俺もややこしいが、魔王もなんだかややこしいことになっていて、頭の中の整理がどうにも追いつかない。
「西九条…!?」
「あの!?」
「幻の!?」
「フェアリーテール!?」
西九条の名前に反応したのは俺だけではなかった。ざわざわと教室内がまた騒がしくなる。……っていうかフェアリーテールってなんだ。魔王が妖精(フェアリー)って……。
魔王は不快げに「妖精ではない。人間だ」と律儀に訂正した。
そこで「妖精ではない。魔王だ」と言わないあたり魔王の成長ぶりがうかがえる。ちょっと目頭が熱い。大人になったな、魔王。
「おまえ、滅多に出てこないから幻の妖精ちゃんとか呼ばれる羽目になるんだよ。高校にあがっても大遅刻かますし。妖精扱いされたくないなら真面目に登校してくるんだな」
…………………まぼろしのようせいちゃん……。
俺は危うく吹きだすところだった。
――それは初耳だ。
必死で笑いを堪えたが、肩が不自然にぷるぷる震えるのを止めることは不可能であった。
「西九条、おまえの席はそこの列の一番後ろだ」
気を取り直した担任が示した先は、……よりにもよって俺の隣の席だった。マジか。近いって。隣が魔王って、どんな陰謀だコレ。偶然にしてもひどすぎる。一番後ろの席ラッキーと思っていた数日前の自分を殴りたい。完全にアンラッキーだった。やっぱりツキに見放されている。
担任に指示された魔王が近づいてきた。顔を伏せていても俺にはわかる。すごいプレッシャーだ。心臓が圧迫されて苦しい。
カタンと椅子を引いて魔王が隣に座った。
しばらく身を固くしていた俺だったが、隣からなんのリアクションもないまま朝のホームルームが終了するころには、身体の力も抜けていた。
(……なんだ)
胸のうちで小さくぼやく。
(だよなぁ。あのピンボケ魔王が、俺に気付くわけないか……)
拍子抜けした気分で、魔王の気配をうかがう。
といっても、特殊能力を使わなくても隣の席なので視界の端はずっとその様子をとらえているのだけれど。むしろ存在感がありすぎて気が散る。慣れるまで時間がかかりそう。時間が経っても慣れない気もする。一刻も早い席替え切に希望。
……魔王は机に肘をつき、目をつむっていた。たぶん寝ている。そんなところは相変わらずだ。
小学生時代の魔王は、探しにいった先々でたいがい寝ているか、ぼんやり雲をみているか、アリの行列やら蜘蛛の巣やらの観察をしていた。光が反射するプールの水面を飽きることなく見ているときもあった。俺は魔王がなにを考えているのかちっともわからなかったし、――わかろうともしなかった。
(やっぱり自意識過剰だったかな…)
隣に座る魔王の無反応っぷりを見ると、戦々恐々としていた先ほどまでの自分がちょっと恥ずかしくもある。
イメチェンだ変装だと大騒ぎして我ながら滑稽なまでに慌てふためいていた。
魔王は西九条だった、ということは。
――つまり、それは魔王が中等部からの持ち上がり組だということを指す。
魔王=(イコール)西九条。
そういうことならば、話はまったく違ってくる。
魔王は俺を追って来たわけでもなんでもなくて、……はじめから皇洞学園に在籍していたのだ。単に不登校だっただけで。
逆だった。
魔王が俺を追って来たのではなく、不本意ながら俺が魔王のいる学園に後からやってきてしまったのだ。
(……なんてこった)
いや、元々はその可能性も考慮した上で、俺は皇洞学園入学を決めた。兄の口車にのせられた結果だ。
ただ、気がすすまないまでも実際に来てみたら学園島に魔王の姿はなかったし、入学名簿にも魔王の名前はのっていなかったから、魔王はここにいないものと完全にみなし、安心していた。……まさか自分だけじゃなく魔王まで名前が変わっているなんて思わないだろ。
――とにもかくにも。
こっそり遠くから魔王の動向を監視する…という俺の思惑は根本から覆(くつがえ)されてしまった。
(遠くどころか超近距離なんですけど)
わりとピンチかもしれない……。