The Girl Who Spits Up Jewels (WN)
[Gem School Day 2] 7: 00 p.m. (2)
ヴィーアルトン市の夜の街路は、リアフィアット市よりも明るく感じる。この時間でも行き交っている馬車の台数、夜間も経営している施設の件数、街灯の本数などが理由だ。
足は自然と、クルーロル邸から離れるように動いていた。精神衛生上、致し方のないことだ。
そんな中、取り急ぎ、看過できないことは。
「ついて来んなよ。ほっとけ」
足を止める。肩越しに振り返り、そこにいる人物へ吐き捨てると、彼女は当然のことのようにこう尋ねた。
「放っておいてあげてもいいけれど、行くあてあるの?」
「……うるせェな」
言い返せなくなったスプートニクに「まったく」と言って、ナツはやはりついて来た。お節介女め、と心の中で毒づく。
彼女の言うとおり、今のスプートニクには当てなんてない。そもそも、ごく善良な宝石商を捕まえて、ろくな事情説明もなく唐突にリアフィアット・ヴィーアルトン間をすっ飛ばさせた自分勝手な魔法使いが、宿の予約なんてしてくれているとは思えないし、役所への訪問手続きだって怪しい。言ってみれば今の自分は不法入街者である。
その思考を読んだように、後を追うナツがこんなことを尋ねてくる。
「アンタ、なんでこんなところにいるの。リアフィアット市からどうやって来たの?」
「どうやって、って」
「私がリアフィアット市を発ったのは、一昨日の昼過ぎ。宝石店で、あなたと会った少し後のこと。馬車と汽車を乗り継いで、ヴィーアルトン市に来たわ。到着はついさっきだけど、たまたまいい馬車に当たったこと、乗り継ぎのタイミングが良かったことから、予定より相当早く到着することができた。――なのに、どうしてあなたたちは私よりも早くこの街に着いていたのかしら?」
正規の交通ルートではないわよね、と言った。
質問の形式を取ってはいるが、ナツもきっとわかっている。そんなことができるのは、特殊な能力を持つ人間が、その『能力』を利用したときだけだ。
「気が付いたら、ここにいた。恐らくは……」
魔法使い絡みだ、と言いかけたのをやめた。酸味が気管に入ったふりをして、咳払いをする。魔法使い、特殊な能力――その二つの言葉から、新たに別のことを連想したからだ。
特殊な『体質』を持つ少女のこと。
ナツにそれを知られたくなかった。
躊躇ったのを、待つことはしない。ナツはスプートニクの様子から、会話の内容をすぐさま切り替える。
「あなたたちが顔色を変えたあのお屋敷は、どなたのものなの?」
「……俺の店が所属している宝石商会の、会長の屋敷だ。ユキの育ての親で、俺が学生時代から世話になってる人の持ち物」
「育ての親、ってことは」
「ユキの生みの親は、あいつが十歳くらいのときに、事故死してる。……それまでは俺の生家の近くに住んでいたんだけどな、両親が亡くなってからは、遠縁であるクルーロル氏に引き取られていった。不仲ってほどではないけど、彼女は氏を苦手にしているから、あまり屋敷の近くにいて、見つかるのは避けたかったってところだろう」
それから。言うかどうか迷ったけれど……
「……クーが今、世話になってる屋敷でもある」
「へえ」
ナツの反応からすると、それほど意外なことではなかったようだ。もしかしたら、クリューから『ヴィーアルトン市ではスプートニクの知人に世話になることになっている』くらいのことは聞いていたのかもしれない。
「っていうことは、あちらのお屋敷、あなたも訪問したことがあるの?」
「ある」
どうしてそんなことを聞くのだろう、と思ったけれど、ナツには意味のある質問だったようだ。ふうん、と相づちを打った。
クルーロル宝石商会長。あの人を、頼れないわけではない。ただ、あの人は、唐突に訪れた悪ガキを、怪しまず笑顔で迎え入れてくれるようなお人好しではないのである。
嘘をついて助けを請うにも、せめて自分がここに飛ばされた意味を知りたい。もしくは訪れなければならなかった説明が欲しい。誰か応答してくれと、情報が欲しくて視線を巡らせ、その先にちょうどナツがいたからそれはそれでまた腹立たしかった。
「だいたい、お前は何でここにいるんだ。バカンスだって?」
こんな希有な偶然、認め難いが、リアフィアット市生まれリアフィアット市育ちのナツが、魔法使いと何らかの関係を持っているとは思えないから、恐らくその言葉に間違いはないのだろう。しかしこちらがトラブル真っ最中の中、市民の身を守るべき警察官が、悠々と余暇を楽しんでいるとは。そんな、半ば八つ当たりめいた思いもあった。
喧嘩腰のスプ―トニクに、何かを言おうとナツが口を開く。
「あのね、私は――」
本当なら、それをきちんと聞くべきだったのだろうが。
残念ながらちょうど真横の店に、ナツの話以上にスプートニクの目と意識を惹きつけたものがあった。足を止め、ガラスに顔を近づけて、ショーウインドウに並んだものを眺めた。小さな光る装飾品――宝石たち。
ここは、宝石店だ。
ナツもその店のことに、またスプートニクの振る舞いの理由に気付いたらしい。どうにもできない職業病であることを理解した彼女は、自分の話を無視されたことに対し小うるさくは言わなかった。「ま、時間に余裕はあるし」とだけ言って、そのまま口を噤んだ。
こぢんまりとした店舗だが、並ぶ品のデザインは決して悪くない。ガラス越しではあるが、石の質も良いもののように見えた。
大陸を統べる都、ヴィーアルトン市。大陸最大の宝石商会の本部が存在する街。客も多いが商売敵も多いこの街で小規模な宝石店を出すというのは、決して楽なことではないだろうが、この店に限っては上手いことやっているようだ。
店内から漏れる明かり。店入口となっている扉を見ると、札は『営業中』になっている。こんな時間まで店を開けているというのはやはり大陸統都という土地故か、と考えた瞬間、不意に暗くなった。
おや。不思議に思いながら見ていると、扉が開いて人が出てきた。男だ。背丈はスプートニクと同じくらいで、黒いシャツの上に灰色のベストを羽織っている。眼鏡を掛けているが、ノンフレームであるところを見るに、ファッションで掛けているわけではないのだろう。少し疲れたようであるのは、時間帯のせいか。
扉を閉めた彼が、『営業中』の札を手に取った――スプートニクと彼の目が合ったのは、それと同時だった。眼鏡の奥の瞳が細められる。
「ああ、気付きませんで、すみません。今もう一度点けますね、良かったら店内もご覧に――って」
スプートニクの場合、予約客ならともかく、一見の客が閉店準備中に来たら「本日の営業は終わりだ」と追い返してしまう。それをしないのはやはり土地柄なのか、それとも店の方針か……などと考えていた矢先。
唐突に彼の言葉が途切れた。そして、
「――クリウさん?」
「え?」
どうしてその名前を。
改めて、男の顔を見る。人の良さそうなその顔には――確かに、見覚えがあった。名前も同時に浮かんだが、スプートニクが呼ぶよりも、彼の自己紹介が行われる方が先だった。人さし指で自身の顔を示し、にっと笑う。白い歯が見えた。
「俺です、リョウですよ。覚えてますよね?」
「忘れた」
「あ、ひどいなあ。絶対覚えてる反応じゃないですか、それ」
覚えている。――が。
「クリウ?」
「……本名」
ナツの問いかけに、押し殺した声で答える。誤魔化すのも面倒だった。
同時にスプートニクは、リアフィアット市に住み始めた頃のことを思い出した。スプートニクが買い物で街を歩いていたとき、たまたま出会ったパトロール中のナツに「不思議なお名前ですね」と言われたこと。そのときのナツの警察官然とした目が疎ましくて、喧嘩を売るように「偽名だ」と答えたが――
まさかこの女に、この名前を知られる日が来るとは。
しかしナツはこともなげに「ふうん」と言った。「意外と普通の名前だったのね」と続けたことに、意味があるのかどうかは知らない。ただ、あげつらうようではなかった。
それはともかく。
「いやいや、お久しぶりです」などと懐かしむような顔で言っている男、リョウ。――学生時代の後輩だ。
スプートニクがエルキュール宝石学校に在籍していた時分の知り合いで、ヴィーアルトン市にある実家の宝石商を継ぐために入学したとか言っていた。スプートニクが卒業して以後は連絡を取ることもなかったが、この分だとどうやら、上手くやっているらしい。
「良かったら、中にどうぞ」と誘われて入った店内は、スプートニクの店よりも幾分か狭い。
なぜか当然のことのようにナツもついて来た。
「クリウさん、今も旅の宝石商を?」
「いや、リアフィアット市で店を持った……そっちは景気はどうだ」
「まぁ、目に見えていいってほどじゃないですよ。親の頃からの顧客に贔屓してもらって、なんとかかんとか食いつないでます」
「ふうん。今度紹介してくれよ、客」
「勘弁してください。むしろクリウさんには、学生時代のツケを払ってほしいくらいですよ。階段破壊のバイト代、結局踏み倒したじゃないですか」
「階段破壊?」
不穏な言葉を聞いて 反射的にくちばしを突っ込んできたのは、警察官の性(さが)か。
しかし大したことではない。当時、学内にて査問もされたが、結局不問に付されている。警察沙汰にすらならなかった。
「リョウ、お前、人聞きの悪い言い方すんじゃねェよ。……宝石学校なんてたいそうな名前で、宝石商だのデザイナーだのも育成しているくせに、校舎の階段の欄干のデザインがあんまりに悪かったんでな。我慢ならなくなった俺がぶっ壊し――もとい教職員に無断での改良を決行する判断を下したわけだが、俺一人でやるにはあまりに手が足りなかった。そこでバイトとして雇ったのがこいつだ」
「学生時代からろくなことしてないのね、こいつ」
「ええ、まったくです」
「こんなのの後輩じゃ、あなたも大変だったでしょう」
「ええ、まったくです」
変なところで意気投合しないでほしい。
「懐かしいな。あの階段、まだ残ってんのかなァ」
「残ってますよ。『妖精が作った』なんて変な謂われまでついてます」
「妖精か。そりゃいい」
「デザインの良さも相まって、なかなかいい伝説になってるみたいですよ」
それはますます製作者冥利に尽きる。