ただでさえ黒い魔法使いは、戸から入る逆光のせいで、一段と闇に近く見えた。

「よくも、虚仮にしてくれたね」

「魔法使い、ジャヴォット」

現れた魔法使いの名を、スプートニクは呼んだ。

男たちは「足を洗った」と先ほど言ったが、かつての『仕事道具』までは手放していなかったらしい。もしくはその発言自体が嘘だったのか、実際のところはわからないが今はそれがあったことに感謝する。

各々得物を構え、スプートニクとクリューを守るように立った。武器を握る手は震えている――魔法使いの恐ろしさは知っているが、二人に何かあればそれ以上にひどい目に遭わされるとわかっているのだろう。

まったく健気なものだと鼻で笑い、

「おい、お前」

「……へい」

口髭男に顔を寄せ、小声で話しかける。彼もまたジャヴォットに目を向けたまま、返事をした。

「この小屋の出口は?」

「あの魔法使いが陣取っている、一ヵ所しかありません。兄さんたちには最悪、壁を壊してお逃げ頂くことに――」

「余計なお喋りをするんじゃないよ」

杖を構えたジャヴォットの、鋭い声。

スプートニクは口を閉じた。

「宝石商スプートニク。私のことを知っていたかい。……やはり、ソアランと組んでいたね」

「誰があいつなんかと」

あの男と仲良さそうに語られるのは甚だ不快だ。本心からそう答える。

それに。親しい魔法使いと言われて、あれより先に思い浮かぶのが一人いた。

「……魔法使いフランソワズは、お前が犯人であることを知っていたぞ」

「嘘をつけ」

しかし。

ジャヴォットは鼻で笑った。

「虚言も大概にするんだね。だとしたらあの女は、なぜ私のことを告発もせず、あっさり死んでいったんだい。え?」

「それは……」

――ユキのことだ。

そこには何かの意味があったはずだ。真相を隠した理由が、あるいは利点が。しかし彼女のすべてを知るわけではないスプートニクは、そこまで察することができない。

「いいから、とっとと『それ』をよこしな」

ひっ、と息を呑む音が近くで聞こえた。

腕を、強い力で掴まれる。顔を向けなくてもそこで何がどうしているか、わかっている。恐ろしさに悲鳴を上げることすら叶わず、ただ身を寄せて縮こまることしかできずにいる。

「いいかい、宝石商スプートニク。それは魔法使いにとって大きな価値のあるものだ。我々はそれを研究し、解明し、殖やし、そして、後世に受け継いでいかなければならない。商人が私欲のために独占するには過ぎたものだ。こちらに渡し、一切の口を噤むのなら、お前のことは見逃してやってもいい」

スプートニクは思う。宝石を無限に吐き出す子供。その特異性。価値。確かにジャヴォットの言うことには、筋が通っていた。

さらに、この小屋のことを思う。悪人たちは、小さかった彼女を傷つけ、宝石を吐き出させ、それを資金源の一つとしていた。

さて、自分はどうだろう。

「アンタの言う通りだな。そんな珍しい『体質』を持つ子供、一介の商人の私腹を肥やすためだけに存在していていいわけがない。――けど」

それは、クルーロルにも言ったこと。

金になると思った。いい資金源だと思ったから、拾って雇った。

コネクションのない若い商人として真っ当な思考だったと、今でも思う。

――それがどこでねじ曲がってしまったのだろう。

「俺は」

思い出す。

クリューがヴィーアルトンに旅立った日のこと、

休業を告げる張り紙を、何度も書いて貼ったこと、

店を閉めてばかりのことをナツに叱られたこと、

何をしていても浮かんでくる姿、

飲んだ酒の味。

――舌打ち。

ほとほと嫌になると思いながら、認める。

「こいつが確かに幸せでないと、ろくに店を開けることもできないらしい 」

それで商人を名乗るとは、聞いて呆れる。

それでも事実なのだから仕方がなかった。

「そうか」

その言葉にジャヴォットは――

頷いた。

しかしそれは納得や理解などではなく、

「ならば死ね」

「かかれ!」

ジャヴォットが杖を構え、スプートニクが吠えた。

七人の男たちが一斉に雄叫びを上げ、得物を手にジャヴォットへと襲いかかる。

ジャヴォットが杖を一度横に振る。たったそれだけの動作で、男たちは一斉に吹き飛び、悲鳴もなく壁に叩きつけられた。

誰の手から零れ落ちたか、鉄棒が一本飛んできたのをスプートニクは左手で掴んだ。

左足を前にして両足を開き、鉄棒の先をジャヴォットに向ける。

「無駄な抵抗だと言うのに」

「無駄じゃねェ」

「ただの人間が、魔法使いに勝てると思っているのかい」

「勝てる!」

その抗弁はジャヴォットには、虚勢としか聞こえなかっただろう。

しかしそうではない。もう少しだ。恐らくは、もう少し!

鉄棒を握り直したスプートニクが、大きく一歩踏み込んだ。

迎え撃つジャヴォットが、杖を高く振り上げた――

その瞬間。

訪れる変化より先に甲高い鳴き声を聞いて、スプートニクは勝ちを確信した。

「――何!?」

スプートニクに気を取られていたジャヴォットは、反応が遅れた。

ジャヴォットの背後、小屋の外から、大量の白い光が――いや。

白い糸が流れ込んでくる。

ジャヴォットの体を、糸が固く固く締め上げる!

「何だ、これは――何だこれは! お前、お前、何をした!!」

「確保!」と声がして、命令を受けた黒い影がジャヴォットの背後から飛びかかった。銀ボタンと黒いローブの男 ――あまりに見慣れた魔法使い。

彼はジャヴォットの背に馬乗りになると、右足でその手を踏みつけた。床に転がった杖を思いきり蹴り飛ばして、彼女の手の届かないところに移動させる。ジャヴォットは罵声を上げながら拘束に抵抗するものの、魔法なしでは男の腕力に敵わない。その上、鞭のような強度の白糸に全身をぐるぐる巻きにされているのだ。

身動きの取れない、ジャヴォットの姿を見ながら。

「『何をした』って、ねェ」

スプートニクは鉄棒を左肩に担いで、笑った。

自分が一体、何をしたか。

難しいことではない。すべては――

「『時間稼ぎ』って言葉、知らねェの?」

「キュイ!」

まるで同意をするように、使い魔シャルが元気良く鳴き声を上げた。

この場所のことを思い出したとき、スプートニクは使い魔シャルに、一つの指示を出した。なんということはない、「用事を済ませ追いかけて来たユキを、この小屋まで案内しろ」と告げただけだ。行くべきところがあると言ったユキが、追ってあの研究所分室にやって来るまで、そう時間がかかるとは思えなかったから。

利用することを決めた男七人の安全と無事は保証しかねたが、スプートニクと、そしてクリューの過去を思えば、それをしてなお余りある多大な貸しがあったから問題はなかろう。

充分な時間が稼げるかどうかは、未知数だったが――

それでも、『助けが来るまで耐え続ける』以外の選択肢はなかった。それこそ、そう。いつかナツにも言ったことだ――自分は彼女のために死ねるのだ。

そうとも。

従業員を何に変えても守るのが、店主としての勤めである。

「ごめんよ、スプートニク。遅くなった」

「よく頑張った。さすが、私の弟」

勝手な謝罪が、賞賛が飛んでくる。

お前らのために耐えたわけではないと、毒を吐きたい気分になる。

ユキ。魔法使いソアラン。魔法使いジャヴォット。それから彼らの傍(かたわ)らにもう一人、スプートニクの知らぬ魔法使いがいる。ジャヴォットは眉間に皺を深く刻ませながら首を上げ、だがその魔法使いを見て表情を消した。

ソアランが、先を促すように魔法使いを呼んだ。彼はその人のことを知っているようだった。

「――教育係」

しかし、

「魔女協会コークディエ支部副支部長ソアラン、口に気をつけろ。私はもう、その役職にはない」

言われたソアランは肩を竦め、スプートニクに「叱られちゃったよ」とでも言いたそうに目配せした。

その、老いた魔法使いは。

スプートニクとクリューに向け深々と一礼してから、ジャヴォットを見下ろした。

「私は魔女協会本部所属魔法使い、人事担当責任者 オリヴィア。魔女協会コークディエ支部支部長ジャヴォットよ、その身、魔女協会本部にて預かり受ける」