The God has moved to another world.

Ninety-four stories: "All I can smell is trouble - you little shit...! 」

 プライアン・ブルーは、単独任務を言い渡される事が多かった。

 工作員として優秀である事はもちろん、彼女の能力もその理由に一役買っている。

 数十人に分裂可能で、すべてが本体であるという、魔法に因らない特殊能力。

 潜入中は少数の利点を、戦闘になれば大人数の利点を発揮する事が出来るこの能力は、まさに単独任務に挑む工作員にうってつけの物といえるだろう。

 各種魔法への知識、応用力、経験量、戦闘能力。

 それら全てを高レベルで持ち合わせているプライアン・ブルーには、おおよそ欠点らしい欠点が無いといっても良かった。

 有るとすれば、二つ。

 性格と、幸せな結婚への執着である。

 まあ、致命的な欠点なわけだが。

 街というのは常に変化し続ける物であり、道一つとっても目まぐるしく移ろっていくものだ。

 今現在の様子を把握するためには、自分で歩いてみるしかない。

 そんな訳で、プライアン・ブルーは一人、アインファーブルを歩き回っていた。

 ホウーリカ王国の第四王女様とその護衛は、ホテルで待機している。

 厄介ごとを押し付けるだけ押し付けて優雅におくつろぎかよ、と、思わなくも無いが、無闇に出歩かれるよりは余程いいだろう。

 うっかり事件にでも巻き込まれた日には、国際問題になりかねない。

 海賊に用心棒として雇われたりもしていたが、それはそれ、これはこれ。

 外交というのは、少しでも隙があれば足元をすくわれるものなのだ。

 もちろん、こちらもすくって行くわけだが。

 アインファーブルは、非常に活気のある街だ。

 人の数も多く、出入りも激しい。

 よそから知らない人間が来たとしても、誰も怪しまない。

 工作員にとって、大変有り難い街といえるだろう。

 あちこち歩き回りながら、プライアン・ブルーは街の様子を頭に叩き込んでいった。

 何処に何があるか、どんな雰囲気の店が集まっているのか。

 そういった情報を集めながら、露天で買い食いをする。

 流石冒険者の街だけ有って、酒の露天などという物も有った。

 当然、プライアン・ブルーはこれも購入する。

「いやぁー、調査のためとはいえ昼間っから酒とか辛いわー。マジ辛いわー」

 至極嬉しそうな顔で、プライアン・ブルーはそんなことを呟いた。

 どう見ても観光を満喫しているようにしか見えないが、これも仕事の一巻だ。

 趣味が実益を兼ねている、とでも言えばいいのだろうか。

 メインストリートを粗方見て回ったプライアン・ブルーは、今度は少し奥まった路地へと足を進める。

 最初に入ったのは、冒険者達が使う装備の整備や販売をする店が軒を連ねる場所だった。

 昼間だという事も有り、どの店も閑散とした様子だ。

 冒険者は昼間に仕事をするので、装備の買い増しや整備などは、もっぱら夜に行う。

 なので、この時間は休みを取っている冒険者か、それ以外の仕事をしている者しかいないのだ。

 アインファーブルが最も活気付くのは、夜中なのである。

 この時間帯は、一日のうちで最も静まり返った時間帯なのだ。

 とはいえ、まったく人がいないというわけでもない。

 仕事に出ていない冒険者らしき人物が、ちらほらと歩いては居た。

 皆それぞれの店先で、真剣な様子で武器を選んでいる。

 何気ない風を装いながら、プライアン・ブルーはそれらの武器に目を凝らす。

「ギルド謹製、結晶魔法ね。やっぱお膝元だけあっていいのが揃ってるわ」

 この世界では、魔法は国ごとにまったく違う体系を持っている。

 ギルドはどの国にも因らない、独自の魔法体系を持っていた。

 世界で唯一魔石を加工する技術を持ち、独自の魔法体系を持つ組織。

 それが、ギルドなのだ。

 味方であるうちはいいが、敵に回すと恐ろしい組織である。

 冒険者の多くは、ギルドの「結晶魔法」の使われた武器屋道具を使っていた。

 魔法の技術は各国で機密情報扱いになっていたりするので、その国の中でないと手に入らないこともある。

 だが、ギルドは世界の何処にでもあるのだ。

 容易に入手できるし、安定した性能を発揮できる。

 こういった冒険者相手の店では、良く目にする代物なわけだ。

 ちなみに、世界中を飛び回っているプライアン・ブルーは、結晶魔法の使われた魔法道具を愛用していた。

 潜入中に敵に捕まった時、持ち物から何処の国の人間か判別されないためである。

 持ち物のうち二つ以外は、ギルドなどの多国籍企業が作っている量産品なのだ。

「あー。でもそろそろガタ来てるし。買いなおそうかなぁー。時計とか色々。経費でおちっかな。今回ホテル代高く付きそうだし」

 ぶつぶつと呟きながら歩いていると、前から変わった恰好の少年が歩いてきた。

 前合わせの独特な構造の上着に、やたらぶかぶかなズボンのような物。

 兎人の侍がよくしている服装をした、人間族の少年だ。

 少年を確認した瞬間、プライアン・ブルーは外見には出さず頭の中だけで警戒を強めた。

 歩き方や気配だけで、尋常な相手ではないと直ぐに分かったからだ。

 見た目や挙動から相手の実力をある程度でも測れないようでは、荒事稼業はままならない。

 直接見ることはせず、視界の端だけで少年を捉える。

 見れば見るほど、恐ろしい相手であるとプライアン・ブルーは確信を持っていく。

 少なくとも、やりあうのは御免こうむりたい。

 弱いつもりはないが、命を張った斬り合いが好きなタイプではないのだ。

 少年の歩き方、挙動は、まさに侍の物だとプライアン・ブルーは判断していた。

 兎人のコスプレというわけではなく、人間の侍なのだろう。

 侍といえば兎人、兎人といえば侍、というのが業界の常識だ。

 兎人以外の侍というのがそもそも聞いたこともなかったが、例外中の例外が目の前に現れるというのは、この仕事をしているとよくあることである。

 こういうときの対処は、決まっていた。

「関わらないのが一番、っと」

 口の中で呟き、プライアン・ブルーは店から目を離し、歩き始める。

 前からやってきた少年とすれ違う事になるので、気は張り詰めたままだ。

 その証拠に、何気ない風を装いながらも、手は鞘にかかっていた。

 普通ならば剣を抜く準備としてあまり褒められた動作ではないのだが、ここは冒険者の街だ。

 こういった行動も、さして珍しい物ではない。

 二人の距離はどんどんと近づいていき、お互いの脇をすれ違う。

 その、瞬間だった。

 それまでぶらぶらと前後に動いてた少年の手が、腰に差している刀の鞘にかかったのだ。

 プライアン・ブルーの緊張が、一気に高まった。

 表情にこそ出さないが、鞘を握る手には力がこもる。

 前に向けられていた少年の視線が、大きく動く。

 僅かに首を動かしたその先に居るのは、プライアン・ブルーだ。

 ぞくりと、背中に冷たい物が走る。

 手が剣へと伸びそうになるが、それは堪えた。

 少年の手が、刀の柄へ動く素振りが見えなかったからだ。

 緊張が膨らんだまま、少年もプライアン・ブルーも足を止めずに歩き続けた。

 何かきっかけがあれば、その瞬間斬り合いになる。

 一触即発な空気を漂わせながらも、距離は確実に離れていく。

 かなり間合いが開いたところで、プライアン・プルーはほっと息をついた。

 流石に、これだけ離れれば直ぐに斬り込んでくることもないだろう。

 確認のために、プライアン・ブルーは足を止め、後を振り向いた。

 ある種確信めいた気持ちを持って少年へと目を向けると、案の定。

 少年も振り返り、じっとプライアン・ブルーへのほうを見据えていた。

 その手は、もう刀にはかかっていない。

 少年はプライアン・ブルーの姿をじっと見据えた後、その視線をはずして店と店の間の道へと入っていく。

 先ほど確認した限りでは、人気のない路地へと続く道のはずだ。

「お誘い、って訳ね」

 プライアン・ブルーは疲れたようにへらりと笑うと、少年が消えていった路地へと歩き始めた。

 路地を入っていくと、少し開けた場所へと出た。

 背の高い建物の壁と壁に挟まれた、作られたような空き地だ。

「おおう。空が四角い」

 高い壁に区切られた空を見上げて、プライアン・ブルーは感心したように呟いた。

 地上へと視線を戻すと、先ほどの少年が立っている。

 黒い服に、黒い瞳と髪の毛。

 感情の見えない無表情。

 そして、腰に差した刀。

 この辺りの国では、珍しい外見の少年だ。

「ぷらいあん・ぶるーで、まちがいないか」

「そーよー。で、なにかごよう?」

 少年の言葉に、プライアン・ブルーはへらりとした顔で応える。

 気の抜けた様子に見えるが、その実、警戒は解いていない。

 名前を知られているということは、何か用事があるのだろう。

 それが危険なことでないという保障は、何処にもない。

 むしろプライアン・ブルーの職業的に、こういう場合は大抵、荒事に発展してしまうことが殆どなのだ。

「ああ。ようがある。だからわざわざ、きてもらった」

 言いながら、少年は腰に差した刀を叩いた。

 すれ違った時に刀に手をかけて見せたのは、気を引くためだったのだろう。

 少年は戦う気はないとでも言いたいのか、両掌をプライアン・ブルーへと掲げてみせる。

「むしゅく、ろうにん、みずひこ。なにものかは、まあ、せつめいするより、こっちがはやいだろうな」

 その言葉とほぼ同時に、水彦と名乗った少年の身体から何かがプライアン・ブルーへと押し寄せてきた。

 気配、とでもいえばいいのだろうか。

 不可視では有るが、実体やエネルギーの伴う物ではない。

 だが、確実に感じ取る事のできる、まさに気配としか言いようのないものだ。

 強制的に、その存在が何か分からせるような、疑いようのないもの。

 神か、それに連なる物しか持つ事ができない気配だ。

 煽られるようにプライアン・ブルーが顔を跳ね上げた時には、既にその気配は消えていた。

 恐らく、確認させるためだけにそれを発散させたのだろう。

 ほんの僅かの間ではあったが、疑いようのない気配だ。

 水彦というこの少年は、天使か、あるいはガーディアンかなのだろう。

 プライアン・ブルーは参ったというように顔に手を当てると、力のなく笑った。

「まじかーまじかぁー……! マジでこうなるのかぁー……!」

 ぶっちゃけた話、プライアン・ブルーは今回の仕事は適当に終わらせるつもりで居た。

 誰がどう考えても、今回の仕事はヤバイと思っていたからだ。

 好き好んでうっかり神の怒りに触れそうな事をしようとするヤツなんて、そうそういないだろう。

 テキトウに調査をして、テキトウにホウーリカ王国の王女様を手伝って、テキトウに報告をして、本国に帰るつもりだったのである。

 調査するものが神関係の物であるだけに、「これ以上踏み込んだら天罰が下ると思います」とでも言っておけば問題ないと考えていたのだ。

 実際、うっかりまじめに調査して地雷を踏み抜き、神々の怒りに触れました、なんてことになったら洒落では済まされない。

 上司に命を狙われるどころか、婚期まで遠退きかねない最悪の事態になってしまう。

「かかわりたくなかったぁー……! マジでかかわりたくなかったぁー……!」

「なんだかよくわからないが、たいへんそうだな」

 水彦に心配されるほど、プライアン・ブルーは身をよじりまくっていた。

 とはいえ、ここまで来てしまっては仕方がない。

 プライアン・ブルーは大きくため息を付くと、水彦のほうへと顔を向け、居住まいを正した。

「それで、あの、あたしに何の御用でしょう?」

「てがみを、あずかってきてな。おまえに、わたしてほしいそうだ」

 そういうと、水彦は懐に手を突っ込み、封筒を一つ引っ張り出した。

 真っ白な封筒に、赤い蝋印が押されている。

 今ではあまり使われることがなくなったが、公式な文章などでは今でも時折使われるスタイルの物だった。

 要するに、「とても大切な手紙です」と視覚的に訴えている代物、というわけだ。

「おてまみ? 預かってきたってことは……誰から誰宛に?」

「よくわからん。えろとばんえろから、あずかってきただけだからな」

 水彦は手紙を、ゆっくりとした動作で足元に置いた。

 そして、地面を蹴って上空へと跳ね上がる。

 建物の壁を蹴りながら、あっという間にその屋上まで駆けあがり、下に居るプライアン・ブルーを見下ろした。

 感心するように見上げて、プライアン・ブルーは「おー」と声を出す。

「なかをみれば、くわしくかいてあるはずだ。おれはようじがあるから、これでかえる」

「はい、はい。確認してみますよっと。また別のお仕事です?」

「いいや。きょうはやすみだから、めしをくいにいく」

「あらら。そりゃ大切な御用事で」

「おお。めしはだいじだな」

 まじめそうな表情でそういうと、水彦は後を向き、歩き去っていった。

 高低差があるので、覗き込むような動作を止められれば、その姿はプライアン・ブルーからは確認できない。

 暫く上を見上げていたプライアン・ブルーだったが、大きく一つため息を付いた。

 だるそうな仕草で歩き出すと、地面に置かれた封筒を手に取る。

 表には何も書かれておらず、裏は赤い蝋印で閉じられていた。

 蝋印というのは、ロウソクをたらして、金属などの印を押し付けて封印をした物のことだ。

 その押し付けた物の形で、誰が書いた物なのか分かるという寸法である。

 印の形を確認したプライアン・ブルーは眉をひそめた。

 どうにも見覚えがあった気がしたからだ。

 内ポケットにしまっていた端末を取り出すと、カメラを起動して印を撮影する。

 その画像を元に、似通った映像を探し出す機能を起動して、検索をかけた。

 この機能は、顔写真などでも検索がかけられる、かなりの優れものだ。

 アインファーブルに入って直ぐに本国に用意させた、なかなかお値段の張る装備である。

 まあ、ギルドの商品ではあるのだが。

 ものの数秒で、検索結果が上がってくる。

「うおう……」

 ある程度予想していた事ではあったが、その結果を見たプライアン・ブルーは思わずうめいてしまう。

 その封印の形状は、“罪を暴く天使”エルトヴァエルが使用する物だったからだ。

 エルトヴァエルといえばその二つ名の通り、人間の罪を監視する役割を持っているといわれている天使である。

 それだけに、何処の国にとっても恐ろしい相手であった。

 何しろこの天使がやってくるという事は、その国の罪を暴かれるという事なのだから。

 プライアン・ブルーのような仕事をしている物にとっては、厄介極まりない、もっとも警戒すべき天使様なのだ。

「厄介ごとの匂いしかしねぇーぞちっくしょぉー……!」

 プライアン・ブルーはガシガシと頭をかくと、がっくりと脱力した。

 そして、ため息混じりに呟く。

「また婚期が遠のくんじゃないの? これ」

 もう既に手遅れくさい事を、本気で心配するプライアン・ブルーであった。