The God has moved to another world.

Ninety-six words: "Well, this is his wedding. Ha, I'm farther away again."

 自分の執務室に戻ったバインケルトは、両手で持っていたものをゆっくりとテーブルの上に置いた。

 宝石のようなものが付いたネックレス。

 涙型のそれがたとえガラスであったとしても、価値は計り知れないものになるだろう。

 なにしろこれは、罪を暴く天使エルトヴァエルから送られた封筒に入れられていたものなのだ。

 バインケルトは窓の近くへと歩み寄ると、かかっていたカーテンを少しだけずらした。

 外はすっかり暗くなっており、空には星と月が輝いている。

 燃料ではなく、魔力による動力で発展している「海原と中原」は、大気汚染とは無縁の世界だ。

 空気は澄み渡り、星の光は手が届きそうな程に近い。

 だが、そんな美しい光景も、見慣れてしまえば心を動かすほどのものではないらしい。

 バインケルトは僅かに目を細めて星空を眺めると、直ぐに興味を失ったようにテーブルの方へと振り返った。

 そこに置かれているネックレスには、カーテンの隙間から差し込む星と月の明りが差し込んでいる。

 それを確認すると、バインケルトは満足そうに微笑む。

 暫くそれを眺めたあと、眉間に眉を寄せ、表情を真剣なものへと切り替える。

 テーブルの近くまで歩み寄ると、やおら両膝を床の上につけた。

 片手を胸にあて、深々と頭を下げる。

 すると。

 光を浴びていたネックレスが、にわかに発光し始めた。

 最も強く光を放っているのは、涙型の宝石のようなのもだ。

 その涙型の何かから、ゆっくりと光が立ち上り始める。

 一本の棒が生えてくるかのようなそれは、様々な法則を無視して、本当にゆっくりとその背を伸ばしていく。

 その光の棒はある程度の高さになったところで、突然先端を大きく拡散させた。

 しかし、それも志向性を持っているのか、あっという間に一つの形を作り出す。

 背中に翼、頭上には輪を持った、人の上半身のような形。

 それは、“罪を暴く天使”エルトヴァエルの姿であった。

 数秒で作り出されたそれは、どうやら立体映像の類であるらしい。

 光で作り出されたエルトヴァエルの胸像は、床に伏せているバインケルトへと顔を向けると、にっこりと微笑んだ。

「お久しぶりです。バインケルト・スバインクー」

 静かだが不思議とよく響くその声に反応し、バインケルトは更に深く頭を下げた。

「御前に醜き……」

「あ、そうそう」

 バインケルトの口上を、エルトヴァエルは言葉で止める。

 それに驚いたのか、バインケルトは僅かに身体を揺らした。

「私が今仕えている神様は、堅苦しい事をとても嫌うんです。ですので、私がそういった言葉を受けるわけにはいきません。もう少し、崩してください。いつものように、ね?」

 それを聞き、バインケルトは小さく笑い声を漏らす。

 静かに顔を上げると、バインケルトはじっとエルトヴァエルの顔に視線を向ける。

 そして、険しく、真剣なものだった表情を、ふっと崩した。

「お久しぶりです、エルトヴァエル様」

「ええ。元気そうで何よりです」

「千数百年も前に身体は滅びておりますので、幸い体調という言葉とは無縁でございますれば。そのおかげで、相変わらず若い者達にこき使われております」

「貴方から比べれば、誰だって若いと思いますよ?」

「成る程。それは確かに、その通りかもしれません」

 いかにも今気が付いた、というようなとぼけた様子で、バインケルトは手をぽんと叩いた。

 それが面白かったのか、エルトヴァエルは噴出すように笑う。

 バインケルトも、釣られたように笑い声をこぼす。

 ひとしきり笑いあった後、話を切り出したのはエルトヴァエルだった。

「仕事の件、引き受けていただけますか?」

「は。頂いた手紙にて、おおよその所は理解いたしました。見直された土地に住む、アグニー族への物資輸送。勿論、と言いたい所ですが。やはり問題が多いかと。ステングレアが邪魔で、近づくのも難しい有様です」

「それに関しては、こちらで用意が有ります」

 そういうと、エルトヴァエルは手を伸ばし、何かを操作するような動作をする。

 すると、エルトヴァエルの前に光の塊が現れ、薄く延びていく。

 作り出されたのは、立体地図のようなものだ。

 バインケルトは一目で、それが見直された土地とアインファーブルのものであると分かった。

 一つ奇妙なのは、地表のした部分に見える、見放された土地とアインファーブルを繋ぐ線だ。

 眉をひそめるバインケルトだったが、直ぐにその正体に気がつき、目を丸くする。

「これは。まさかトンネルですか?」

「赤鞘様が手ずからお作りになったガーディアンが作ったものです」

「それはプライアン・ブルーの奴がお会いしたという……?」

 探るようなバインケルトの言葉に、エルトヴァエルは首を横に振る。

「いいえ。別のガーディアンです。見直された土地には、赤鞘様の手によるガーディアンが二人いるのですよ。近々もう一人、増える予定ですが」

「では、三柱のガーディアン様が……いえ、あの土地にはたしか、エンシェント・ドラゴン様がいらっしゃいましたな。まだお若い……」

 バインケルトの言葉に満足したように、エルトヴァエルはくすくすと笑いながら頷いた。

 だが、300歳のエンシェントドラゴンをお若い、と表現したのがおかしかったのだろう。

「ええ。計四体のガーディアン、という事になりますね」

「それは……なんとも恐ろしい」

 神が自ら創ったガーディアン。

 そして、天然のガーディアンであるエンシェント・ドラゴン。

 バインケルトでなくても、恐ろしいと表現するだろう。

 もっとも、その当のバインケルトはといえば、とても楽しそうに笑っているのだが。

「何処の国も警戒するでしょう。実に、実に恐ろしい話です。勿論、口外はいたしませんが」

「貴方は、そうでしょうね。ですが、秘密とは何処からか漏れるものですから」

「ええ。ですが、向こう暫くは大丈夫でしょう。必ずそうなるようにいたします」

「信頼していますよ」

 そういうと、エルトヴァエルはにっこりと微笑んだ。

 暗に、このことは他言無用、と伝えたのだろう。

 とはいえ、秘密というのは必ずどこかから漏れるもの。

 それが漏れたとしても、特別咎めはしない、と伝えたのだ。

 バインケルトのほうもそれを了解して、極力秘密が漏れないように努める、と言葉を変えて応えたのである。

「申し訳有りません、お話がそれてしまいました」

 大きく頭を下げて詫びの言葉を入れると、バインケルトは話を元の方向へと戻す。

「では、そのトンネルのアインファーブル側に荷物をお届けすればいい、という事でしょうか」

「その通りです。今後必要なものは、種類も量も増えますから。今のうちはそうでなくても、いずれ輸送国家の力添えが必要になります」

「勿論、我が国の総力を挙げて。ですが、我等に出来るのは運ぶ事だけ。買い付けや生産は専門外でございます。どこかに、それをして頂かない事には」

 困ったような声音ではあったが、バインケルトは笑顔だった。

 既に解決策は、頭に浮かんでいるのだろう。

 エルトヴァエルはどこか楽しそうに、いっそう笑顔を深くする。

「ホウーリカの第四王女とプライアン・ブルーさんが接触しているようですね。“鈴の音の”リリ・エルストラを供にしてアインファーブルに来ているとか」

「はっ。見直された土地を調査する件に関して、協力関係を結んでおります」

「ならば、ホウーリカに頼みましょう。かの国から買い付け、貴方方が運ぶ。見直された土地がキノセトルと呼ばれていた頃は、彼の国の領土だったわけですし」

「ああ、それは! 素晴らしい考えです!」

 両手を打ち、バインケルトは至極嬉しそうに笑う。

 可愛い少年の外見からはとても想像できないような、どこか邪悪な笑顔だ。

「一つ確認を。呼ばれていた頃は、と仰いましたね。という事は、やはり今は何処にも属さない、土地神、赤鞘様の神域である。という事でよろしいのでしょうか」

 バインケルトの質問に、初めてエルトヴァエルの表情が変わった。

 困ったような、言葉に詰まって思わず出たというような、なんともいえない苦笑いだ。

「赤鞘様は、未だに悩んでいらっしゃるのです。見直された土地を、どのような土地にするのか……」

 言いよどむエルトヴァエルを見たバインケルトは、表情を険しくした。

 神が状況判断に悩むというのは、よほどのことなのだろう、と判断したからだ。

 エルトヴァエルが言い難そうにしているのも、それを意味しているのだとすれば納得もいく。

 もっとも。

 実際はただ単に赤鞘が優柔不断に迷いまくり、今後の事を明確に決めていないだけだったりするのだが。

 バインケルトは頭を下げると、静かに口を開いた。

「分かりました。決定が下るまでは、静かに待つことにいたします」

「そうして下さい」

 恐らく大きな勘違いがあるだろうと思いながらも、エルトヴァエルは特に訂正する事をしなかった。

 大げさに勘違いしておいて貰った方が、色々と都合がいいだろうと思ったからだ。

「ホウーリカが用意した物資を、我等スケイスラーが、アインファーブルまで運ぶ。素晴らしい。何よりです。全輸送国家が涙を流して羨ましがる」

「喜んで頂けて、よかったです」

「それで、仕事にはいつごろ取り掛かればよろしいでしょうか」

「大量の物資が必要になるのはまだまだ先です。それまでは、プライアン・ブルーさん達だけで十分でしょう。何より、まだホウーリカにはこのことをお話していませんし」

「それは。お気遣い、感謝いたします」

 未開の地が多い「海原と中原」においては、輸送というのは死と隣り合わせだ。

 魔獣が闊歩する所を、大型貨物船で交通する事もザラにある。

 輸送手段の選定に、武装の準備。

 人員の確保も、馬鹿にならない。

 モノによりけりだが、物資というのは用意するよりも運ぶ事の方が難しいのだ。

「ですので、本格的なことは、ホウーリカとの交渉が整い次第、という事になるでしょうか。まだ、良い返事を頂けるとも限りませんし」

「それは……」

 バインケルトは驚いたような表情を作り、直ぐに楽しそうに声を出して笑った。

 エルトヴァエルからの依頼を断るような国家が、あるとは思えなかったからだ。

 あるとすれば、余程国を潰したいか、自殺願望のあるものだけだろう。

「まあ、兎も角、です。大量の物資輸送をお願いするのは、まだ当分先です。それまでにしっかりと準備をお願いします」

「必ずやご期待にお応え出来ますよう、全力を尽くしましょう」

 深く頭を下げるバインケルトの言葉に、エルトヴァエルは満足そうに頷く。

 そこで、エルトヴァエルは思い出したというように手を叩いた。

「そうそう。ホウーリカとの交渉では、第四王女を通して行おうと思っています」

 第四王女といえば、プライアン・ブルーが接触している人物だ。

 ホウーリカとスケイスラーの話し合いの場を持つにしても、容易に段取りが付けられるだろう。

 それに、今のうちに交渉担当者を知る事ができたというのは、大きなアドバンテージになる。

 こと交渉ごとというモノは、人柄が大きく出るものだ。

 それを知っているのと知らないのとでは、商談の際に大きく優劣が違ってくる。

「そのこと、私どもの口からホウーリカの姫君にはお伝えしない方がよろしいでしょうか?」

「判断はお任せします。お好きなように使ってください」

 エルトヴァエルの笑顔を見て、バインケルトは両目を閉じた。

 顔と肩を震わせると、小さくため息を吐く。

「そこまでお任せ頂けるとなると、後が恐ろしい。貴女は公平な方です。コレだけの事を私共に教えて、輸送のほかにどんな大変な仕事をさせようというのでしょう」

「今回の仕事がそれだけ大変だ、という事です。貴方方がまだご存知で無い情報を、もう一つ」

 笑顔を消し、エルトヴァエルは表情を鋭くする。

 それを見たバインケルトは、僅かに眉をひそめた。

「どんな情報でしょう」

「アインファーブル近くの森で、“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソと“紙屑の”紙雪斎が接触。戦闘になったそうです」

「なっ!?」

 バインケルトは驚愕に目を見開き、ばっと立ち上がった。

 その表情に浮いているのは、焦りというよりも恐怖に近い。

「そんなっ! あの二人がやりあって、周囲が無事で済む訳が……! いえ、まて、違う、違いますね。落ち着きます」

 ゆっくりと深呼吸をすると、バインケルトは再び両膝を地面についた。

 そこまでの間で、頭の中で考えをめぐらせたのだろう。

 既に混乱の様子は、その目からは消えている。

「鉄車輪騎士団が出たという噂は聞きません。何かしら個人として“鋼鉄の”があの地に行き、たまたま“紙屑の”とカチ合った、ということでしょうか?」

「はい。その様です。その様子を知り合いの天使が観測していました。どちらも本装備ではなかった、とのことです」

「不幸中の幸いですね。あの二人が本気でやりあえば、あの辺りが更地になります」

「でしょうね。彼らの戦闘力は異常です」

 天使であるエルトヴァエルの目から見た、それが二人に対する評価だった。

 一個人がもつにしては、あまりにも強力すぎる力。

 それを、どちらもが持っている。

「“紙屑の”がいるというのはわかりますが、“鋼鉄の”まで、という事ですか。メテルマギトのシェルブレンが直接乗り出すようなところだ、という事ですね。今のアインファーブルは」

「そうなります。他にも色々。それは、プライアン・ブルーさんが情報を拾ってくるでしょうけれど。どうです? コレを聞くだけでも危険そうなお仕事でしょう?」

「ええ。まったくです。ですが、だからこそ商売になる。他の誰も手を出しませんから」

 手を引く気はない。

 そんな意味が込められた言葉に、エルトヴァエルは嬉しそうに頷いた。

「先ほど仰せになったように、準備には多少手間と時間が掛かりそうですね。ですが、必ず、ご期待に沿って見せましょう」

「頼もしいですね。貴方にお願いして、正解でした」

 天使エルトヴァエルが人間に仕事を任せるとき。

 それは、その人間の能力がそれに見合っているときだけだ、とされている。

 優に二千を越える年月を生きてきたバインケルトは、その人生の中で何度かエルトヴァエルに仕事を依頼されてきている。

 そのどれもが難易度の高いものばかりであったが、その見返りは実に大きかった。

「では、今回はこれで。次お会いする時には、もっと細かなお話をしましょう。時期は、折を見てお知らせします。もし御用があれば、この首飾りに声をかけて下さい」

「は。分かりました。準備を進めておきます」

「よろしくお願いします。それでは、またいずれ」

 微笑みながらそういうと、エルトヴァエルの姿がすっと消える。

 同時に、輝いていたネックレスも、光を失った。

 バインケルトはそれを確認すると、深い深いため息を吐いた。

「まったく。本当かよ……」

 誰にともなくつぶやき立ち上がると、ふらふらと自分の机へと近づいた。

 引き出しから取り出したのは、市販の安い紙巻煙草だ。

 既に肉体は残っておらず、バインケルトの身体はただの人形であった。

 そうなっても、煙草をくわえるという習慣は、やめる事が出来ずにいるのだ。

 金属ケースから一本を取り出し、小さな魔法道具で火をつける。

「“鋼鉄の”か。あれはヤバイ。やべぇよなぁ。洒落にならねぇ。本物のバケモンだぜありゃぁ」

 様々な化け物と呼ばれるような人間を見てきたバインケルトだったが、その彼が別格であると考えているのが、ほかならぬ“鋼鉄の”シェルブレン・グロッソだった。

 戦闘技術、破壊力だけで言えば、“紙屑の”紙雪斎も同レベルで危険だ。

 だが、シェルブレンが持つ危険性はそれだけではない。

 彼個人が持つ、技術開発能力の高さである。

 軍事レベルで開発された最新鋭の装備を、シェルブレンは自分で更に発展改良させて使っているのだ。

 それはつまり、自分以外にも使える兵器を生み出せるという事を意味している。

 シェルブレンの魔力に合わせた装備であるから、開発されるものはいわゆる劣化コピーにはなるだろう。

 だが、それによる軍事力の強化は計り知れない影響を及ぼすはずだ。

 事実として、シェルブレンが団長に納まって以降、鉄車輪騎士団の戦闘力評価は数倍に跳ね上がっている。

 シェルブレン自らが団員用に作った数々の装備が、その一因になっていた。

 ただでさえ手に負えない膨大な魔力を持ったものが、自分のための武装を作り、配下を武装させているのだ。

「冗談じゃねぇぞ。あんなのとはかかわらねぇのが、長生きする秘訣だってのによぉ。他にも、あれだ。問題が多すぎやしねぇーか?」

 少し考えただけで、幾つも解決しなければならない問題が頭に思い浮かんだ。

 どれもこれも面倒で、舵取りの難しいものばかりである。

 しかし、それを加味しても。

「見直された土地上空の通行権。神域上空に神様の許可を得て通行する権利。そうだ、それも見直された土地だぁあ? すげぇ。俺ら輸送国家にしてみたらジョーカーだぜ、ったくよぉ」

 バインケルトは口の両端を、限界まで吊り上げて笑った。

 普通のものが見れば、恐怖を感じるだろう。

 悪魔のような、というたとえがしっくり来る笑顔だ。

「久しぶりにビリビリ来るような商売の始まりだ。これで百年前の損失を補えるなぁ。いや、それ以上だ。今のうちの造船技術なら、あの頃よりずっと良い商売が出来る」

 “スケイスラーの亡霊”バインケルト・スバインクーは、至極楽しそうな笑い声を、誰もいない部屋に響かせた。

「しかし、災難だなぁ、プライアン・ブルーもよぉ! よりにもよってエルトヴァエル様に目ぇつけられやがって!」

 一言目には結婚、二言目には婚活とうるさい部下の顔を思い浮かべ、バインケルトは煙草の煙を思い切り吸い込んだ。

 あれだけ結婚結婚とうるさいプライアン・ブルーだが、そういう割りに男をえり好みしすぎていると、バインケルトは思っていた。

 バインケルトもいくつか縁談を考えてやってはいるのだが、如何せん条件が多すぎるのだ。

 並べ始めると一時間以上掛かると、他の工作員が愚痴を漏らしていた。

「まあ、これで奴の婚期はぁ、また遠のくわなぁ」

 自分の知らないところで更に婚期が遠のいたという事実。

 それをプライアン・ブルーが知るのは、もう少しあとの事である。