背筋がゾクリとした。

突然感じた微かな瘴気に、ばっと発生元を振り返る。

キアランとノアも、不審そうに私の視線の先を追って、息を呑んだ。

なんだ、あれ!!?

謎の魔法陣から、なんか黒い靄が湧き上がってる!?

靄はどんどん色濃くなり、やがて形をとって、魔物へと変化した。

一瞬にして、周囲が騒然となる。

うおうっ、召喚魔法!?? でも、なんか違う気がする。

感覚的に例えるなら、あの黒い瘴気を原材料にして、あの生物のようなものが生成されたみたいな。

そもそもあれは、魔物? 普通の動物ではないから魔物かと思ったけど、あんなの見たことない。

私も魔物の現物を見たのなんて学園時代のイベントくらいだけど、知識だけならかなりのもん。そのどれにも当てはまらない。

強いて例えるなら、岩と鱗が混ざったような材質感。全体的なフォルムは、短い四つ足の付いたセイウチと言ったところか。そもそもあの形状で歩けるの? ぶっちゃけ生物としては破綻してる。なんかマッドサイエンティストが、継ぎ接ぎの生命を創造したみたい。

魔物だから、なんか特殊能力で飛んだりもぐったりするのかな?

そのグロテスクな姿に、未完成、という印象が浮かぶ。

「キャー―――っ!!!」

悲鳴が上がり、逃げ出そうと背を向けた女性めがけて、魔物の背中から生成された飛礫が叩き付けられた。

うわっ、痛そう……。頭に当たったらやばいぞ、あれは。

それを見て、怒号とともに一斉に蜘蛛の子を散らすように走り出した背中が、集中的に一斉掃射を受ける。

「動くな!! 狙われるぞ!!」

誰かが叫んだ。うん。その方がよさそう。急激な動きを見せたものが、攻撃対象になるらしい。熊とかも遭遇したら、背中を向けちゃいけないんだよね。

逃げられないならと、そこに居合わせた数人の魔法使いが、それぞれに防御壁を構築したり、攻撃魔法を試して、反応を見始めた。

そう。今、無理に倒す必要はない。見たところ魔物の攻撃力はそれほど高くもなさそう。魔法陣から一歩も動いてないし、時間を稼げば、すぐに応援は来る。

キアランはいつの間にか抜いていた護身用の剣で、私の前に立っていた。

何が起こっても対処できる構えで、目の前の事態を油断なく見据えている。

おおっ、後ろで見てて、思わず感心しちゃうよ。11歳にしてはなかなかのもんだよ。

多分アレクシスの実家の侯爵家で、爺ちゃんやおじさんたちに混ざって実践積んでるんだね。だったら魔法攻撃も使えるはずだけど、動く気配はない。

その判断力が何よりも素晴らしいね。子供にできることなんてたかが知れてる。自分の実力を冷静に見極めて、逸ることなく今できる最善を尽くしている。おまけにか弱い美少女を後ろに守ってるとこまで完璧だ!!

エリアスの堅実さとアレクシスの豪胆さ、いいとこどりで受け継いでるねえ。

ちなみにノアは、最初の攻撃の時、どさくさに紛れて素早く地面に伏せて、様子をうかがっていた。

うん。君も正しい。やっぱり要領いいね。頭もいい。子供の無鉄砲と蛮勇ほど厄介なものはないからね。状況が動くまではそれが最善。アイザック、私なしでもいい教育したね。

そして私がのんきな理由。

魔物の不安定だった瘴気が限界を迎え、唐突に自壊を始めた。

やっぱり、未完成だったね。

崩れ行く魔物は最後の力を振り絞り、無差別掃射をしてきた。全方向にだから、密度は薄くなり数は少ない。こっち方面でまずいのは2発。

キアランが正面に来た飛礫を剣で弾いた。ナイスバント!!

でも、もう一発のほう、私たちをすり抜けて、背の高いザラに当たる!

ザラの顔面に飛び込む飛礫の予知イメージに向かって、私は高めの前蹴りを放った。

よし! ジャストミート! 今日はスクエアトゥのブーツでよかった!! それも試作品の厚底タイプとは私、ナイスセレクト!!

足を振り下ろしながら残心に入る直前、慌てて振り返ったキアランと目が合った。

おっと、いかん。スカートの中身、見られちゃったね。そこはご愛嬌ってことで。そもそも銭湯とか、10歳まで女風呂可が多いんだよ。おっとアウトか!? いや、誤差の範囲だ!!

ああ、君も、こんなもんで固まらなくていいから。私気にしないよ!! でも魔物にも動じない男の子が、慌てる様子は可愛いね!! ボーイミーツガールってか!? まあ、実際にはパンツにミーツか。

力を使い果たして崩れ落ちた魔物の残骸は、やがて元の黒い靄に戻って、散り散りに消えた。

数秒の沈黙の後、安堵の歓声が上がった。

「そ、その……すまない……」

喜ぶ人たちの中、キアランが気まずそうに目を逸らした。ひょ~~~、可愛い~ぞ~~~!!

「なんのこと?」

「い、いや……何でも、ない……」

あんまり可愛くて、ついからかってしまう私は悪いお姉さんですね。ふふふ。

恐怖の空間が温度を取り戻し、凍り付いた空気が動き出し始めた。

その時私は覚えのある気配を感じたような気がして、顔を向けた。

「!!?」

人混みを分け入って狭い路地裏に入っていく、黒いローブの男の背中があった。

未来の私を殺す黒いローブの男を思い出す。

まさか、昨日の女の子の殺害犯って本当にあいつが……?

すると、私を殺すのも、性格が悪かったせいじゃなくて、さっきの魔物を発現させた魔法陣の儀式のため?

思わず追いかけようとしたとき、ザラに手を掴まれた。

「お嬢様! お怪我は!? 申し訳ございません。私が側にいながら何もできず……」

動揺するザラに、追跡を諦めた。

そもそも黒いローブの男なんて、いくらでもいる。私の考え過ぎならいいんだけど。

なんだろう。この件に関して、私の予言の力が、黒い靄に邪魔されてうまく働いてない気がする。

「大丈夫。怪我はないわ。キアランが守ってくれたもの。本当にありがとう、キアラン」

ザラを落ち着かせながらお礼を言った私に、キアランは釈然としない顔を返した。

いやいや、君が一発引き受けてくれたから、私もザラを守れたんだよ? 本心からのお礼だからね。