「待ってください」

崖に着くなり少年がそう言う。見た限り周囲に何かがあるようには見えず、また獲物が運ばれて来るのかと思えば違うようだ。前へ歩み出た少年は岩肌に手をかざし、『ブレイクロック』を使うと岩肌の一部が溶けるように崩れ、その先に洞窟が現れた。

「中、どうぞ……」

この洞窟が彼の言う“家”か。確かに獣や魔獣に破壊されない頑丈そうな洞窟だ。おまけに我々が中に入った事を確認した少年は、入口で結界魔法を使い始めている。これなら体を休めるには十分な場所になるだろう。

しかし、結界魔法は有用だが習得の難しい魔法のはず。そこが私と同じく気になったのか、作業を見ていたカミルが少年に話しかけている。

「これ、結界魔法? 珍しい魔法を使うんだね。効果は隠蔽かな?」

「いつでも逃げられる……5人、安心」

「そう。ありがとうね……」

一度頷いて簡潔に答えた彼は小さな体で我々の横をすり抜け、洞窟の奥に入っていった。

「どうやら気遣われたようだね」

「そうですね、ラインハルト様」

「お二人とも、あの坊主が行っちまいやすぜ」

「ああ、今行くよ」

ゼフに呼ばれて洞窟の中に進むとそこには綺麗に地面と壁が均(なら)され、石と木でできた家具が置かれている部屋に着く。周辺の壁には灯りの魔法石が埋め込まれていて、内部は十分に明るい。

「これは」

「思っていたより大分しっかりした家だな」

「こっち、怪我人、寝かせる」

「すまんな。ヒューズ、横になれるぞ、しっかりしろよ」

「お……おぉ」

「ポーション……来る」

ヒューズがベッドに横たわる様子を見届けた後、入口とは反対方向にある通路へ入っていく彼を見送る。

「ふぅ、とりあえず一息吐けそうだな」

「はい。予想よりしっかりとした場所です。ここならヒューズも休めるでしょう」

「彼には感謝ですね」

「…………」

む……ヒューズを下ろしたゼフが険しい顔で部屋を見渡している。ゼフは護衛の中でも隠密行動や罠の知識が豊富で、斥候役を任せている男だ。それが険しい顔ということは……

「ゼフ、何かあるのか?」

「この部屋、おかしくありやせんか? 罠の類って意味じゃなく、割と長く人が生活をしている痕跡があるのに家具が1人分しかありやせんぜ?」

……野営地として見れば物が少なくともおかしくはないが、よく見ると壁の一部に森の地図や動物の絵が描かれていたり、部屋の隅には楽器が立てかけられていたりするな。

改めて見ると、この部屋は殺風景だがどことなく子供部屋のような雰囲気と生活感があった。そこにゼフの言う通り、一人分しかない家具。確かに妙だ。

「あの少年は1人でここに住んでいるのか?」

「まさか。あの年で従魔術や結界魔法や土魔法を使えるのには驚きましたが、それでもこんな森の中で、一人で生活なんて普通出来ませんよ。奥かどこかに誰か居るのでは?」

「あるいは見た目通りの年齢では無いのかもしれません。エルフには見えませんでしたが……」

カミルやジルと話をしていると、彼と彼のスライムがポーションの瓶を大量に持って来た。

「ポーションです」

「ありがとう、この礼はいつか必ずしよう」

「いや……作れる、ので。いくらでも」

その言葉に私を含めた全員がポーションの瓶と少年を交互に見た後、カミルが驚きで声を上げた。

「このポーション、君が作ったの!?」

声の大きさに少年の体が一瞬ビクリと震えるが、少年はすぐに首を縦に振って肯定する。カミルは少々大げさだが、先程のポーションは町の店で売られている物と比べても遜色(そんしょく)のない物だった。ますます不思議な子だ。

「お水です」

思案していると、少年は我々に石の器に入った水を勧めてくる。中には魔法で作られたであろう氷が浮かんでいて、ほどよく冷えて居るのが分かる。

「ありがとう」

「助かる」

「ありがてぇ」

「ありがとね」

「……そうだ」

「ん? どうかした?」

「名前……リョウマです」

そうだ、我々はまだ名乗りもしていなかった。

「リョウマというのが君の名前か。申し遅れた、私はラインハルト・ジャミール、ジャミール公爵領の領主だ。この度は我が部下の危機に力を貸してくれてありがとう」

「こうっ!? 失礼致しました!」

リョウマと名乗る少年を怖がらせないように柔らかい声を心がけたつもりだが、私が名乗ったその直後、硬かった彼の表情がいっそう強張り、次いで深く頭を下げられる。その動きが言葉に反して妙に洗練されていたことに軽い驚きを覚えたが……

「いやいや、かしこまらないでくれ。君は恩人なのだから。言葉遣いも変えなくていい」

反応を見るに私が公爵家の者だとは知らなかったようだ。とりあえず顔を上げさせるが、困ったように次の言葉を口に出せなくなっている。私は別に失礼とは思っていないが……

そう考えていると、私と同じく彼を見ていたカミル達が口を開く。

「えっと、僕はラインハルト様の護衛で魔法使いをやってるカミルだよ。よろしくね。それからさっきは本当にありがとう。魔力切れで回復魔法が使えなかったから、君が居なかったらヒューズはどうなっていたか……あ、ヒューズは怪我で寝てる人の名前。

それから、言葉遣いは本当に気にしなくていいよ。ラインハルト様は些細な事で怒るような人じゃないからね」

「あっしらみたいなのでも傍に置く人だからなぁ。っと、あっしはゼフ、斥候役をやってる。よろしくな、坊ちゃん。それからこっちが」

「ジルだ、先ほどは剣を向けてすまなかった」

「いえ……警戒、当たり前です」

「そう言って貰えると助かる。……私も貴族だが、警戒はしても君の態度を不快には思わなかった。その、なんだ……ラインハルト様は特に寛容な方だ。普通にしていればいい」

「……ありがとうございます」

カミルとゼフ、おまけに子供に慣れていないジルまでもが怖がらせないように柔らかめの声で言い聞かせると、少年は少し考え込むそぶりを見せて口を開いた。表情からも若干だが険が取れたように見える。言葉はまだ硬く違和感を覚えるが、わざわざ言及する必要も無い。

「休める場所と薬を提供してもらったんだ。礼を言うのはこっちさ」

「問題ないです。でも、何故?」

何故怪我人が出たのかを聞きたいのだろうか? それとも森の奥まで入って来た理由か? そうだな……順を追って説明するとしよう。

「我々は我が家のあるガウナゴの町へ帰るため、この森の外周を馬で迂回している最中に盗賊に襲われたんだ」

「盗賊に……やられた?」

「いや、盗賊の数はそれなりに居たが力量はそれほどでもなかった。急ぎの用で護衛は彼らだけだったから、数で押せば勝てると思ったのだろう。直接ヒューズに怪我を負わせたのは、戦闘中に森から出てきたブラックベアーだよ」

「ヒューズは運悪く斬りあいの最中に襲われてな」

「倒しはしたけど馬が逃げちゃったし、ヒューズの傷の具合が思ったより悪かったから一刻も早く町に運びたくて。それで迂回をやめて森を突っ切ることにしたんだよ」

私、ジル、カミルがそう話すと彼は納得したとばかりに頷く。丁度良い、この流れでこちらも少し質問をさせて貰おう。

「君はどうしてここに? さっき狩りとは聞いたが、それにしてはここにずいぶん長く住んでいるような形跡が見て取れる。それにその年で狩りが出来て、複数の魔法を使い、さらにポーション作りまで出来るのには驚いたよ」

「祖父母から、習った……元、冒険者」

ほう、元冒険者の祖父母が居るのか。

「その2人は出かけているのか?」

そう聞くと僅かに彼は顔を俯かせる。

「亡くなった」

「そうか……すまない」

「いい。3年、前の事」

「「「「3年!?」」」」

「君、何時からここに住んでるの!?」

「3年前に村、出た……僕……よそ者、だから嫌われ者」

排他的な村に居たのか? 多かれ少なかれそういう事はある。場所によっては酷い所もあるが……

「2人、亡くなる前、言いました……別の街へ行けと」

彼はそれから人付き合いを嫌い、祖父母から学んだ生きる術を頼りに放浪し、辿りついたこの森に居を構えて以来この森から一度も出ていないと話した。3年も森から出ていなければ、その間の人付き合いは無いに等しい。

彼は終始言葉遣いを気にしていたが……投獄された犯罪者の中には長期間他人との関わりが限定された生活が原因となり、言語運用能力を衰えさせてしまう者が稀に出ると聞いたことがある。彼の口数の少なさもそれが原因かもしれないな。

「事情は分かった。しかし、このまま森に住み続ける事は勧められない。森には強い獣も魔獣も出る。生きる術を持っていると言ってもやはり危険だ」

「大丈夫。3年、生きてきた」

「しかし」

「そうだ! ちょっと待って」

突然カミルが話をさえぎり、自分の荷物をあさって手のひらに乗る小さな水晶玉を取り出す。

「あったあった、これだよ」

「何? それは」

「これは小型確認水晶さ! これを使えば簡易な身分の保証と一番高いレベルから4つのスキルを確認できるんだよ。これに触れた人が犯罪者なら赤く、罪を犯してなければ青く光る。その後に名前と種族と年齢とスキル4個が映し出されるんだ。これでレベルの高い戦闘スキルを持っていたら、僕は反対しないよ」

なるほど、実力不足を盾に説得しようという腹か。それにあれを使えば……

「分かっ、た」

彼はそう言って水晶に触れようとして、何かを思い出したようにカミルに聞く。

「前、盗賊……襲われたから殺した……罪になるか?」

「本当にそれが盗賊なら、問題ないよ」

それを聞いて納得した様子の彼が水晶に触れると、手元に青い光が点る。盗賊を殺したという話はともかく、彼が罪なき者を殺めた事はない、ということになる。……実のところあの水晶が持つ機能は、厳密には“犯罪者の判別”ではないのだが、我々としては安心できる要素になったな。

そう私が考えてふとカミルの顔に目をやると、水晶を見ていたカミルの表情が一気に青ざめていく。

「な、なにこれ」

「どうし……!?」

後ろから水晶を覗き込んだジルも息を飲んだ。続いて私とゼフも水晶を覗き込むと、問題は彼のスキルだった。

映し出されたスキルは

家事Lv10 精神的苦痛耐性Lv9 肉体的苦痛耐性Lv8 健康Lv7

何だこのレベルは!? 家事Lv10は前例が多くあるのでまだ置いておける。だが、精神的苦痛耐性、肉体的苦痛耐性に健康、しかもこれらは全てLv7以上。一体どんな環境に置かれればこんなレベルになるのか……しかも年齢が11歳という事は、彼は8歳からここに住んでいるという事になる。

「どう、した?」

「え、え~っと……残念だけど、戦闘スキルは出なかったな~」

話すべきはそこなのか!? と言いたい所を堪えたが、目はカミルを見てしまい、気づけば他の2人も同じ反応を示していた。我々はそのまま目で会話を試みるが、誰も話を続けようとはしない。

なぜなら苦痛耐性は苦痛に慣れる事で得られるスキルであり、彼はレベル相応の苦痛を与えられる環境下に居た事が予想される。おそらく思い出したくない事もあるだろう。下手な事を聞いては彼を苦しめる事になりかねない。

青の光とこれまでの行動を鑑みると、不審な点はあるが危険性は低いと思われる。一旦(いったん)この話はやめる事にしよう。

「すまないが、トイレを貸してくれないか?」

「私も行こう」

「あっしも行きやす」

「トイレは奥で……スライム、沢山……襲いません」

「うむ、これでも元従魔術師。君の従魔に手出しはしない」

こうして私はカミルをヒューズの看護に残して先導する彼についていく。すると

「こいつは凄ぇ……」

「ああ……これほど多くのスライムを一度に見たのは初めてだ」

奥に続く通路や部屋には、夥(おびただ)しい数のスライムが自由に床を這っていた。リョウマ君が指示を出して道を開けさせているが、そうでなければ間違えて踏み潰すかもしれない。

従魔術で契約できる魔獣の数には個人差があり、基本的に強い魔獣ほど契約が難しく少数としか契約できない傾向がある。その点スライムは最弱の魔獣だが……この見える範囲だけで数えるのが面倒になるほどのスライム全てと契約しているのか?

「リョウマ君、このスライム全部が君の従魔なのかい?」

「はい。……研究のため」

「研究とは?」

「進化、スライムの」

良くみれば、見える範囲に居るスライムは殆どがただのスライムではない。スティッキースライム、ポイズンスライム、あれはおそらくアシッドスライム。それに2種類ほど種類の分からないスライムも居る、あれらも上位種だろう。

スライムという魔獣は何処でも見つかる。だからその上位種が何処で見つかってもおかしくは無いが、この森での発見報告は年に数度あるかないか。ジルも言ったが、この数の上位種は私も始めて見る。

「魔獣の進化についての研究は従魔術師と召喚術師にとって非常に重要だが、その若さで研究をしているとは大したものだ。全てスライムなのが少々残念といえば残念だが……」

「スライム、ダメですか?」

……私個人としては自力でこれだけの上位種を集め、契約できている彼の熱意と実力は評価できる。だが、スライムに対する世間的な評価は低い。

「こう言っては悪いがスライムは進化しても弱く、従魔術師・召喚術師にとっては基礎を安全に学ぶためによく使われるが、それ以外の価値は無いとされている。

だから大抵の従魔術師は基礎を学んだらスライムを捨てるか始末して次の魔獣、だいたいホーンラビットと契約してしまう。ホーンラビットならば愛玩用としてもそれなりに愛されるからね」

「……世知辛い」

それが11歳の子供の感想か? 

「それが大多数の意見だというだけで、全ての従魔術師がそう思っている訳じゃないさ。少なくともポイズンスライムの毒やアシッドスライムの酸は侮れない。戦力的にはホーンラビットより上にもなる」

「スライム…………便利……役に立つ」

評価が低いと聞いて落胆したかと思ったが、それは違った。彼は全く気にしていない。それ自体は一概に悪いとは言えないが、普通この位の子供ならもっと他者に認められたがる。

素性は不明だが、危険は感じない。むしろ困った我々に手を差し伸べる良い子供だ。しかし、普通の子供でもない。色々な意味で放ってはおけない子だな……