The Marquis’ Eldest Son’s Lascivious Story
Border tourism
「ウィルク市長。どうぞお気をつけて」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
ルームオンが頭を下げ、それにならってコハリィも頭を下げる。
コハリィの長い銀髪がぱさりと音を立てて垂れ下がった。
「留守はまかせた」
俺は兄妹の下げた頭に向かって声をかけ、市長室を後にした。
降伏発表会から2週間が過ぎた。
多少のごたごたはあったものの、ナンボナン市は新体制で順調に稼働を始めつつある。
新組織である市役所は、クオルデンツェが接収した元ナンボナン評議会議員の屋敷のひとつ、コハリィとルームオンの住んでいた屋敷に設置することに決まった。
立派な外観と、立地の良さ、そしてお風呂があることが決め手になったのだ。
いずれはもっと豪華な建物ができるかもしれないが、いまはとりあえずこの屋敷が市長邸であり、市役所本部だ。
市役所と言っても評議会の監視と指導が主な業務のため、住民票を発行したり、結婚届けを受け付けたり、住民を各課たらい回しにして遊ぶような、前世の日本でイメージされるような市役所とは異なる組織だ。
そのため市職員も少なめで、クオルデンツェから出向してきた文官が20名ほど、ナンボナン市で採用した市民の職員が10名ほど、合計約30名の小規模な組織である。
そしてその市職員のほとんどは評議会のあるナンボナン城で仕事をしているので、市長邸・市役所本部であるこの屋敷にいる人間は少ない。
屋敷は市長邸と呼ばれているようだった。市役所本部も兼ねていることを知っている市民は多くないかもしれない。
ルームオンは市職員として採用した。
評議会事務職員から先日聞いたルームオンの評価からしてどう考えても商売を始めて成功すると思えなかったが、市職員には向いてると思ったからだ。
ナンボナンから旅立つ準備をしていた兄妹に市職員で働かないか勧誘の使いを出したら、意外にも乗ってきた。
やはり温室育ちのコハリィを連れて遠い町に行くのは現実問題として難しいとルームオンは考えていたのだろう。
ルームオンを雇えばコハリィも一緒についてくる。これを抱き合わせと考えるか、お得なバリューセットと考えるかは人による。
兄と一緒にいるときの穏やかな笑みを浮かべるコハリィが俺は好きなので、良い買い物だったと思うことにした。
住むところもない哀れな兄妹は、俺の粋なはからいで市長邸の倉庫みたいな部屋を貸し与え、住み込みで働くことになった。
コハリィは市長邸の雑用係として採用したが、やはり一般常識が欠如ぎみのため結構苦労して働いているようだ。
ここ2週間は新しい評議会議員を選ぶ選挙の準備もあってなんやかんやで忙しく、一度もコハリィを抱けてなかった。
お風呂ローションプレイ以来、一度も性交に成功していない。抱き合わせ娘だというのにこれいかに。
降伏公表会以降、アンナはだいぶ俺に馴染んできた感じがある。
あと一歩でめろめろになってくれそうなのだが、その一歩がどこにあるのかいまいちよくわからない。
今度抱くときは甘い言葉でもかけてあげるべきか、考えどころである。
「若様。準備が整いました。いつでも出発できます」
「わかった」
ナンボナン市がそこそこ安定したこともあり、俺は一旦、父に状況を報告するためにニューネリーに帰還することになった。
祖父と一緒に帝国との国境を観光をしてから帰るつもりだ。
「お祖父様。行きましょう」
既に馬に乗って待っていた祖父と轡を並べて市内をかっぽかぽと進む。
俺がニューネリーに戻ることを知っている市民たちがこちらを興味深げに見つめていたので、軽く腕を上げると、わっ、と歓声があがった。
ナンボナン市長の人気は健在のようだ。よしよし。
城壁はだいぶ解体されてきているが、城門のあたりはまだ崩されていないようだった。
門番が笑顔で敬礼をしてきたので、市民を守れるよう頑張れと声をかけておく。
「お祖父様は拠点に到着後はどうされるのですか?」
「む? 築城の進捗を確認しながら傭兵……奴隷の尻を叩いて回る予定だ」
クオルデンツェ連合軍に参加した他家の貴族は、野戦で総崩れになった傭兵を捕縛して奴隷にしていた。
それをその場で安値で購入したのがクオルデンツェ家だ。さすがに元傭兵の奴隷をぞろぞろと自領に連れて帰るのは手間なので、多少安くてもその場で売ってしまうのが楽なのだ。
元傭兵奴隷は今回の目的地である防衛拠点の予定地で要塞作りに励んでいる。
「……拠点を固めねば、動けんからな」
先代当主とはいえ、現当主である父の判断にはさすがに従わざるを得ない。
祖父としては、反吐が出るほど嫌いな帝国の一部の貴族を一日も早く血祭りに上げに行きたいようだが、仕事が終わるまでは我慢するらしい。
見ていてうずうずしているのがわかる。
元傭兵の奴隷たちはきっと早く築城を終えて戦争を再開したい一心の祖父にどやされながら働かされるのだろう。ご苦労なことだ。
クオルデンツェ領は、レヴィオス王国とジンカーエン帝国のちょうど間に挟まれる位置にある。
レヴィオス王国から見ると西部、ジンカーエン帝国から見ると東部にクオルデンツェ領があるのだ。
そのため、祖父が帝国貴族領を襲撃して土地を奪うと、必然的にクオルデンツェ領は西に広がっていくことになる。
これが綺麗な形で領土が広がるのならば良いのだが、実際はそんなことはなく、ブーメランのような形の領地になってしまっている。
ナンボナンを含む一帯を平定したことで、クオルデンツェ領と帝国の境界線は横に長く伸びた。
今後の安定した戦争のためにも守備体制を整えるのは必然なのだ。
ナンボナンから西に進むこと約1日。
ニューネリーからはどんどん遠ざかっていく。
このあたりは山脈が近いこともあり、高低差のある起伏に富む地形をしていた。
山間部とも、谷とも、山沿いともいえるような場所が対帝国最前線の防衛拠点だ。
大河の支流である川が流れていて、これがクオルデンツェ領と帝国の貴族の領地との境界になるという。それはつまり、レヴィオス王国とジンカーエン帝国との国境を意味する。
「あれが帝国の防衛拠点ですね」
対岸を遠目に見れば、軍事基地のような施設がちょこちょこと設置されているように見えるが、城壁で隠されていている部分が多く、どれほどの兵力があるのかはわからなかった。
祖父によると、相手が攻めてくるほどではないが、こちらが攻めるのは難しい程度には兵が配置されているらしい。
クオルデンツェ領側の川岸では、兵と奴隷が黙々と土木工事をしている。
ふと周囲を見れば、資材置き場と思われるところに魔法を弾く特別な石材が綺麗に並べられていた。それはナンボナン市の城壁を解体したときに回収したもので、わざわざここまで運ばれているのだ。
父がナンボナン市で一番欲しかったのは、実はこの魔法を弾く特別な石材、魔絶石。ニューネリー市でも都市圏と城下町を区切る城壁に使用されている、どす黒くて重厚感のある不気味な石だ。
石と言っても、実際には粘土に似た物体なので、叩いても簡単に割れるようなことにはならない。
魔絶石は生産が非常に手間がかかるため、数を揃えるのが難しい。そう簡単に用意できる代物ではないのだ。
父はナンボナン市の城壁にこの魔絶石がふんだんに使用されていると知るや、最前線の防衛拠点に転用することをすぐに考えたらしい。
それにしても、これを大量に用意できたナンボナン市の商業力は凄まじい。そしてそこに惜しげも無く資金を投入したということは、本当に貴族を恐れていたのだろう。
「構築が始まってまだそんなに経っていないのに、随分と進んでいるようですね」
「なに、兵たちも早くこんな作業は終わらせたいのだろう」
祖父が、おそらく隊長クラスであろう兵たちを見ながらそういうと、うんうんとばかりに全員がうなづいた。
てっきり土木作業がつまらないのかと思ったが、どうやら話は違うようで、帝国貴族との戦争を再開したくてしょうがないらしい。
「若様はナンボナン攻略戦が初陣でしたからご存知ないのも無理はありません。普段でしたら制圧した都市はもっと凄惨なものになります。そこに我々や一般兵にとってのうまみがあるのです」
簡単にいうと、ある程度の略奪などが許されるらしい。
ナンボナンは体制維持の方針であったため、略奪関係は祖父により厳禁の通達が出ていた。
なるほど、それは確かに一般兵にとってはつまらない戦争だったことだろう。
「ナンボナンで我々はほとんど戦っていませんので、当然です。実際、将軍と若様の魔法だけで勝利したようなものです。我々は残党狩りしかしておりません」
別の隊長らしき兵が、最初に愚痴をこぼした兵をたしなめるように言った。
祖父もそう考えていたようで、黙って肯首する。
「これからも励め。次の戦いは近い」
帝国の貴族も大変だな。
国境と防衛拠点の見学を終えると、俺は帰路についた。
祖父はそのまま築城の指揮監督をするとのことで、拠点で別れたのだ。
再び1日ほどかけてナンボナンに戻り、食料などの補給を整えてすぐニューネリーに向かって再度出発した。
「若様、さきほどナンボナンに戻られたときはどちらに行っていたのですか?」
「ああ。ナンボナンの名物か何かをお土産として買って帰ろうと思ったんだが、良いものが売ってなかった」
「お土産ですか?」
観光に行ったらお土産を買いたくなるものだ。友情努力勝利と書かれた木板や、木彫りの熊、龍が巻き付いた剣のキーホルダーなどがあれば即座に購入するのだが、あいにくとそんなものはなかった。
まあそんなものをファニィに渡しても困惑されるだけだろうが。
せっかくナンボナンくんだりまでやってきたのだ、何かしらその地方の特色あふれるものを買って帰りたかった。
「ただ、帰る途中の村には良いものがあるかもしれないと聞いてな。そこまで時間はかからんだろうから、寄っても構わないだろうか」
俺はルームオンにもらったこのあたりの地図を副官に渡し、寄り道の是非を訪ねた。
そこまでルートから離れるわけでもなし、問題はないと思う。
「ここならばあまり危険でもありませんし、問題ないと思います」
こうして俺たちの進路がわずかばかり変更になったのだった。