The Marquis’ Eldest Son’s Lascivious Story
Invasion route
王国貴族や帝国貴族から届いた手紙の返事は、実のところそれほど急いで返す必要はない。
対シュピアゼイクの最前線で踏ん張っている相手に手紙を出すのだから、多少遅れるのは当然に許される。むしろ、催促をするほうが無礼である。
そういうわけで、午後はまずロミリエ姫へ送る手紙作りに時間を使った。
ふと気がついたのだが、世が世ならロミリエ姫はヴォイストラ王国の王女だったわけだ。没落した王国のお姫様というのはなんともそそるものがある。血筋に誇りを持つ高飛車な元王女様をチンポで従えることは、男のロマンのひとつではないだろうか。
ただ、そのシチュエーションは犯す側の身分が低いほど活かせるものである。残念ながら今の俺には取り扱いが難しい。
それに肝心のロミリエ姫がそういった高慢ちきな姫とは限らない、不幸オーラ全開の可憐な姫であったとしたらこの腕で優しく抱きしめてあげたいものである。
なんにせよ、ロミリエ姫宛ての手紙を書くことは苦にならなかった。知らない相手から手紙を受け取った場合の返信はほぼテンプレート通りの文面で良いからだ。
これは日本社会でいうなら名刺交換に似ている。当たり障りのない形式的な返事をすることで「これから手紙のやりとりをする関係になります」とお互いに確認しあうのである。
そして何より、手紙とは相手のことを想像しながら書くもの。血統書付きのお姫様を妄想しながら行う執筆作業は、この上なく楽しかった。
モチベーションがフル勃起した俺は、ロミリエ姫宛の手紙を仕上げるやその勢いのまま溜まっていた他の手紙の清書作業に手を伸ばした。
そうしていくつかの貴族宛の手紙を仕上げたところで、夕食の準備が整ったのである。
夕食の席についた俺は、なんとなく手をグー・パー・グー・パーさせる運動をしていた。
午後はほとんど筆を握りっぱなしだったので、気分的についやってしまう。主祖の肉体があればいくら筆記作業をしたところで疲労はほぼ皆無、ましてや腱鞘炎になどなるはずもないが、前世の記憶がそうさせるのかどうにも手に力が入らないような錯覚をしてしまうのだ。
「手をどうかされましたか?」
コキコキ音を鳴らそうと手首を回していると、少し緊張気味に武官のひとりが言葉を発した。
余計なものを見せてしまったことを少しだけ後悔する。
「何でもない。今日は書きものが多かったからな、なんとなく疲れた気分になっただけだ」
「ナンボナン市での決闘の魔力残滓が……」
「そうではない、気分の問題だ。気にする必要はない」
決闘の後遺症が出ているのではないかと心配する武官たちを、俺はまるで気にしていないといった風に軽く受け流し、皿の上に乗ったパンを口に運んだ。
彼らはしばらくこちらの様子を窺っていたが、ほどなく食事を再開していく。だが、一度静まったことで食堂は会話の熱を奪われてしまったらしい。かちゃかちゃと食器のぶつかる音だけが室内に響いた。
妙な雰囲気が漂うのを感じた俺は、自分から話題を振ることにした。
「……決闘はともかく、決戦は近いのではないか? じきにヴォイストラ平野へ軍を進めるのだろう?」
とりあえず武官連中には戦争話を投げておけば勝手に盛り上がるので便利である。
ライシュリーフ城より先に進出するとなれば、大規模な野戦は避けて通れないだろう。しかし、武官達は難しそうな顔をするばかりであった。
「それは難しい問題です。外の要因が強く影響しますので」
その言葉を聞いて、俺は話題の振り方が間違っていたことを悟った。
俺はかつてガリアナ子爵から「クオルデンツェ軍はライシュリーフ城攻略に10年、オセロリア市陥落はさらに5年かかる」という予想を聞いたことがある。ガリアナ家の武官がそんな話をしていたそうだ。
その予想が本当の意味で正しくないのだと気がついたのは、つい最近のこと、ライシュリーフ城を制圧したゴタゴタのさなかのことである。
「外、か……」
陥落15年予想には、高校物理のテスト問題のように但し書きがあったのだ。
問一、クオルデンツェ軍がオセロリア市陥落にかかる年月を予想せよ。ただし他家の動向は考えないものとする……といった具合に。
これはあくまでも戦争当事者間による単純なガチンコバトルのみを前提としているものだったのだ。
「はい。方針によって進軍経路はもちろん、決戦の時期と場所も大きく変わることになります。今の段階ではまだ何も言えません」
クオルデンツェ派閥と旧ヴォイストラの戦争という一面だけで考えれば、おそらくその予想は正しいのだろう。だがそれは所詮は机上の空論、空気抵抗の無い世界で球を落とすようなものだ。現実的には正しくない。
クオルデンツェ家がシュピアゼイク領を喰らうことは、大陸中央部に唯一となる巨大貴族が誕生することを意味する。これまで協力的であった貴族家は果たしてそれを是認するだろうか。
俺は、それは無いと思う。
シュピアゼイク領は領地としての潜在能力が非常に高い。現在は長引く戦争で疲弊しているとはいえ、クオルデンツェ家の下での復興が進めば、かつての力を取り戻すことだろう。つまり「クオルデンツェ+シュピアゼイク=超クオルデンツェ」という単純な足し算が想像できる。王国からも帝国からも危険視されることは間違いなく、普通の指導者であればこれを阻止すべく妨害に動くことだろう。
「レヴィオス家が一番の問題だからな。父様はどう動くか……」
地元志向というか、内向的で保守的な貴族家の行う妨害行為など、たかが知れている。妨害というよりは「邪魔」程度のものだろう。自領から遠い場所で行われる戦争なんて、いわばテレビで見る遠い異国の紛争のようなものであり、嫌だなあと思う程度で当事者意識などないからだ。
しかし、レヴィオス王家は違う。
荒れる大陸東部を治め、80年もの長きに渡って数多の貴族家を束ねてきたレヴィオス家には貴族外交のノウハウ、大陸情勢を読み解くスキルが蓄積している。それらを用いてクオルデンツェ家の躍進を、確実に、妨害してくるだろう。
「若様のご活躍でライシュリーフ城を早期陥落できましたので、方針はこれまでと全く異なるものになるのではないかと思われます」
そして父はいずれくるであろうレヴィオス家の干渉をどう回避するか考え、悩み、行き詰まっていたのだ。
ライシュリーフ城陥落までに時間がかかりすぎると、レヴィオス家に外交工作の余地を与えてしまう。それを避けるためには早期陥落が不可欠であるが、ライシュリーフ城は難攻不落であり容易に落とすことはできない。
戦争では優位に立ちながら、外交的には袋小路に追い込まれていることに、実は父は結構焦っていたのだ。その結果、焦燥感に駆られてミスが重なり、シュピアゼイク家による一大反攻作戦という奇襲を受けることにつながってしまった。……結果として、ライシュリーフ城陥落という大戦果を得ることができたが、これは運が良かっただけである。
父からはそんな懺悔の手紙が届いたのは、ライシュリーフ城陥落後のことであった。
なるほど、武官や文官から15年陥落予想を禁句にされるわけだ。
父が頭を抱えているところに「いや~、あと15年で勝利っすね!」などとのんきに言うのは、もはや挑発である。ある意味、父の外交能力を嘲笑するようなものだ。
「若様はどのように考えられますか?」
「……早期の進軍にはなるだろうな。他勢力の干渉が本格的になる前にオセロリア市さえ押さえてしまえば、あとはどうにでもなるだろう」
俺の答えに武官や文官はそれらしく反応するものの、別の意見を述べることはなかった。なんというか、他家の動向という要素に対する関心の薄さを感じる。
武官や文官の閉鎖性というか、自領しか見ていない視野狭窄、保守っぷりに対しては、正直なところ驚く部分がいくつもある。
15年陥落予想を聞いたときだって、俺は他家の干渉や妨害工作は当然織り込み済みで算出しているのだと思っていた。むしろなぜそれを考慮しないのか不思議に思うくらいだ。
彼らによれば、「領地の隣接する貴族家が干渉をすることはよくあることですが、遠方の貴族家が力を入れて干渉することなどこれまでありませんでした。聖ナヴェンポスの動乱より200年、貴族家同士の戦争とはそういったものです」とのことらしい。旧態依然とした彼らの思考もまた致し方ない部分があるといえよう。
いや、主君から領地を預かりそれを治めることを目的とした貴族・騎士という封建的な制度がそもそも人々の思考を狭める土壌になっているのかもしれない。
軍事侵攻をすれば他の勢力がスクラムを組んでストップをかけにくるという図式は、元地球人なら簡単に想像ができるものである。しかしそれはエルオ大陸の常識にはあまりなかった。
程度の差こそあれど、強い貴族が弱い貴族を喰らうのは当然の権利であるとエルオ大陸の貴族は認識している。直接の不利益を被りかねない近隣の貴族家ならばともかく、遠方の貴族家が干渉してくることはそもそも想定の範囲外だった。
そういった価値観が根付いた者たちに言わせれば「なんで遠くの関係ない奴が口出してくるんだ?」というわけである。
……というよりも、戦乱が続いていたエルオ大陸では遠方の情勢なんて見ている余裕がなかったといったほうが正しいのかもしれない。とにかく自領を守ることで手一杯の時代が続いていたのだ。
しかし、エルオ大陸の時は止まっているわけではない。
レヴィオス王国やジンカーエン帝国といった強大な勢力が生まれ、それに属する貴族家が増えたことで、個々の貴族が武勇を誇る時代から派閥を作り外交によって優位を築く時代へと移り変わって行くことは間違いないだろう。
他勢力の躍進を防ぐために外交によって大規模な干渉を行うのは、これからのエルオ大陸のトレンドになるに違いない。
クオルデンツェ家は今、外交的には時代の最先端に直面しているとも言える。
古い価値観にとらわれることなく早い段階からレヴィオス家による干渉と妨害を予期していた父は、やはり外交センスがあるのだと思う。
これからの時代を生きる貴族には、そういった外交力が求められるはずだ。腕っぷしだけで生きることはできるまい。
沈黙してしまった武官たちに、俺は答えやすいであろう話題を振ることにした。
「では外の問題を考えないとして、だ。オセロリア市を落とすにはどう進むのが確実だ?」
ただし他家の動向は考えないものとする、という条件のついた問いに対し武官たちは即座に反応を示した。
「それでしたらヴォイストラ平野北部に存在する都市をいくつか落とし、そのまま正面から南下すべきです」
「平野北部を制することができればナンボナン市より山道を使った補給が可能になりますので、軍が非常に動かしやすくなります」
クオルデンツェ領の外地は釣り針を横にしたような形になっており、最前線まで食料や武器の輸送するにはそれなりの手間がかかっているのだ。
「以前のようなナンボナン市への奇襲を防ぐ意味でも、平野北部の制圧は有用な策かと」
「……ただ、北部には比較的大きな都市が多いので、攻略に時間がかかることが予想されます」
「なだらかな平原が広がっている地域ですので、野戦が多く発生することになるでしょう。この北部の戦いで敵兵を減らせれば、オセロリア攻めを楽にできます」
日頃からシュピアゼイク領侵攻についてシミュレーションしているのだろう、彼らの語り口によどみはない。
「なるほどな」
それは堅実かつ無難な安全牌のルートであった。
北部制圧コースならば、ナンボナン市から前線に出るのが楽なので、主祖軍を率いるかもしれない俺としてもありがたい。
攻略に時間がかかるという点さえ無ければ、間違いなくその策を選ぶはずだ。
「では改めて聞こう。多少の犠牲はやむを得ないものとして、最速でオセロリア市を落とすにはどう進むべきだ?」
俺が条件を変えると、彼らは打てば響くように答える。
「ヴォイストラ平野西部侵攻です。シキナオン市を足がかりにオセロリア市を強攻します」
ほう、と俺は息をついた。
西部侵攻はかなりリスクのある選択であるにもかかわらず、他の武官たちは異論を唱える様子がなかったからだ。もしかしたら、彼らは薄々そのような指示が届くと思っているのかもしれない。
「なかなか冒険的な策だな。聞かせろ」
武官たちの考えを知りたかったため、俺は彼らの発言を促す。
「最速を求めるのであれば、まず考えるべきは最も落としやすい都市です」
「それがシキナオン市か」
「はっ。シキナオン・ロゼのような若い娘が騎士に就任せざるを得ないほど、シキナオン家は従祖が不足しています。若様もご存知の通り、先の戦いで当代騎士シキナオンは失われました。現在、シキナオンの統治は相当に揺らいでいると考えられます」
女性の騎士というのは珍しくはないが、それほど多くもない。
ロゼのようにうら若い乙女が騎士になっているというのは、家族内の従祖が非常に少ない状態になっていることを意味する。
ほとんどの平民にとって、最も身近な支配者とは騎士である。
民衆は力の象徴である騎士に対して畏怖の念を抱き、同時に安堵している。強い者に従えばよい、という屈折した信頼関係がそこにはあるのだ。
だが、こうも立て続けに騎士が失われてはシキナオン家の力量が疑われることになる。信頼がなくなれば兵を集めるのも困難になるだろう。
「……挟撃の可能性については?」
「やむを得ない危険性と言わざるを得ません」
シキナオン市はオセロリア市の北北西、山岳地帯とヴォイストラ平野の境界に近い場所に存在している。
この山岳地帯はヴォイストラ王国時代からシュピアゼイク家に付き従っているいくつかの貴族家が領地としているため、こちらに進軍すると、山側と平野側の両方から挟み撃ちをされる可能性があるのだ。
「シキナオンの本来の役割は山側からの防衛です。それらの設備を利用できれば多少は対抗できるかと」
「なるほど」
シキナオン市はヴォイストラ平野統一の際にシュピアゼイク家に併合された都市のひとつである。
聖ナヴェンポスから始まった動乱を見た当時のシュピアゼイク家当主……のちの初代ヴォイストラ王は、ヴォイストラ平野統一の野心を抱いた。彼にはその大事業を成し遂げるだけの器量、そして主要都市オセロリアを要しているというアドバンテージもあったからだ。
初代ヴォイストラ王は、広大なヴォイストラ平野を統一するにあたり、山岳地帯の貴族家が平野になだれ込んでくることを警戒していた。そこで目をつけたのが山岳地帯にほど近い都市、現在のシキナオン市である。
シュピアゼイク家はこの都市に軍事拠点を築きあげ、山岳地帯の貴族に備えることとした。このとき、この拠点の長を任された幹部武官の名前はシキナオンという。
後年、ヴォイストラ平野統一にあたって山岳方面を巧みに牽制しその侵攻を防いだ功績が讃えられ、武官シキナオンは自らが守護した都市とその周辺地域の支配を任されることになる。都市の名前がシキナオン市に変わり、騎士シキナオンが誕生したのはまさにこの時であった。
シキナオン市はヴォイストラ王国時代にはシュピアゼイク領でも有数の軍事拠点になっていたため人の出入りも増え、また、従属した山岳地帯の貴族家との交易拠点となったこと、他にもライシュリーフ城方面からオセロリア市に向かう商人の通行ルートのひとつになったことなどが重なり、急速に発展していったのだ。
それが今や、20歳にも満たない乙女が騎士を務めざるをえないまでに疲弊しているのだから、時勢とはわからないものである。
何にせよ、騎士シキナオンのもともとの役割とは山岳地帯の貴族家を警戒することにある。
これは騎士家・シキナオン家の根っこ、アイデンティティーとも言っても良い部分だ。防衛設備は現在も健在であろう。
うまく奪うことができれば、クオルデンツェ軍が挟撃されたとしても少しは楽ができるはずだ。
「やはり、傘下の貴族たちとシュピアゼイク家は結託して攻めてくるだろうか?」
「ライシュリーフ城攻略後から山岳地帯の貴族たちとシュピアゼイク家はどうにも足並みが揃っていないように見えます。……ですが、それでもシキナオン市が我らに占領されるのは嫌でしょう。彼らからすれば、喉元に牙を突き立てられるようなものですから。シュピアゼイクと距離を置きたいと思ったところで、代わりにやってくるのが我らクオルデンツェであることを思えば、多少の不満は我慢してでも結託し、抵抗をするはずです」
シュピアゼイク家をチェンジしたらクオルデンツェ家が来たでござるの巻、という悲惨なエンディングを迎えるのは勘弁だろう。
「……ならば、内通を試みてはどうだ?」
俺は皿の上に乗った厚毛兎と思われる肉を食べやすいサイズにカットしながら、思いついたことを口にする。
「調略をかけるのですか?」
「ああ。父様やお祖父様がシュピアゼイク傘下の貴族家まで皆殺しにしたいのならば仕方がない。だが、もしそうでないのであれば一考すべきだろう。山岳地帯への不可侵を条件に、シキナオン攻めやオセロリア攻めに関与するなと迫っても良いのではないか?」
おそらくだが、父や祖父がぶっ飛ばしたいのはシュピアゼイク家だけだと思う。
肉親を殺された恨みはもとより、シュピアゼイクとクオルデンツェは長年の敵対関係だ。殴れるうちにタコ殴りにしておかなければいずれは寝首をかかれるに違いない。父としてはシュピアゼイク家を可能な限り弱体化させたいはずだ。
もちろん、クオルデンツェの安寧は俺の望むところでもある。
そもそも、山岳地帯の貴族たちなんて滅ぼしたところで旨味はまず無い。むしろ大赤字になるだろう。
ヴォイストラ平野西方の山岳地帯はちょこちょこと鉱物資源は採れるそうだが、それだけだ。食料生産量も少なく不作の年にはシュピアゼイク家に麦を無心することもそう珍しくないという。そのくせお家の数はそこそこあるため、攻めるとなったら主祖軍が何度もぶつかり合うことが想定される。
はっきりいって、骨折り損のくたびれ儲け以外のなにものでもない。
かつてヴォイストラ平野統一を果たしたシュピアゼイク家が山岳地帯に領地を広げることなく、彼らを臣従させたのもよくわかる。かったるかったに違いない。
下手に支配地域を広げると、その土地の魔獣管理という責務が付きまとうため仕事が増えてしまうのだ。苦労に見合う利益があれば良いのだが、どう考えても割には合うまい。
父は割と損得勘定はしっかりしているので、山岳地帯へ攻め込むような愚は犯さないはずだ。
「せっかく内通するのであれば、時期を見てシュピアゼイク家を裏切らせれば良いのではありませんか? 不干渉の約定ではいつ反故にされるかわかりません。常に背後に危険を抱えることになります」
「同感です。調略を仕掛けるのであれば、シキナオン攻めの際は我らの側に立たせて参戦させ、後戻りができない立場に追い込むべきです」
「ひとつ転べば連鎖して傘下がすべてひっくり変えるかもしれません。そうなればオセロリア攻めは挟撃の形に持っていきやすく、非常に有利です。やはり、誰の目にも明らかな裏切り行為をさせるべきでしょう」
武官たちは俺の提案した消極的な裏切りは好みではないようで、積極的な裏切りを強く主張する。
確かに、現場で戦う彼らからすればいつ元サヤに収まるともわからない不干渉レベルの裏切りに不安を覚えるのも無理はない。
オセロリア市を手に入れる確率を少しでも上げるためであれば、彼らの言う通りにしたほうが良いのだろう。
「お前たちの意見はもっともだ」
俺はゴブレットに入ったお茶を口に運んだ。これから彼らに自分の考えを聞いてもらうため、喉を潤したのだ。
「……だが、それでも俺は不参戦にとどめておくべきだと思う」
彼らは、武官として正しい判断をしているのだと思う。
だが、俺は武官ではない。
「お聞かせください」
武官たちが、かしこまった姿勢でこちらを見る。その目は真剣で、視線が突き刺さるようであった。
俺はまず、山岳地帯の貴族家を倒して領地を得ることがいかに不毛であるかを淡々と述べ、彼らと意識を共有する。
これに関しては彼らも全く同じことを考えていたようで、ただの確認にとどまり特に異論は出なかった。
「山岳貴族たちは、どこかの大勢力に依存しなければ生きていくことが難しい。今はシュピアゼイク家に服従しているが、これが弱体化すると、果たしてどうなるか……」
彼らは強いリーダーが必要だ。山岳地帯の小さな領地しか持たない貴族たちにとって、食料生産力と経済力のある大貴族との関わりは必要不可欠である。
これまでその役割を果たしてきたのはシュピアゼイク家であるが、仮にオセロリア市が落ちた場合、その関係を維持することはできるだろうか。もちろん答えは否である。
「連中の力を借りてシキナオン市やオセロリア市を落としてみろ、周囲からは新しい親分だと認識されかねんぞ」
裏切る見返りに、彼らはクオルデンツェ家の傘下に入れてくれと要求してくるかもしれない。これを断ったとしても、実際に共闘をしていたら周囲はクオルデンツェ家が彼らのボスになったのだと認識するだろう。
「連中の領地を介して帝国直轄領に隣接することになる。このことに対して皇帝が危機感を抱くかもしれない。連中には緩衝材になってもらう必要がある」
現皇帝・フェロルト帝から見ると、遠くに位置していたクオルデンツェ家がすぐ近くまで迫ってきたと感じてしまうだろう。
これまで帝国分裂を恐れてろくに決断ができなかった優柔不断帝であるが、これをきっかけに暴走を始めるかもしれない。
戦後、過剰な警戒心をフェロルト帝に持たせないためにも、山岳地帯の貴族がクオルデンツェ傘下に入ったと思われないほうが良いと思うのだ。
それに、新規獲得した領地だけでも相当な広さになるため、それを完全に我が物とするには相当な時間がかかるだろう。クオルデンツェ家はいわば大きな獲物を飲み込みツチノコみたいな形になってしまった蛇である。その状態で戦争が起きても満足に動くことはできまい。
「なるほど……」
「確かに、外地が安定するまで新しい戦争は避けたいところです」
「山岳地帯の貴族家とは不干渉路線を貫くということでしょうか?」
その質問は、話を続ける良い助け舟になった。
「いや、それはどうだろうな。ヴォイストラ王国が西方の守りを固めるために連中の臣従を許したのだから、情勢によってはそれを踏襲するのもひとつの手だと思う」
ヴォイストラ王国の外交方針や統治機構は様々な面で優れており、ジンカーエン帝が登場しなければ大陸中央部の覇者となっていたであろうと高く評価されている。良い手法はどんどん取り入れていくべきだ。
新領地の統治が安定し、十分な余力ができたら傘下に迎えて取り込むのも悪くはないと思う。
「……それを考えると、ますます連中にはあからさまな裏切りをさせるわけにはいかないな」
「と、言いますと?」
「情勢が悪くなれば主家を裏切り、積極的に攻め込む……そんな前科のある連中を傘下に組み込むのは将来の禍根になる。クオルデンツェ家が劣勢に陥ったとしたら、連中はすぐに見限り、反旗を翻すことになるだろう。前例というのは、それほど重いものだ」
世襲制の世界において、前例の影響は非常に強い。それはエルオ大陸でも例外ではないだろう。
クオルデンツェ家の誘いに乗って劣勢になったシュピアゼイク家を見限り攻め込んだおかげで生き残ることができた……彼らの家にそんな歴史を残すのはよろしくない。
将来、クオルデンツェ家の力が弱まりどこかに攻められた際、山岳貴族たちは過去の前例に倣って早々と裏切ることも考えられる。
「やはり、不参戦を強要するほうが良いな」
消極的な裏切りは「本当は出陣したかったけれど軍が疲弊してできなかった」などと言い訳がしやすい。例え裏でクオルデンツェ側から圧力があったとしても、真相は闇の中である。彼らもわざわざ不作為の裏切りをおおっぴらにするとも思えない。
彼らを傘下に加えるにあたっても「うちに協力したから子分にしてやる」というよりは「よくぞ最後まで主家を裏切らなかった。その忠誠心をたたえ、臣従を認めよう」としたほうが良い。そうすれば彼らの家の歴史には「劣勢でも主家を裏切らなかった忠誠心が評価され、生き残ることができた」という虚偽の前例が生まれることになるのだ。
そうして時代が過ぎるほどに不作為の裏切り行為は歴史の闇へと消えていき、忠臣ゆえに生き残ったという美談だけが残る。
世代を重ねるほどに、クオルデンツェ家を本心から主君と仰ぎ、例え主家が劣勢に立たされたとしても決して背くことのない忠義の心を持つ子息が増えていくだろう。そう、主家を裏切るという「前例」など存在しないのだから。
すると武官のひとりが、俺の意見に賛同を示した。
「シュピアゼイク攻めで下手に武功を上げられては戦後が面倒になりそうですね。若様のおっしゃる通り、不参戦を強要するあたりが無難かもしれません」
「確かに、お前の言う通りだな。連中に活躍されてはやっかいだ」
積極的な裏切り、要するにクオルデンツェ家の明確な指示に従って戦わせるというのは、もはや暗黙のうちに主従関係が存在すると言っても良いだろう。彼らからすれば当然、働きに見合うだけの恩賞を期待するはずだ。
多少の武功であれば「お前いままで敵対してたくせに今回の裏切りだけで挽回したつもりか? プラスマイナスゼロ……いや、まだ若干マイナスだな。滅ぼされないだけありがたいと思えよ、じゃあな」と、うまい具合にヤリ捨てができるかもしれない。だが、大活躍をされてしまうと主従関係の確認を拒否できない可能性があるのだ。
オセロリア市を制圧するだけで周囲からの警戒度が爆上げ必至だというのに、そこで山岳地帯の貴族家までぞろぞろと傘下に収めてしまっては外交チャンネルは一触即発、クオルデンツェ家は大変な舵取りを迫られることになるだろう。
一方、消極的な裏切りであれば容易に主従関係の確認は拒否できる。彼らは、何もしなかったのだから。
「……少し話が飛躍しすぎたか。茶がぬるくなってしまった」
思うがままに語った俺は、再び茶に手をつける。
実際には大勢が決した時点で山岳地帯の貴族家が何かしらアクションを起こしてくる可能性は高く、そううまくことが運ぶとは思えない。これこそ机上の空論と揶揄されても仕方のない話である。
それに武官の言う通り積極的に裏切りをさせたほうが対シュピアゼイクの戦争に関しては有利に進めることができるだろう。父はこのあたりをどう判断するのか、山岳地帯に関してどういった方針を取ることを考えているのか、一度ニューネリー城に戻って話をしてみたいものである。
「いえ、とても良いお考えであったと思います。我々のような武官は、目の前の戦闘や作戦を遂行することを第一に考えてしまいます。若様は次期当主となるお立場、我々より広い視野でクオルデンツェの将来をお考えください」
「ああ、お前たちの考えも面白かった。今後の対シュピアゼイクについてはニューネリーに戻って父様と話をしてみたいものだ。……さすがに手紙でやり取りはしたくないからな。今以上に机に封筒が増えるのは勘弁だ」
最後にオチをつけることで、シュピアゼイク攻めの話は終わった。
夕食も終わりかけた頃、食堂の扉が静かに開いてひとりの武官が入室した。
彼は扉付近に立っていた文官に耳打ちをすると、すぐに食堂を出て行く。はて何の連絡だろうとぼんやり見ていると、その文官は俺に近寄り、耳打ちをした。
「ナンボナン市より、ご所望の花が届きました」
シキナオン攻めの準備が整ったようである。
戦場はベッドの上だ。