「……カラム。頼むからそれ以上は酔うなよ……?」

アランの探るような声に、カラムはテーブルに叩きつけたジョッキの音だけで答えた。

昨晩の祝勝会に続き、今晩まで飲もうとする騎士など殆ど居ない。更に言えばいつもはそれを窘め、休めと悟らせる側にいるカラムの方が率先して酒を仰ぐなど珍しいことだった。

自室に酒を持ち合わせない為アランの部屋に訪れてすぐに酒を仰いだカラムに、エリックも半笑いのまま固まった。不穏を感じ取ったアランに道連れにされたエリックだが、今は呆然と二人を見比べていた。いつもはアランが酒を仰ぎ、そしてカラムが窘めるというのに、今はカラムが酒を仰ぎ、アランが止めに入っている。

部屋に入るまで全くいつもと変わらなかったカラムだが、彼自ら酒に誘われた時点でアランは嫌な予感がしていた。今もカラムに気付かれないようにこっそり酒に水をダバダバと混ぜて提供している。

「エリック。カラムが酔ったら全力で逃げろ。」

大袈裟なアランからの言葉に、エリックはいえいえそんなと苦笑う。

むしろ酔ったといえば、既に目の前のカラムは酔っている方だと思う。基本的に酔うまで飲まない、そして周りが飲み過ぎないように配慮するカラムが、今はぐったりとテーブルに項垂れているのだから。

騎士団での祝勝会でも昨晩の祝勝会でもこんなにぐったりするまで飲んだ姿は見せなかった。カラムの酔った姿を見るなど、それこそ近衛騎士の打診をステイルから受けた時以来だと思う。そして今日のカラムはその時よりも更に潰れていた。

酒の味には詳しいカラムが、今は水を混ぜられた酒にすら気付かない。舌よりも思考が忙しく、味わうどころではなかった。

「……それで、結局あの噂は何だったのでしょうねぇ。」

「な〜?〝騎士団長に隠し子〟とか。噂が変に拗れていくらか面白い方向にいってたし。」

さっきまでの話の続きを投げ出すエリックに、アランもすぐ返す。

カラムが酒を飲む量が増えるに比例してアランはジョッキを傾ける数が減っていた。カラムの気を紛らわせるようにエリックと話をしながらも意識はずっと無言で酒を仰ぐカラムに向いている。

近衛騎士を交代してからプライドの就寝時間まで見送り、夜に騎士団演習場に二人が戻ってきた時には既にその噂が広まり、鎮火された後だった。全員睡眠不足の騎士達の頭で、様々な噂と推測が混ざり、広がり、アラン達が聞いた時には既に原型を失いかけていた。

「あ〜、騎士団長から派生して〝アーサーに隠し子〟ですか?流石にあれはアーサーも困ってましたねぇ。」

「いやでもそれより〝ステイル様が騎士団長の隠し子〟の方が笑ったなぁ。」

ステイルとアーサーが友人だという事実から派生しての噂だった。

騎士団長に隠し子がいる、から元々庶民の出だったステイルの正体が、という噂は聞いた瞬間、アランは大爆笑した。エリックも結構上手くできていると思ったが、敢えて何も言わなかった。下手に騎士団演場の外でこの噂が広がったら、大変なことになるなとその危機感の方が強かった。

「まぁあの二人は義兄弟といえば義兄弟みたいなとこがありますけれど。」

「あとはー……ああー、〝ハリソンが実の兄〟みたいな噂も笑った笑った。」

アーサーとハリソンがまた決闘まがいの乱闘をしていた為の噂だった。

ステイルに続きハリソンまでもと。噂を広げられた騎士団長であるロデリックには頭の痛い噂だった。

「でもまぁ一日で噂が冷めて良かったよな。本当に騎士団長に隠し子なんているわけねぇし。」

「騎士団長が良い父親なのはもう周知の事実ですから……。」

グビリと喉を鳴らして酒を飲むアランにエリックも笑いを返す。

悪い噂の一つも立ったことのないロデリックの噂だからこそ、珍しさもあり騎士達の間で広がり憶測も立ったが、誰一人それを本気にする者はいなかった。爆発的に広まりこそしたものの、演習場内で全てが収束し、他に漏洩しなかったのもロデリックの人望が大きい。

「実際はアーサーの秘密をうっかりプライド様に話してしまったのを黙っていただけなんですよね?」

「それ知って騎士団長室まで殴りに行くとか……よっぽど隠したいことだったんだろうなぁ。」

それが、副団長であるクラークが全員に言い回った〝事実〟だった。

その場に居合わせたクラークからの証言であることと、更にはロデリックもアーサーも口裏を合わせた為、それが騎士団内での事実となった。

昨晩のプライドとの祝勝会でアーサーの父親であるロデリックがプライドに彼が隠していた秘密を話してしまい、それを今日の近衛騎士中にプライドがアーサーに話してしまった。そして、怒ったアーサーが騎士団長室に乗り込み、壮大な親子喧嘩を始めた。更には喧嘩を終えた後には、ロデリックに剣を向けたことでそれを知ったハリソンに今度はアーサーが猛攻を受けた。

騎士団の全員が、最終的にはそれで納得をしていた。

一体どんな秘密かと、考えればアランの頭の中にはアーサーが大事にしていた包みを思い出す。当時、騎士団を飛び出したアーサーがアランに持ってきて欲しいと頼んだ品だ。中身は見ていないが、あれこそアーサーの秘密の塊なんだろうなと頭の中だけで思う。

「俺も見たかったな〜騎士団長対聖騎士の乱闘戦。」

「騎士達も声を聞いただけで戦闘は見なかったらしいですよ。アーサー曰く副団長が途中で仲裁したそうですし。」

エリックの返事にハハハッと笑いながら、アランはまたジョッキを一口だけ傾ける。

そして、……さっきから自分達の会話に一度も入ってこないカラムに今度は顔ごと目を向けた。エリックも同じことを考えたように視線を合わせる。

二人の視線の先では、またカラムが薄められた酒を無言で仰いでいた。いつもなら必ず会話には付き合い、興味がない話題でも相槌は打つカラムが未だに何も発しないことが逆に怖い。

クラークの話では近衛騎士中にアーサーの秘密が露見したという話だが、そうであるならば一緒にいたカラムも当然知っている筈だ。酒を仰ぎ出すまでは全くいつもと変わらず振舞っていたカラムが、こうも豹変すると流石に心配になる。エリックも思わず「カラム隊長、そろそろお酒より休まれた方が……」と声をかけるが、それすら答えない。

「なぁカラム……そ〜ろそろ部屋に戻った方が良くねぇか?明日も演習あるんだし……。」

いつも自分がカラムに言われていることを逆にアランが返してしまう。

カラムが言わないのであれば、二人も彼が呑んだくれる理由は詮索はしない。しかし、カラムにしては珍しすぎる姿にどうすべきか考えあぐねてしまう。カラムのジョッキに酒が無くなり始めたのを確認し、アランがまた別のジョッキに酒と水を足していく。試しに「水飲むか?」と明るめの口調でグラスも突きつけて聞いてみたが、やはりカラムが手に取ったのはジョッキだった。酒が二割程度しか入っていないことにも気付かず、遠慮なく仰いでいく。これが全て酒だったら、とっくにカラムは限界を超えていた。

カラム自身、酒を呑んではいるものの酒自体を楽しみたいわけではない。今日のことをアランやエリックに相談しようとも思わなければ、相談してはいけないとも思っている。アーサーが父親であるロデリックに直談判で猛抗議した理由も痛いほどわかるし、噂を早々に鎮火してくれた副団長のクラークには感謝しかない。

騎士団長がプライドに話してしまった、ということで、まさかアーサーがプライドの選んだ婚約者候補だったという発想にまで行く者はいない。そして自分も出来る限り平静を保ち続けた。しかし、演習が終わった今はどうしようもなく

……思考を、潰したい……。

それが、カラムが酒を仰ぎ続ける理由だった。

今まで、どのようなことがあっても思考を放棄したことはなかった。上限を計り間違えて酒に溺れたり潰れてしまうことはあっても、自ら酒に逃げようとしたことなどなかった。

しかし、今初めてカラムは酒に逃げたくて仕方がない。酒以外で自分の思考を潰す方法が見つからない。このままでは寝ることもできずに朝を迎えるだろうと思えば、いっそ酒の力を借りて思考を強制終了させてしまいたかった。

プライドの婚約者候補の残り二名。本来ならば婚約者候補の一人である自分が最も知ってはいけない情報だった。婚約者候補同士の家での争いや潰し合い、競争相手を減らす為の暗殺などを防ぐ為に。

実際、ボルドー家子爵としてステイルの誕生祭から式典に出席するようになってから、カラムも城外に出た時に闇討ちに遭ったことは普通に何度かある。全員返り討ちにし、兄には馬車での移動と両親には家から出ないようにと注意をして今日まで事なきを得ているが、やはり婚約者候補の椅子を狙う者は多い。

それでもまだカラムが予想したよりは少ない方だった。自分がボルドー卿として出るようになった式典の日から、自分以外にも婚約者候補が誰だという噂や情報がいくつも錯綜したのが大きいだろうとカラムは思う。多くの貴族や他国の王族の名で、彼こそが婚約者候補という噂をカラムもいくつか耳にしたが、そこにはステイルの名も、当然ながらアーサーの名すら一度も浮上しなかった。そして浮上しなくて良かったと心から思う。

ステイルはさておき、アーサーは騎士団長子息とはいえ庶民。もし、自分を闇討ちしようとした輩がアーサーのことを知ったら、彼の実家すら危うい。小料理屋という客商売をしているというのならば尚更だ。いつ何時襲われ、人質にされてもおかしくない。下手をすれば妙な嫌がらせや営業妨害、嫉妬ややっかみを受ける可能性もある。

勿論、カラム自身はそんなことをしようとは思わない。両親には当然、兄にも話すつもりはない。寧ろアーサーとステイルも婚約者確定まではどうかこれ以上は隠し通して、無事でいて欲しいと切に思う。

……婚約者候補が、ステイル様とアーサー、そして私だったなど。

ある意味、納得といえば納得だった。

王族の婚約者となる人間に自分が候補として入れられたのならば、ステイルやアーサーにも確かに頷ける。二人がプライドのことを心から慕い、大事にし、命を懸けて守ろうとしていることも知っている。そしてプライドにとっても二人は間違いなく掛け替えのない存在だ。

婚約者候補のリストに加わってさえいれば、間違いなくプライドが彼らも候補者の一人として望むとも思える。自分が婚約者候補に並ばれた理由と同じ理由で考えれば余計に納得もいく。

しかし、そこで問題が一つだけ残る。

それこそがカラムを酒へ逃げたくさせる要因そのものだった。今もいくら酒を呑んで仰いで思考を塗り潰そうとも、どうしようもなく頭に過ぎり、一気に現実へと引き戻る。今だけは自分が酒に弱ければ良かったのにと心から思う。誰かこの疑問に答えてくれと思うが、答えられる人物など世界中探してもきっと一人しかいない。

……プライド様の〝本命〟は誰だ?