「……ジルベール。手が止まっているぞ」

プライド様の誕生祭から、明日で早二週間。

王配であり、我が友でもあるアルバートからの言葉に耳を傾ける。気が付けば纏めていた書類を揃えたまま固まってしまっていた。すまない、と一言謝罪し、また別の書類の山へと目を通す。

プライド様の築き上げて来られた学校制度。そして我が国のプラデスト学校開校まであと三週間もない。教職員も全て配備も終え、確定した。専門職の職員と民に関しても、採用が決まった者にはその場で改めて細かな職務内容について説明も済ませた。

書類上では残す問題は初日の開校式くらいのものだろう。私の方で諸々と問題がないように配備はさせたが、実際に動かせば意図せぬ綻びは当然あり得る。本来ならば私の方が潜入して教職員の動きを確認したいものだが、そうもいかない。……それに。

「あと二時間でステイルとティアラが来る。それまでに見られたくない書類は片付けておけ」

自身も手を動かしながら、書類内容を確かめる彼の言葉に思わず息を止める。……やはり彼は聡い。

どこまで気付かれているのかは知らないが、とりあえずは礼だけを返した。敢えて指摘をしてこないということは、彼も共犯ということで良いのだろう。確かにこの書類はお二人のどちらにも見られるわけにはいかない。

まだ二時間の猶予はあるが、目を通し終わったそれを私は引き出しに纏めて仕舞う。代わりに開校式の書類を一枚一枚確かめる。こちらの書類はアルバートにも許可印を貰う必要のあるものだ。一枚一枚改めて目を通しながら、私は彼に口を動かしてみる。

「ステイル様は宰相業務も今では順調だな。このまま摂政と宰相業務両方できてしまえば私の仕事がなくなってしまう」

「寝言は寝てから言え。大体、ステイルがお前から学んでいるのは宰相業務ではなく、補佐とはいえあくまでも王配業務だ。ティアラが習得するまでも時間は掛かる」

整然と語る彼の言葉に私も相槌を打つ。

彼もまた、今は開校式に向けて招待客や来賓、そして何よりも受け入れる生徒への対応指示を確認していた。更には上級層の体験入学志願者においての入学期間と優先順位も整理している。今回の学校はフリージア王国内の一般の民向けの学校な為、ヴェスト摂政よりも王配である彼の方が仕事も多い。

ステイル様は、ティアラ様が王配業務も担うことが決まった後も、変わらず摂政業務と並行して王配業務を学ぶ為に私の元へも来られていた。摂政業務も板についてきたとはいえ、まだ彼も道半ば。ティアラ様が王配業務を学ぶ為に尽力することが決まった以上、続けるにしても無理に並行する必要はない。

しかし、彼の意思は強固だった。理由の一つは、ティアラ様が王配業務を学ばれるのがプライド様の戴冠に間に合うかの保証がない点。ティアラ様は誓って優秀な王女ではあるが、ステイル様やプライド様ほど脅威の学習能力でもなければ、時間もどれほどあるかはわからない。一年二年程度で摂政業務を問題なく習得され更には王配業務まで手を伸ばしてしまうステイル様や、一度学ばれたことをすぐ習得するプライド様のように年月を掛けて公務に触れてもおられなかった。常人、そして優秀な人材であっても通常は女王も、王配も摂政も、片手で数えられる程度の年月で完全に習得しきれるものではない。

だからこそ、ステイル様の役目は大きい。

ステイル様が少なからず王配業務を補佐できるほどに理解されていることで、ティアラ様の補完も可能となる。当時、彼が摂政業務に早々に取り掛かりたいと望んだ時に想定していた通り、お陰でプライド様がいつ戴冠され、婚姻されても問題なく世代交代することが可能になる。ティアラ様が完全に王配業務を習得しきる前であろうとも、ステイル様が宰相である私と共にお支え下さるのだから。

そう思うとうっかり口元が緩んでしまう。口の中を噛んで堪えたが、抵抗も虚しく書類に視線を注いでいる筈のアルバートに「私の子どもで惚気るな」と窘められる。……彼はこの国の出身ではないが、心を読む特殊能力者ではないかと時々思う。

「ティアラも、私の補佐に付くようになってから順調だ。もともと理解も飲み込みも早い。お前やステイルに苦労を掛けることも多くはないだろう」

「ああ、知っているよ。ティアラ様もお二人と同じ優秀な王族だ」

「甘くするな。今のお前はプライドにも甘いが、ステイルやティアラにも甘い。私がいなくなった後にも決してあの子達を甘やかすな」

自分で褒めて置いて私には許さない。……今後のことを考えて口を結んで黙せば、彼は吊り上がった眼差しを私に向けた。

書類から顔を上げ、眉を中央に寄せる彼の顔は何度見なれても怒っているようにも見える。

「今回の学校〝視察〟もそうだが、……お前が私達以外に特殊能力を教えるのは初めてだろう。その力が知られたらどうなるか、使う前にプライド達にもよく聞かせておけ」

……どうやら、私の身を案じてくれているようだ。

今回、私自ら特殊能力を使うと進言したが、実際はプライド様達には六年前に知られている。私の特殊能力が広まれば、不老を望む他国の権力者に狙われ、不要な争いを産む。だからこそ、ずっと隠し通して下さった力だ。勿論、あの御方々以外にはこれ以上知られるつもりはない。しかし、プライド様の御身を守る為。そして民の為ならば全てを振るいたい。

「ああ、……ありがとうアルバート。重々身に刻んでおくよ」

なら良い、と。

そう返してくれたアルバートは、深い息を吐いてから再び書類に目を落とした。

それに合わせて私は通し終えた書類を整えてから、彼の机に置く。印を、と一言添えれば頷きが返ってくる。続けて新たな書類を手に取れば、今度は来週辺りに行われるであろう歓迎会と城下の民への報せについてだった。彼は、プライド様の学校潜入の為の大事な協力者の一人でもある。滞りなく喜んで頂けるように采配を尽くす為にもと私は一枚目から書類を開いた。

アルバートはまだ、プライド様が学校潜入することにも不安はある。当然だ、つい数ヶ月前にプライド様の身に何があったかと思えば不安に思わない方がおかしい。女王であるローザ様も同じだろう。

しかし、それでも新機関である学校と、同盟共同政策の学園、そして我が国の民を捨て置くわけにはいかない。予知したのがプライド様である以上、いまはあの御方の目と記憶に頼るしかない。こう思うと、他者にも予知を見せるというティアラ様の特殊能力は過去の予知能力者よりも利点が大きい。言葉だけでなく、誰もがその予知を目にして確認することができるのだから。……プライド様が予知されたという、アダムとティペット嬢の影も。

気が付けば、奥歯を噛み締めたまま力が入っていた。アルバートもローザ様もその危惧に関しては知らない。そして知れば、プライド様やステイル様を城外に出すことすら躊躇われるだろう。ラジヤ帝国を問い質したいが、ひと月も掛かる遠くの国で更には広範囲の支配下国を持つ彼らではどこに潜んでいるかもわからない。

アダムが死んでいるとされているならば、本国以外でもあり得るだろう。少なくとも崩落前からあの怪我だ。暫くは療養の筈だが……。…………いや、たとえそうでなくとも。

「…………大丈夫だよ、アルバート。私達が必ずプライド様も民も御守りすると誓おう」

真実を知らない、お前達の分も。

そう念じながら語れば、予想以上に感情が声に乗った。眉を寄せたアルバートは私を今度こそ訝しむように睨んだが、今度は窘めない。暫く手を止め、何かを考えるように無言を貫いた彼は私の声につられたのか、先程よりも遥かに柔らかな声を掛けてきた。

「…………〝あの御方〟の、期待と信頼を裏切るな。プライドを守れたところで、お前に何かあっては私もローザも喜べないぞ。」

叱るような口調で、嬉しいことを言ってくれる。

ありがとう、と感謝を伝えればアルバートは返事の代わりに書類をめくる手を再開した。

……勿論、わかっている。

プライド様を守れたところで、私に何かあればプライド様(あの御方)は必ず悔やまれる。あの御方を本当の意味でお守りするには、あの御方だけではなくその周囲も守らなければならない。いや、それだけでも足りない可能性もある。

民一人でも己の責で不幸になれば、プライド様はまた失意に堕ちてしまわれるかもしれない。

その為にも今は、全てを守らなければ。

学校制度は捨てられない。この制度が進めば、城下以外にも国内全土の民が未来を掴み、貧困に嘆く民が、死をも避けることもできるのだから。私のような人間が宰相までのし上がれたように、地の底から這い上がる手を増やすことができる。その手の数に切り捨てられてよい者などいない。

ならば、プライド様の予知した未来を変える為に、私も最善を尽くさなければならない。

「……ところでアルバート。私が潜入するとすれば、教師と生徒どちらが良いと思う?」

「私を過労死させるつもりか。宰相のお前にそんな暇などない。が、……行くなら宰相としての訪問か、もしくは面影がない程に子どもか老人だ」

「その時は休息日を学校の日と合わせないといけないな」

「マリアとステラを疎かにしたら拳一つでは済まないぞ」

それはわかっている。

マリアも身籠ってから今は体調も大分良い。何より、マリアが帰国してからは私も毎日屋敷へ帰る日々に戻っている。

プライド様の御身を守る為に愛する妻や娘を疎かにしては、アルバートに殴られるどころか今度はステイル様に殺されてしまう。それに私自身そうなるつもりは全くない。しかし同時に、……妻や娘を理由にしてプライド様方を手放すつもりもない。プライド様を御守りして下さるステイル様とアーサー殿も私の恩人に変わりないのだから。

ステラと、そしてマリアのお腹の子どももいつかはきっと学校か学園に入学させたい。単に教師に教わり侍女と触れ合うだけではない、彼女らにもより良い経験と人生を送って欲しい。外に出て、他者と関わることで人生は驚くほどに変わり、色付くこともあるのだから。

今は中級層以下の子どもが優先される学校だが、数が増えて浸透すれば近い内に上級層の子どもまでも入学させることはきっと可能になる。いっそ上級層のみの学校を作るのも手だ。最低限の規則さえ守れば個人の運営する学校を認めるのも良い。

フリージア王国は豊かで広大だ。だからこそまだ、より良くなる余地は充分にある。来年に同盟共同政策の学園が開校すれば、特殊能力者への他国からの理解もきっと深まり広まるだろう。百年先、千年先には〝学校〟という制度が浸透しきっていれば良い。より多くの民に教育と生活の提供が当然になれば、国も豊かになる。

「勿論だ。もう私は大事なものを間違えたりはしないよ。……絶対にね」

そう告げてから私は一度彼の部屋を出る。

来週の為にも、これから衛兵達に再度城下への言い渡しと従者と侍女達に王居内の宮殿の再度確認を指示すべく自室へ向かった。部屋の外に構える衛兵の一人に、これから指名する者を私の部屋へ向かわせるようにと伝える。

「念入りに告知と確認を。……貴女方に国の未来がかかっていると思ってお願い致します」

学校制度、民、王族、家族、プライド様、その全てを守り抜く為にならば何でも捧げ、尽くして見せる。

民の為、国の為、王族の為に生き続けることこそが、あの御方が下さった私の贖罪なのだから。