The Novice Alchemist’s Store

5-16 Retired Collectors

翌朝、荷車をレオノーラさんに預かってもらった私たちは、引退した採集者であるマーレイさんを探して、サウス・ストラグの町を歩いていた。

サウス・ストラグはヨック村とは比較するのも馬鹿らしいほどの都会。

本来、こんな場所で一人の人間を捜すことは、非常に困難。

でも今回に限っては、幸いなことにフィリオーネさんからおおよその居住地の情報が得られていた。

いや、正確に言うなら、フィリオーネさんの努力の甲斐あって、なんだろうね。

事前に『マーレイという引退した採集者を探している』ということも伝えていたから。

だとしても、数日で目星を付けられるフィリオーネさんの情報収集能力は、凄いとしか言いようがないけどね。

「話によるとこの辺りのはずだが……」

「あっ、あの家じゃないですか?」

フィリオーネさんに教えてもらったエリアでしばらく聞き込みをすれば、マーレイさんに関する情報はすぐに集まった。

それを元に見つけたのは、こぢんまりとした一軒家。

小さな庭と、私のお店の半分ぐらいの建物。

持ち家か、それとも借家か。立派な家と言うほどではないけれど、きちんと手入れの行き届いたその様子からして、まあまあ成功した採集者なのかもしれない。

――もっとも、生きて引退できること自体、採集者としては成功者の部類なんだけどね。なかなかに危険の多い職業だから。

「御免ください!」

その家の扉をノックして待つこと暫し、出てきたのは禿げ上がった頭と、白く立派な髭を蓄えたお爺さんだった。

経てきた年月は皺としてその顔に刻まれていたが、しっかりと伸びた腰と貧弱さを感じさせない身体は、採集者としての往年を感じさせる。

そんな矍鑠(かくしゃく)としたお爺さんは、突然訪問した私たちに訝しげな視線を向け、口を開いた。

「なんじゃな? お嬢ちゃんたち」

「あの、こちら、ヨック村で採集者をされていたマーレイさんのお宅と聞いて伺ったのですが……」

「ほぅ、懐かしい名前が出てきたの。確かに儂はマーレイじゃ。嬢ちゃんたちは?」

「私はヨック村で錬金術師をやっているサラサ、こちらは採集者のアイリスさんです。もしよろしければ、お話をお聞かせ願いたいのです」

私が用件を伝えると、マーレイさんは訝しげだった表情を嬉しそうな笑みに変えて、扉を大きく開いた。

「おぉ、良いぞ、良いぞ。さあ、入りなさい」

「お邪魔します」

「お邪魔する。(――何だか、良い人っぽいな?)」

コソリと囁くアイリスさんに私も小さく首肯する。

『引退した採集者』と聞いて、勝手に『偏屈なお爺さん』をイメージしていたんだけど、想像とは全然違った。

でもよく考えたら、それなりに成功して無事に引退しているのだから、人当たりが柔らかいのも必然なのかも?

採集者だって一人で活動するわけじゃない。

周りと上手くやれないほどコミュニケーション能力に問題があれば、もしもの時にも手助けが望めず、きっと採集者の引退前に人生から引退することになる。

だからといって、安全な仕事ばかりで成功できるほど、採集者は甘くない。

つまり、引退後にこの町で悠々自適に生活できている時点で、まともな人物であることはほぼ確定していた、と言えるかもしれない。

「すみません。突然お伺いしてしまって」

「構わんぞい。先触れをもらうような立場じゃなし、儂も暇しているからなぁ」

マーレイさんはそう言って呵々と笑い、私たちに椅子を勧めてから、自分も私たちの前に腰を下ろした。

「それで、何が聞きたいのじゃ?」

「ミサノンの根についてです。残念ながら今の村には、採集経験のある人がいなくて……」

「ほぅほぅ。この時季に来たということは、冬山に入って、ということじゃな? それはちょっと危険じゃの。今の世代じゃと……アンドレたちはまだいるのかの?」

「はい。そのアンドレさんから聞いて、訪問させて頂きました。私も一般的な知識はあるのですが……」

実際の現場を経験したことのある方からお話が聞きたいと付け加えれば、マーレイさんは無意識にか、髪のない頭を撫でつつ「なるほどの。彼奴らか」と頷く。

「アンドレたちにも、冬山での採集に関しては教えておらんかったの。ちょっと待っておれ」

マーレイさんはそう言って少し席を外すと、一枚の大きな紙を持って戻ってきて、それをテーブルの上に広げた。

「これは、儂の人生の集大成――などと言うと、ちょいと言いすぎか。まぁ、採集者時代には命の次ぐらいには大事にしていたものじゃ」

その紙に描かれていたのは、大樹海周辺の詳細な地図。

そのあちこちに、そこで得られる素材、危険な箇所、魔物の種類など、かなり詳細な多くの書き込みがあった。

私も大樹海に関する本は持っているけど、それと比べると、より現場に即した情報が多いように思える。

――あ、サラマンダーのいた山もあるね。

書き込みでは『ヘル・フレイム・グリズリーが生息』となっているけど。

「儂も引退して長い。少々情報は古いんじゃが、ある程度は使えるじゃろう。ミサノンの根が採取できるのはこの辺りじゃな。じゃが――」

マーレイさんは地図の一箇所をポンと指で示し、そこから指を滑らせて赤く丸で囲われたエリアへと指を滑らす。

「問題はここじゃ。この辺りには、滑雪巨蟲《スノーグライド・センチピード》が出る」

「巨蟲(センチピード)ですか……。う~ん、それは厄介ですね」

「うむ。それがあるから、儂が現役だった頃も、冬場にミサノンの根を採取に行くことはほとんどなかった。腕っ節が強い採集者が集まったときに、何度か行ったが……代償は必要じゃったな」

マーレイさんがそう言って顔を顰め、私もまた思った以上の障害に唸ってしまう。

しかし傍で話を聞いていたアイリスさんは、疑問を顔に浮かべて首を捻った。

「店長殿、その巨蟲(センチピード)とは?」

「アイリスさんは知りませんか? ――出会う機会がなければ、そんなものでしょうか」

巨蟲(センチピード)とはその名の通り巨大な虫全般のことで、おおよそ人間の子供よりも大きい物がそう呼ばれる。

人里近くで見かける機会はほとんどなく、大抵は人の手の入っていない森の奥などに生息。大きい物では大人数人分よりも大きかったりする。

救いがあるとするなら、巨蟲(センチピード)のすべてが攻撃的なわけではない、ということぐらいかな? でも、虫は虫なので、できれば会いたくない存在。

「滑雪巨蟲《スノーグライド・センチピード》なら、大きさは小さな小屋ぐらい。雪の上を滑るように移動して攻撃してくる、なかなかに厄介な敵です。縄張りに入らなければ襲われることはないのですが、一度敵対するとしつこいので逃げるのは難しいそうです」

「嬢ちゃんの言う通りじゃな。儂らが遭遇した時も、犠牲を出しても斃すしかなかった」

その時のことを思い出したのか、重いため息をついたマーレイさんの言葉に、アイリスさんは目を瞠る。

「……もしかして、かなり危険なのか?」

「そう言ってるじゃないですか。――まぁ、巨蟲(センチピード)自体は、サラマンダーなんかと比べれば、比較する意味もない程度の脅威ですが」

「ふむ、そう言われるとなんだか――」

「おいおい、それは比べる物じゃないじゃろう?」

少しホッとしたように表情を緩めたアイリスさんを見て、マーレイさんが呆れたように首を振るが、アイリスさんの次の言葉に、今度はマーレイさんが目を瞠った。

「いや、店長殿はサラマンダーを斃しているからな」

「なんと! ふーむ、さすがは錬金術師じゃな。儂の知っておるのは年寄りじゃったからなぁ……心配する必要はなかったか。ならばおぬし、この地図は持って帰って良いぞ」

予想外の申し出に、私は思わずマーレイさんの顔をまじまじと見つめた。

「よろしいのですか? 大切になさっていたのでは?」

「構わん。儂の人生を費やして作り上げたものじゃが、使われん方が勿体ない。本当は引退する時にアンドレたちに譲ることも考えたんじゃが……実地で教えることができんかったからの」

儲かる素材などの情報だけを与えてしまうと、危険性などを甘く見て無茶をしかねない。

指導ができなければ、事故も起こりかねないと、マーレイさんはこの地図を手元に残したままにしていたらしい。

「ありがとうございます、助かります。このお礼はどのように……?」

「ん? 儂にはもう必要ないぞ? ウチの婆さんも気にするような年じゃないしな」

私の視線がチラリとそちらに向かったのを感じたのか、マーレイさんは髪のない頭をペシンと叩いて笑う。

「だが……そうじゃな、嬢ちゃんが必要と思った範囲で構わぬから、これらの情報をあの村の採取者に教えてやってくれ。なんだかんだあって、経験の継承ができておらんからのぅ……アンドレたちがおるのじゃろ?」

「はい、ベテランとして活躍してくれています」

「ほっほっ、彼奴らがベテランのう……年月が経つのは早いもんじゃな」

私が頷くと、マーレイさんは楽しそうに笑い、少し眉を顰めて言葉を続ける。

「じゃが、儂の所に来たということは、経験的にはまだまだ未熟なんじゃろうなぁ。儂がもう一〇歳若ければ、鍛えに行ってやるんじゃが……。嬢ちゃん、余裕があればで構わん。アイツらもちょっとばかし鍛えてやってくれんか?」

アンドレさんたちが採取できる物が増えることは私の利益にも繋がる。

当然、断る理由などなく、私は「はい、解りました」と頷いたのだった。