アイザック達はオルグレン男爵邸で一泊した。

翌朝、朝食を済ませて一息ついたらモラーヌ村に出発する。

ノーマンや護衛の他にマーカスも同行している。

彼は将来の代官として、これからエルフと嫌でも接する事になる。

エルフの実情を知っていた方がいいだろうという判断により、同行する事になった。

アイザックは、彼ら大人達には心配していない。

心配なのは子供達と、マチアスの嫌がらせだ。

森を切り開いて作られた道を通っている時に、友人達に念押ししておく。

「いいか、長老のマチアスさんはクロードさんのお爺さんだけあって真面目そうな感じはするけど、それは間違いだ。お茶目なところもあるから、振り回されないように気を付けろ。もしかしたら、他のエルフにも似たような人がいるかもしれない」

「大丈夫だって」

「話はもう聞いてるからね」

前もって、エルフは虫を食べる事に抵抗がない事を話しておいた。

交流再開交渉の時に、アイザックに蜂の子を食べさせておいて「えっ、嫌じゃよ。そんなの」と、マチアスが言った事も含めてだ。

だからか、友人達は「わかっている」という返事をする。

それでもアイザックは不安を感じていた。

(子供メインならエルフも心を許すだろうと思ってたけど、俺一人で来るか外交使節団として来るかした方が良かったかな)

本当に訪問したかった相手はドワーフだった。

今回の訪問の理由は「エルフを立てている」という名目のためだ。

「重要な交渉はしないから観光気分で」と思っていたが、それは間違いだったかもしれないと思い始める。

こんな心配をしなくてはいけないのも、マチアスのせいだ。

種族間戦争の休戦協定に呼ばれなかったというのもわかった気がする。

「何をするのかわからない」者がいるというだけで、とんでもなく不安にさせられるからだ。

「あれが村じゃない?」

「えっ、どれどれ」

「本当だ、家だ」

馬車の窓からは森が見える。

木々の間から家らしきものがチラリチラリと見え隠れしていた。

人間の街のように村を柵で囲ったりはしていないようだ。

そして、その家を見てアイザックは悪い意味で驚いていた。

(なんで普通の家なんだ……)

和風っぽいエルフの服装や生活様式を考えれば、藁葺き屋根の木造住宅に住んでいるイメージだった。

なのに、馬車の窓から見える家は洋風の石やレンガっぽい素材で建てられた家。

勝手に期待していただけだが、アイザックはガッカリしてしまう。

しばらくすると、田んぼや畑が見えてくる。

森の中とはいえ、多少は開けた土地があるようだ。

もしかすると、魔法で場所を開けたのかもしれない。

アイザックはエルフの魔法で道を作ってもらった時に、雑草がカサカサと動いて道の部分から移動していたのを思い出して気分が悪くなる。

「うーん、なんか普通だね」

「木の上に家があったりするのかと思ってた」

「森の中にある村って感じだよね」

友人達もアイザックと同じ事を感じたらしい。

少しガッカリしているように見えた。

ここでアイザックが空気を換えようとする。

「家よりも、そこに住む人の方が重要だよ。どんな人達と話せるのか楽しみだね」

前向きな意見で気分を変えようとした。

エルフ達と会った時に、ガッカリした顔は見せられない。

第一印象というものは重要だ。

最初の挨拶くらいは笑顔で迎えたい。

アイザックの思いが伝わったのか、友人達の顔からガッカリした様子は消え去っていた。

「そうだよな。家なんてどうでもいいよな。俺はブリジットさんみたいな綺麗な女性と仲良くなって、婚約者を見つけてやる!」

「さすがにきついんじゃないか?」

「何事もチャレンジだ! やらないと何も始まらないからな」

婚約者のいないポールが意気込む。

それを見て、他の者達は笑う。

それは嘲笑ではなく「頑張れよ」という明るい笑いだった。

さすがに人間とエルフの寿命の違いを考えれば、異種族間での結婚というのは現実的ではない。

エルフ側もよくわかっているはずだから、声を掛けても異性としては見てくれないだろう。

しかし、ポールが言ったように行動に移さないと何も始まらないというのも確かである。

ひょっとしたら、誰かにOKしてもらえるかもしれない。

「無駄な事を」と思ったりせずに「悔いのないようにやれ」と心の中で応援していた。

動いていた馬車が止まった。

連絡窓から御者がアイザックに報告する。

「到着致しました。エルフの方々が出迎えてくださっています」

「わかった」

アイザックが返事をすると、馬車の扉が開けられる。

馬車から降りると、前方にエルフが大勢出迎えてくれていた。

アイザックは笑顔を浮かべながら、その中で見知った顔に近付く。

「アロイスさん、お久し振りです。これから三日間お世話になります」

「初めて会った時に比べて大きくなったね。エルフがどんな暮らしをしているのか知って、帰ってもらおう。歓迎させてもらうよ」

二人は両手でガッチリ握手をする。

それを見て、二十代くらいの女達が前に出てきて、アイザックとその友人達の頬に歓迎のキスをする。

さすがにこの歓迎は子供達だけ。

ノーマン達付き添いの大人にはされなかったので、少し寂しそうな表情をしていた。

(おおっ! これは嬉しい!)

今思えば、頬とはいえキスをされたのは家族以外では初めてだ。

思わぬところで初体験を済ませ、アイザックの頬が緩む。

いや、アイザックだけではない。

他の子供達も綺麗なお姉さん方にキスをされてデレデレとした表情を浮かべていた。

「もう、お母さん。やめてよ、恥ずかしい!」

アイザックの頬にキスをしたエルフの女性に、別の馬車から降りてきたブリジットが文句をつける。

「えっ、お母さん! お姉さんじゃなくて?」

目の前の女性は二十代半ばから後半に見える。

ブリジットの母親には見えなかった。

「あら、たまにはいいじゃない。若い子と接する事が若さを保つ秘訣よ」

ブリジットの母がクスクスと笑う。

「もしかして、お姉さん達も?」

レイモンドが、自分の頬にキスをしたエルフの女性に恐る恐る尋ねる。

彼女はニコリと笑って答えた。

「そうよ。結婚前の若い女の子にキスをさせるのはできないからね」

その返事を聞いて動揺が広がる。

ブリジットの母という事は、人間でいえば三十代半ばくらいだろう。

オバサンと言ってもいい年齢。

「綺麗なお姉さんに見えるからキスされただけラッキー」と思う者と「綺麗なお姉さんだけど、自分達の母親と同じ年頃の人か……」と思う者で分かれた。

一人だけ恍惚の表情を浮かべている者もいたが、アイザックは彼に触れる事なくスルーしてやった。

「ブリジットさんのお母さんですか。いつもブリジットさんにはお世話になっております。ウェルロッド侯爵家ランドルフの息子アイザックです。以後お見知りおきを」

「あらあら、ご丁寧にどうも。私はコレットよ。あそこにいるのが夫のユーグ」

コレットが指し示した方向を見ると、二十代後半から三十代くらいに見える男が手を振っていた。

アイザックはそちらに会釈をする。

「どうだ、この歓迎に驚いただろう」

そこへ、マチアスが現れた。

「はい、嬉しい奇襲でしたね」

「そうだろう、そうだろう。若作りの上手い年増を集めたからな。オバサンと知って驚いただろう」

ハッハッハとマチアスが笑う。

しかし、彼には「若作りの上手い女」と言われた女達の殺意に籠った視線が集まっていた。

近くにいるだけでアイザックの背筋が寒くなるくらいだ。

だが、マチアスはそんな視線を受けても笑ったままだった。

年を取って鈍くなっているのかもしれない。

アイザックは「巻き添えに遭いませんように」と祈り始める。

「爺様、勘弁してくれ。あとで謝って回るのは俺なんだから……」

マチアスの暴言に、クロードがこめかみを押さえながらやってくる。

孫の苦情にも、マチアスが気にした様子はなかった。

このままではマズイと、アロイスがアイザックとマチアスの間に割って入る。

「せっかく来てくださったんです。まずは宿舎に案内しますので、お荷物を置かれてはいかかですか?」

「そうですね。まずはどこに泊まるのか教えていただきましょう」

アイザックは、アロイスの申し出を即座に受け入れた。

とりあえず、この場を離れたかったからだ。

エルフは魔力を持っているせいか、視線にすら本当に強い力を持っているかのように感じられる。

「女性を怒らせた」という事以上に、何か恐ろしい気配を感じてしまっていた。

これはアイザックだけではない。

友人達や護衛達までも、どこか落ち着きがなかった。

「それではこちらへどうぞ。客人用の宿舎はすぐ近くです」

この状況をよろしくないと思ったアロイスが、やや急いで案内する。

アイザック達が離れたところで、背後から声が聞こえてきた。

「長老! 私達が選ばれたのは若くて美しいからとか言っていませんでしたか?」

「確かにそう言ったな」

「なら、さっきのはなんですか!」

「いや、さっきのは言葉の綾ってやつだ」

「言葉の綾? 本音だったようにしか聞こえませんでしたよ!」

「安心しろ。人間達からは若い女に見えている」

「人間がどう見てるかは関係ないでしょ! 今問題なのは長老が私達をどう思っていたのかです!」

さすがに先ほどの発言は言い過ぎだったのだろう。

マチアスが詰め寄られているのが声だけでわかる。

アイザックはクロードを見る。

彼は「何も聞こえない」と言わんばかりに、耳を手で塞いでいた。

「えっと、クロードさん」

「さすがに今回は関わりたくない。そっとしておいてくれ」

耳を塞いではいるが、ちゃんと声は聞こえているようだ。

とばっちりを受けたくないので、何も聞いていないというポーズを取っているだけなのだろう。

「いえ、そうじゃなくて。クロードさんのご家族はあそこにいたんですか?」

アイザックの質問を受け、クロードは複雑な表情を浮かべる。

家族の事を言い辛そうだったが、意を決したように口を開いた。

「俺の両親は人間との交流再開に反対だった。積極的に反対しない消極的な反対といったところだがな」

「そうですか……」

(暮らしが楽になればいいという者ばかりじゃあないか。そりゃそうだよな。人の数だけ考え方があるんだから)

クロードの両親の事を聞いて、アイザックも考えさせられる。

誰も彼もが人間と仲良くしたいと思っているわけではない。

(それどころか、取引ができるからという理由だけで仲良くしようと考えている奴が圧倒的多数だろう。無条件で仲良くしたいと思っている奴なんてまずいない。下手に利用しようとすると、あっさりと交流を打ち切られたりするかもしれないな)

今まで接してきたエルフ達は交流に前向きだった。

しかし、それは人間との交流に前向きな姿勢のエルフだったから、アイザックと会う機会があっただけ。

交流再開に消極的なエルフは人間と会おうとしないから、今まで会う機会がなかっただけだ。

人間(アイザック)に都合よく利用されそうになったら、人間との交流再開に反対だったエルフが、積極的に他のエルフを説得し始めるかもしれない。

(味方を増やすよりも、敵を減らす方向で動いた方が良さそうだな。この事に気付けただけでもエルフの村に来てよかったとは思うけど……。観光でゆっくりするなんてできそうにねぇなこれ)

アイザックにはエルフを戦争利用するつもりはない。

今も、そしてこれからもだ。

しかし、戦争に負けそうになったら別。

藁にもすがる思いで助けを求めたりするかもしれない。

保険の意味でも、仲良くしておいた方がいいだろう。

そうなると、ゆったり観光などしていられない。

クロードの両親のようなエルフと会って「邪魔をしてきそうな相手を説得する」事が必要だと思い始める。

「クロードさんにはお世話になってるし、ご両親にも挨拶しておきたいなぁと思っています。よろしければ、挨拶だけでもできるか聞いておいてくれませんか?」

「別に気にしなくてもいいと思うが……。まぁ、聞くだけ聞いておこう」

「ありがとうございます」

――人間との交流再開に消極的なエルフがどんな考えをしているのか?

まずはクロードの両親と会って、それを知る事が重要だ。

クロードという緩衝役がいるので、厳しい態度を取られたりもしないだろうという考えもある。

「みんな仲良くできればいいんですけどね」

「ああ、そうだな。だから、村の子供達と遊べるようにお前達が来たんだろう?」

「そうですよ。様々な思惑がある大人同士の話し合いよりも、次の世代を担う子供同士で交流した方がいいと思いましたので」

「だったら、お前も村にいる間くらいは子供らしくするんだな」

クロードが笑う。

子供同士の交流において、もっとも子供らしくないアイザックがどう動くのか?

アイザックを見物してみるのも面白そうだと思ったからだ。

「お任せください。仲良くする秘策を用意しています」

「いや、そういうところがだな……」

――子供同士で仲良くするのに、なぜ秘策が必要だというのか。

クロードは、そこまで計算して交流する事を望んでいない。

子供らしく野原を走り回ったりしてくれれば、それでよかった。

「ポールやレイモンドといった普通の子供達が一緒に来てくれていてよかった」と、アイザックに子供らしさを期待する事を諦め始めていた。