地平線を飲み込むようにしてそびえ立つ威容が、近づいていた。

ゼノくんが用意した増援によって、反乱軍やダークエルフの人たちの士気も大幅に上がったらしい。先に行った僕に追いつくのではないかと思うほど、みんなの声が近くなっていた。

「ははは、ゴーレムの素材に困らないのはいいことだ、あとでちょっとちょろまかして硬貨に変えてやろうかな!」

「イグジスタお姉ちゃん……ないす、あいであ……」

「よくわかんないっすけど、ぶっ壊していいんすよね!」

「ええ、生き物じゃない匂いがするものは全部、敵ですわ!」

最前線とも言える場所で、僕は多くの味方に守られていた。

……ひとりじゃない。

孤独ではない。たったそれだけのことに、気付くのが随分遅れてしまった。

それなのに、みんなは当たり前のように僕を支えてくれて、本当に物好きだ。

「こんなぐうたらで、面倒臭がりで、眠ってばかりで、鈍感な僕に……」

「それでもいいと、思えるからですわ」

「ああ、そうだな! 私の妹はぐうたらだけど、優しくて可愛いよ!」

「お姉ちゃんは、面倒臭がりだけど……でも、シャーリィたちのために……真剣になってくれたよ……」

「確かに姐さんは眠ってばっかりっすけど……起きてる時は、本当にお節介っすからね!」

「鈍感ですけれど……私が泣いているとき、傍に居てくれる人ですのよ」

いつものようなツッコミじゃなく、真面目に返されてしまって、さすがに頬が熱くなる。

ああもう、なんでこうみんな恥ずかしげもなく僕のことを褒められるんだろう。

シリル大金庫での一悶着はそうするべきだと思ったからで、森での一件は寝床への恩で、泣いているクズハちゃんの傍にいたのはそれ以外に思いつかなかったから。

ここまで培ってきた他の繋がりだって、そのいくつもがただの気まぐれや、恩を返そうとした結果生まれたものだ。

それが、こんなにもあたたかなもので満たされるほどの縁になって。

こんなの、永遠に生きていたって返せる気がしないほどに、有難い、幸いだ。

「ああもう。……みんな、いい人ばかりです」

僕はもう、玖音ではない。

落ちこぼれや失敗作にすら、なることができない。

だって、この温もりを知ってしまったから。

胸の奥が甘く、熱く、照れくさく、満たされるこの感触の名前を、幸せだと気づいてしまったから。

玖音 銀士ではなく、アルジェント・ヴァンピールと呼ばれることを、かけがえのないものだと思ってしまったから。

その気持ちをくれたみんなを守るために、僕はひた走る。

「見えた……足の先!!」

いくつもの機械兵を壊した先。『鉄巨人(ゴライアス)』のつま先が、ようやく見えた。

遠くから見ても巨大だったその姿は、近くで見ても現実感がないほどのスケールだ。遠くからの砲撃は『鉄巨人(ゴライアス)』にも届いているのに、ビクともしない。

この異世界には場違いだと感じてしまうほどに巨大な、科学と技術の産物が、そこにあった。

「ちっ……まとわり……つくなぁ!!」

「っ……! まずいっ!」

鉄の巨人が、高く腕を振り上げる。

そのまま叩きつければ、立派な破壊兵器だ。速度は遅いけど、攻撃範囲が広すぎる。

僕ひとりなら、クズハちゃんを抱えてギリギリ回避は可能だろう。だけど今、こちらには姉と妹、そして牛の友達がいる。

「みんな、逃げ――」

「――一撃でいいなら、防いであげるわ」

「フェルノートさん!?」

背後を守ると言っていた人が、追いついてきた。

ここまで相当に頑張ってきてくれたのだろう。フェルノートさんは折れた剣を捨てて、徒手で構えた。魔法で剣を精製するつもりか。

「ごめんなさい、アルジェ。ちょっと物量に押されて……遅くなったわ」

「いえ、それはいいんですが……あれはさすがに……フェルノートさんがいくら脳筋でも厳しくないですか?」

「そうですの! いくらフェルノートさんが魔法で剣を作ってズドンしても無理がありますわ!」

「最近、私の評価がなんでも斬ろうとする危険人物みたいになってないかしら……!?」

え、違ったんですか?

こちらの言葉に微妙な顔をしつつも、フェルノートさんは僕の方へと手を伸ばしてきて、

「アルジェ。血の契約、使えるかしら?」

「ふぇ?」

「さすがに今の私だと出力が足りないわ。だからあれを返すのに、もう少し力が欲しいのよ」

「……使えます、けど」

フェルノートさんに使ってしまってもいいものか、僕は素直に迷った。

もちろん、友達に使うのは躊躇うという意味でなら、既にオズワルドくんやネグセオーに使ってしまっている。

……聖騎士、ですよね?

元という言葉がつくとはいえ、フェルノートさんの属性は光の方だ。

対して吸血鬼である僕の属性は闇。契約を結んだところで、それはプラスになるのだろうか。

「大丈夫なんですか? 光と闇の力があわさって頭がおかしくなって死んだりしません?」

「心配しなくても、制御はしてみせるわよ。……できなかったら最悪、暴走したままぶつけてやるわ」

「ねえねえアルジェ、この聖騎士、やっぱり脳筋じゃないかな……?」

「……正常な判断力は、おっぱいに吸われた……?」

「あなたたち、姉妹揃って失礼なところはよく似てるわね……!?」

イグジスタとシャーリィまで容赦のないコメントをしていた。

とはいえ、さすがに時間が無い。思案する暇もないし、そうしてもらうしか無さそうだ。

「ん……血の契約!」

指の腹に噛み付いて、流した血をフェルノートさんに垂らす。

彼女はまるで、王様から剣をいただく騎士のようにして、両の手で流れ落ちる僕の血を受け止めた。

「……ありがたく、頂くわ」

「別に、フェルノートさんが従者になったとは思いませんよ?」

「ええ。分かってる。分かっているから……繋がっていたいのよ」

フェルノートさんは笑顔でそう言って、立ち上がった。

肌を撫でる魔力は今まで以上に強く、明らかに彼女の力が増大しているのを感じられる。

虚空に手を伸ばし、フェルノートさんは高らかに叫んだ。

「道行きを照らす聖剣よ。我が身に宿りて、顕現しなさい……マテリアライゼーション!!」

光が溢れ、周囲を明るく照らす。

分かっていると言った彼女の心を表すかのように、剣は闇色に染まるのではなく、眩しいほどの白い輝きを帯びていた。

「っ……そんなもので、なにができる!!」

「大事な人を、守ることよ」

振り下ろされてくる『鉄巨人(ゴライアス)』の腕に向けて、フェルノートさんはすくい上げるようにして光剣を走らせた。

光の柱のように、剣が伸びた。突っ走る光はエネルギーの塊であり、巨大な質量と正面からぶつかり合う。

魔力の流れは風を巻き起こし、周囲を荒く撫でていく。

それでも、圧倒的な質量はじりじりとこちらに迫ってくる。

「フェルノートさん!」

「……心配いらないわ」

聞こえてくる声は優しく、見えている背中はどこまでも頼もしい。

フェルノートさんは光の剣を手放すことなく、高らかに叫んだ。

「誰も、欠けさせてたまるもんですかぁぁぁっ!!」

叫びに応えるようにして、光剣の出力が増大した。

鉄の腕を吹き飛ばし、空へと昇った光は、飛行船を巻き込んでなお上昇した。

もはや空の向こうまで伸びた光が、ゆるやかに消える。

「はっ、はぁっ……行きなさい、アルジェ!!」

「っ……はい!!」

腕を防ぐどころか、邪魔っけな飛行船まで墜としてくれたのだ。行くならば、今しかない。

踏み出そうとしたその瞬間、手を引かれる感触があった。

「……クズハちゃん」

「……もう、置いていくのではありませんわよね?」

「はい。帰ってくるために、行きます」

「……約束、ですわよ」

「ええ。約束です」

僕がこの世界に生まれて、何度も交わされてきたもの。

離れていくお互いの手。小指と小指が名残を惜しむように引っかかって、やがてするりとほどける。

「ちょっと行ってきますから、待っててください。ちゃんと、帰りますから」

言葉を置いて、僕は空へと跳躍した。

身体が変化するのはほんの一瞬。背中から蝙蝠の翼を生やし、僕は目的地へと一直線に飛ぶ。

もはや阻むものは何もなく、待っている人がいるだけだ。光剣によって僅かな雲さえ消し飛ばされた邪魔者のいない空を、僕は上昇する。

「……ああ、本当に」

この世界に生まれてきて、良かった。

転生するべきだと言われたとき、あのときの僕には意味がわからなかった。

だけど、今なら分かる。幸いという言葉の意味は知っていても、あたたかさを知らずに死んだ僕のために、この転生はあったのだと。

何人もの顔が、頭の中で浮かぶ。誰もが僕と関わってくれて、今の僕を形作ってくれたかけがえのない人たちだ。

「幸いです」

胸に灯る感情の名前は、口にするといっそう照れくさい。

だけど、嫌じゃない。嫌なはずがない。こんなにも僕は笑えているのだから。

この気持ちを、僕はもう知ったから。

アルジェント・ヴァンピールとして、この世界で生きる。

「出入口……まずは胸から確認しますか」

『鉄巨人(ゴライアス)』のコントロールルームとしてあたりを付けているのは、頭と胸。

見晴らしが良く、通常ならこの世界の住人にはそうそう手が出せない高み。そこが、一番安全だろうと読んだ。

もちろん、そんなところに入口の扉など都合よく置いているはずもない。行くなら無理矢理になるだろう。

高空に舞い上がり、高くなった視界の中。

僕は身をひねり、言葉を紡いだ。

「風さん、お願いします」

声掛けのような言葉を持って、魔法が正しく発動する。

下からすくい上げるような風に飛ばされて、僕は更に加速した。

「見えた……胸部装甲!」

「本当に、あなたは無茶苦茶ばかり考えますね」

「青葉さん!?」

いつの間にか、彼女も追いついてきた。

鉄の巨体の身体にツタを巻き付けて登ってきたらしい。飛んでいた僕より早いなんて、もしかして先に登ってきていたのだろうか。

彼女はいつものように頭の鈴を鳴らすとやれやれと言った調子で、

「風を受けて吹っ飛ぶって、そんな無茶な飛行方法がありますか」

「できることが増えた訳では無いですしね」

そう。腹が据わって、もう逃げないと決めたとはいえ、それだけのだ。

転生したときから、僕にできることは変わらない。ちょっとした魔法と、物凄く早いスピードと、吸血鬼の身体能力を得たというだけ。

「これが終わったら、魔法や技を磨いてはどうですか?」

「……考えておきます」

「うーわ、今の目の逸らし方は絶対あとで有耶無耶にするやつでしょう……」

困ったな、付き合いが長い相手だからあまり嘘が通じない。

青葉さんは少しだけ半目でこちらを見たあと、やれやれと首を振った。ちりちりと鈴が鳴り、音が止む頃にはどこか諦めたような微笑みで、

「足場を作ります。最後の決着は……銀士さんが」

「ええ。きちんと、終わらせます……本当の意味で、生まれ変わるために」

玖音であった自分を捨てることはできない。

どれだけ言葉や気持ちを重ねても、僕が玖音 銀士として生きて、結果を残せずに死んだ事実は変わらない。

だけど、『これから先』は変えることが出来る。

生まれは選べず、起こったことは消えず、直ぐには変われないとしても。

「僕はもう、アルジェント・ヴァンピールだって決めたから」

青葉さんがツタでくみ上げてくれた即席の足場に、僕は遠慮なく乗った。

「……『夢の睡憐』」

何度も握り、何度も振るった愛刀に、そっと触れる。

「未熟な使い手で、ごめんなさい。でも……力を貸してください」

腰を落とし、刃に手を添えて、僕は集中した。

構えも、切り方も、すべて玖音で学んだこと。

玖音の家人たちには及ばず、拙くて、未熟な一閃。

ここに辿り着くまでもたくさんの人の後押しがあり、導きがあり、言葉があり、想いがあった。

僕はまだ、その有り難さを全部受け止められるほど、強くはない。

「それでも、これが……今の僕です」

未熟さも、感謝も、甘えも、後悔も。

すべてを乗せて、僕は刃を突っ走らせた。

持ち手の拙さを補うように足場は確かで、手の中の感触は力強く、吸血鬼の膂力が音を置き去りにする。

きん、という軽い音を立てて、『鉄巨人(ゴライアス)』の装甲は断ち切られた。

「……行ってきます!」

帰ってくるという約束を果たすために、行ってきますという言葉を置いて、突入した。