The Road to One Day Be the Strongest
Lesson 188
その日、その時。
世界中のありとあらゆる生物が、本能的に恐怖した。
場所や強さに応じてその恐怖の感情は上下しただろうが、その強さを極めた者達にとって、その恐怖は洒落にならないものであった。
───例えば、神界。
お茶を急須で淹れていた全能神ゼウスは、その自らの内に生まれたほんの少しの恐怖に心底恐怖し、その正体に一瞬で行き着いた。
「こ、これは......、死神行かせておいて、正解だったかも」
───例えば、大陸のとある場所。
「......ねぇあなた? なんか怖くない?」
「そうだねぇ......」
その白髪の女性の言葉に反応した黒髪の男性は、その恐怖の正体にすぐ行き当たり、少し冷や汗をかいて、こう呟いた。
「君は、どこまで急激に成長するんだい?」
───例えば、ここではない別の世界。
「───ッッ!?」
「......? どうしたメフィスト」
その声にメフィストは、一度隣の大柄の男性を見上げ、そしてもう一度先ほどの感情を思い出した。
「....やはり彼の将来が楽しみです」
彼は笑いをこらえきれず、顔に満面の笑みを貼り付けてそう言った。
───例えば、とある街の付近に建てられたクランホーム。
「ギンだねぇ......」
「じゃのぅ......」
たまたまロビーで一緒に居合わせた、彼と最も付き合いの長い二人はその正体にすぐ行き当たり、お互いに顔を見合わせる。
ふとふたりが視線を辺りへと向ければ、同じ様に驚きとも歓喜ともつかない表情を浮かべた仲間達が次々とロビーへと集まっているところであった。
ただ、彼ら彼女ら───その正体に行き着いた者達が皆一様に視線を向けたものがあった。
恭香はチラリと自分の足元へと視線を向けて、いつも通りそこにある漆黒に対して少しの恐怖と、大きな懐かしさを感じた。
「まだ離れて数週間なのに......、結構寂しいものだね」
そんな彼女の独白と時を同じくして、魔法学園都市。
神王化と同じ民族衣装に身を包んだ、黒髪の青年。
その瞳はギラギラと輝いており、顔に浮かぶのは全くの無表情。
右の二の腕の半ばからは無機質な腕が生えており、銀色の光を放っている。
彼の身につけているローブは、端の方がまるで影そのものとなっているかの如く形が薄れ、崩れ、ゆらゆらと空気中を漂っている。
彼の視線の先には、頬に手を当てて座りこんでいる混血の女性と、その女性に理不尽な手を上げた馬鹿な生き物の姿が映っていた。
それらを見て、彼はただ一言、
「執行を開始する」
とだけ、呟いた。
☆☆☆
「『エアハンマー』」
そう呟くと、僕の視線の先にいた貴族が、まるで何かに殴られたかのように吹き飛び、教室の前の黒板へと叩きつけられる。
───僕は今弱い状態なんだ。今の僕が出せる威力じゃ死にはしないだろう。
僕は倒れている机をそのままに、座りこんでこちらを見上げているネイルの前にしゃがみ込むと、その腫れた頬へとヌァザの神腕(アーガトラム)で触れた。
「守れなかったのは二回目だな......。済まない」
そうとだけ言うとその右手を頬から離し、僕は立ち上がる。
その際に見た彼女の頬はもう完全に治癒しており、流石はヌァザの神腕だなと実感する。
ヌァザの神腕の能力。
───そのうちの一つが『治癒再生』である。
触れて直そうを思えば、その対象が人だろうと物だろうとなんでも治してしまう───そんな能力らしい。
僕は振り返ると、黒板の前で咳き込んでいるバカへと視線を移す。
───だが、そこでネイルから声がかかった。
「ぎ、ギンさん! わ、私はこういう生まれですので、......その、迫害なんかには慣れてます! だ、だからっ、どうか止めて...」
僕はネイルのその言葉に、思わず手元にあった自らの机へと拳を叩きつけた。
ドゴォォォンッ!! と、そんな音が鳴って机は粉砕され、それを殴った僕の左拳も壊れ、血に塗れていた。
僕の無言の行動に思わず目を丸くしたネイル。けれど、彼女が僕の拳を見れば、途端に僕の心配をするのだろう。
───そこが最高に気持ち悪くて、悍ましい。
「ネイル。僕はお前のことが大嫌いだ」
僕は正真正銘、本音をぶちまけた。
ネイルその言葉に目を見開き、こちらを見上げてくる。
───僕のスタンスは仲間を守ること。だからこそ僕は仲間に対して本気で「嫌い」などとは言わないし、皆もそれは分かってくれているだろう。
だからこそネイルは、僕の今の言葉が紛れもない事実だということに気付き、驚き、そして悲しんだ。
「まるで自分なんていてもいなくても変わらない。自分がいた所で精々みんなの足を引っ張るだけだ。自分の存在意義はどこにも存在しやしない。そんなことを思って鬱になって、不幸に片足突っ込んで悦に浸っているお前が気持ち悪くて、大嫌いだ」
───きっとこれは、同族嫌悪だ。
ネガティブで、根暗で、何よりも他人を信用出来ない。
自分の存在意義を見いだせず、見いだせかけたと思った途端に自らそれを捨てて、悦に浸るのだ。
それは自己満足で、自己正当化で、自分はこんなに不幸なんだからこれ以上不幸なんてないんだ。不幸になったって別にいいんだ。これが当たり前なんだ。そんな考えを自分に無理やり考えさせ、それを自分の中の掟にする。
それはきっとこの上なく楽な生き方で、片足を不幸に突っ込んで生きていれば大抵の事は許容できる。これが現実だ、と。
「だ、だって......、私はハーフエルフです。精霊魔法もあまり使えないし......、弓だって下手ですし......、何よりも弱い。ギンさんみたいには出来ないですよ......。私には、生きる意味は見い出せないです......」
───分かっていた。分かっていたさ。
きっとネイルにはそういう生き方が染み付いていて、生まれてから今まで、ずっとそういう生き方しかしてこなかったのだろう。
幸せを知らず、それを手に入れても幸せに浸り切れず、そして常にその傍らには不幸がある。
それは酷く歪な生き方で、何よりも辛い道だ。
───だからこそ僕は、彼女を救いたいと思ったのだろう。
「なぁ、ネイル。お前は僕達と居るのはつまらなかったか?」
彼女は顔を伏せ、こちらを見上げることは無かった。
けれど彼女は、確かに首を横に振った。
「なら、いい方法を教えてやるよ」
これは荒療治で、日本にいた頃の僕じゃ決して使わなかった特効薬だ。
下手をすればその人の人生を潰してしまうことになるし、何よりも僕にも負担がかかる。
───けどまぁ、ネイルにならそれもいいだろう。
「お前が生きる意味を見いだせなくても、僕にはお前は必要だ。お前のそのねじ曲がった根性が大嫌いでも、鬱陶しくても、僕はずっとお前の傍にいて、僕がお前に幸せを分けてやる」
僕はそれだけ言って微笑むと、黒板の前でこちらを睨みつけているバカの方へと歩き出した。
今、彼女はどんなことを思っているのだろうか。
そんなことをふと考えて、『は? まじキモイんですけど』とか『は? 何カッコつけてんの? キモッ』とか思われてたら死ぬかもなぁ、と考えはしたが、どうせ今のは本音なのだ。今更猫被ってもつまらない。
「僕はやるべき事をやるだけだ」
ふと廊下に見知った人たちの気配がしたが、どうやら国王殿は契約を覚えておいでのようだ。流石にグレイスも魔法学園都市の市長として国王には逆らえまい。
───さて、これだけクサイこと言ってんだから、後々にこの記憶は黒歴史の一ページとして封印されることだろう。
僕はそう言って僕を見上げるバカの目の前までやって来た。
その馬鹿の瞳から伺えるのは、ありありとした恐怖と、それを隠すためのチンケな威勢だけ。
「折角だしもっとハチャメチャやってから黒歴史へと封印してておこうか」
僕はそう言って、その愚かな貴族へと、判決を下した。
───その日、全裸の貴族が磔にされた大きな十字架が庭園に刺さっていたらしいが......、その真実は暗黙の了解で『不明』ということになっている。
☆☆☆
結果。あの貴族は退学に、僕は停学になった。
前者は同じ生徒になんの理由もなく手を上げて奴隷扱いしたのだからある意味あたりまえだし、後者もまぁ、当たり前だろう───あの契約が働いていると言っても、その契約自体は世間一般には公開されていない。だから僕がそのまま学校に行ってしまえば、十中八九不審に思う生徒達が現れる。
という訳でこの結果には僕は疑問も意見も何も無いのだが......、
「......何これ?」
僕の手の中には、文字の書き詰められた一枚の紙。
6:00 起床
6:10 ランニング、学園敷地十周
7:00 朝食
8:00 グレイスとの訓練
12:30 昼食
13:30 昼休憩
14:00 グレイスとの訓練2
17:00 終了及び自由時間
18:00 夕食
22:30 就寝
その紙に書いてあった内容は上記の通りである。
っていうか「何これ」とは言ったものの、見りゃこれが何かは分かっちゃうだろうし、更にいえばグレイスが僕へ何をやらせようとしてるかもわかってしまう。
僕の問にニッコリと微笑んだグレイスは、僕へと向かって容赦のない宣告を下した。
「今日から停学が終わるまでの一週間、お前には毎日このメニューをこなしてもらう。毎日ワシ自ら鍛えてやるから安心して強くなれ」
───どうやら僕の学園生活は、学校をサボるところから始まるそうです。