ある日の晩。

僕はついこの前も感じたような、不思議な感覚に襲われていた。

「なーんでこう、たまに夜に歩きたくなるんだか」

僕はそう呟いて空を見上げた。

この国に来て、もう一週間以上が経つ。

個人的にはそろそろ他の仲間の情報を見つけたいものだが、あいつらと来たら謎のステルス能力を使用し、未だ発見から逃れ続けている。流石は執行機関のメンバーだ。

という訳で、もうしばらくこの国へと滞在することが決まったのだったが。

「こりゃ、また何か起きそうだ」

例えば、ラスボスとの再会とか。

見上げた空は真っ黒な雲に覆われており、ゴロゴロと帯電している様子が下からも窺える。

――まるで、あの日のように。

と、そんなことを考えていると、視界の端に赤い光が映った。

それは、かつて港国で見た灯りと瓜二つのもので、僕は軽く頬を緩めてそちらへと足を進めた。

「さて、今夜も平穏に過ごしたいものだ」

そんなことを、呟きながら。

☆☆☆

「いらっしゃい!……って貴方は!?」

「久しぶり〜、波山さん」

予想通り、そこで店を構えていたのは波山徹であった。

赤い提灯の付いた移動式の屋台。

暖簾には『おでん』の文字が日本語で描かれており、その暖簾をくぐったと同時にかおり始めたその匂いに、僕は胃が動き始めるのを感じた。

「うはぁ、相も変わらず美味そうなメニューだな!」

そう言って僕はどっかりと椅子に座ると。

「よし、今日は邪魔者も居ないらしいし、とりあえずオススメのやつ持ってきてく――」

「邪魔者か。前回はあの後私の他に誰か来たのか?」

「……チッ」

僕は、背後からかけられたその言葉に思わず舌打ちをした。

「ククッ、酷いではないか名も知らぬ執行者よ。話しかけただけで舌打ちとは何事だ?」

そう言って暖簾をくぐってきたのは、かなりラフな格好をしたあの男装女性だった。

思いっきり太ももがあらわになっているそのホットパンツに、上は白いTシャツにその上から長袖のジャケットを羽織っている。

一言で表すなら『日本のロックバンドでボーカル務めてそう』な感じだろう。以前までの雰囲気は台無しだが、これはこれでかなり似合っているのでなんとも言えない。

ので、精一杯嫌味でも言ってみることにした。

「いいのか?そんなラフな格好をして。この街に一時的に滞在している狂った奴らにでも襲われたらどうするんだ」

「ハッハッハ、それは傑作だ。最近は部下からも『いや強すぎでしょ』と言って怖がられてきたからな。荒くれ者でも狂人でも、マトモに私の相手してくれるならばそれはいい暇つぶしになるだろう」

けれど、それを簡単に一蹴する彼女。

彼女はそう言ってひとしきり笑うと、僕の方へと視線を向け、チロリと、その赤い舌で自らの上唇を舐めた。

それはさながら獲物を見つけた獣の目のようで、僕はそれを見て呆れたようにため息を吐いた。

「生憎だけど、僕は女性関係でいえば全く困ってないんでね。相手して欲しいなら髪伸ばして出直してこい」

「……自意識過剰」

「おい今なんつった?」

ポツリと呟かれたその言葉に僕はガシッと彼女の胸ぐらを掴みあげると、ちょうどそれと同時に波山が僕らの間に入ってきた。

「ちょ、ま、待ってくださいよお二人共!なんで二人ってそんなに仲悪いんですか!?……あ、もしかして知り合――」

「「全く知らんな、こんな奴」」

「……あぁ、そうですか」

波山は疲れたようにそう呟くと、いくつかのおでんを皿によそって僕へと出してきた。

「はい、ギンさん。ご注文のオススメセットです」

「おう、毎度ありがとうございます」

「まだ二回目ですけどね……」

そんな言葉を聞き流しながら、僕はその皿へと視線を下ろした。

視線の先には黄金色に輝くそのスープに、そのスープに浸っている様々な具が。

つくね、大根、ゆで卵、はんぺん、ちくわ……とりあえずはその五種類が出されてきていた。

(にしても、流石は本業、このおでんめちゃくちゃ美味いんだよなぁ……)

特に、僕が好きなのはこの軟骨入りのつくねである。

夜、肌寒い風に当てられながら食べるつくねと酒に見立てたリンゴジュースは最高だ。

と、そんなことを考えながらも、僕は早速つくねの串へと手を伸ばそうとして――

「モグモグ、んぐっ。ぷはぁ、このつくねってめちゃくちゃ美味いな!おい執行者!お代わぶふぉぁぁぁっ!?」

「こんっっのアマァァァ!!」

気がつけば僕は彼女へと殴りかかっており、完全な不意打ちからかそれを顔面に受けた彼女は、きりもみ回転をして吹き飛んでゆく。

この野郎! 僕の一番楽しみにしてるつくねを食いやがって! ぶっ殺してやる!

内心でそう意気込んでいると、彼女はヨロヨロと立ち上がり、その膨れ上がった頬へと手を当てた。

「ふ、ふふふっ、ま、まさかこの私に手傷を負わせるとは、これは警戒レベルをいくつか引き上げ――ちょ、ま、待て!今ちょっとらしいこと言ってるんだから!頼むからそのつくねの串を持ってにじり寄ってこないでくれ!」

結局、僕と彼女の小さくて、それでいて少し大きな諍いが終わったのは十数分後の事だった。

☆☆☆

「くっ、今回は、私の負けということにしておこう……」

そう、屈辱だと言わんばかりの表情を浮かべながら告げたのは、僕の隣に席一個分を空けて座っている彼女だった。

見れば彼女の体中にはポツポツと何かで刺されたようなあとが残っており、地味に痛かったのか彼女の目尻には涙が浮かんでおり、グスッと鼻をすすっている。

対して僕は。

「い、いや……悪かったって、ただここで殺しておけば後々楽かなぁーって」

「おい!なんてことを言うんだお前は!」

そう叫び、僕の胸ぐらをつかみあげる彼女。

傍目に見ればものすごく危険な映像だが、けれども何となく、彼女はそういった不意打ちはしないのではないか、と。そんなことを思っていた。

……まぁ、ただの勘なんだけどな。

そんなことを考えていると、彼女は僕の胸ぐらから手を離し、そのジャケットの袖で涙を拭った。

「全く……泣かされたことなどいつぶりだ。しかもよりにもよって、その相手がたまたま屋台で出くわしただけの格下。それも武器がおでんの串ときた。……これほどまでの屈辱、味わったことがないぞ」

「はいはい、そうですねー」

「くっ、くぅぅぅぅう……」

そのテキトーな返事に悔しげな声を漏らす彼女。

もうあれだな。初期に抱いていた『子供すら嗤いながら殺す極悪人』という偏見は完全に払拭されたな。僕も実際にショタ時代に殺されかけてるわけだし。

とまぁ、そう考えると実の両親をこいつに殺されている訳だが――

(まぁ、過去のことを気にしてもな……)

正直、生みの親は僕にとっては過去でしかない。

それは少し酷いと思われるかもしれないが、その親とて怒りに任せて復讐を誓い、勝てもしない相手に特攻しろ、だなんて思ってもいないだろう。

それに何より――今は、大切なものが出来すぎた。

「本当に、お前とは戦いたくないな」

僕はそう、ポツリと呟いた。

すると彼女はつまらなさそうに「ふんっ」と鼻を鳴らすと、そっぽを向いて口を尖らせる。

「ふん!私としては貴様が我が軍に下ると言うのであれば見逃すつもりだがな。貴様程の怪物が『悪魔落ち』したらと思うと……ククッ、本当に私を超えるかもしれんな」

「はいはい、悪魔落ちスゴイデスネー」

そんなことを言いながらも、かつてルシファーが死神ちゃんへと『悪魔落ち』を勧めていたのを思い出した。普通に断られていたけどさ。

すると彼女は、チラリとこちらへと視線を向ける。

「本当に……嫌なのか?個人的には貴様の顔は好みではないが、その性格には大いに好感が持てる。何よりもこの私を前に対等に話をしてくれるのだ。お前が悪魔落ちさえしてくれれば、私たちはきっと最高にして最強のコンビになる。お前が望むものは、私が全て手に入れてこよう。簡潔にいえば、お前を養ってやれる準備は整っている」

その言葉に、僕は思わず苦笑した。

まさかここまで必死に勧誘してくるとは――案外、彼女は僕のことが気に入っていたのかもしれない。

けれど。

「おいおい、僕にそんなに依存して大丈夫なのか?その時が来てから『やっぱり殺せない』とかはないぞ。助かるけど」

「……まぁ、それはその時になってから考えるさ。少なくとも、今私が考えるべきことではない」

そう言って彼女は寂しげに、そして悲しげに顔を伏せると。

「お前は……戒神衆、というものを知っているか?」

その聞き覚えのある言葉に、僕は思わず体を硬直させた。

「――戒神衆。大悪魔序列一位、サタンが手塩にかけて作り上げた最強の悪魔集団だ。それら一体一体があのルシファーと同格の傑物であり、しかもそれが『衆』と呼ばれるだけ居るのだ……。貴様とて、その恐ろしさは分かるだろう?」

その言葉に僕は思わず頬が引き攣るのを感じた。

「へ、へぇ……、な、なら、そいつらで大悪魔結集した方がいいんじゃないかなー?」

「残念ながら、大悪魔とは私が決めようとして決められるものではないからな。言わば完全なランダムなのだ。だから、バアルやアスモデウスという比較的軟弱な者もその座につけていた」

そうは言うが、あの二人も僕からすればとんでもなく厄介だがな。

アスモデウスはありとあらゆる存在を洗脳し、意のままに操る。僕だからこそ大丈夫だったものの、他の奴らが相手をしていたら――そう考えると背筋が寒くなる。

そして、バアルは……あれは恐らく戦闘タイプではないだろう。

僕の勘だが、やつは恐らく斥候タイプ。相手の陣営に人知れず紛れ込み、内側から破壊工作をする。そんなことに長けた大悪魔こそがバアルなのだろうと思う。

つまりは、二人共自分の本領を発揮できなかった故の敗北だっただけで、二人共厄介なことには何ら変わりはない。

――それに、ルシファーも。

「少なくとも、油断して勝てるほどに弱い相手じゃなかったはずだが……、そんな奴らが集まってる?だとしたらそのサタンとか言うやつは――」

「サタンは、強いぞ」

僕の言葉に、彼女は被せるようにそう告げた。

「少なくとも今の親父――神王ウラノスよりははるかに強い。何故メフィストがこちらを裏切らないと思う?答えは私とサタンには、どう足掻いても勝てないからだ」

彼女はそう言って『ふっ』と笑みを浮かべると。

「一つ忠告をしておこう。もしも万が一、サタンにばったり会うようなことがあれば逃げるが吉だ。でなければ、仲間諸共皆殺しになるだろう」

そう呟いて、僕の皿からつくねをかっさらっていった。