雪のように白いギリシャ彫刻が、しなやかな片脚を高々と頭上まで掲げる。

すげえ、バレリーナみたいだ。

そして彼女はその足を、一気に大猿の脳天に叩き落とした。

猿の頭蓋が外殻の岩ごと粉砕される。

血飛沫が舞い、砕けた岩が花火のように爆ぜ飛んだ。

ゴレがやると絵的にやたら派手だが、要するに、単なるかかと落としである。

砕けた脳天を地面にめり込ませ、大猿は絶命している。

やはり猿のサイズは、西に進むごとに大きくなり続けているようだ。

この辺りの大猿は、もはや超大猿だ。サイズ的には立派なゴリラといえる。

まぁ、見ての通り、相変わらずゴレの前では平等に一撃死なのだが。

というか、今朝偶然かかと落としを決めたときに俺がちょっとほめてやって以降、ゴレはもう半日以上ずっと、かかと落としだけしか使っていない……。

何事もバランスが大事だと思う。

そろそろ他の技もほめてあげないと、まずい気がする。

「それにしても凄まじいな、ネマキ君のゴレタルゥは。正直、まさかこれほどまでとは……」

ずり落ちかけた丸眼鏡をかけ直しつつ、スペリアのおっさんが茫然と呟いた。

「よもや本当に、土小鬼の跋扈する街道上をそのまま直進するなんて思わなかったよ。私はてっきり、ゴーレムの表土索敵を用いて、群れとの接触を回避しながら進んできたものとばかり思っていたんだが……」

土小鬼(アースゴブリン)。

そう、この猿どもの正式名称である。

岩を纏ったニホンザルかと思っていたが、こいつらゴブリンだったのだ……。

もちろん俺はもうこの不思議生物に対しては、深く突っ込むことをあきらめていた。

スペリアのおっさんがゴブリンだと言うのなら、きっとゴブリンなのだろう。

だが諸君、ちょっと待ってほしい。

ゴブリンは人っぽいから、おそらく分類的には霊長類の仲間だろう。

人間以外の霊長類を猿だと考えれば、ゴブリンも地球的には猿と言えるのではないか?

そう。つまり、ゴブリンは猿である。

よって今後も、俺の中でのこいつらの呼称は「猿」として統一する。

「土小鬼は、駆除の難しさでいえば、間違いなく最悪の魔獣の一種でね。彼らの体表を覆っている岩石は、魔術の干渉を弾くんだよ。だから、魔術師には、手も足もでないのさ」

不思議そうな顔をする俺に、スペリアのおっさんは色々と説明をしてくれる。

このあたりは、やはり教職という感じがするな。

「おまけに、土小鬼の用いる“魔導”は、やっかいな土属性の魔導である〈岩石弾〉だ。通常、魔獣の用いる技に対して優位に立てるゴーレムですら、有効打にならない。〈岩石弾〉は、質量を伴っているからね。軽ゴーレムの装甲ぐらいあっさり貫通してしまうし、たとえ軍用の重ゴーレムでも、囲まれて飽和攻撃をしかけられたら、どうしようもない」

そう言ったスペリアのおっさんは、ちらりとゴレに目をやってから続ける。

「とはいえ、ネマキ君のゴレタルゥ並の索敵能力と速度で、しかも物理的に超強力な先制攻撃が可能なら、まったく関係のない話だろうけどね」

まぁ、今更なゴレのでたらめっぷりはともかくとして、この話からすると、やはり聖堂のギリシャ彫刻ゴーレム達って相当に強かったんだな……。

ん? まてよ。今おっさんの解説に、気になるワードがあったな。魔導?

猿が飛ばしてくる石ころは、魔術じゃないのか?

というか、魔導ってあれだよな。完全に忘れていたが、俺のこの世界での一応の社会的肩書きである「破滅の魔導王」の「魔導」のことだよな?

「……魔導というのは? 魔術とは違うのですか?」

俺の質問に、スペリアのおっさんは解説をしてくれる。

「魔導ってのは、魔獣のみが扱える、魔力の操作術のことだね。既に生成された後の魔術を、そこから、さらに導き操ることができる。私たち人間は、一度生成させた魔術をそれ以上操るなんて事はできないだろう? たとえば、火弾や風刃を一度放ったら、それ以降の軌道変更はできない。これが特に土魔術なんかだと、石を生成したらその場に置きっぱなしになるから、とても悲惨だ」

くっ……! 悔しい! でも、否定できない!

「だけど、魔獣は“魔導核”とよばれる体内器官を用いて、生成後の魔術を操作することができる。これが魔獣の、魔獣たるゆえんだね」

「なるほど。それであいつらは、生成した石を飛ばすなんていう、土魔術ではありえない事をしてくるわけですか……」

「そういう事だね。結局のところ、魔導の場合は人間が用いる魔術と比べて、各属性の危険性という物が大幅に違っているのさ。質量を伴う土属性や氷属性みたいなのは、魔術的な防御を貫通しうる、非常に厄介で危険な属性になるんだ」

並んで歩きながらひとしきり説明した後、おっさんは俺の方に顔を向けた。

そして、出来の悪い生徒をからかうように、苦笑しながら俺の肩を叩く。

「しっかし、ネマキ君はあれだな。こんなに凄いゴーレムを使役しているのに、魔獣の知識は、からっきしだなぁ! ふふ、よっぽどのお坊ちゃんだったと見えるね」

面目ない。俺の知識は、多分この世界の小学生以下です……。

それにしても、“魔導”か。

俺も〈NTR〉で、猿と一緒になって石ころをびゅんびゅん飛ばしてるんだが、あれは魔導じゃないのか? そういえば、今日はゴレがかかと落としで張り切りまくって片っ端から猿を殺して回っているせいで、まだ一度も〈NTR〉を使ってないんだが。

「あの、魔獣以外には、まったく魔導は使えないんですか?」

とりあえず、困ったときはスペリア先生に聞いてみよう。

「んー。そういう事例は、聞いたことがないねぇ」

そう答えた彼は、少し考えるような表情をした後、さらに言葉を続けた。

「……魔獣以外で、もし魔導を使えるとしたら、あれだね。昔話に出てくる“魔導王”くらいだろうね。まぁ、実在は怪しまれている存在だけどね」

魔導王。

ここに来て彼の口から出てきた、俺の、一応のこの世界における肩書き。

まじか。知っているのか、スペリア大先生!

俺が魔導王についてさらに質問しようとしたとき、前方の街道沿いの崖上から、茶色い影が飛び降りてきた。

影の正体は、ゴリラサイズの大猿だ。

わりと距離が近い。

傍らのゴレの様子を見た。ゴレは俺の斜め前でいつでも庇える位置に立ってはいるが、一向に敵に襲いかかる気配はない。ちらちらと俺の方を気にしている。

ああ、なるほどな。いつものように俺に〈NTR〉で遊ばせようとして、わざと単独行動の猿の接近を許したのだろう。優しい奴だ。

そういえば、さっきから俺はずっとゴレのことをほったらかして、スペリアのおっさんとばかり話している。寂しくなって、こいつなりに一生けんめい気を引こうとしているのかもしれない。

こいつ、わりと自己主張が下手だからなぁ……。

しかし、どうしたものか。

先ほどのスペリアのおっさんの話からすると、どうも〈NTR〉って、魔導王にしか使えない技なんじゃないか?

この場で使っても大丈夫なのだろうか?

せっかくの気遣いだけど、普通にゴレに倒してもらった方がいいのかな。

俺は逡巡しつつ、前方の大きな猿を見やった。

結構距離が近いし、猿自体もかなりでかいので、体表のごつごつした岩の一つ一つが見える。

「……にしても、あの岩が魔術を弾くのか。見た感じ、普通の岩なんだけどな」

俺の呟きを聞いたスペリアのおっさんが言った。

「土小鬼の魔術防御は、原理的にはゴーレムのそれとまったく同じものさ。……そうだね、百聞は一見にしかずだ。実演してみせよう」

おっさんはそう言うと、一歩前に進み出た。

そして、右手を接近してくる大猿に向けてひょいと構える。

大猿の方は、そんな彼の動きをまったく意に介する様子もない。悠々と近づいてくる。

大猿を十分に引き付けたところで、おっさんが魔術を詠唱した。

「では、いくよ。――〈火球〉ッ!」

ソフトボールくらいの火の玉が、おっさんの手の平から高速で射出された。

火属性魔術だ。

すごく派手で、主人公っぽい。くやしい。

火の玉は、猿の胸元に見事直撃した。

だが着弾の瞬間、妙な感じがした。猿の体表にぶち当たった火の玉が、拡散して消えてしまったように見えたのだ。

「……と、まぁ、こんな風に、石の内部に循環する魔力の流れに弾かれて、散らされた魔術が粒子に戻ってしまうわけだね」

解説するスペリアのおっさん。その様子はまさに、理科の先生といった感じだ。

そんな彼の前方を、火魔術の熱で発生した陽炎に包まれた大猿が、ゆっくりと歩いてくる。

「やはりこのサイズの変異体になると、中級魔術程度ではびくともしないね……」

見たところ、確かに猿がダメージを負っている様子はない。

なるほど、マジだ。魔術が効いてないな。

明らかにかなりの高熱の火の玉だったのに。ゴリラ猿すごい……。

それにしても、先ほどおっさんは、わざわざ猿の接近を待ってから魔術を放っている。この世界の魔術というのは、射程距離が案外短いのかもしれない。

実験の様子にしみじみと感心している俺の方を、スペリアのおっさんが振り向いた。

彼はなんだか言い出しにくそうに口を開いた。

「……あの、ネマキ君。そういうわけで、私の魔術では倒せないんだよ。すまないんだけど、あの土小鬼の変異体、倒しといてくれるかな?」

「あっ! そうでしたね。気が利かなくてすみません」

そうだった。実験の事後処理はこちらが担当しなくては。

見れば、火魔術をぶつけられた大猿の表情は、完全にキレている。いきり立って牙をむき出し、今にも飛びかかってきそうな様相だ。

やばいな、これは。

「ゴレ。あの猿、やっつけてくれないか?」

俺の言葉を受けたゴレが、血に飢えた猟犬の如く、獲物に襲いかかった。

放たれた美しいかかと落としで、一瞬にして大猿の頭部は汚い花火と化した。

-----

「見てごらん、ネマキ君。あれが土の瘴気だ。既に目視できるほどの濃度になっている」

スペリアのおっさんが、進行方向の地平を指さした。

見れば、街道の先がうっすらと土色の霧のような物で覆われている。

もしおっさんが解説してくれなかったら、おそらく俺は、地表の砂粒を風が舞い上げてあのような状況になっている的な推測をして、無駄な労力を使っていたことだろう。

「人体に直接の害はないけど、魔獣を大量発生させる上に、変異させる。土の質も変わってしまうから、農作物も育たなくなる。……大地に瘴気が溢れれば、そこに人は住めなくなるのさ」

マジか。やばいな土の瘴気。見た目は、わりと地味なんだがな。

「でも、この地方に土の瘴気が発生するなんて、今までそんな記録は見たことがない。何か異常な事態が起こっているのは、間違いないね」

それでスペリアのおっさんが、わざわざ危険を冒してこんな所まで調査に来たわけか。

素晴らしい精神だな。このおっさんこそ、まさに文化人の鑑だ。

地球の文化人代表として、心の中でおっさんに敬意を表明していた俺だが、そのとき、前方の瘴気の靄の中にいくつかの大きな影が見えた。

よく見れば建物……集落だ。

すでに日暮れが近い。今夜はここに宿泊することになるだろう。

やはり、集落は無人だった。

まぁ、当然と言えば当然だ。この辺りは、もはや猿のサイズがやばい。

どう考えても、一般人に対処できるレベルを完全に超えている。

「やはりこの集落も瘴気にのまれていたか……」

スペリアのおっさんは、難しい表情で呟いている。

あれ? おっさんは、この集落の状況を知らなかったのだろうか。

彼は、この街道を通ってサマリまで来たわけじゃないのか?

俺達が来た東の方向には、集落なんて一つもなかったし、街道はとくに分岐もしていない東西の一本道だ。だからてっきり、おっさんはこの街道を、俺達と反対の西からやって来たのかと、そう思っていたんだが。

「スペリアさんは、一体どうやってサマリの集落まで来たんですか?」

俺の疑問を受けたスペリアのおっさんは、自身が右耳に着けている青緑色の耳飾りを指さした。

「ああ、私はね。こいつを使って……南の方からサマリまで、北上して来たんだよ」

「まぁ、見ていてごらん」

スペリアのおっさんは、集落の入り口に立ち、何やら小さく唱え始めた。

右耳に着けた青緑色の水晶が、淡く発光しはじめている。

数秒後、彼を中心に、さぁっとわずかな風が吹き出した。

そよ風ってかんじだな。

しばらく目を瞑っていた彼だが、やがてゆっくりと目を開け、うなずいた。

「……うん。大丈夫だね。この集落の周辺には、もう土小鬼はいない。先ほどゴレタルゥが倒した個体が、最後の1頭だったみたいだ」

スペリアのおっさんの水晶の耳飾りは、一種の魔道具だったらしい。

これで風魔術を強化して、高度な索敵をおこなっていたのだ。おっさんの必殺技なのだそうだ。

この索敵術で猿をかわしながら、南から山の中をジグザグに北上して、サマリの集落までたどり着いたってことのようだ。

たしかに地図で見た感じ、南の方にも集落がある様子だった。だが、おそろしく距離が離れている上に、山越えまでしなければならないので、俺は真っ先に候補から外していたのだ。

彼はあの距離を、ひたすら猿をかわしながら一人で移動して来たのか? しかも、道もないような険しい山地を。

ゴレに完全におんぶに抱っこ状態の俺とは、えらい違いである。

スペリアのおっさんの努力には、頭が上がらない。

「この魔道具、本来は両耳の2つで1セットなんだけどね。……片方はどこかで、落としてしまったらしい。多分、うっかり土小鬼を回避しそこねて、追い立てられたときだろうね」

そう語る、スペリアのおっさん。

彼は少し困ったような顔をして、頭を掻きながら、照れくさそうに苦笑した。

「だから、術の精度が本来よりかなり下がってしまっているんだよ。実際のところ、君に同行してもらえて本当に助かっているんだ」

おっさんは本当に苦労している。

しかも学術調査という、非常に文化的で崇高な目的のために、である。

俺などで少しでも助けになれたのなら、本当に良かった。

まぁ、俺はただのゴレのヒモ状態なんだが、そこには触れないでほしい。

俺達は空き家を一軒適当に見繕い、今夜はそこに泊まることにした。

夕食は、お互いの食糧を持ち寄って、スープを作った。

何やら玉ねぎみたいな物やら、ひよこ豆みたいなのやら、スペリアのおっさんは肩掛け鞄の中からぽんぽん気前よく取り出してくる。おそらく調査を予定より早く切り上げたせいで、あまり食料の残りを気にする必要がなくなったのだろう。

俺も対抗して、干し肉を大量に提供した。

叩いてほぐした干し肉を、野菜と一緒に鍋に入れていく。

そこに、おっさんが持っていた香辛料をぱらりとふり入れた。良い香りだ。

煮込んでやわらかくなった具のスープを、おっさんと共に仲良く食した。

ああ、なかなかに悪くない味だ。

干し肉ってスープに入れると、意外と良い出汁が出るのだ。ジャーキースープってやつである。

あ、この野菜やっぱ普通に玉ねぎっぽいぞ。美味い。

今日は良い感じに歩いているおかげで、ジャーキーの塩気が空腹の体に沁みわたり、これがまた格別の味わいとなっていた。

ちなみにこのスープに使った水は、スペリアのおっさんが水属性魔術で生成したものだ。

このおっさんは、本当に多芸なのだ。

それにしても、うらやましいよなぁ水魔術。崩れたらゴミ同然の土とは違って、崩れても水は水なのだ。こうしてきちんと飲める。素晴らしいぞ。

実はこの水魔術というもの、使う人が使うとかなり強力なのだそうだ。

質量を伴う属性魔術という点は、氷属性や土属性と同じなのだが、水属性は生成物が個体ではないので、その性質に流体操作を含む。つまり、火魔術や風魔術なんかと同様、魔獣じゃなくて人間でも、生成前に移動ベクトルを指定しておくことができるのだ。

要するに水鉄砲を発射したりできるし、上手くやれば、川の流れをある程度操作したりもできる。水属性の大魔術師が、ほとんど一人で城を陥落させたという記録すらあるらしい。

しかも、治癒魔術も、8割以上が水魔術に属している。

水魔術すごい。

そんなにすごい水属性なんだけど、四大元素属性には含まれていない。

この世界の四大元素は“火・風・土・氷”だ。

つまり水属性は、クソ雑魚属性扱いされている土属性はおろか、大気中の水の粒子を媒介として用いる似たような系統と思われる氷属性よりも、公式の地位としては低い。

なんとなく、不遇な感じがする。

俺の持ってきていた甕の中の水も減ってきていたので、ついでに水魔術で補充してもらった。

この集落跡にも井戸はあって一応枯れてはいないのだが、瘴気の影響で水質が変わっているかもしれないので、あまり飲まない方が良いらしい。

知らずに飲んでいたら、腹をこわしていたかもしれない。

水魔術は地味に超便利だな。ありがとう、水魔術。

一緒に協力して、いつの日か火魔術を打倒しような。

こぽこぽと綺麗な水に満たされていく水瓶を眺めながら、俺は水魔術との同盟を心に誓った。

------

暖炉の火が温かい光を放っている。

食後に、ゴレがたいそうお上品にカットしてくれたクランベリー林檎様をぱくつきつつ、俺は『魔術入門Ⅰ』を読み直していた。

今日は、おっさんの講義により色々と新しい情報を知ったからな。

今もう一度読めば、この本の理解も深まるかもしれない。

何事もおさらいは、大切だ。

スペリアのおっさんは、暖炉の前に座って、装備の点検をしている。

ちなみに、食料をいろいろと融通し合っている俺とおっさんであるが、俺はクランベリー林檎様だけは、頑として、おすそ分けしていなかった。

すまん、おっさん。許せ。

いくら文化人の誼(よしみ)とはいえ、これだけは、どうしても譲ることはできない。

さて、真面目に学習をはじめていた俺だったが、満腹になっている上に温かいので、すでに本を読みながら、うとうとしはじめていた。

読書家を自称する俺としては、あるまじき失態である。

だって、仕方がないんだ。隣に座っているゴレが、すごく温かい。

完全に湯たんぽ……いや、この温もりの魔力は、むしろこたつに近い。

うとうとしている俺の横顔を、間近から凝視していると思われる、ゴレの強くて熱っぽい視線。

しかし、もう、いつものことで慣れきってしまっている俺。

睡魔は、そんなことでは去ってくれない。

意識が落ちかけていた俺に、ふと、スペリアのおっさんが話しかけてきた。

「おや、それは『魔術入門』かい? 懐かしいね。私も初学者の頃はそれで勉強したものさ」

おっさんの声に、俺は眠たい目をこすりながら、顔を上げた。

彼は、俺の手元の本をしげしげと見つめて、うれしそうに眼を細めている。

だが、懐かしげに細められた彼の瞳は……何故だろう。どこか遠く、寂しそうにも見えた。

「……そうか。ネマキ君は、その本を読んで、魔術を勉強しているんだね」

まだ少し、うとうとしていた俺。

しかし直後の彼の発言は、俺を夢の世界から一気に引き戻すのに十分だった。

「その本の著者に、リュベウ・ザイレーンって名前があるでしょう? その人ね、私の魔術の師匠だった人なんだよ」