一曲を、踊り終えた。
ダンスって、悪くないな。
「でしょう?相手が良いと、本当に気持ち良いわよね!それでね、上手くなってくると、どんどん楽しくなるのよ?でね……。」
アリエル、分かったから。
今大切なのは、そこじゃなくて。スヌークに何があったかなんだよ。
……あの後スヌークはホールの外に出て、おそらく化粧室へ行った。
イサベルに相手にされなかった連中に、何か言われたのかな?
それなら俺にも絡んでくるはずだけれど……。
白いタイを緩め、汗を拭う。
衣服に乱れが無いか、チェックする。
王太子殿下に謁見するということで昨年春に採寸した燕尾服は、すこしばかり窮屈になり始めていた。
飾りボタンが弾け飛ばなかったのは、僥倖に過ぎなかったのかもしれない。
ウィングカラーの飾りボタン。大抵の女子からすると、目の前の高さにあるのだが。
シャツが窮屈だと、こちらの呼吸の度に膨らんでは縮みして、気が気じゃないらしい。
心配だとかそういうことじゃなくて、「来るか?来るか?来ない~。」的な、笑いのタネとして。
李老師の見立てによるともう少し大きくなるらしい、俺の体格。
卒業後に、一式買い換える必要がありそうだ。
また出費かあ。
「それが貴族よ。諦めなさい。」
「さよう。ヒロ殿、必要な出費を惜しんではならぬ。」
了解です。アリエル先生、モリー老。ドメニコ・ドゥオモも、同じ事を言ってたな。
卒業後に爵位を受ける俺は、歳費をもらえるらしいし。何とかなればいいんだけど。
……そうじゃなくて、スヌークだよ。
化粧室を後にして、ようやく本題を思い出す。
そこに人影が、すっと近づいてきた。
「失礼いたします。ヒロ・ド・カレワラ様でいらっしゃいますね?」
見上げる必要があるほど背の高い痩身。正装している。
が、これは貴族ではない。少なくとも上級貴族では、ない。
ホールではなく、ここで声をかけてきたということは……そちらへの入場資格が無い、誰かの従僕か。
誰かの?いや、その家紋は、ナシメント家のもの。
背の高い男に、ただひと言、叩き付けた。
「名乗れ。」
感動から絶望に叩き落されたスヌークの変貌に接して、気持ちがささくれていたというところは、ある。
こちらを見下ろしている姿勢が気に食わなかった……いや、そうじゃない。身長の問題ではなくて、この男は、どこかで俺を舐めている。それが気に食わなかったと、そういうことも、あるにはある。
だが、それ以上に。俺は王家直参のカレワラ家当主。
アリエルが追放された当時で、位階は四位。それぐらいの格はある。
いくら王家とはいえ、その末端に、それも従僕に舐められて良い立場では、ない。
従僕の質問になど、必ずしも答える必要は無い。相手が誰か知っていても、「名乗れ」と言い放つぐらいの威厳は、示さなくてはいけない。感情の問題を措いても。
ピーターやクレア・シャープに、口を酸っぱくして言われているところだ。
従僕の眉が、動いた。
こちらも、眉を動かす。意図的に。「貴様、今不快に思ったな?その態度は何だ?」というわけだ。
この呼吸は、ダグダで覚えた。アレックス様の言われる「殴って言うことを聞かせずして、何が若手軍人か」というわけだ。
喧嘩腰だという自覚はあるが、間違いなくこの男が原因だという直観もあった。
「これは失礼をいたしました。ナシメント家の従僕、フリオ・カビオラです。」
「何用か。」
徹底的に、切り口上で、極め付ける。
従僕のフリオ、今度は感情を動かさなかった。
それが本来の姿だ。従僕稼業にいそしんでいるならば、居丈高な貴族など慣れっこのはず。
にもかかわらず、先ほど眉を動かしたということは。
新都の田舎貴族と舐めていたか、俺のことを予めリサーチした上で舐めていたのか。
「我があるじ、プリンセス・イサベルは、新都の皆様と交流したいと仰せです。しかしなにぶん、私どもは新都の事情に疎いところがありまして……。会場を確保し、さまざま準備をするとなりますと、その。」
プリンセス・イサベルね。
はじっこでも王族なら、確かに称号はプリンセスだ。
だが、それをわざわざ言い募り、こういう話をするのは、つまり。
「スヌークは、何と?」
「ハニガン準男爵様、いえ、爵子様でしたでしょうか。『サロンを裏から支えていただければ、新都滞在中、プリンセスとご一緒に行動いただける』と申し上げたところ、ハニガン様は、こころよくお手伝いを申し出てくださいました。すでに、資金もご提供いただき……。」
そうじゃない。
イサベルの腰巾着になれるなんて話をしなくとも、スヌークなら喜んで「援助」を申し出たはずだ。
王族の端っこであるイサベル。歳費は少なく、格式は高い。つまりは貧乏姫。
それを知ったならば、紳士たる者、無条件で手助けを申し出るものなのだ。金のある者は金を出し、金の無い者は汗をかく。
過剰なほどに紳士らしく、貴族らしくあろうとしているスヌークのこと。プリンセスが困っていると聞けば、何の対価をも求めることなく、身を削ったはずだ。
それなのに。
こいつはデートクラブのような話を持ちかけやがったんだ。
スヌークを、紳士扱いせずに助平な成金扱いしやがったんだ。
スヌークのジェントルマンシップに、貴族の頂点である王族への憧れの気持ちに、真正面から泥を塗ったんだ。
「こころよくお手伝いを申し出た」だと?
イサベルが困っていることは確かだろうと、知らぬ振り、気づかぬ振りでお金を渡したに違いない。
よく耐えたよ、スヌーク。
「この話、プリンセス・イサベルはご存知の上か?ダンスの相手選びは、お前の入れ知恵か?」
俺の声って、ここまで抑揚がないものだったっけ。
詰問しながら、どこか上の空で、そんなことを考えていた。
「細々とした事務は、我ら従僕の仕事。当然でしょう?」
知らないんですか?と言いたげな口調。俺を舐め腐っている。
やっぱり調べたんだな、俺のことを。付け焼刃の貴族だって。
ダンスの相手として、スヌークと俺に的を絞ったってことは、俺のこともちょろい財布扱い……いや、メル絡みで旨みのある存在と見ていたか。
「プリンセスにおかれてはご存じない、か。」
スヌークにとっては、唯一の救いだな。
だがな?
「フリオ。女衒という言葉を、知らぬではあるまい?」
拳を固めた長い腕が伸びてきた。
かいくぐる。罵倒を口にした以上、こうなることは予測済み。
下から、あごに掌底。腹に、前蹴り。
「ヒロ君、それまでに。」
「カルヴィンとの試合以来かしら?久々に見たわね、無表情のヒロ。」
無表情?泣きたいような気がしているのに、俺は無表情なのか?
「イーサン、レイナ。教えてくれ。王都の貴族ってのは、皆こんな連中なのか?」
「新都の貴族も、いろいろだろう?安易に一般化はしてほしくないな。」
「イサベルは、淑女って言うには少しアレだけど、こんな真似は絶対にしない。そこはあたしが保証する。だからその声と顔を何とかしろ!ヒュームじゃないんだから!」
「ご歓談中のところ失礼いたします、マスター。」
物陰から出てきた小柄なピーターが、針と糸を手に取りながら、俺の胸元に手を伸ばす。
飾りボタンが、飛んでいた。
「久しぶりね、フィリア、千早。それにレイナ!みんな変わってないなあ。」
「お久しぶりです、イサベルさん。」
「イサベル殿は、変わられたでござるな。」
「大変貌よね。私と大して違わなかったのに。」
「何言ってるのよレイナ。あなたが新都に引っ越したのって、私達が8つの時じゃない。それに、変わったといえば、レイナだって。詩を出版したり、コンサート開いたりで、随分と変わったんでしょ?うらやましいなあ。」
「ケンカ売ってんの、イサベル?あたしのことをちんちくりんだって!」
「そんなこと言ってないじゃない!何よあんただって、自分だけお金持ちになって!」
物が飛び交う音が、聞こえてきた。
聞こえてくるにしたがい、見えてもきた。
レイナもイサベルも、王都にいた時分は、貧乏姫だったのだ。
で、イサベルはレイナの「経済状況の変化」を、その何だ、「祝福」し。
で、レイナはイサベルの、その何だ、「成長」に、「賛辞を贈っている」と。
すると、イサベルが王都の学園に通い出した理由とは……。
「ご推察の通りです、カレワラ様。プリンセス・イサベルのご両親は、共に王族。大変におっとりとされた方でいらっしゃいます。」
「自分がしっかりしなくては、と。経済や経営の観念を学ぶと、決心されたわけか。」
フリオと二人、談話室の外で聞き耳を立てながら……いや、もとい。
談話室に参加すべきメンバーでありながら出遅れた者として、入室のタイミングを計りながら、会話を交わす。
「王都には、ゆとりをお持ちの紳士が少ない……いえ、可憐な淑女が多いと申すべきでしょうか。」
「全体的に経済がうまく回っていないんだな?紳士も淑女も、少々『窮屈な思いをされている』ということか。」
フリオが、頷いた。
「こちらに来る途次、何度かサロンを開きました。田舎の似非紳士には、分不相応にもプリンセスとの直接の交流を望む者も多く……。むろん、不埒な真似は許しませんが。それでも繰り返されるに従い、私も最初からそれを条件にすることに、馴染んでしまったようです。あまりの情けなさに、いつしか不貞腐れて開き直るようになり。」
卑屈さ、下品さの言い訳にはならないと思う。
何よりも、スヌークの受けたショックを思うと。
それでも、まあ。主従とも必死に努力していると、そう思えば。
「私はともかく、スヌークだが。あれは、本物の紳士だ。心得違いを詫びておけ。許してはくれないと思うが、聞き流してはくれるはずだ。プリンセスの立場に配慮して、な。」
こんな言葉遣いで、真意が通ずるものだろうか。
エドワードやイーサンを相手にするなら、いや、マグナム相手でも、フランクな口調で話せるのに。
身分差、階級差ってものは、難しいんだな。
咳払いしてノックした途端に、ドアの向こうが静かになった。
騒ぎが絶える気配など、まるで感じられなかったのだが。これがさすがの貴族令嬢というものか。
招じ入れられた部屋は、温度も湿度も程よく保たれていて。
それでも何故か、イサベルの額は艶やかに汗ばんでいた。
俺と踊っていた時には、上気するそぶりすら見せなかったのに。
まあ、俺が相手じゃあ、ね。それより何より、レイナとのケンカは、骨だ。
「先ほどはありがとうございました、プリンセス・イサベル。」
「いえ、私こそ。カレワラ様。」
「ヒロとお呼びください。……いきなりですが、後日フリオをお借りできますか?シメイ・ド・オラニエ氏から、『並木街で飲む約束をした』とのお話がありまして。」
連れて来たフリオが驚いて顔を上げるその気配を、確かに背中に感じた。また見下ろしてるんだろうな、俺を。
フリオ、お前には息抜きが必要だよ。気苦労が多いのは分かるけど、だからこそ。おかしな行動をすると、主家にも迷惑をかけるんだから。
俺の申し出に、イサベルは顔をほころばせていた。
「従僕なのに、自分だけ飲みに行きやがって」とか、そんな感情は欠片も無い。
「淑女というには多少アレ」かもしれないが、やっぱり根っこはおっとりした人なんだろう。
「私のことも、名前でお呼びください。……フリオの件は、喜んで。しかしヒロさん、オラニエ様は芸術を解する方と伺っております。フリオは、その点少々。」
「大丈夫でしょ?イサベルは、芸事は得意だから。従僕だって『門前の小僧』に決まってる。……その点、うちのエメは。あいつにも仕込まなくちゃね。」
レイナの言葉を聞いて、思いついたことがあった。
ちょうど目の前には、談話室にはつきものの小さなグランドピアノが鎮座している。
「イサベルさん。よろしければ、お聞かせ願えますか?」
「では、私が作った小品を。」
……「上手だ」ということだけは、俺にもわかる。
幽霊諸兄も、かしましい。
「相当の腕前よ、これ。」
「さっきのダンスだがな。あの体捌き、武術で言えば千早に準ずるレベルだぞ?」
「だから朝倉!なんであんたはそっちに喩えることしかできないのよ!」
「で、ヒロ殿は何を考えてござる。」
はいご名答、モリー老。
「極東の田園風景に似つかわしい曲ですね。私の元に残されていた、アリエルの詩を思い出しました。暗誦はしていなかったもので、今発表できないのが残念です。」
「未発表の、アリエルの詩ですか?」
「眠らせておいても仕方ありません。曲と一緒に使っていただければ、幸いです。」
後は自分でやるでしょ。
ビジネス方面、しっかり勉強しているらしいし。
「かっこつけるのは結構だけど、あたしに作れって言ってるのよね、それ。」
「伏してお願い申し上げます。我が偉大なる祖父、詩人アリエルよ!」
「まあいいわ。そういうことよ。金の無い紳士は汗をかけって、ね。……ただ、いつまでもおんぶにだっこじゃあ困るから。そうね、王都に行くまでの間に、そっちもひと通り仕込むから!覚悟なさい!」
レイナが、フィリアが、そして千早が。薄ら笑いを浮かべて俺を見ている。
この時ばかりは、「少しいやらしい」と言われずに済んだけど。
談話室なんだからさ、遠慮なく口にしてくれよ。
淑女たるもの、紳士に気まずい思いをさせるべきじゃあないと思うんですけど!