The Story of a Different World Dynasty - When I was reincarnated, I was treated like a Necromancer, but I started to wonder if it was bad.
Lesson 250: The Phase of Lori's Difficulty, Part 4
男の声に、修道院の前へと駆けつける。
呆けていたフィリップの妻が、夫の姿を認めるや首にかじりついた。
「あなた! カサンドルさんが、カサンドルさんが……」
何が起きたか、説明を待つ必要も無い。
聖堂から出てきた母娘と侍女が店で待つ夫の元に向かう、その僅かな隙を突いての犯行であった。
目撃者を求めれば、みないっせいに西を指差した。
気の利いた者が、それぞれ叫びを上げる。
「馬でした!黒い馬!」
「男だ!覆面していた!」
「いきなり掬い上げていた!怪我はないぞ!」
感謝の言葉もそこそこに、指示を出す。
「アカイウス!探索を! ユルは迎えに来るカレワラ郎党衆に連絡!」
この日、ヒュームは滝口に出勤していた。
夕闇迫る時間帯、グリフォンの活動限界も近い。
日頃ソツのないフィリップだが、パニックに陥った妻をなだめるのに精一杯。
それでもシスターたちに妻を預け、ようやくこちらに向き直る。
その間にこちらもひと呼吸置くことができたのは、幸いであった。
「変質者による突発的な犯行ではない。手際が良すぎる。……以前からカサンドルに執心していた者、ヴァロワ家あるいは君に恨みを持つ者。心当たりは無いか?」
「王宮です。後宮勤めの話が出ていました。……理由あって断りましたが」
フィリップが口にしたのは「行き先」。
犯人についても心当たりはあるようだが、口にしなかった。
いずれにせよ、目的地がはっきりしているならば手はある。
いまだ薄暮、鳥目のグリフォンでもギリギリ行ける。
王宮は陽明門へと飛び、その場で近衛兵に指示を出した。
「子供を連れた者、大荷物を搬入しようとしている者は問答無用で差し止めよ。臨検に応じぬ者に対しては時間を稼ぎ、小隊長の到着を待つべし」
夕闇の中、近衛兵たちのシルエットが大きくなる。
事も無い日々に飽きていたところに振って沸いた刺激を歓迎しているのだ。
中でも白く光る歯に目を凝らせば、イーサンであった。
「ヒロ君、門の出入りはまさに『衛門』の担当だ。緊急事態だろうから、僕は咎めないけれど」
「先輩の『衛門』小隊長には、後で話をつけとけよ」と、それが苦笑の意味するところ。
宛ては無きにしも非ず。現今の近衛府は、ひとりを除いて小隊長以下の結束が異常に固いから。
後の言い訳など考えている余裕はないはず、だったのだが……。
容疑者確保の通報は早かった。
「僕も行こう」
「良いのか、イーサン?」
容疑者は、「王妃殿下(国王陛下の第二夫人)の指示だ」と喚いていたから。
こちらの事情でめんどうに巻き込むのもどうかと。
「その程度で引くわけにはいかないだろう? 『衛門』……門番は、融通が利かないぐらいでちょうど良い」
王妃殿下のご機嫌を損ねるのと、「骨の硬い若手」という評判を買うのと。
磐石の地位を誇るデクスター家の若君・イーサンの場合は、後者のほうが「得」になる。
荷物の搬入を装った犯人は、達智門……王宮の東北角で、引っ掛かっていた。
「荷を検める。良いな?」
「王妃さまに憚りがあるぞ!」
ま、その他に言葉もあるまい。
「我々は無理にでも荷を開ける。内容物に問題があった場合、正式な手続きに則る必要が出てくる。そうなると事が表沙汰になる。そんなめんどうは、誰も望んでいないんだよ」
言い向ければ、幸いにして運搬人は、話の分かる男であって。
「表沙汰になった場合、王妃さまの責任にはできない。ならば責任を負わされるのは……」
そういうことだ。
「今なら聞かなかったことにしてやれる。改めて聞くぞ?お前は本当に王妃殿下の関係者なのか?」
暗闇の中、犯人は俯き、言葉を発しなかった。迷っているのだ。
ならば、もうひと押し。
「お前は何も知らされていない、そうだな?荷物におかしなものが入っていたとしても、それは荷主が悪いのだ。何も知らず運んだ者に責任は無い、それが道理というもの」
犯人が、ひょいと顔を上げた。
「これは失礼をいたしました。荷主からそう言えと指示されていたもので、ついてっきり王妃殿下のご命令とばかり。御名を騙るとはふてえ野郎です」
物分かりの良い男のおかげで、カサンドルは無事生還したのであった。
手を広げて迎えようとするフィリップを、しかしカサンドルは避けた。
人前で恥ずかしいのであろうと、近衛兵達が気を回す。王国の9歳は、日本で言えば中学生ぐらいの振る舞いを求められるようなところがあるから。
被衣(かづき)代わりになる布をさしかけた者もいる。
……少しだけ、ひっかかりを覚えた。
カサンドルは、父フィリップのやや過剰な親心に対して鈍感であった。
それはもちろん、「(王国基準で)女の子らしく」振舞ってはいたけれど、必要以上に恥ずかしがったり、はっきり父親を拒否したり。そういう子供には見えなかったのだが。
いずれにせよ、その頃には連絡を受けたカレワラ・ヴァロワ郎党衆が王宮の門前に集結していて。
カサンドル嬢、人目も憚らず大泣きするフィリップの奥方にがっちりとホールドされてしまった。
こうなってはどうしようもない。「(王妃殿下が関わっている以上、どうせ表沙汰にはできないのだから)事情についてはまた後日」ということで、予定通りその日は磐森に宿泊したのである。
「ヒロ殿、よろしいか?」
夜もまだ浅い時間帯。
滝口の勤務を終え、帰ってきたヒュームが部屋の前に立っていた。
「運送業の男でござるが、な。右京運河に浮かんでござった。……予測済みとは存ずるが」
気の利いた男であったが。
あの場で保護してくれるよう申し出なかったのが運の尽き。
仮にそれを申し出ていたとて、娘を誘拐され怒り心頭のフィリップがその約束を守るはずも無いけれど。
穏やかな男だが、それぐらいしないようでは武家の当主を張ることはできない。いや、そもそも人の親ならば怒り狂って当然なのだ。
さりとて、俺が助命を頼み込むのは筋違い。フィリップとの仲に亀裂を生じさせることになる。そこまでして助けてやる義理もない。
全て分かってはいるが、我ながら冷たくなったものだと思う。
「約束は守るべきだ」とか、「末端の男だ、許してやれ」とか。そういう言葉が出なくなった。
そういう言葉を出さなくて済む状況であったことに……犯人が助命嘆願を申し出なかったことに、安堵を覚えていた。
「下手人は……」
言いかけたヒュームと、ふたり扉に目を向ける。
……人の気配、危険は無い。
目を見合わせて後、そっと廊下に歩み出る。
「カサンドル?」
「お手洗いに行こうと思ったんですけど、迷ってしまって」
嘘だ。
迷うにしても、迷い方というものがある。
事件の直後だけに、ヴァロワ一家にはゲストハウスではなく館の「奥」に滞在してもらっているけれど。それでもここは当主の執務室。区別がつかぬはずもない。
「ヒューム、誰か侍女を連れてきてくれ。……何か飲むかい?」
「あ、ありがとうございます。でも……」
侍女が、他の者がいてはできない話、か。
「落ち着いて、ゆっくりで良いよ?ヒュームのほうで理解してくれているから」
その言葉に、決然と顔を上げた。
済んだ瞳が真っ直ぐにこちらを見据える。
「男爵閣下は、父とは仲が良いと伺いました。私の……その……ほんとうの母について、何かご存知ではありませんか?」
カサンドルの表情を、つい最近、どこかで見たような気がした。
記憶を探りつつ、フィリップとの会話も思い返す。
「前の奥方様のことかい?そういう話はしたことがなかったな」
ためらって後、カサンドルが再び声を励ました。
もう一度、勇気を振り絞ったのだ。
……その時見せた顔が何であったかを、ついに思い出した。
「私の産みの母は、父の正妻ではなかったという噂があって……その、私は誰の子なのか、聞いていませんか?」
違う。
カサンドルが見せていたのは、アレックス様の似顔絵を食い入るように眺めていた時と同じ表情だ。
この子が聞いているのは、この子が言い淀んだのは。
――「ほんとうの父は?」、そのひと言――
カサンドルは9歳。母親が妊娠したのは10年前。
アレックス様は18歳。前年秋に王都からウッドメルに出て、春から近衛に勤め始めた頃。
知っていれば、引き取るか、認知するか……それを怠る人ではない。
いろいろと忙しくもあり、会えぬ日々も続いていただろうから……アレックス様は知らなかった?
不良少年を近衛に勤務させるため、ヴァロワ家、フィリップが内密に引取った?
そう言えば以前、ロシウ・チェンが、恋の争いに敗れたと……。まさか、そんな可能性まで!?
カサンドルが、じっとこちらを見ていた。
子供を相手にする時は、ごまかしてはいけない。逃げてはいけない。カストルとポルックスから、俺はそれを学んだ。
だけど何だって、こんな災難を持ち込まれなきゃならんの!?
足音が近づいて来る。時間が無い。
深呼吸して、覚悟を決めた。
「私は何ひとつ、事情を知らないんだ。フィリップとは仲が良いけれど、男どうしは政治とか仕事とか、そういう話ばっかりで、家庭の話をあんまりしないものなんだ。……それでも、私が確かに理解した事を、ひとつだけ」
カサンドルの瞳に、こちらの本気を叩き込む。
まるで動揺を見せなかった。
この子は、強い。大丈夫だ。
「ご両親は、君が誘拐されたと聞いて、それはもう大変に悲しんで、怒って、必死になって君を探した。君が誰から生まれたかについて、私は知らない。けれど、それでも。いまのお父様とお母様、ふたりが君の『ほんとうの』ご両親だ。それは絶対に間違いないよ」
……通じてくれるか!?
「ずるいんですね」
おうふ。ダメですか。
こういうところばっかり、もう大人の女だなんて!勘弁してくださいよ!
だが泣き言を吐いても仕方無いのである。
大人ならば大人として扱い、きっちり話をするまでだ。
「家や家族は、その、血縁も大切だけど。……『寄り集まって、ごはんを食べて、笑って泣いて怒って、仕事したりお手伝いしたり』……そういう一つ一つの全てを、みんなで一緒にやること、何年も続けること。そうして初めて、家族になるんだ。家族って言えるんだ。このことも、絶対に間違いない」
単身赴任とか、しょうもない反論が頭に浮かんだけれど。
そういうことじゃない。まさに揚げ足取り、一瞬で否定する。
「だからやっぱり、いまのご両親が『ほんとうの』ご両親だ。私は自信を持ってそう断言する」
そうだよ。山の民、ハンスとブルグミュラー会長。
天真会の人々、俺と幽霊とカレワラ一党。
そういうものだろ、家ってのは。
扉をノックする音が聞こえた。
どうぞ。……もう大丈夫だから。
「カサンドル!急にいなくなったから心配したぞ!ダメじゃないか男爵閣下のお邪魔をしては。もう寝なさい。……すみません、侍女殿。連れて行ってもらえますか?」
「父親」の顔を、愛らしい顔が下からじっと見上げ、そして。
「おやすみなさい」
カサンドルが部屋を出て行った。
ぎゅっとフィリップの脚にしがみつきながらの挨拶を言い置いて。