近衛中隊長に就任したこの年秋、9月は雨が多かった。

異常気象とまで言えるかは分からない。

しかし1月にクズリの件を報告した縁もあって……いや、その件を口実として、陰陽寮に乗り込んだ。

穴を開けられた個人紋と短刀を手に。

こちらに害意を抱いている国家非公認の陰陽師について情報を寄越すよう談判したのだが、陰陽頭(おんみょうのかみ)のコーワ・クスムス、なかなか粘る。

陰陽寮は技官の役所……どころか同業集団、ギルドに近い。しかも血縁集団である。さらに世間の風当たりも強いとくれば、その団結力の強さたるや推して知るべし。一党のボスである陰陽頭であっても、仲間を売るようなまねはなかなかできない。

そのこと分かっていたつもりではあったけれど。

とにかく時期が悪かった。

豪雨のせいで足元を見られてしまった。

「磐森でも被害が出ているだろう? まずはそちらを心配しては?」と、まあ。

言外に告げてくる顔の憎らしいこと。

(なおこの件については、別ルートからの情報が入ったこともあって多少の進展を見せたのだが、それはまた別途記す)

なるほど磐森でも多少の被害は出ていた。

建設中の磐森高速道は、王国土木技術の粋を極めた(?)建造物ではあるけれど。

その本質は――俺がすんなり理解できたというところから鑑みるに――「土間コン」だろうと思われる。

で、ある以上。雨は大敵である。

異世界の技術と原料を用いた「ちょうすごい土間コン」ゆえ、三日で完全に乾くらしいけれども。

それでも雨が降れば作業は中止。

敷設して、翌日雨が降り出したらどうするのだろうと思ったのだが。

作業員諸君、そこは抜かりなく仮設の屋根を組み上げていた。

「お館さまは神経が細かすぎますわ」

「雨が降ったらどうすんだってそんなん、子供だって予想できらぁね」

「現場は俺たちに任せといてくださいよ」

現場を知らぬくせに口ばかり出すダメ上司になるところであった。

歴史と風土に根ざした技術体系に浅学の余所者が口を出すもんじゃない。

ともかく建設現場はバルベルク系の管理のもと天真会が仕切っているので、何の心配も無い。

領地については、もうひとつ懸念があった。

やはり現場レベルの問題で、ご領主が神経を使うような話ではないのだが。

元・日本の兼業農家の総領息子()という過去がある以上、どうしても。

嵐の中「ちょっと用水路見てくる」……というアレが気にかかって仕方なかったのだ。

「嵐だろうが何だろうが、見に行かざるを得ない」ということはある。

特に……どういえば良かろう、「串団子タイプ」(?)の用水路――用水路(串)が、上流から下流へと複数の田(団子)を潤しているようなつくりになっているケース――では。

堰の開閉を、あるいは漂着物の撤去を怠れば水が溢れる。下流の田に迷惑をかける。村八分が待っている。

あるいは上流の田の持ち主が誘惑――堰や畦(くろ)に細工を施して下流の田を「遊水池」にすることで自分の田を守ろうとする――に駆られぬよう、監視する必要がある。

比べるに、枝分かれしている「餅花タイプ」(?)の用水路は、リスクが小さい。

一本の太い用水路(枝)から、各農家が自分の田(餅)に水を引くような形式の用水だ。

このケースでは周囲に気兼ねなく、己一人の覚悟でリスク管理ができる。

その小さな心の余裕が一歩のためらいを呼び、足を滑らす危険を退けてくれる。

元湖賊のカレワラ家が開拓した磐森、その用水路は「餅花タイプ」であった。

初代なるへいご一党にとって、水路・川筋とは幹線道路。太い水路を領地の奥まで確保せずには落ち着いて眠れなかったと、家伝によれば。

そのため船の入れぬ「串団子型」用水路を嫌った……いや、思いつきもしなかったと。

湖賊と農家と、偶然生まれた利害の一致ではあるが。

仁君()ヒロ・ド・カレワラ氏としては、これは正直ありがたい話であった。

そうした次第で、磐森中心部では豪雨災害の影響は小さかった。

なお中心部を外れた磐森北部の山塊でも、土砂崩れが起きていた。

東川の支流が流れている、山塊の入口付近で――宗教協約に基づき、天真会の修練場と聖神教の修道院を建てた地域であるが――交通が一時杜絶した。

杜絶したけれども。

わざわざ山中の修練場に籠もるような荒法師どもに、都会の誘惑に背を向けた信仰心固き修道士連中である。

緊急物資を届けるとの名目のもとグリフォンにて様子見に飛んだ時には、すでに復旧作業が始まっていた。

尾根筋ひとつ、直線距離にして約5kmを隔てた両宗教施設、お互いに聞かせんとばかり片や護摩を焚き法螺貝太鼓を響かせ。片や鐘を打ち鳴らし聖歌をがなり立て。

景気良いその音に自ら酔い痴れるようにして、道を塞ぐ岩を霊弾もて砕き、川を遮る倒木を強力もてぶん投げして。

「法悦です」

「奉仕は喜びです」

両代表者、よく似たことをのたまっていた。神の試練ではなかったらしい。

また似ていると言えばその笑顔、戦場で敵を撃ち殺した軍人にそっくりであった。 

そうしたわけで、磐森の被害は軽微なもので済んだのだが。

失敗した。やはり領主が現場を飛び回るものでは無い。

ことに面厚かましき……もとい、強靭な精神をお持ちである宗教家を心配するなど、断じてあってはならぬことであった。 

カレワラ家の管理下にある山塊は、いわゆる氷山の一角。

その北には200km四方の山塊が広がっている。

国王直轄領であるその地域にも集落が散在しているのだが、やはり豪雨で道路や水路が各所で杜絶し、孤立しているとの情報が王宮に飛び込んできた。

「グリフォンで連絡を取れるらしいぞ」

「ひと飛びなのだとか」

どこから仕入れたものか、できる貴族は耳が早いようで。

しかも我が身は近衛中隊長、陛下から気楽にお声がかりをいただく立場ということもあり。

「実際どう思うかな、ヒロ?」 

顔を上げれば、穏やかな微笑み。

陰陽寮を相手にしている余裕はどうやら消え失せたと、そうした次第であった。