「アルマーク」

涙声でモーゲンが言う。

「君が泣くのを初めて見た。君みたいな強い人でも、泣くことがあるんだね」

アルマークはそう言われて初めて、自分の目から気付かないうちに涙が零れていたことに気付いた。

「……僕も分からない。何で泣いてるんだろう」

アルマークは涙を乱暴にぬぐった。

「ウォードさんの言葉を聞いていたら、何故かわからないけど」

「わたくしの言い方が回りくどかったのが悪いのです。申し訳ないことを致しました。お二方はどうか堂々となさっていてください」

ウォードがもう一度頭を下げるのを、アルマークとモーゲンは二人で、やめてください、と押し留める。

「僕らは大丈夫です。ウォードさんこそ、これから大変でしょう」

「そうでしたな。やらねばならぬことが山積みです」

さあ忙しいですぞ、と言いながらウォードが作業に戻ろうとしたとき、アルマークは、ウォードに頼まなければならないことを一つ思い出した。

ずっと、どうしようか迷っていたことだが、さっき感じた初めての恐怖がアルマークに決断をさせた。

「……ウォードさん、お願いがあります」

「何でございましょうか」

ウォードが振り返る。

アルマークはそれでも少し躊躇い、それからようやく言葉を押し出した。

「……あの傭兵たちを斬ったのが僕だということは、伏せてもらえないでしょうか」

ウォードは訝しげな顔をした。

「……と、言いますと」

「出来たら……警備の人たちが斬ったということに。僕が斬ったということは、ウェンディにも秘密にしてもらいたいんです」

勝手なお願いですみません、とアルマークは頭を下げる。

ウォードはしばらく黙って考えこんだ。

「……警備の者たちが斬ったとなれば、死んだ者たちの家族への手当ても厚くなりましょうから、それはありがたいことです。わたくしは一向に構いませんが……」

ウォードは言いながら、不思議そうに尋ねる。

「お嬢様にも……でございますか」

「……はい」

アルマークは頷く。

誰も殺させたくない一心で、倒れるまで魔法を行使し続けたウェンディ。

一方、アルマークは今夜だけで8人を殺した。

その事実をウェンディは受け入れてくれるだろうか。

先程までは、ごく単純に、受け入れてくれるだろうと考えていた。

しかし、さっき、ウォードの、あなたが恐ろしい、という言葉を聞いた時に感じた恐怖。

戦場での恐怖とは全く質の違う、初めて感じた恐怖。

それにアルマークは打ちのめされていた。

ウェンディは分かってくれる。

そう思っていた。そう信じていた。

でも。

もしも、万が一。

ウェンディに、恐ろしいと言われてしまったら。

ウェンディに、化け物を見るような目で見られてしまったら。

僕は耐えられない。

アルマークの表情をじっと見ていたウォードは、静かに頷いた。

「かしこまりました。この件は内密に致しましょう。使用人にも徹底いたします」

「ありがとうございます」

アルマークが頭を下げると、ウォードは首を振った。

「なんの、これしきのこと。むしろ死んだ者たちの手柄にしていただけるのならこちらの方からお礼を言わねばならぬこと」

「いえ、僕のわがままです」

恐縮するアルマークにウォードは、アルマーク殿は、と続けた。

「ご自分の出自を恥じておいでか」

痛いところをつかれ、アルマークはうつむいた。

ウォードは、痛ましいものを見るようにアルマークを見た。

「南の人間は、北の傭兵について何も知りません。皆、わたくし同様、知識……とも呼べない程度のことしか知らないのです。嫌な思いをされたことも多々あったことでしょう」

ウォードは優しい声で続ける。

「わたくしの言い方も良くございませんでした。わたくしは、南の人間にはないアルマーク殿の力に強い畏怖の念は感じましたが、蔑むような感情は一切ございませんでした。そのように感じてしまったのであれば、お詫びいたします」

違うんです、とアルマークは言いたかったが、うまく言葉にできなかった。

他の誰に蔑まれようが、そんなことはどうでもいいんです。

そんなことで僕は父を、傭兵を否定したりはしない。

ただ、ウェンディにだけは。

ウェンディにだけは、嫌われたくないんです。

アルマークの気持ちを読んだかのように、ウォードが声を励ました。

「お嬢様のアルマーク殿へのご信頼はひとかたならぬものがございます。お嬢様はきっと分かってくださいます」

それも、分かっています。

アルマークは思った。

ウェンディはとても優しい子だ。

アルマークが傭兵の息子で、何人も人を斬ったことがあると知っても、態度を変えはしないだろう。

でも。

『誰も、殺させない』

ウェンディの強い声が蘇る。

ウォードさん、僕は怖いんです。

万が一、受け入れてもらえなかったら。

それを考えると、怖くて仕方がないんです。

アルマークの表情を見て、ウォードは、優しく頷いた。

「……分かりました。もう言いますまい」

ウォードは、ゆっくりと他の使用人たちの方へ歩き出しながら、最後にアルマークを振り返って言った。

「いずれ、今日のご恩をお返しできる時がございましょう」

アルマークは、歩き去るウォードの背中を黙って見送った。

モーゲンが、アルマークの肩にそっと手を置いてくれた。

「アルマーク、君が言いたくないのなら、僕も言わない。絶対に言わないよ」

「ありがとう。……ありがとう、モーゲン」

アルマークの頬を、また一筋の涙が伝った。

長い夜だった。

夜明けはまだ遠かった。