The Traveling Hero Won’t Let the Innkeeper’s Son Escape

The world that has lost its heroes should walk the path of doom... 28

「――そうだ」

「え」

ウォノクは満足そうに笑うと、中央のモニターに箱舟と天空の門と周囲の様子、そして無数の赤い丸と青い丸を表示させた。それはウォノクの指示なく勝手に動き出す。シュミレートしたものを見せてくれているらしい。

無数の青い丸は、ウォノク達のようで、天空の門近くへ集合を始める。対して赤い丸は異界の生物らしく、天空の門から次々と姿を現わす。

大量の青い丸が天空の門へ近づくと、一斉に点滅をしはじめ、周囲にあった赤い丸を消していく。攻撃をしかけたようだ。

対して、天空の門から出てきた赤い丸は、すぐさまその青に近づき、同じような点滅を始めた。こちらも急いで反撃に出たらしい。

「我々が総力をあげて、天空の門を叩く“フリ”をする。名のある者、腕に覚えのある者、周囲の国々――ともかく今我々が出せる全ての力だ。当然、海から出てこようとしない、ヒルデガルド(あのおんな)にも表に出てきてもらう。そして、そうだな。以前から作っていたザグリス用完全封印魔方陣を、空へ展開する。これも完成してはいないとはいえ、それっぽく見えるだろうから十分に脅しに使える――ともかく、こちらの意図は天空の門で、全力で閉じようとする“ようにみせかける”――すると」

赤と青の光の点滅が激しくなると、箱舟の周りを纏っていた赤い光(たぶん魔術障壁)もその戦いが行われている方のみ、赤い光りの輝きを強めた。次第に青の数が赤を押しだすと、箱舟を纏う光から赤い三角が飛び出して、青へ向かっていき点滅を繰り返し始めた。どうやら箱舟自体が攻撃に参加しているらしい。

「奴も我々が本気で天空の門を閉じようとしているとわかれば、黙って見てはいない。常に監視しているからな。箱舟からも直接攻撃を仕掛けてくる」

これもレミアスとの実験でも確認済みだという。

つまり戦いが激しくなればなるほど、ザグリスの意識は箱舟と共に完全にこちら側へむくというわけだ。

「ここを見ていろ」

そこまで言い終えるとウォノクの指先は、箱舟の下層部分の一部をさした。そこは交戦している所とは対極に近い場所だ。

箱舟を覆っていた赤い光は、戦闘が激しくなるにつれて、ウォノクが指した場所の障壁の色を薄くさせていく。青が赤を消すごとに、箱舟が三角の赤を増やすごとに、障壁の色の差は強くなり――やがて一部に、ちいさな穴をあけた。

ウォノクはその場所を指す。

「戦闘は激化するだろう――だが、本当の狙いはここだ。この場所から内部へひとつのパーティーを箱舟へ侵入させる」

「え、でも」

「侵入したところで、中にも同じような魔術がきっと掛っていますよ?」

「ザグリスに魔力を与えることになってしまうのでは?」

つまりウォノクの作戦は、囮を使って陽動を行い、その間に箱舟に侵入するというものだ。

こういった作戦が、今まで提案されてこなかったわけではない。戦いにおいて、陽動作戦は基本的な戦略のひとつだからだ。

だが、『箱舟に近づくだけで、ザグリスに魔力を与えてしまう』という問題のせいで、実現は不可能とされ、実行に移されることはなかった。

箱舟に入りザグリスを倒すのなら、それだけの実力を持つ者が侵入しなければ意味がない。だが、それは同時に、魔力の高いものを箱舟に近づけさせるということになってしまうからだ。

仮に、魔力を奪われずに近づくことは出来たとしても、箱舟の中まで到達すれば、さすがのザグリスも自分を倒そうと考える者の存在に気づかないわけがない。

なぜなら、ザグリスは常に箱舟の中から監視をしている――そこは“腹の中”も同然だからだ。

しかし、ウォノクは周囲の声を鼻で笑うと、隣にいたルースの腕を掴んだ。

「そこで、こいつらの出番だ」

ウォノクはルースを皆の前に出して、その腕をわざとらしく大きく振った。

「え……まさか、オレ!?」

「は!?」

「本気か、ウォノク!?」

ウォノクの言葉に、ルースどころかジオまでも驚愕の表情を浮かべる。周囲の人々も同じ反応だ。

当然だった。ルースは戦場の端っこで手伝いぐらいは出来るだろうが、ウォノクの言うように箱舟内部に侵入するなんて大役ができるわけがない。というか、ザグリスに近づいた時点で、消されるのが関の山だ。

「本気だ。ルースのような僅かな力しか持たない者たち――なおかつある程度動ける者を内部に侵入させる」

「で、でもオレの魔力が吸収されてしまうのでは?」

「ふん……ルースたち程度の微々たる魔力なら、吸われても大した問題にはならない。そうだろジオ?」

ウォノクの言葉にジオどころか周囲の者たちは全員黙った。

「……本当にオレくらいなら問題ないの?」

彼らが箱舟へ近づくのを躊躇っていた最たる理由は、その力が天空の門を開く魔方陣へ使われてしまうことだ。アレク救出――もしくはザグリス打倒のために、ウォノク達が近づけば、天空の門は今までとは段違いの速度で、その扉を開けてしまうという。

けれどそれはあくまでも、ウォノク達のように他者とは圧倒的な力の差がある者が近づいた場合だ。

(確かにオレには、ほとんど魔力はない)

ウォノクやジオからみればルースの魔力など、微量――それどころか無いに等しいレベル。箱舟に入っても問題ないと言われても納得できる。

(けど、オレがあの中へ入ったところで活躍できるかどうかは――)

同じことを思った者がいたようで、すぐさまウォノクに対して声が上がった。

「閣下、薄い障壁を破って彼が内部へ侵入できたとして、そして彼自身の魔力を奪われても問題なかったとしても、あの中は魔力の渦です。きっと中にも魔力吸収の術が掛っています。無事でいられるとは思いません」

「……何度も言わせるな。我々は全力で天空の門を攻撃するんだ。そんな余裕を奴にもたせてどうする。それに、“そのための”こいつらの弱さだ」

つまり、ザグリスが内部の監視に意識を向けていられないほどの攻撃を、ウォノク達は仕掛ける。ルースたちは弱すぎるので、たとえいたことを感知されたとしても、ウォノク達の猛攻撃を前にしては相手にされるはずがない、と言いたいらしい。

確かに、ザグリスより弱いとはいえ、ウォノク達が束でかかってきたら、余裕をもって全てを監視するなんて不可能だ。コンピューターのように一律に動くなら可能かもしれないが、ザグリスが常に監視して魔力量を調整しているのは実験から分かっている。ルースたちなら、ウォノクの言うように見逃される確率は高い。

「仮に、仮に……彼が内部へ侵入したとして、ザグリスを倒せるとは思えません」

「そ、そうですよ。相手はザグリスですよ!? いくら油断しているとはいえ、彼のような普通の青年が倒すなんて……」

「ああ、無理だな」

「え?」

「だいたい、こいつにザグリスを倒させるなんて、我は一言も言っていない」

「は?」

ウォノクの発言で、再び部屋の中に戸惑いがあふれた。彼の考えていることに、常についていける人物はこの場にいないようだ。

「こいつに、そこまで期待してはいない。絶対に無理だからな。こいつがやるのは、ザグリスに存在を気づかれずに侵入して――そのまま勇者アレクを救出することだ」

「――え!?」

皆と同様に、戸惑いを浮かべていたルースの脳に光が現れた。

とっさに、腕を掴んでいるウォノクを振り向き、詰め寄っていく。

「オレが、アレクを、救出……? アレクを救出できるんですか!?」

「そうだ。お前がやるんだ。というか、お前にしか奴を救出するのは不可能だ」

ウォノクはルースを少し下がらせると、あっけにとられている周囲を見渡して、笑みを浮かべた。

「勇者アレクは、このルースが死んだと思って、力の制御ができなくなり、ザグリスに囚われた。だがルースがこうやって無事に生きていると知ったらどうなる? 目の前に現れたらどうなる? やつは大人しくザグリスと一体化したままでいると思うか?」

「あ……!」

ウォノクの言葉に、周囲はそもそもの始まりを思い出したようだった。きっと目の前の出来事に対処するのに精一杯で忘れていたのだろう。

完全覚醒したアレクがザグリスに捕まったままなのは、己の力の制御ができなくなったため。それは己の覚醒にかかかるほど精神構造へ刻まれていたルースの存在が、死んでいなくなってしまったと絶望したためだった。

周囲の表情の変化を見たウォノクは、ルースへ視線を向けた。

「ルース……お前が『共に帰ろう』と促せば、奴はザグリスの浸食がどれほど進んでいても、自らその部分を切り離して、お前の元へ帰ってくるはずだ。そうだろう? それとも泣くお前を放置するような男か? アレの想いはそんなものか?」

馬鹿にしたように鼻で笑うウォノクに、ルースは瞬間的に首を振った。

ルースの脳裏にいつも嬉しそうに笑顔を浮かべているアレクが浮かんだ。

きっと、もう一度側で声を掛けることができれば、アレクはルースを見てくれる。振り向いてくれる。

(いや振り向かせる)

ルースの死で目の前が見えなくなってしまっているアレクを、今度こそ自分の方へ振り向かせてみせる。ルースは固く決意した。

ルースの様子に満足したウォノクは、再び周囲を見る。

「ザグリスへの対処は、救出した勇者アレク本人に任せる。我々が力を削いでやっているんだ。復活したばかりとはいえ、倒すくらい簡単だろう」

ウォノクは鼻で笑った。馬鹿にしたようにも感じるが、アレクの力を信用しているようにしか見えない。

「あくまでもこいつの役目は、勇者アレクの救出だ。そして、それがこの作戦の要だ。そのために、こいつは身を隠し、出来るだけザグリスには感知させないようにする。こいつがまっすぐ向かえるよう、我々は最大限の助力をする。……もちろんできるなら、我々だけで天空の門を閉じても構わないがな」

ウォノクがそこまで言い切ると、周囲は大きくざわめきだした。

だが誰もが先ほどのように、すぐに否定を口にしない。

勇者アレクをザグリスから救出し、その場で打ち取らせる。そうすれば天空の門も閉じるはずだ。これは誰もが描く理想の展開だ。

(問題は、オレがちゃんとアレクのところへたどり着けるかってことなんだろうけど)

きっと周囲がざわめいているのも、そのせいだろう。

「ルース」

それまでジオたちに視線を向けていたウォノクが、ルースを見つめた。ウォノクの赤く深い色を灯した瞳は強いオーラを放っている。

「お前は先ほど言ったな。アレクを救出するためなら、命すら惜しくないと。自分にできることならなんでもやると」

ウォノクの真剣な問いかけに、ルースは覚悟を決めて頷いた。

「はい」

「――ならば我々の入ることのできない箱舟に侵入してくれるな」

「か、閣下!?」

勝手に話を進めようとするウォノクを周囲は止めようとしたが、そんなもので止まる男ではない。

「お前も知っているだろうが、箱舟の内部はどうなっているか分かってはいない。危険な可能性が高い」

現状調査隊でも箱舟の内部に侵入していないため、中がどうなっているか分かってはいない。そして以前と同じである確率は低いとされている。

「だがお前なら、その中でも勇者アレクを探し当てることができるな」

思わぬ言葉にルースが眉を顰めると、ウォノクは薄い笑みを浮かべた。

「お前には、勇者(あいつ)の金色のオーラがいまも見えるのだろ」

ルースはアレクの周囲で常に輝き続けている金色の光りを思い出した。

「――あ! はい。見えています。ずっと! オレにはアレクの光が見えています!」

船から箱舟を見つめるとき、必ず見える金色の光り。アレクの側にずっといたルースはあの輝きが彼のものであると確信できる。

「……金色の光り?」

ルースの言葉に再び周囲はざわめいた。

(そうか、あの光は誰にも見えてなかったんだ)

以前、アレクが記憶を失った際にも、こんなことがあったのを思い出した。あの光はルースにしか見えていない、誰もアレクの居場所が分かっていないのだ。

ルースのそんな心情を理解しているウォノクは深く頷いた。

「そうだ。勇者が囚われている場所は誰も知らない。だがお前には、お前にだけは勇者の光が見えているという――つまり、お前にしか勇者アレクは探せないし、救えないんだ」

ウォノクはルースの目を見つつも、周囲に聞かせるようにはっきりと告げた。

「で、ですが、ルースくんに場所を教えてもらって、比較的魔力の低い我々が向かって勇者アレクに彼の無事を伝える方法もあります」

「彼は軍人でも兵士でもありません。ただの村の青年です。そんな危険な場所へ向かわせるなど……!」

「箱舟の内部は広い。この距離で見えた場所を宛てにして、内部を探し回れるものか。作戦が失敗する上に、無駄死にするだけだ」

「……っ」

ウォノクの言う通り、ルースも現状ではアレクは箱舟の下の方にいることしか分かっていない。きっと近くまで――内部に入らないと、その場所を正確に告げることは出来ないだろう。

「ジオ、どうだ? お前の無茶な作戦をする前に、せめて我の無茶な作戦をするべきではないか」

ウォノクは人の悪い笑みを浮かべる。自分の作戦を“無茶な”と言いつつも、ジオの答えが分かっているからだろう。

「っ……だが……ルースは弱い、そんな者たちに勇者救出を任せるなど」

「お前の持論である『弱き者を助けるのは強き者であるべき』は立派だというのはわかる。我には理解できんがな。だが我らはいま、その弱き者にすら手を借りなければ、滅びの道を進むだけだ。――お前の作戦が上手くいく確率はどれほどだ? 本当に異界の生物を相手にしながら奴の腹に入り込んで、打ち取れると思うのか? しかも周囲の国を守るため力を分散させながら? ……繰り返す気か?」

ジオは黙ってウォノクを睨みつける。

「我らは常に、力の無い者たちを“弱き者”と決めつけて声を聞かなかった。奴らに手を借りようともしなかった。我らがどうにかするべきだと決めつけて、勝手に物事を進めてきた……その結果がこれだ」

彼らは強かった。だからこそ常に世界を先導していた。それが正しい時もあるのだろうけれど、必ずそうであるとは限らない。

「力の無い者だからこそ、我らができないことができる――そんなときもあることを受け入れるんだ、竜王ゼオギウス」

ウォノクの言葉にジオは目を瞑った。強く握られていた杖の先が静かに床に下ろされる。

「頼ることしかできないというのは、案外辛いものじゃの……」

小さく呟いたジオを見ると、ウォノクは再びルースに向き直る。

「ルース、お前なら行けるな。やれるな」

ウォノクは「やれるか?」とルースに尋ねてこなかった。肯定だけの言葉を求めていた。

(オレみたいに、ウォノクさんたちに比べれば、たいして力のない人はたくさんいる)

訓練を積んだ騎士や、トマーシュの持つ人造兵士の方が、下手をしたらルースより効率よくアレクを探せるかもしれない。

けれどウォノクは「ルースがいないと意味がない」という明確な理由を与えてくれた。アレク救出作戦に、誰もかれもが反対するであろう、ただの村人であるルースが、救出に行く必要性を見つけてくれたのだ。

ウォノク本人にとっては、ただの結果論のつもりだったとしても、この思いに応えない理由はない。

「オレは行きます。箱舟の中に。そしてアレクを救出します――」