The Traveling Hero Won’t Let the Innkeeper’s Son Escape

Lord Knights of the King's Capital has a fiancée's maiden...... should be fourteen

 時間が経ちロビーの灯りを落とした頃、ルースは風呂に入りに来た。

 ブラウ家の風呂は宿屋の物と共同だ。けれど特にお客と一緒の時間に入ってはいけないなんて決まりは無いので、ロッサなどは冒険者と酒を飲みながら入る事も多い。しかし、ルースはいつもお客が入り終わった頃に入る事にしている。というのもアレクが「客と入るなんて失礼だからやめろ」としつこく言ってきたからだ。

(あ、でも今日はまだ誰か入っているな……)

 風呂の扉にある壁掛けが、男性が入浴を示す方になっている事に気づいた。アレクにも散々言われているので、いつもなら他の人がいるとき入ろうとは思わないのだが、明日は魔物狩りがあり朝から忙しい。そのため早めに眠りたいので、さっさと風呂に入ってしまいたい。

(まあいっか)

 ルースは扉を開けて、脱衣所に入った。この扉の音で、中の人間には誰か来た事が分かっただろう、嫌だったら直ぐに出ればいいことだ。

 三畳ほどの脱衣所には一人分の衣類が置いてあるので、一人だけ入浴しているようだった。ルースは全て服を脱ぎ捨てると、タオルだけ持って扉をあけた。

 五メートルほどの風呂場には、三つの洗い場と横幅三メートルほど風呂がある。周りは木の壁に囲まれており、天井には特注の大きな窓がとりつけてあった。おかげで室内のランプだけではなく、月の光も入ってくるのでわりと風呂場は明るい。本当は前世の様な露店風呂みたいなのにしたかったのだが、「女性が入るとき気になるだろ」とこれまたアレクが断固反対したので、換気をして壁板が腐らないように気をくばっている。

 湯気が立つ室内に目を凝らしてみると、そこには先ほど話題にあがっていた本人がいた。

「あ、マクシムさんこんばんは、お邪魔しますね」

「るっ、ルースど、っ! ――っ!」

 明るく挨拶すると、こちらを向く様にして湯船に入っていたマクシムはルースを一瞬見てから飛び跳ねるように驚き、何故か勢いよく湯船に顔を浸けてしまった。

「ど、どうしました? マクシムさん」

「……」

 マクシムのあまりの変な動きに、頭を丸ごと湯船に沈めたわけではないので声をかけると、何故か相手は顔をつけたまま身体の向きを反転させルースに背を向けるようにして顔を上げた。

「ぶはっ、はぁはぁ……っ少々、少々! 潜水の訓練をしようかと思いまして!」

「はあ……潜水の訓練ですか、のぼせないように気を付けて下さい」

「もちろんです!」

 やたら声を張るマクシムを不思議に思いながらも、ルースは洗い場の椅子に腰かけて身体を洗いはじめる。声を張りっぱなしのマクシムと「夜空が綺麗ですな」とか「夕飯を用意して頂きありがとうございます」とか会話をしつつ頭まで洗い終えると、タオルを持って浴槽へ向かった。

「となり、失礼します」

「っ……ど、どうぞ……」

 ルースが一人分空けて湯船に浸かると、マクシムがぎこちなく身体を端に寄せるのに気づいた。前をタオルでしっかり隠していることからも、裸の付き合いは苦手なのかなと思い、ルースも少しだけ端に寄り、一気に肩まで沈めた。

 温かいお湯が全身に染みわたり、疲れが一気に揉みほぐされる。

「はぁ~あ……気持ち良い……」

「く、ぅ……!」

 ルースの声に反応するようにマクシムが妙な呻き声を上げる。そちら視線を向けると、マクシムは横の壁に額を付けて湯船の中で正座していた。

「マクシムさん、体調が悪い様でしたら、早めに上がってしまった方が」

「だ、大丈夫です。悪いところはどこもありません。むしろ調子が良すぎて、立ち上がれないというか、立ち上がっているというか」

「立ち上がる?」

「いいえ、なんでもありません! もうちょっと湯船を堪能したいんです!」

「それならいいんですけど」

 様子のおかしいマクシムが気になったが、あまり声をかけすぎても失礼だろうと思い、ルースは湯船に身体をなじませる。裸の付き合いというのはいいものだと父・ロッサはいうけれど、距離感が難しいものだというのも知っている。あのアレクでさえ、ルースと風呂に入るのは嫌がるのだから、苦手な人は苦手なのだろう。

(それにしても、やっぱりマクシムさんも良い身体しているんだな)

 湯船の表面がお湯を入れているので波立っているため分かりにくいが、正座しているせいかマクシムの背中は三分の一ほど外に出ていたので、そこにしっかりとした無駄のない筋肉がついているのがみえた。ロッサやクラークほどの筋肉だらけという感じではないが、ルースとの体格の違いは明らかだ。ルースも自分は筋肉がそれなりにあると思うのだが、比べてしまうとあまり男らしさを感じないかもしれない。

(やっぱりモテる秘訣は筋肉かな……)

 この顔も身体も気に入っているのだが、やはり筋肉を付けるべきだろうかとルースは真面目に考えていた。

「……あ、明日はついに魔物狩りですね」

「あ、はい。ついに明日ですね」

 ルースがマクシムの筋肉観察をしていると、先ほどよりだいぶ落ち着いたテンションで声をかけてきた。ルースがいつも通りに相槌を打つと、マクシムは次第に正座も崩して肩まで沈みお湯で顔を洗ってから、深いため息をつく。しかし何故か視線は明後日の方を向いている。

「ルース殿は恐くないんですか?」

「恐い?」

「魔物狩りの事です」

「うーん、恐いか恐くないかと聞かれれば、恐いのかもしれません」

 ルースだって殺されるのは恐いし、嫌だと思う。しかも相手は意思疎通が不可能な魔物で、こちらに対する配慮など一切ない生き物だ。相手に寄っては生きたまま頭から食べられる事もあるなんて聞いて平気でいられるほど神経も太くは無い。前世の記憶ある世界が、そういった脅威が無かったから尚更だ。

「……それなのに、この村を出ようとは考えないのですか?」

「村を出る、ですか……」

「王都にくれば魔物に脅かされる事もないし、危ない狩りをして生計を立てる必要もない、とても安全なのですよ」

 ルースは生まれてこの方村を出た事がない。王都の話などはクラークによく聞くし、前世の記憶があるので世間が広いというのも知っている。きっと世の中にはルースの知らない事がいっぱいあるのだろう。そういうのを見聞きしたいという気持ちが無いわけでもない。

(だけど、村を出ようとは思わないんだよな)

 ルースは漠然とこの村で親の宿屋を継いで、死んでいくのが当然だと思っていた。そういう発想自体が無かったに等しい。マクシムに言われてはじめてそういう手段がある事に気づいたくらいだ。それが何故なのだろうと考えて――

「オレ、狩りが嫌いじゃないんです。自らの手で獲物を狩って、感謝をしながら全てを頂く。きっと街に出てしまうとそういうのが薄れてしまうと思うんです。そういうのは嫌だなって」

 前世がある分平穏な世の中を知っているから、命を奪うという行動が怖くて、最初はまともに狩りも出来なかった。でもあるとき気づいた、前世でも沢山の生き物の死で成り立っていたのだということに。そして今はそれが目の前で見えている分、より大事にしなければと思えるようになっていることに。だからこそ山での暮らしが重要なように思えて、ここから出たいと思わないんだろうなとルースは感じた。

「それに、オレここでの宿屋の経営好きなんです。そりゃ王都の宿屋に比べれば収入も微々たるものだし、贅沢なんてできないけど、小さい宿だからお客さんとの距離も近いし、いろいろ出来て楽しいし。ちゃんと継いで、少し大きく出来たらいいなと思ってるんです」

 ルースとしてはこの規模の村に大きな宿屋はいらないと思っている。けれど、両親が作り上げた基盤を元に、また村にきたいと思えるような宿屋にしたいという夢もあった。

「ルース殿は若いのにしっかり先を考えているんですね」

「……いや、そうでもないと思いますけど」

 まさかそこで褒められると思っていなかったルースは、照れ臭そうに笑い声を上げた。

「あと、村に帰ってくるアレクを待たなきゃいけないですしね」

「……アレク殿を?」

「勇者の使命を終えたアレクは村に戻ってくるっていうんです。待っていて欲しいって。だからその時に「おかえり」って言ってやらなきゃいけないんです。だからすくなくともそれまでは普通に村にいないと、あいつ泣くかなって」

 そういうとマクシムが深いため息をつくのが聞こえた。

「……ルース殿はアレク殿を大切にしているのですね」

「幼馴染で、親友ですから」

「……親友、ですか」

 何故かマクシムは乾いた笑いを零した。その響きが少し寂しそうに聞こえて、何かマズイ事を言ってしまったかと思ったが、理由はなにも浮かばなかった。

「ルース殿」

 そして暫く沈黙が続いたかと思うと、身体を動かす水音が聞こえ、マクシムがその場で身体の向きを変えてこちらを見ていた。

 その顔があまりにも真面目だったので、真剣な話をしようとしているのだと思い、ルースも同じように姿勢を正してマクシムを向く。何故かその瞬間マクシムから「うっ」という変な呻き声が聞こえて目元を引き攣らせたが、全く視線を逸らそうとしなかったのでルースも心配するのは止めた。真面目な話をしている時は目を見なくては駄目だ。

「私は明日、この村の為魔物狩りに全力を尽くします」

「はい、よろしくお願いします」

「その代わりと言ってはなんですが、ルース殿に無事を祈っていてほしいのです」

「オレにですか?」

「はい。私が無事に戻って来られるように、祈って待っていてもらえますか?」

 湯船に浸かっているせいか頬が赤いマクシムが真剣に告げてくる。その様子からするに、冗談を言っているわけでは無い様だ。

(ああ、そういうことか)

 きっと帰りを待つ人間がいるかいないかではやる気にも違いが出るのだろう。かといって下手にこんなことを村の女性にでも言ってしまうと勘違いを起こしかねない。ルースでさえ少しドキッとしてしまったほどだ。もちろん、マクシムはルースが女性でないと分かった時点でそういう対象として見てないと分かっているので、変な勘違いを起こしたりはしない。

 ルースはちょっとざわついてしまった心を落ち着かせると、まっすぐマクシムを見つめた。

「マクシムさん。無事のお帰りを待っています。頑張ってきてください」

「っ……ありがとうございます。ルース殿、あなたの為にも俺は頑張ります」

 『あなたのため』というのが少々気になったが、自身のことを『俺』と称したマクシムの顔が甘く緩んだのでいろいろ吹っ飛んだ。黒い瞳に光が沢山集まり、仄かに赤く染まる様な気がした。そのせいかブワリと色気のような熱気がマクシムから沸き上がるのを感じ――そして。

「ま、マクシムさん……」

「なんでしょう」

「鼻から血が……」

「え!?」

 マクシムの、キラキラの笑顔の中央からタラリと赤い血が零れる。

(え、これはまずいんじゃ!?)

 きっと湯船で長く会話していたせいでのぼせてしまったのだと思い、ルースは顔を引き攣らせた。明日は大事な魔物狩りなのに、マクシムを倒れさせたなどになったら一大事だ。

「マクシムさん、のぼせてしまったんですね! オレ急いで氷を――」

「うわあああああ!」

 ルースが急いで宿の方から氷を持ってくるため湯船から出ようとした瞬間、叫び声に似た悲鳴をマクシムから上げられた。そしてそれに驚いていると、大げさな身振り手振りでマクシムが戻る様に促す。しかし顔は明後日を向いたままだ。

「ルース殿、頼むから湯船から上がらないでください! お願いします!」

「え、で、でも、氷を」

「大丈夫です。『のぼせてしまっただけ』なので、直ぐ止まります! ですから、どうかまだそこに浸かっていてください! お願いします! 俺の為にもお願いします! これ以上は、本当にもう、いろいろ、まずいんです!」

「体調がまずいんですか?」

「ち、違うんです。体調はとても良いです。むしろ良過ぎて、そちらで困っているんです!」

「は、はあ……?」

 結局マクシムはルースに湯船に浸かっているように言うと、何故か変な体勢で脱衣所へ向かった。そしてバタバタと着替えを済ますと、ルースに挨拶をして風呂場から去っていく。

「……本当に大丈夫かな……」

 いつもの落ち着いたマクシムらしくない言動に、少し不安になるルースだった。