「それは、なにもかも知ってるって顔ね」

観念したようにリーンは肩をすくめた。しかしながらその口元はまだ緩く弧を描いており、余裕の表情を浮かべている。

ギルバートはそんな彼女の表情に目を細め、口を開く。

「リーン・ラザロア、十七歳。シゴーニュ救済院出身。ラザロア家当主、コール・ラザロアと、元ラザロア家侍女、アンジー・ハレルソンを両親に持つ。母親は生死不明」

ギルバートが口にしたのは、リーンのプロフィールだった。瞬間、彼女の顔から笑みが消える。父親まではわかるが、母親の情報など普通ならば彼が知る由もない情報だ。

「十七歳の誕生日にラザロア家の落胤とわかり、子供のいなかった夫妻から引き取りを希望される。引き取られる際、自身の身を担保にラザロア家に借金。その額、金三千。その全額を救済院に寄付している」

「よくもまぁ、そんなに調べたわね」

感心しているというよりは、呆れたような表情でリーンはベッドに手をついた。足を組み、胸をのけぞらせるその姿は、男爵令嬢がとる態度ではない。ましてや、相手が公爵子息ならば猶更だ。

「別に今の両親が憎かったわけじゃないのよ? 私を作った二人は、当時はちゃんと愛し合っていて、身分の違いに引き裂かれたってだけみたいだから。そのあとお父様と結婚した今のお母様にだって、少しも悪いところはない。現に私もそれなりに可愛がられていると思うしね」

リーンはそこで初めてギルバートから視線をそらした。

「ただ、いきなり来た貴族のおじさんに『私の娘だ』『一緒に暮らそう』なんて言われて、ホイホイと自分の育った家を捨てられるほど、私はヒロインになり切れなかったってだけ」

ゲームの『リーン・ラザロア』は、一緒に育ってきた救済院の子供たちを少しも顧みることなく、ラザロア家に引き取られる決断をする。そしてそれ以降、救済院はゲームの中で出てこないのだ。ゲームの進行上、それは仕方のないことだと思うし、それで正しいのだとも思う。ただ、同じ立場になった彼女が、主人公然たる選択をできなかったというだけなのだ。

「最初は、『私を引き取るのなら、ここに寄付をしてください』とお願いしたのよ。『ここは私の育った家だから』ってね。それで、渋い顔をするから言ってやったのよ。『それなら私を相応の金額で買ってください。貴方たちに金を返し終わるまで、私の身は貴方たちの自由にしていいですから』ってね」

「そのおかげで、貴女はしなくてもいい婚約をさせられそうになっている」

「そ。会ったこともない貴族の次男坊とね。ホント面倒くさいったらありゃしないわ!」

「俺に協力してくれたら、そのしがらみから解いてあげます」

ギルバートの言葉にリーンは黙った。彼は仕上げと言わんばかりに言葉を重ねる。

「俺が家督を継いだら、ヒューイ・クランベルとも一緒にいられるように手配します。正式に恋仲というのは難しいでしょうが、神子としての仕事をきちんとこなしていれば愛妾として彼を側に置くぐらいは皆目をつむってくれるでしょう。それにあなたが神子になれば、貴女を輩出した救済院だってそれ相応の恩恵を受けられる。……どうですか? 悪くはない提案だと思うんですが」

ギルバートの言葉に、リーンは笑みを浮かべた。

優しい笑みというよりは、そこの知れない女の微笑だ。彼女は形の好い唇を開く。

「嫌よ」

「え?」

「嫌だって言ったの。答えはNOよ。ギルバート・シルビィ」

リーンはベッドから立ち上がった。そして、ギルバートに歩み寄る。

「あのぐらいの借金、貴方に手伝ってもらわなくても、なんとかなるに決まってるわ」

「ジェイドとの事業があるからですか?」

「それもあるわ。それにそれ以外の方法もある」

ある種の含みを持たせながら、彼女は笑みを強くする。

「私だって、あの子が大切。貴方は知らないでしょうけどね、私は前世であの子に何度も救われてるの。あの子のためなら、私、なんだって出来るわ」

「なら!」

「でも、私の人生は譲れない。私が幸せになって、あの子も幸せになるの。それ以外のハッピーエンドを私は認めないわ」

リーンはギルバートの胸を人差し指で刺した。

「貴方には根性が足りないのよ。ギルバート」

「……」

「貴方、義姉の幸せのためなら自分でさえも犠牲になっていいと思っている質でしょう? 心のどこかで、セシリアが幸せになるのなら殿下に彼女を譲ってもいいとだって思っている。全力で抗いながら、でも諦める算段もどこかでしている」

ギルバートは何かを言いたそうに唇を開いたが、その口から声が発せられることはなかった。

「嫌いよ、ギルバート。貴方のそういう計算高いところが。あきらめている人間が、私はこの世で一番嫌いなの」

リーンは扉を背にするギルバートを押しのけた。そして、鍵を開け、ドアノブに手をかける。

「貴方も少しはセシリアを見習いなさい。貴方が思っているよりあの子の運命は悲惨で救いがないのよ。でも、あの子はそれに全力で抗っている。しかも、笑顔でね。強すぎるでしょう?」

最後は笑みだ。屈託のない、可愛らしい笑みである。

リーンは扉を開け、部屋を出る。そして、敷居を跨いだ先で踵を返した。

「でも、私の親友をそこまで守ろうとしてくれてる点だけ、評価してあげる。だから、一つだけ情報をあげるわ」

「情報?」

「そ。貴方どうせ、セシリアを傷つけるかもしれないからって、自分からは前世のことをあまり聞いてないんでしょう?」

「……」

図星だと言わんばかりにギルバートの唇がへの字に曲がった。

「だから、一つだけ教えてあげる。この世界が、私たちが前世でやっていたゲームに酷似している世界っていうのは知ってる情報よね? そして、そのゲームが『乙女ゲーム』っていう、女性が男性との恋愛を仮想体験するゲームだってことも」

「それは……」

「実は、セシリアにもいたのよ」

「なにがですが?」

「推しってやつ。私にとってのヒューイ君みたいな存在ね。……つまり、好きな人ってこと」

その瞬間、ギルバートの目が大きく見開いた。

「それは――っ!」

「もちろん、貴方たちが知っている人よ? でも、誰なのかは秘密。教えてあげない」

唇に人差し指を当てる彼女は、どこか楽しそうだ。

最後はヒロイン『リーン・ラザロア』の声色と表情で、彼女は一礼する。

「それでは、ごきげんよう。ギルバート様」