「私はこれより、レイハナルカ・ハイクルウス・シ。……『流れの主(オルリ)』に、貴方様に『従属する者(シ)』だ」
んん?
【祓 い(カースブレイク)】が効果があったということは、彼女は行動を強制するような呪いや洗脳などの魔法にかけられていたということだ。
クローラが判別できる、つまりこの世界(セディア)の魔術ではない(可能性がある)という事前情報を併せて考えると、『呪い』の元は一体何なのか気になるところではある。
しかしともかく、呪いが解除されたということは、今の彼女は正気なはずだ。
「鬼に操られていたとはいえ貴方様に無礼を働いたのは覚えております。千の剣に裂かれても許されぬ罪業。どうか、お気の済むまで罰していただきますよう」
しかし彼女は床に両膝をつき、豊かな胸に手を当てて深く頭(こうべ)を垂れている。
何度か見かけたが、日本でいうところの『平伏』に近いニュアンスの姿勢だ。おまけに時折私を見上げる薄紫の瞳には、ぞっとするような強い執着と依存の色があった。その感情がストレートに私に向かっているところが、先ほどまでの無感情よりも異様である。
というか、四肢を拘束していたはずが当然のように縄を抜き落としているな。
「どういうことなの?」
この前、クローラに敬意を表してもらったがどうもそれよりよほど重い事態らしい。
私は途方にくれて、誰にともなく呟いた。
「『流れの主(オルリ)』というのは、ダークエルフの伝説にある、族長よりも上位にある支配者のこと、だったな。それに従属するといっているんだから、良いじゃないか。ダークエルフの暗殺者なんて、この先いろいろ重宝するぞ?」
セダムが例によって謎の博識ぶりを披露しながら気軽にいった。支配者って何だよ。
「私は誰も支配なんかしたくない。君の呪いは解除したんだから、もう君は自由だ。……いや、これまでの犯罪のこともあるから、その罪は当然償ってもらわねばならないが……」
私は何もおかしいことは言っていない。確かこの市には裁判所があったはずだ。そこで妥当な刑罰を与えてもらうのが常識というものだ。呪い(か何か)による洗脳状態だったようだから処刑とかにはならないだろうし。
「貴方様のご命令とあれば、喜んで従います。……しかしっ」
ダークエルフの美女は膝をついたまま涙目でにじり寄ってくる。
「私は貴方様の『従属する者(シ)』でございます! 殺せと仰られれば、我が氏族の赤子すら捻り殺してご覧にいれます! 謀(はかりごと)をお望みであれば、あらゆる組織を操りましょう! 死ねとおっしゃられれば疾く自害いたします! この汚らわしい身体をご所望でしたら喜んで捧げます! ですからっ、私を支配したくないなどと、そのようなことだけは仰らないでください!」
「例えがいちいち禍々しい! あとエロい! 何だってわざわざそんなものになりがたるんだ!?」
「そんなもの!?」
絶望の呻きを漏らし、ダークエルフの濃い褐色の肌でもはっきり分かるほど血の気を引かせて彼女は床に突っ伏してしまった。
「いやいや、マルギルス殿。そういう言い方は気の毒だぞ?」
セダムが私の肩を抱いて、部屋の隅へ連れて行きながら囁く。
「いやだってだな。こんな、奴隷みたいな……」
「そこが勘違いなんだよ。奴隷ってのは、本人の意思とは関わりなく所有者同士の契約で決まる関係だ。だが、あの女は自分の意思であんたに跪こうっていうんだろ? そこは尊重してやったらどうだ?」
「別に支配するとかされるとかじゃなく、仲間で良いんじゃないのか?」
「何をごちゃごちゃいっていますの!?」
「ぐおぉっ」
右耳に鋭い痛みが走った。もちろんクローラの仕業だ。
般若みたいに目尻が吊り上っている。角が生えていないのが不思議なほどだ。
「貴方っ……貴方、呪いを解除するなどといいつつ、実際はこの方に洗脳の魔法をかけたんじゃありませんの!?」
「かけてないかけてないっ!」
「なんという破廉恥漢! 情けなくて涙が出ますわっ!」
「誤解だ、誤解っ!」
「貴方が洗脳したのでなければ、貴方を篭絡しようという罠ですわよっ! デレデレなさらないで!」
いつもなら、『ひと引っ張り』で済むクローラの攻撃が終わる気配がない。このまでは耳が伸びてしまう。
「お、お待ちくださいっ!」
「……えっ?」
助け舟は意外なところからきた。
ダークエルフがクローラの前に跪いて制止したのだ。
「私は洗脳などされておりません。いえ、たとえ洗脳であっても、『流れの主(オルリ)』にされるのでしたら本望でございます! ですから奥方様、どうか怒りをお鎮めくださいっ」
「おくっ!?」
もう色々待ってくれ。
確か今は、私の命を狙ったりモーラを誘拐しようとする暗鬼崇拝者(デモニスト)(推定)の部下だったダークエルフを尋問しようとしているところなんだよな?
それがどうして、そのダークエルフが私の奴隷のようになりたがったり、クローラが私の妻って話が飛び出したりするんだ?
「わ、わたっくしは、この方の、そ、そういう……あれ、では……」
「いえ、あれほどの『力』を持つ主様とそのよう気安く交われるとあれば、奥方様以外にございません」
もっと他の可能性もあるんじゃないか?
クローラもあまりの暴言に言葉がでないのか、長い髪をしきりに弄りながら顔を赤くしている。さっきまでキリキリ吊り上っていた目尻が泣きそうに垂れ下がっている。
これ、後で苦情を言われるのは私なんだぞ。
「いや、その女性は妻ではない。彼女はクローラ、友人であり仲間だ。そっちのセダムもな」
「……。……そ、そうですわ! 私(わたくし)とこの方は友人。友人、ですのよっ?」
「そういうことだ。よろしくな、俺の友人の『従属する者(シ)』さんよ」
とにかくこの場を沈静化させよう。
それから、ダークエルフ……レイハナルカ、だったか。彼女から少しでも情報を引き出して、黒幕を捕えなければならない。ダークエルフは他に四人もいるし、黒幕が逃げ出しているかも知れないのだ。
何とか場を落ち着かせようとセダムの余計な一言も放置して、レイハナルカに語りかける。
「左様でございましたか。失礼いたしました」
「……貴方は一体全体どういうわけで、マルギルスをその『流れの主(オルリ)』だと思うんですの?」
クローラはさっきの奥方発言のせいで毒気を抜かれたのか、小さな声でダークエルフに聞いた。
「私は、何十年もの間、私の心の中に潜む鬼に全てを支配されておりました。主様の暗殺を目論んだのも、鬼に操られてのことでございます。おぞましいのは、私自身が、長年の鬼の支配を受け入れてしまっていたこと……。しかしたった今、主様の凄まじい『力』によって私は解放していただきました」
鬼……やはり暗鬼のことか?
暗鬼が人間の社会に紛れ込んでそんな陰謀を企んでいるのか、それとも人間が何らかの方法で暗鬼の力を利用しているのだろうか? いずれにしても由々しき事態だな。
「鬼が滅びた時の恐怖と、そこから救い出された時の悦びは言葉に言い表せません。ダークエルフは、氏族の存続を個人の命よりも重視いたします。しかし、個人が氏族の命運よりも重く感じられる恩を受けたならば、その方を自らの『流れの主(オルリ)』と定め、『従属する者(シ)』となってご奉公するのでございます」
「理屈は通ってるんじゃないか?」
「ま、まぁ……」
「……」
ここはセディアであって日本ではない。
セディアにはセディアの倫理観があるのだから、私がもつ日本のそれを押し付けるべきではない。
その理屈は、分かる。
しかしなぁ……。
「……とにかく、これからはこちらに協力してくれるんだな?」
「これからではなく、永久に忠誠を……」
「それはひとまず置いておいて。まずは、君を操って私に毒をもった黒幕を探すための情報を提供してくれ。無事に黒幕を捕えて……ああ、君の仲間も同じ境遇なのなら、助けないとだが……君にはこの市で裁判を受けてもらう。そこで罪を償った上で、それでも私のところにきたければ、くるがいい」
うむ。
まずは、必要な情報を聞き出すのが先決だ。そのあと裁判だ何だと間を置けば、多分気も変わるだろう。
「良かったな」
「まぁ……真心から忠誠を誓うというなら、それを否定するわけには参りませんわね……」
「あ……ありがとうございます! ありがとうございます! 必ずお役に立ちます!」
この世界(セディア)では、家族や国といった最初からある枠組み以外に、『忠誠』という、個人が自分の意思で別の存在に身を委ねるという考え方がある。カルバネラ騎士団などを見て、それは知っていたつもりなのだが……。
『念のためにESPメダルで心を読ませてもらおう』と考えている自分の方がなんだか卑小な人間のような気がしてきたな。