薄れゆく意識の中で、『ソレ』は願っていた。

 ―――消エタクナイ……。

 突然変わった世界。

 離れてしまった己の番い。

 ―――会イタイ……。

 だがそれは叶わぬ願い。

 奇妙な力に囚われ自由は利かない。

 そしてなにより、己の体は今、死に向かっている。

 ―――死ニタクナイ……。

 願った。

 だが、叶わない。

 唯一の救いは、あの人間が施した妙な鎖がほどけていく事くらいか。

 おそらくこの鎖は、己が死ぬことで、その効果を失うのだろう。

 だが、それが分かったところでどうなると言うのか。

 もうどうにもならないと言うのに。

 ―――死ニタクナイ。

 再び『ソレ』は願った。

 まだやるべき事がある。

 なさねばならぬ事がある。

 会わなければならぬ者がいる。

 こんなところで終わるわけにはいかないのだ。

≪―――ザザ――受理―し――ザザザ≫

 ―――ナンダ?

 不意に、ノイズの様なものが頭に響く。

≪ザ確――ザザ―ました≫

 また聞こえた。

 まるで消えゆく己の意識を繋ぎとめるかのように、そのノイズは次第に大きくなってゆく。

≪―ザザ―――ます≫

≪―対―――象―を――命――名―ザザザザザ≫

≪―――を――――します≫

≪スキル―『  』―付―ザザザザ≫

 ―――ナンダ?何ヲ言ッテイル?

 だが、不思議と不快感は無い。

 そして次の言葉ははっきりと聞こえた。

≪―――進化を開始します―――≫

 そこで彼の意識は一旦途切れた。

「さて……」

 武器を構え、一歩前に踏み出す。

 魔物使いは目に見えて動揺していた。

「ばかな……そんな……あり得ない」

 首を振り、後ずさりながら、彼女は俺を睨み付ける。

「アイツは……あのダーク・ウルフは、俺の最高戦力だぞ!?レベルは20以上あった!俺の倍だ!スキルだって強力で……それを更に『強化』までして……あり得ないだろ、おかしいだろ、こんなの!」

 唾を飛ばしながら、彼女は叫ぶ。

 それはまるで癇癪を起した子供の様な姿だった。

 それにしても、そうか……あのダーク・ウルフはLV20を超えていたのか……。

 どうりで強かった筈だ。

 でも、あのハイ・オークを倒した時の様なアナウンスは無かったな。

 ダーク・ウルフはネームドではなかったのか。

 上がったレベルも一つだけだったし。

 他のモンスターとは、なんか違う様な気がしたんだけど、気のせいだったのか。

 いや、その方がいいか。

 あのハイ・オークの時みたいな状況がそう何度もあって堪るものか。

 それも昨日の今日で。

 あ、そう言えば、魔石を回収しておかないとな。

 もうアイテムボックスの収納範囲内だ。

 地面に落ちた魔石を回収しようと念じ―――失敗した。

 ……あれ?

 もう一度念じてみる。失敗した。

 どういう事だ?

 もしかして、魔石だけになったとはいえ、『所有権』はまだ魔物使いにあるって事か?

 まあ、それならそれでいい。後回しだ。

「くっ……まだだ!まだ終われるか!」

 彼女の足元に『闇』が広がり、そこから数体のモンスターが現れる。

 オークが一体、ゴブリンが三体。

 ……まだ居たのか。

「モンスター共!時間を稼……げ……え?」

 そこまで言いかけて、彼女は言葉を止めた。

 当然だ。

 その前に、俺の放った重機が、モンスターたちを押しつぶしたのだから。

≪経験値を獲得しました≫

 頭の中に響く天の声。

 悪いけど、その程度じゃ時間稼ぎにもならんよ。

 すばやく重機を回収し、彼女へ近づく。

「く、くそ!」

 魔物使いは、俺たちに背を向けて逃げ出そうとする。

 だが、その前に小さな発砲音が響いた。

 イチノセさんだ。

 彼女の撃った弾丸は、魔物使いの太ももに当たった。

「ぐっ……」

 彼女はその場に倒れ込み、苦痛に呻く。

 ダーク・ウルフが死んだ今、『闇』による自動防御も無くなったのだろう。

 おそらくだが、彼女は従えたモンスターのスキルやステータスの一部を己の力に出来るのではないだろうか?

 それなら、食堂でもあの身体能力や、ダーク・ウルフが『闇』の自動防御を使わなかったことも説明できる。

 非常に厄介な能力だ。

 だが逆に言えば、手駒のモンスターが減っている今、彼女の身体能力は下がっているはず。

「くそ……くそぉ……」

 それでも必死に這って逃げ出そうとする。

 あっさりと追いつき、俺は彼女の前に立ちはだかった。

「……今度こそ、本当に終わりだな」

「ひ、ひぃ!ま、待て!待ってくれ!頼む、殺さないでくれ!」

 懇願するように、彼女は俺を見上げた。

 その表情には、食堂で見せたあの余裕が一切なかった。

 今度こそ、本当に彼女には打つ手が無いのだろう。

「さっきの事なら謝る!もう二度とこんな事はしない!だから見逃してくれ!」

「……」

「な、なんならアンタの仲間……いや、奴隷で良い!是非、俺を使ってくれ!絶対に役に立つから!この身体はアンタのもんだ!自由に使ってくれて構わない!そ、そうだ!なんだったらいくらでも抱いてくれていい!」

 必死だった。

 死にたくない。

 その一心で彼女は言葉を捲し立てる。

 だが、俺の心には響かない。

 一度相手を殺そうとした相手を、どうやって信用しろというのか。

 モモやアカの事を考えれば、彼女の存在は危険すぎる。 

 なにより、俺の中でもう答えは出ていた。

 ただ、俺がそれを実行したくないと言うだけで。

 『覚悟』が無かったと言うだけで。

「……言いたいことは、それだけか?」

 自分でも驚くほど冷たい声が出た。

「ッ……!や、やだ……いやだ、死にたくない……死にたくねぇよぉぉ……」

 ふるふると顔を横に振り、ついに彼女はボロボロと泣きだした。

「やっと……やっと本当の自分でいられる世界になったんだ。まだまだやりたいことだって一杯あるんだ。こんなところで終わりたくない……死にたくない……やだ……やだよぉ……」

 首切り包丁を持つ手が震える。

 背中からは嫌な汗が出て、心臓がおかしい位に鼓動を奏でる。

 ―――別にいいだろう?見逃しちまえよ。

 ―――相手は少女だぞ?泣いてるんだぞ。

 ―――拘束でもして、あとはここの生徒たちに任せちまえばいいだろ?

 ―――別にお前が自分で手を汚す必要はないだろ?

 ―――なんなら他人(イチノセさん)に任せちまえよ。

 ―――お前には出来ない。

 ―――出来ない、出来ない、出来ない、出来ない。

 止めろ、そんな事を考えるな。

 雑念を払うように、俺は頭を振る。

 これは―――踏絵だ。

 乗り越えなければならない壁。

 この世界を生き抜くための、覚悟の踏絵。

 別に進んで殺したい訳じゃない。

 でも『それ』が出来ると出来ないとでは、行動の幅が大きく変わるだろう。

 今回のように。行動の甘さや揺らぎは仲間を危険にさらす。

 だから……いい加減に、俺も覚悟を決めるべきなんだ。

≪熟練度が一定に達しました≫

≪ストレス耐性がLV6から7に上がりました≫

≪熟練度が一定に達しました≫

≪ストレス耐性がLV7から8に上がりました≫

≪熟練度が一定に達しました≫

≪ストレス耐性がLV8から9に上がりました≫

 俺の覚悟に応えるかのように、天の声が頭に響く。

 その瞬間、すこしだけ心が軽くなった気がした。

「ふぅー……」

 一度、呼吸を整え、そして再度、魔物使いの顔を見た。

 絶望に染まっていた。その表情を、俺は忘れない。

 絶対に忘れちゃいけない。

「―――じゃあな」

 そして―――俺は刃を振り下ろした。

 筈だった。

「……え?」

 刃は、途中で止まっていた。

 小さな『闇』の障壁によって。

「は……?」

 どうやらこの現象は、彼女にとっても予想外だったらしい。

 戸惑いの表情を浮かべてる。

 どういう事だ?

 ダーク・ウルフは死んだはずなのに……。

「ッ……まさか―――」

 振り向き、ダーク・ウルフの魔石が落ちた場所を見る。

 ―――無い。ダーク・ウルフの魔石が無くなっていた。

 混乱の中、更なる混乱が俺を襲う。

 彼女の目の前に現れた闇は形を変え、拳大ほどの『孔』に変化したのだ。

 そこから黒々とうねりを上げて、闇が噴き出した。

 それは泥の滝のようにぼたぼたと地面に落ち瞬く間に広がってゆく。

 俺は反射的に飛び退くが、足をやられ動けない魔物使いに、それを避ける術は無い。

 彼女は成す術なく泥に捕まった。

「な、なんだよ、これ?―――うぁああああああああああッ!?」

 絶叫をあげながら、彼女はゆっくりと飲み込まれてゆく。

 先ずは足、そして腕、そして胴体とゆっくり、ゆっくりと。

 それはまるで闇が、意志を持って彼女を咀嚼しているかのようだった。

「ひっ、た、助けおぼぉぉ―――るごぉぁあおぎぃぃぃ……」

 もはや悲鳴とも奇声とも判別付かない声を上げて、彼女は闇に吞み込まれた。

「ッ……!」

 『嫌な感じ』がした。

 寒気が止まらない。

 なんだ……この巨大なプレッシャーは?

「イチノセさんッ!」

 俺は叫んだ。

 ダッシュで彼女の下へ向かい、その体を担ぐ。

「ク、クドウさん!あれは……?」

「分かりません!ですが、アレは危険です!今すぐこの場を離れましょう!」

 返答も待たず、俺は走り始める。

 飛沫をあげて押し寄せる闇の泥は、恐ろしい勢いで放射線状に広がり始めている。

 その中心から一体の獣が現れた。

 いや、それは正確には獣の姿を纏った闇そのものだった。

 足も、胴体も、尻尾も、耳も、牙も、全てが黒一色で染め上げられた異形の獣。

 アレは……ダーク・ウルフなのか?

 いや、違う。

 アレは、もっとヤバい『何か』だ。

 余りにも異様で、異質過ぎるモンスター。

『――――ウォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッッ!!!!』

 ソレは絶望の始まりを告げるかのように、高らかに産声を上げた。

≪非通知アナウンス≫

≪種族LVが上限に達する個体が発生しました≫

≪一定条件を満たしている事を確認≫

≪類似個体の検索を開始します≫

≪該当結果無し≫

≪対象をユニーク個体と認定≫

≪対象個体の肉体の消失を確認≫

≪核の無事を確認しました≫

≪接続―――接続―――成功≫

≪対象個体の肉体の再構築を開始≫

≪新たな種族を構築します≫

≪特殊新種族『ハイアンデッド・ダーク・ウルフ』―――再構築完了≫

≪対象個体をネームドモンスターに認定します≫

≪対象を個体名『シュヴァルツ』と命名します≫

≪特典ボーナスが与えられます≫

≪固有スキル『狼王』を付与しました≫

≪スキル『威圧』を付与しました。スキル『咆哮』を付与しました。スキル『爪撃』を付与しました。スキル『属性付与』を付与しました≫

≪各種ステータスを上昇します≫

≪定時報告≫

≪ネームドモンスター 発生数41体≫

≪ネームドモンスター 討伐数3体≫

≪固有スキル 発現数22≫

≪固有スキル保有者死亡数10≫

≪カオス・フロンティア 拡張を継続します≫