桜の花がすっかり緑の葉に代わり、ゴールデンウィークを控えどこか街中に浮ついた空気の漂うある日の事。霞が関のオフィスビルの一室で極秘の会談が行われていた。

大きく取られた窓からは東京の摩天楼が一望でき、床に敷かれたカーペットも黒革のソファも大理石の長テーブルも全て上等な物だと一目で分かる。

ソファに背筋を伸ばして座る白髪交じりの初老のスーツの男性に相対するのは二人の人物だ。

一人は車椅子に座る筋骨隆々の巨漢。黒髪を短く刈り込み、厳つい顔の右眼には眼帯。仕立ての良い黒のスーツに身を包むのは、異邦人(ストレンジャー)互助組織月守組大親分にして秘密結社月夜見頭領、月守(つきもり)剛(つよし)その人だ。

そしてその車椅子の背後に立っているのはポニーテールの金髪に碧眼の美少女。ショートデニムにアニメキャラが描かれたTシャツを合わせ、布に包んだ小刀を手で弄びながら興味津々といった様子で部屋を見回している。秘密結社月夜見の忍者&貧乳担当、クリスティーナ・ナジーンだ。

「話をまとめよう」

親分がそう言って懐からチョコシガレットいちご♡みるく味のケースを出し一本口に咥えると、すかさずクリスがライターで火を付けた。甘ったるい匂いを吸い込み、言葉と共に吐き出す。

「要は司法取引だな? 俺達はマリンランド公国に密入国して秘密裏に遺跡からアーティファクトを盗ってくる。自発的に、日本政府とは関係無く。で、成功報酬としてアンタらはウチの奴らに日本国籍を用意してくれる訳だ」

「全て仮定の話です」

「ああ、そういう建前はいい。誰も盗み聞きなんぞしてないだろう」

親分は面倒臭そうに切って捨てた。スーツの男は苦笑する。

スーツの男は日本政府のエージェントだった。先日、日本政府はとある高貴な情報筋からマリンランド公国に眠るアーティファクトの情報を入手した。古代の超能力者が遺した、強大な力を持つ遺物の情報だ。超能力者は貴重であるが、アーティファクトも同様に貴重であり、是が非でも入手が望まれる品物である。

しかしマリンランド公国との取引交渉は早々に頓挫してしまった。そしてその交渉の過程で、遺跡にはそもそも超能力者以外侵入できない、という新情報が明らかになった。不可思議な結界により人間どころかドローンも弾かれる。

そこで日本政府は、誰が言い出したかは定かではないが、唯一正体を握り所在を把握している超能力者である月守剛を使う事を決めた。

半年前の劇的な谷岡組逮捕劇の際に得られた情報によれば、月守剛は身体強化を操る。飛行機から身一つで墜落しても無傷。弾丸を通さない頑健な肉体に、戦車を振り回す超常的筋力を誇る。いわゆる七三分け事件の一因でもあったらしく、事件の後遺症により車椅子生活を余儀なくされているという。

不法滞在外国人を束ね、谷岡組の残党を吸収した一大組織のトップである危険人物であるが、それ故弱点も多い。特に不法滞在外国人の問題は大きい。母国に居場所が無く、最早日本で生きる他道が無いのに、日本に滞在する事そのものが違法だからだ。滞在許可は認められない。究極的な解決手段は日本国籍を得る事だが、それも認められない。

本来、外国籍の人間が日本国籍を取得するのは大変難しい。単なる帰化申請ではなく、偽装結婚による日本国籍取得も難しい。貧しい外国人が日本人と偽装結婚を行って日本国籍を取得しようとする手口が後を絶たないからだ。

国籍法で定められた日本国籍取得(帰化)の条件は、

一 引き続き五年以上日本に住所を有すること。

二 二十歳以上で本国法によって行為能力を有すること。

三 素行が善良であること。

四 自分自身あるいは家族の支えによって生計を立てられること。

五 二重国籍にならないこと。

六 国家転覆を企んでいないこと。

この六つ。

しかしストレンジャーは五年どころか長くて三年程度しか日本に滞在していない。

二十歳未満の者もいる。

素行は善良から程遠い。

六つの内、半数を満たしていない。笑顔でお引き取り下さい案件である。

月守剛本人が単身で国家転覆すら成しかねない武力を持っていたとしても、叩けば埃が出まくる組織を率いているのだからそこを突かない理由はない。

月守組所属のストレンジャーに日本国籍を融通する事を餌に月守剛に首輪をつける事ができれば、自動的に正体不明の超能力者三名……コードネーム『忍者』『ギターデブ』『念力野郎』もついてくる。セットでお得な懐柔作戦なのだ。念力野郎は既に月夜見から離脱しているのだが、日本政府はそこまで把握できていない。

「随分都合の良い話だな? 密入国、遺物窃盗、危険な事は全部やらせて成功すれば国の手柄。失敗すれば知らん顔か。日本は交渉下手だなんだ言われるが、薄汚い手も使えるようで安心したぞ」

親分が皮肉ると、スーツの男は手元の書類に目を落とし涼し気な顔で返す。

「ええ。相手によってはそのような類の交渉ももちろん行います。月守さんはその手の交渉をするに相応しいと判断させて頂きました。月守さんの部下には犯罪歴のある方が多いようですね? 不法滞在、違法就労、ギター泥棒、暴行……月守さんが把握していらっしゃらないようなら名前も読み上げますが?」

「……いや、いい」

親分は苦り切って断った。

優位に立ったと見るやスーツの男は畳みかけた。

「成功の暁には犯罪歴についての、あー、口利きも考慮しましょう。受けて頂けますね?」

「……まあ、いいだろう」

親分が渋々頷くと、スーツの男は笑顔を作って立ち上がり、手を差し出した。

「それは良かった。月守さんのような良い方とは、こちらとしましては末永く付き合っていきたいものです」

「都合のいい方、だろ」

弱々しい握力で握手を交わしながら親分が忌々し気に捨て台詞を吐く。圧倒的優位を確信し、言質を取ったスーツの男は動じず、爽やかに言う。

「お帰りなら車椅子を乗せられる車を回しますが?」

「いや、いらん。自分で帰るさ」

親分は懐からイヤホンを出して耳につけ、立ち上がり、車椅子を指でつまんでひょいと持ち上げ担ぐと、部屋のドアをもぎ取って開け、終始無言だったクリスを引き連れて悠々と去って行った。

それを唖然として見送ったスーツの男が、たっぷり十秒は放心して呟く。

「何が病弱だ……とんでもない男だ」

一方、オフィスビルを出た親分は路地裏に入り、車椅子を放り出し崩れ落ちて血反吐を吐いた。クリスが車椅子の荷物入れからペットボトルを出して渡し、心配そうに背中をさする。

「もー、無理するんだから。こんな事する必要あった? あれぐらいの強化でも死ぬほどキツいんでしょ?」

「必要な事だ。御しやすいと見せておいて最後に一発圧力をかけるぐらいがいい。力を見せつけ過ぎれば排除される。力が無ければ見向きもされん。何事もバランスだ。それでクリス、どうだった。何を視た?」

クリスは生まれたてのゴリラのように震える親分を支えて車椅子に座らせながら読み取った情報を答える。

「機密は視えなかった。あの部屋では大した情報扱ってないみたい。でもね、あの人勤務時間中に公用パソコンでえっちなサイト見てたよね。ジャンルはねー、」

「言わんでいい言わんでいい。良い歳したおっさんのストライクゾーンなんざ興味ない……いや、そうだな。違うな。それも十分良い情報か。後で聞かせてくれ、交渉材料にする」

「えっ、親分ってば女子高生に何言わせるつもりなの? どすけべ!」

「さっき自分で言おうとしてただろう。まあなんだ、今回はご苦労だったが、まだ苦労をかける事になる。俺はこんなもんだから戦力にならん。マリンランドにはクリスと見山に行って貰う事になるだろう。大丈夫か?」

「OK! 行っちゃう行っちゃう。いつ行く? 明日?」

「明日はお前学校あるだろうが。学校は行け。そうだな、ゴールデンウィーク使って行ってもらうか」

二人は和やかに遺跡強盗計画を立てながら東京の雑踏に消えて行った。

霞が関のオフィスビルのドアが病弱筋肉おじさんによって破壊された同時刻。足立区北千住の地下酒場『天岩戸』では時間停止能力者にしてマリンランド公爵鏑木栞によってアーティファクト回収作戦の伝達が行われていた。翔太くん、燈華ちゃん、クマさんがテーブルについて真剣に説明を聞いている。イグはコーヒー豆の缶を勝手に空け、真剣に鏑木さんに投げつけている。イグはいつまで経っても鏑木さんに慣れないな。

俺は千里眼で月夜見の交渉を盗み見しながら、イグを豆缶から引きはがしつつ説明を見守る。

「――――という訳で、マリンランド公国大公アーマントゥルード・ベーツ殿下の依頼により、私達はゴールデンウィークにその遺跡からアーティファクトを回収します。質問は?」

鏑木さんの問いに、クマさんが真っ先に尋ねた。

「その遺跡に超能力者以外が入る方法は無いのか? PSIドライブを持っていれば入れないか?」

「無理ね。佐護さんの念力でも破れない高度な結界が張られているわ」

「ああ、佐護で無理なら誰にも無理だな。残念だ」

クマさんはため息を吐いて言葉通り無茶苦茶残念そうに引き下がった。クマさんも遺跡に行きたかったらしい。

ごめんなクマさん。流石に元刑事に調べられると捏造バレる危険が高そうだからダメなんだ。高校生達のイベントにおじさん混ぜ過ぎるとおじさんメインなのか高校生メインなのか分からなくなるし。おじさん枠は見山で埋まってるから。

クマさんの次は翔太くんがチョコシガレットバナナ味をふかしながらダルそうに挙手した。

「マスターが行くなら俺達いらなくね? いややる気はあるけどさ」

「佐護さんはまだ本調子じゃないのよ。佐護さんには岩巨人伝説の方を担当してもらうわ。遺跡への侵入者に呼応して動き出す可能性があるの。遺跡からアーティファクトを回収するのは燈華ちゃんと翔太くんと、あとはイグね。私は地上でバックアップに徹するわ」

「あー、そういう感じ? マスター、マジで大丈夫なん? 無理してねぇ?」

「……問題ない」

そういう事になっている。実際には俺は念力でイベント司会進行に徹するし、鏑木さんはその補助をしてくれるのだが。

燈華ちゃんは特に質問は無いらしく、作戦の伝達は一波乱あった月夜見と違いアッサリ終わった。正式な国からの依頼だし、前もって「今度のアーティファクト回収は任せる」と話は通してあったし、こんなものだろう。早くも翔太くんと燈華ちゃんは何を持っていこうかと相談しはじめ、クマさんは地下洞窟は冷えるから温かくしていけなどとアドバイスをしている。

これで月夜見と天照、双方のイントロダクションは終わった。

月夜見はストレンジャーの安寧のため、アーティファクトを求める。

天照は危険物を確保するため、世界の闇を永遠に封じるため、アーティファクトを求める。

アーティファクトは一つしかない。月夜見が奪うか、天照が確保するか。

さあ、争奪戦の始まりだ。