屋根の上に置きっぱなしにしていたタイムマシンを回収し、クマさんと凛ちゃんは夜の街の喧騒から身を隠すようにしてコソコソ天岩戸へやってきた。厳つい巨漢と美少女高校生の組み合わせは奇異に映り隠そうとしても隠し切れないほど目立っていたが、クマさんが醸し出す威圧感が物を言い誰にも話しかけられる事は無かった。

「こんばん……あっ! お父さんだ! 若いお父さんだ!」

入店した凛ちゃんはモップで床を掃除していた俺に目を留めるや否やテーブルを跳び越え飛びついてきた。半回転して勢いを殺し、優しく抱き留め頭を撫でる。

よーしよしよしよしよしよしよしよしよし! 凛ちゃんは可愛いねぇ!

「お父さんあったかーい!」

「それで、誰だお前は」

「何言ってんだマスター。嫁だろ」

カウンター席でブラックコーヒーを飲んでいた翔太くんが突っ込みを入れてくる。本日の客は翔太くんとシゲじいだけだ。シゲじいは翔太くんに見栄を張るためにXYZ(度数の強いカクテル)を一気飲みしてフラついている。

蓮見家と日之影家は門限が厳しいため、学生女子が夜間に来店する事は滅多にない。栞は娘と同時に登場できないパラドックスの宿命を背負っているので当然不在だ。

「身長が1cm低い。体重が1.1kg軽い。瞳孔の色彩が違う。今朝切った爪が伸びている。栞は簡単に髪を切らない。栞ではない」

「お、おお……」

「妻をよく理解しておるではないかハッハッハッハ」

俺が淡々と羅列すると翔太くんは軽く引いて、シゲじいはふにゃふにゃ笑った。

しまった。適当に言っただけなのにこれでは栞の採寸が特技のヤベー人みたいだ。いくら愛してる人でも抱き留めただけでそんな細部の違いが分かるわけないだろ! 念力使えば瞬間把握できるけども。

「私はですね! 未来から来たお父さんとお母さんの娘です! 凛って言いますよろしく!」

「娘か」

「凛だよ?」

「よく来た、凛」

短くぶっきらぼうに歓迎すると、凛ちゃんはニッコー! と花が咲き誇るように笑った。ウッ、暗めの照明の店内が真昼になった気がする。これは地上での降臨が許される類の可愛さではないですね。有罪!

「待て待て待て話分かんねぇよどういう状況だよマスターはなんでそんな落ち着いてんだよ。あ゛ーもークマさァん! 説明! なんなんだよこの人鏑木さんじゃねぇの!?」

「俺も全てを把握している訳ではないが。未来から世界の終末を阻止するために来たらしい」

「はあ? どうやって」

「タイムマシンで」

「タイムマシンって……アレ(、、)か?」

「らしいな」

二人の目線がテーブルの上に放り出された配線剥き出しゴテゴテの機械に集中した。

「……タイムマシン作れる奴なんて一人しか思い浮かばねーんだけど」

「一度死んで以来、月夜見でメカニックをやってると聞いているが」

「まーた月夜見か。アイツら何なんだ? ヤベー奴らのキャンプファイヤーかよ」

翔太くんがぶちぶち文句を言っている。

天照と月夜見は敵対関係だ。お互いにお互いの組織の内情までは把握していないが、よく分からんが敵、という認識は共通している。

初対面が初対面だったからなあ。名前を聞いて愉快にはならないだろう。

「話していい? 私が未来から来た理由とやらないといけない事についてなんだけど……えーっと、その人狭間さん? だよね? 起こさなくて大丈夫?」

ナデナデに満足した凛ちゃんが椅子に腰かけ、俺達に手招きする。俺とクマさんと翔太くんはテーブルを囲んで座ったが、カウンター席のシゲじいはもがくイグを握りしめたまま口を半開きにして寝息を立てている。

「寝かせといてやれ。ボケてんだよそのジジイ。起こすとややこしくなる」

おいシゲじい言われてんぞ! でもちょっと分かる! 起こすと絶対に余計な事言って墓穴掘る!

凛ちゃんは薄情にも納得顔で頷き、話し始めた。

「お父さんが世界の闇と共振状態になってるのは皆もう分かってるよね。お父さんの力が世界の闇に流れ込んでるし、世界の闇の力もお父さんに流れ込んでるの。世界の闇が滅びない限りお父さんは滅びないし、お父さんが滅びない限り世界の闇も滅びない。それをどうにかして、世界の闇だけ滅ぼしてお父さんを助けるために、世界の闇を狩りながらアーティファクトを探してる……んだよね? この時代だと」

問われ、全員頷く。

うむ。そういう設定になっている。裏切りイベントで俺が死んだのに蘇生したのは世界の闇と繋がっているからだし、遺跡イベントでアーティファクトを探したのは世界の闇を根絶するためだ。

「お父さんと世界の闇の力は均衡を保ってたんだけど、お母さんと結婚して心に隙ができたの。それでバランスが崩れちゃったんだよね。結婚式の日から世界の闇の力がお父さんにたくさん流れ込んでて、心が闇に染まっていってる。一度崩れたバランスは戻らない。これからどんどん世界の闇は強くなって、今まで超能力者かその素質を持ってる人しか襲わなかったのが、一般人も襲うようになっていく」

「なるほど。だから俺が襲われたのか」

「おいおいおいおい大炎上じゃねぇか! なんとかなんねぇの?」

身を乗り出す翔太くんに凛ちゃんは悲しげに微笑んだ。

「私の未来だとダメだった。気付いた時にはもう手遅れ。今から三年後、天照が精神防護のアーティファクトを見つけて均衡を取り戻すまでに世界の闇と闇に染まったお父さんが暴れ回って、世界人口は半分になったの」

話を聞いた翔太くんとクマさんが俺を見て絶句している。

クソ重設定である。闇堕ちヒロインですまんね。今から『クッ、闇の力が暴走する……! 抑えきれない、逃げろ!』みたいな台詞の練習しておいた方がいいかな?

凛ちゃんは重苦しい空気を破るように片手を突き上げ、明るく言った。

「でも大丈夫! 私精神防護アーティファクトの場所知ってるから。ささっと取って装備すれば暴走は阻止できる。オールオッケー、未来が変わって世界平和! 私は! そのために来た!」

「あ、そういう流れ? なるほどな! 凛ナイスゥ! イエー!」

「いえーい!」

ハイタッチしている女子高生と男子高生に割り込むように、クマさんがのっそり挙手した。

「タイムパラドックス問題はどうなんだ? 過去を改変し未来が変わると、未来から来た凛はどうなる。消えるのか? 記憶が書き変わる?」

「んーん、私は消えないし変わらない。時間系能力者だから。過去を変えるとね、未来もブワーって一気に変わるね。記憶も改変された過去に合わせて書き換わる」

「記憶が……それは人道的に――――」

「世界人口半減が一番人道的に悪いと思うんですけど」

凛ちゃんのド正論にクマさんは黙った。

人の命は数では秤にかけられない、という言葉はよく聞くが、35億人の命と記憶を秤にかけたら流石にどちらに傾くかは自明だ。

ややあって、クマさんがまた質問をした。

「そもそもマスターが世界の闇を消し去ろうとして失敗して共振状態になったのが全ての発端だろう。過去を改変するならそれを阻止すれば良かったんじゃあないのか」

おっとー、グイグイ突っ込みますねクマさん。言う事がいちいちもっともだ。

こういう疑い深さがマッチポンプイベントに参加させると厄介なんだよな。

疑い深さは用心深さ。すごく頼れるおじさんではあるんだけど。

しかし用心深さに関してはウチの嫁の方が上だ。凛ちゃんは質問を予想していたかのようにさらりと返す。

「タイムマシンができたのは今日だから、今日までしか遡れないの。それに私クラスのハイレベル時間系能力者じゃないと正確な時間移動ができないのね。ババァさんが作ったタイムマシンって性能あんまり良くないから。普通は二十年も遡ったら誤差三年ぐらい出ちゃう」

つまり凛ちゃんは仲間無しで単身この時代に来るしか選択肢が無かった、という事だ。

クマさんはそこから更に幾つか質問をしたが、凛ちゃんはある質問には即答し、ある質問には私にも分からない、としおらしく答え、適切に捌いていった。つよい。俺が凛ちゃんだったら想定外の質問をされてキョドる未来しか見えない。

最後に話はタイムマシンの使用法に及んだ。

「タイムマシンは何度でも使えるのか? つまり失敗したら戻ってやり直し、という事は可能か?」

「やめた方がいいかな。繰り返すけどあんまり性能良くないから、何度も使ったら壊れちゃうかも。タイム・フォース――――燃料も足りないしね。タイム・フォースは純粋な超能力エネルギー、つまり念力で代用できるから問題無いって言えば無いんだけど」

「そうなん? んじゃマスターがチャージすれば使い放題じゃん」

「だから壊れちゃうかも知れないんだってば。タイムマシンは熱量換算で片道10の70乗ジュールのエネルギーが必要なの。壊れて余剰エネルギーが溢れたら酷い事になるよ?」

「壊さなきゃいいだろ」

いやそれはやばいだろ。いきなり天文学的数字を出すんじゃない!

数字の規模が分かっていないのか、翔太くんは気楽に言っているし、クマさんもイマイチ分かっていなさそうで、シゲじいはスヤスヤ眠りっぱなし。

話を理解したのが俺だけだと察したらしい凛ちゃんは、テーブルのナプキンに黒マジックで絵を描いて説明を始めた。まず爆弾の絵を描く。

「いい?

まず広島に落ちた原子爆弾が6×10の13乗ジュール。

恐竜を絶滅させた隕石がその10億倍。

更にそれを50億倍で地球を宇宙の塵にできる。

その1000兆倍で太陽を消滅させられるの」

爆弾の横に恐竜、地球、太陽の絵を描き、更に渦巻きを描き足していく。

「その一億倍で銀河系が10個まとめて塵になる。

その1000兆倍が10の70乗ジュール。宇宙を創造または消滅させるために必要なエネルギーと同じ。分かった?」

「?????」

翔太くんが宇宙の話を聞いた猫みたいな顔してるぞ! クマさんも分かったような分からないような感じだ。

いくらなんでも10の70乗ジュールは盛り過ぎだろ。いかにも近未来SFっぽい天文学的数字だけど、流石に俺でもそんなエネルギーは出せな……

出せ……

出せる……か?

基礎出力向上訓練はまだ続けている。基本的に小型バリア球を作ってその中で念力を使って念力に圧力をかけそれに耐えるトレーニングをしているのだが、最近バリアの中で何かが爆発的な膨張と収縮をするようになったんだよな。

核爆発か何かだと思っていたが、もしかしてビッグバンが起きていた……?

不安になってテーブルの端に鉛筆で計算式を書いて現在の俺の念力出力の算出を試みる。

えーと、成長率1.3倍で、今までの合計成長回数が……

…………。

うん。

もう基礎訓練はやめよう。

俺の念力で宇宙がヤバい。

なんでこんなレベルにまでなり果てても成長が止まらないんだよおかしいだろ!

「先に言っとくけど、お父さんは世界の闇と精神的に戦い続けて疲れてるせいで全力なんて全然出せないからね。普通の精神力だったらもう百回は狂死してるよ。それに近い内に……いや、この話はまだしない方がいいのかな」

「なんだよ話せよ。おい。おい、気になるだろ!」

凛ちゃんは謎めいた微笑を浮かべ、話を逸らした。

「私の話は天照の他のメンバーにも伝えてね。えっと、つまりこれから精神防護アーティファクトを回収して、お父さんにタイムマシンのチャージをしてもらって私が未来に帰ればめでたしめでたしなんだけど。一つだけ問題もあって――――」

言葉の途中で天岩戸のドアベルが鳴り、カラーコーンを被りギターを抱えたデブ、細身の黒装束忍者、車椅子に乗りコンビニのビニール袋を頭に被ったおっさんがどやどや入ってきた。

先頭のギターデブが凛ちゃんにカラーコーンを向け、ドスの効いた声で吠える。

「いやがった! おいゴルァ! タイムマシン返せやゴルァ!」

「私、月夜見に追われてるんだよね。助けて!」

はい。

戦闘!

開始!!!