数日で勇者アコはホワイトロックキャニオンの最終層――氷牙皇帝アイスバーンとの決戦場である“凍土のコロセウム”に到達した。

が、不親切なことにコロセウムの入り口付近には、回復や復活のための拠点がないというのだ。

一度アイテムなどを使って帰還すると、最終層手前の第九階層を、まるまるやり直さなければならない。

私室で俺の淹れたお茶をすすってから、ステラは言った。

「魔王城だって目の前に教会があるのよ? おかしくない!?」

「おかしいと思って極大爆発魔法をこの教会に撃ち込んだ方がいましてね」

「あ、あれはセイクリッドが悪い大神官かもしれなかったからでしょ!」

プルプル俺悪い神官じゃないよ。ちょっと素行不良だが。

「ステラさんの仰(おっしゃ)る通りです。さて、直近の報告をお願いしますね」

魔王は今日も勇者パーティーの現状をつぶさに教えてくれた。

アコのレベルは15まで上がったそうだ。神官見習いカノンは現在レベル18である。 

それに魔王ステラと上級魔族(アークデーモン)のベリアルという編成だが……。

ティーカップをソーサーの上にコトリと置いて、赤毛が小さく下を向く。

「アコも最初の頃よりは強くなったし、装備にもちゃんとお金を掛けるようになったんだけど、二人とも九階層で息切れしちゃって……魔物は急に強くなるし」

「魔族の支配するダンジョンとは、得てしてそういうものですよ。奥に行くほど配下の魔物も強くなるものです」

「え?」

「魔王城はどうやら違うようですね」

ステラが「う、うちの奥にはもっと凶暴で凶悪で、神官なんか丸呑みしちゃうようなすっごい魔物がいるんだから!」と、顔を真っ赤にした。

おお怖い怖い。

すぐに魔王はシュンとなる。

「ね、ねえ。セイクリッドも一緒に戦ってくれない? ほら、あたしがおおっぴらにアイスバーンをやっつけちゃうのは、ちょっと違うっていうか……」

ステラが本気を出しすぎれば、極大レベルの魔法が使える=魔王とバレてしまいかねない。アイスバーンはもちろん、アコやカノンにも。

そこで代役として俺に白羽の矢を立てた。目の付け所は魔王(ステラ)にしては、悪くない。

悪くない。

がっ……駄目っ……!

そのアイディアは通さない。そういうキマリだ。

「私に貴方の代わりは務まりませんよ。教会を任された神官の役目は、冒険者を蘇生復活し、旅の記録を記し、毒や呪いの治療をして寄付を募ることですから」

「寄付ッ!? お金ならちょっとくらいは……小さな国一つ買えるくらいはあるんだから」

「それは貴方が魔王としてやっていくための大切な軍資金ではありませんか? あくまで私への……もとい、教会への寄付は、お気持ちとして納めていただくものですから」

一度も死んでいない上に、教会のサービスを受けていないステラから金銭を供与されれば、立派な賄賂である。

魔王の尻尾が力無くぺたんとなった。

「じゃあ、どうすればいいのよ……アコにも装備を買ってあげるって言ったのに『自分の身の丈にあった武器を使わなきゃね!』って断られちゃったし。それでね、折れた剣の柄(つか)を『大切なお守り』って見せてくれたのよ。意味がわかんないんだけどぉ!」

「さあ? 少々変わった方ですからね、あの勇者様は」

覇者の雷剣――柄だけでも売れば二束三文以上にはなるというのに、アコはまだアレを持ち続けていたのか。

ステラは涙目だ。小声で「いじわる。悪魔。悪魔神官」とブツブツ呟いた。

俺は小さく息を吐く。

「何も手伝わないとは申し上げておりませんよ。勇者アコの成長を影ながら支えるのは、教会の神官の務めでもありますから。それより紅茶のお代わりはいかがですか?」

魔王はガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。

「けっこうよ! セイクリッドの薄情者! もう知らないんだからッ!」

去り際にお茶受けのクッキーをトレーから三枚強奪して、魔王は部屋を飛び出すと魔王城に帰っていった。自分用、ベリアル用、ニーナ用といったところか。

俺はベッドの下に収納しておいた、銀色のケースを取り出す。

大神樹管理局(ボンクラ)の設備開発部(ポンコツ)謹製の特殊装備(パンドラボックス)だ。

「あまり長く引っ張るのも魔王が可哀想ですし、明日にも仕留めるとしますか」

ニーナのお昼寝のタイミングは、この数日で把握済みである。

ステラ経由の助言で氷牙皇帝に挑む時間帯も決まっていた。

さてと、久しぶりにお仕事しますかね。

翌日の昼頃、ニーナが教会にやってきた。

今日もステラとベリアルはお(・)仕(・)事(・)で、ニーナは俺とお留守番だ。

聖堂の紅い絨毯の上に、小さなピンクのシートを敷いて、ニーナがそこにちょこんと正座する。

ニーナのもってきた赤いスライムのようなぬいぐるみは、ステラの代役だそうな。

「セイおにーちゃはだんなさまなのです。お仕事をして、ニーナママのところに帰ってくるところからねー」

「ええ、では……あー今日も一日働いたなぁ。働いた働いた。ただいまニーナさん」

靴を脱いでピンクのシートの上にあぐらをかくと、ニーナがにぱっと嬉しそうに笑う。

「おかえりなさいだんなさま。きょうもニーナママとステラちゃんはいいこにしてました」

赤いスライムぬいぐるみを胸のあたりにぎゅーぎゅー押しつけるようにして、ニーナが告げる。

「ステラちゃん……ですか?」

「あらやだ、だんなさま。ステラちゃんはニーナママと、だんなさまの愛の結晶でしょ?」

そういう設定か。ステラが知ったら悶絶するやつだ。

「ああ、そうでしたね。ええと、ステラちゃんにニーナママはなにをしているんですか?」

「だんなさまはそんなしゃべり方じゃないのー!」

「なにをしているのかな?」

「うふふぅ♪ はやくステラちゃんがおっきくなるように、おっぱいをあげてるんですのよ」

なぜ令嬢風のしゃべり方にッ!?

意外性の申し子め。

ニーナはハッ! と目を丸くした。

「そういえば、だんなさま! ごはんにしますか、おふろにしますか?」

「ごはんで」

「夕飯はステーキですよぉ。ビーフ50%くらいなのー」

なにそれ怖い。残りの半分くらい何でできてるんだ?

「それじゃあいただきまーす。もぐもぐもぐ。かけいがつらいから、いっぱい稼いでね、だんなさま」

「が、がんばるよ。二人のためにも」

「やだもー。おなかにもうひとり、ベリアルちゃんがいるのにー」

衝撃の事実である。

「それじゃあニーナはいっぱい食べないといけないね」

「うん! ニーナね、男の子もほしいなぁ。アコちゃんせんせーみたいな、かっこいい子がいいなぁ」

早く、早く来てくれニーナの眠気。

無邪気な幼女の発言は、大神官の健全な思考に対する悪影響や、幼女への依存をより強めます。周りの人から勧められても決して吸ってはいけません。

ん? なにを吸うんだ俺?

おままごとが無事終了すると、ニーナは頭をゆらゆらとさせ始めた。

「お昼寝の時間ですね」

「ふああああい」

あくびと返答を組み合わせたまったり可愛いニーナを抱き上げて、俺は私室に戻るとベッドに寝かせた。

「おやすみなさーい」

「おやすみなさいニーナさん」

すぐに小さな胸を上下させて、幼女は眠りについた。

それを確認すると、俺は部屋に結界魔法を張り巡らせる。彼女に害を及ぼす者からこのベッドの上の聖域を守り、かつ、異常があれば俺にわかるよう知らせる術式だ。

効果は二時間――移動の手間を考えると、あまり悠長にしてもいられない。

「では、行きますか」

俺は銀のケースの取っ手を握り、持ち上げながら転移魔法を使う。

聖堂の講壇には案山子(かかし)を立たせ、向かった先は――ラスベギガスの北にあるホワイトロックキャニオンにも近い、雪をかぶった大神樹の芽だった。

そこから見える位置に雪山をくりぬいて造ったような城塞がある。

一時間もあれば九階層くらいまでなら踏破できるだろう。

魔物や魔族がこちらの説得に応じてくれると信じつつ、銀のケースと光の撲殺剣をそれぞれ手にして、白い山の中腹付近にある城塞入り口の、五メートルはある城門の扉を俺は叩いた。

「すいませーん。教会の方から来た者ですがー」

扉の向こうから「セールスはお断りだ」と、野太い魔物の声が返ってくる。

「聖典をお買い上げいただけますと、今なら聖水をおまけいたしますよー」

「帰れ人間! ここは氷牙皇帝アイスバーン様の砦ぞ!」

「そういうわけにもいかないんですよ。すでに侵入者を通してしまいましたよね? 扉から少々離れてお待ちください」

なかなか扉を開けてもらえないので、光の撲殺剣で叩き壊した。

瓦礫となって吹き飛ぶ扉――

その後ろに棒立ちだったため、衝撃波で吹き飛ぶ番兵の魔物――

雪煙の中、ゆっくりと俺が歩み出ると。

魔物たちが一斉にひれ伏した。

「か、買います聖典買わせてください!」

「では、あとで近くの街から取り寄せますので。神のご加護があらんことを」

さすが第一層の魔物である。押しに弱い。というか……普通に弱かった。