「おにーちゃただいま~!」

教会の扉が開き、ニーナの声が聖堂にこだまする。

「おはようございますニーナさん」

講壇に立つ俺に幼女はハッと目を丸くした。

「間違えちゃったかも」

「どうしましたか?」

とてとてと幼女は赤い敷物の上をまっすぐ、俺の元に駆け寄った。

「だって今ね、ニーナは『ただいま~!』って言っちゃったから」

神学校の初等部で担任をお母さんと呼んでしまった的なものだろうか。

羞恥心でみるまにニーナのほっぺたが赤くなる。

「教会は集う者の家ですから、ニーナさんはなにも間違っていませんよ」

金髪を揺らして幼女は「そっかぁ……よかったぁ」と安堵した。

実家のような安心感が、この“最後の教会”の最大のセールスポイントだ。ちなみに立地は魔王城の隣なので、単身ならばレベル80程度まで成長してから、お越しいただきたい。

そんなニーナを追って、薄褐色肌の女騎士が続けてやってくる。

「おはようございますベリアルさん。本日はようこそ最後の教会へ。毒の治療でしょうか……それとも呪いを解いてさしあげましょうか」

カツカツと足音を立て、彼女も赤い敷物を進む。スラリとした四肢にピンとした背筋で歩く姿は美しい。彼女が歩けば聖堂も、さながらショーのランウェイだ。

「まったく貴様ときたら、すぐに営業だ。用件がなくて教会に魔族が来てはいけないのか?」

「だんだんステラさんじみてきましたね」

「う、うるさい」

「魔王城の門番という大切なお仕事はいかがなさいましたか?」

「守るべきもののすぐそばにいること。それが門番の務めだ。わたしが守りたいと願うのは、城の門などではないのだから」

「朝っぱらから恥ずかしいセリフを飛ばしていらっしゃいますね」

「クッ……こ、殺せ……というか死にたい」

「もし死んでしまった場合には、すぐに蘇生いたしますね」

「生き地獄か! やはり光の神は汚い! 死んでも甦らせて羞恥責めとは! 安らかなる死すらも冒涜するのか!? こんな神官のいる教会になどいられるか!」

「では、どうなさいますか?」

「とはいえニーナさまがいる以上は、外に出るのもはばかられる。なので部屋の隅で膝を抱えて座っているから、そっとしておくがいい」

卑屈になっても上から目線。さすが気高き上級魔族の女騎士である。

ベリアルは教会の隅で壁にもたれかかるようにして「わたしとて好きでクッ殺言っているわけではないのだ……なぜかそうなってしまう世界が悪い」と、ぼやき始めた。

しらんがな。

手間の掛かる自称保護者兼守護者は放っておくことにして、俺は講壇から降りて膝を屈し、視線を幼女の高さに合わせた。

「ところでニーナさん。ステラさんはごいっしょではないのですか?」

「あのねあのね、ステラおねーちゃはセイおにーちゃに会うのに、まだ前髪がうまくキマらないって!」

「そうでしたか。身だしなみを整えるのは大切ですからね」

「ニーナはステラおねーちゃにしてもらったから、ばっちりなんだよ!」

「はい、大変良くキマっておられます」

「えへへぇ……」

姉妹の熱々ぶりに当てられそうだ。

普段から魔王に入り浸られてきた当教会だが、今日も特に用件もなく彼女はやってくるのだろう。

心のどこかにずっと、懸念が燻っていた。

ステラとニーナには血の繋がりがない。それが二人の関係を変えてしまうのではないか……と。

「ニーナさんはステラさんのことが大好きなんですね」

「うん! おねーちゃ大好き!」

幼女は両手をばんざいさせて笑顔を弾けさせた。その尊さ、プライスレス。

どうやら俺の杞憂に終わったようだ。

人間の王と魔族の王。二人が姉妹でもいいじゃないか。まあ、ニーナは元女王なのだが。

ニーナは先代の王の孫にあたる。先日、王位に即位して、その日のうちに退位したという、歴史上最年少かつ最短在位の王族だ。

現在、王位はニーナの従姉妹にあたるクラウディアが冠しており、国政の安定と民の安寧のため務めている。

対立候補だったマーゴのような暴君は教会も望まぬところだ。クラウディアなら、今後も教皇庁と良好な関係を築けるだろう。

少々、筋肉フェチなところをのぞけば申し分ない。

ニーナと比べれば年長者だが、クラウディアだってまだ国を治めるには若すぎる。

それでも彼女は女王となったのだ。

王都を揺るがす政変も、喉元を過ぎてしまえばなんとやら。

このままま世界が平和でありますようにと願うと――

大神樹の芽が光り輝いた。

「いやー死んじゃったよー」

「キルシュ殿は上手く逃げ切れたでありましょうか?」

「ここにいないってことは大丈夫なんじゃないかな」

「それもそうでありますな」

「ボクら二人はそろってやられちゃうよね」

「もう、大神樹の中で魂トークするのも何度目でありましょうなぁ」

そのまま放置して魂もろとも溶けてしまえと俺が思った回数も、ついでにカウントしてみたいものだ。

「蘇生魔法×2」

勇者と神官見習い、二人の魂の光が人の姿となって聖堂に実体化した。

ちなみに、教会の出入り口は“開けたら閉める”が徹底されており、二人はまだ教会の外に出たことがない。

勇者にはきちんとした手順を踏んで、正面から魔王城に挑んでほしいものだ。

「ぷはー! 生き返ったぁ!」

「さっそくお財布の中身を献上するであります!」

「といっても、お金は全部キルシュに預けてあるんだけどね」

ボーイッシュな黒髪の人としてちょっとアレな勇者アコと、おかっぱ眼鏡の狂犬神官見習いカノンである。

これに暗殺者(未遂)のゴスロリ少女キルシュを加えた三名が、現在の勇者パーティーだった。

一人、生存率の高い仲間ができたことで我が教会への寄付金が激減してしまった件。

「おお死んでしまうとは以下略」

「ちょっとセイクリッド! ボクらの扱いがぞんざいすぎない?」

「もはや自分たちはテンプレ対応すらされないのでありますか!?」

そうだよ。

二人の来訪にニーナが声を上げた。

「アコちゃんせんせーにカノンちゃんだー!」

「ははは! ニーナちゃんただいま!」

「ニーナちゃんに会えるのであれば、死んで悔い無しでありますな」

俺が教会にやってきたことで、ニーナにはたくさんの新しいおねーちゃが増えたのだが……そういえばカノンのことはカノンちゃんと呼ぶのである。

「ふと思ったのですが、どうしてニーナさんはカノンさんをカノンちゃんと呼ぶのですか?」

「うーんと……えーと」

カノンの眼鏡がキラリと光る。

「みなまで言わずとも、それは自分が親しみやすい性格だからでありましょうな」

ニーナは「うん!」と、頷いた。

「カノンちゃんはニーナとおなじでちっちゃいから!」

「な、な、なんですとッ!?」

アコがニーナとカノンの間に割り込んだ。

「じゃじゃじゃあボクは?」

「アコちゃんせんせーはおっきいから、おねーちゃかも」

おかっぱ眼鏡の神官見習いは凍り付いた。

「カノンさん、いつか貴女も立派なおねーちゃになれますから」

「セイクリッド殿! 爽やかな笑顔で励まさないでほしいであります!」

ニーナの言う大きいと小さいは、果たして身長のことなのか、それとも人としての器なのか。

「ボクは小さくて可愛いのも大好きだよ!」

部屋の隅で膝を抱えていたベリアルが「大きいのは可愛くないと言ったか」と、アップを始めました。

「アコ殿! 隅ッこにいたベリアル殿が猛っておられるのであります!」

「ひっ!? お、大きいのも大好きだよ!」

「貴様……わたしはともかく、ニーナ様やステラ様をそのような目で見ていたのではなかろうなッ!?」

このままでは教会内でラストダンジョンの中ボス戦が始まりかねない。

「大きいも小さいもありません。光の神の御前では、みな平等ですから。それにお二人がケンカをすると悲しむ者がここに二人いるのです」

ニーナがそわそわしている。もうこれだけでベリアルは戦意喪失まったなしだ。

アコが首を傾げた。

「ニーナちゃんはわかるけど、悲しんでいるもう一人っていうのは?」

「当然、平和を尊ぶ大神官の私です」

「ええぇ……ダメだよセイクリッド神様の前で嘘ついちゃ。この中で一番ヤバイじゃん。ヤバイ人だし人としてもヤバイし、人間捨ててるっていうか超えちゃってるから」

途端に女騎士と神官見習いまで意気投合した。

「うむ、確かに」

「ヤバさのベクトルというかレベルというかステージが違うのであります……い、良い意味で!」

後輩にはあとで説教が必要だな。

ニーナまで困り顔で俺に告げる。

「おにーちゃは……おにーちゃらしくがんばればいいと、ニーナはおもいます!」

励まされて傷つく大神官に救いの手を募集中。

「さすがニーナちゃんは優しいなぁ」

「天使でありますな」

「当然だ。ニーナ様の優しさに触れて神官には改心してもらいたいものだ」

ニーナが良い子であることに異存はないが、魔王軍幹部に心を入れ替えて正しく生きろと言われる筋合いはない。

自然と溜息が漏れたところで――

「おや?」

再び大神樹の芽が光を帯びると、メッセージが転送されてきた。

「キルシュさんからお二人に宛ててですね……えーと、“また明日、王都のいつもの場所で待ってますんで”……とのことです」

アコが「オッケー! って返信できる?」と子犬のような瞳で俺を見る。

「では、そのように」

大神樹の芽に祈ると、すぐに王都の下町の教会から「╭( ・ㅂ・)و̑ グッ」と絵文字が返ってきた。

これ、どうやって向こうの神官に送ってもらうようお願いしたんだろう。今度送ってみようかな……姉上に。

落ち着いたところで、カノンが聖堂内をぐるりと見回した。

「ところでステラ殿の姿がお見受けできないのでありますが?」

「前髪を整えるのに手間取っているそうです」

「ボクが来るって知ってたのかな?」

「アコ殿に残念なお知らせでありますが、自分たちが死んだのは偶然であります」

瞬間、勇者は膝を屈してorzした。もはや他に表現方法が見当たらないほどの絶望屈伸であった。

「そんな! それじゃあまるで、セイクリッドに会うのが楽しみすぎてオシャレに気を遣う女の子みたいじゃないか!?」

「そ、そんなんじゃないわよ!」

丁度よいタイミングで髪型が決まったのか、こっそり中の様子をうかがっていたのか、教会の出入り口の扉が少しだけ開いて、赤髪の少女がひょっこり姿を現した。

「ステラさんそうだよね! セイクリッドのためじゃないよね!」

黒髪の少女は立ち上がり、跳ねるようにステラの元へと駆け寄った。

「アコのためでもないからね」

途中でつんのめって勇者は転ぶと豪快に長椅子にぶつかって目を回す。

さすが勇者だ。罠もなにも無いところですら、デストラップにするなんて。

「いたたたたっ……」

「ちょっと、いきなり事故らないでよ」

不憫そうにステラはアコに手を差し伸べた。

「ありがとうステラさん」

「で、今日はカノンと二人だけなの?」

「うん! 実は気づいちゃったんだ。全滅しないようにお金をキルシュに預けておけば、死んでも大丈夫って」

大丈夫じゃないんだよ。教会の収入源……もとい、勇者としての尊厳が。

立ち上がったアコにステラは「なるほど名案ね!」と、なぜか俺にウィンクした。

察したか魔王様。だが思い出して欲しい。幾度か魔王様が教会で飲み食いした紅茶やお菓子にかかった費用の一部が、尊い犠牲によるものだったかを考えるべきである。

いや待てよ。もし寄付が減ったとしても、俺がニーナのために自腹をダイナミック切腹することには変わりない。

つまり、アコたちが寄付金キャセルをすることで間接的に大神官に支出を迫るというのか。

さすが魔王様汚い。

「なにボーッとしてるのよセイクリッド? ほら、いつものアレはしないの?」

「は、はい? アレといいますとなんでしょうか?」

「毒の治療とか呪いを解くとかのやつよ」

「あ、ああ、そうでしたね。ようこそ教会へ。ステラさん本日はどのようなご用件でしょうか? 毒の治療ですか? 呪いを解いてさしあげましょうか?」

「美味しい紅茶を飲みにきたのよ!」

「ここは喫茶店ではありませんよ?」

ベリアルがじっと俺を見据えた。

「喫茶店でも酒場でも、細かい事は良いではないか」

「教会ですから」

かつてワインを飲み放題していっただけあって、教会の概念はもはや崩壊したのかもしれない。

ニーナが入り口付近まで駆けていくと、ステラとアコの手を引いて講壇近くまで戻ってきた。

「おにーちゃ! ニーナはみんなでおやつタイムがいいとおもいます!」

すると――

プシュー! と、講壇裏手に安置してあった黒曜石色の継ぎ目の無い棺から、白煙が上がった。

ニーナと同じくらいの小柄な影が白煙の向こうで身体を起こす。

「ではさっそく、お茶の準備をいたしますわね」

魔法力充填を終えたロリメイドゴーレム――ぴーちゃん再起動である。

カノンがふと呟いた。

「なんだか賑やかでありますな。これにキルシュ殿と、ルルーナ殿や教皇聖下にリムリム殿もいれば……」

「そうなると私の私室では手狭ですね」

ステラがエヘンと胸を張る。

「なら聖堂を食堂に改築しちゃえばいいのよ! ね! セイクリッド!」

「ね……ではありませんよまったく」

「改築するなら本気で教会を吹っ飛ばしてあげるわ!」

「結界で守られていますから」

「それは建物と大神樹の芽だけでしょ? 内装から匠の爆発魔法でがらりとリフォームしてあげるわ」

本気でやりかねない魔王様に心の中で頭を抱えた。

と、同時に……。

何かが一瞬、脳裏をかすめた。

何かが足りないような気がするのだ。

「あの、カノンさん?」

「なんでありますか?」

「いえ、なんでもありません」

「今日はなんだか変なセイクリッド殿でありますな」

「ステラさんがセイクリッドのためにおめかししたのが恥ずかしいんだよ。先輩のことを察してあげなきゃだよカノンってば」

「そ、そうなのでありますかステラ殿!?」

「だ、だからそうじゃないって言ってるでしょ!」

「おねーちゃ顔まっかっか!」

「心拍数が上昇していますわね」

「セイクリッド……やはり貴様だけは生かしてはおけぬ……」

聖堂内に言葉が飛び交った。

誰も何も違和感を覚えてはいないらしい。

王位継承の件もあって疲れが溜まっているのだろうか。