Tower of Karma
Evolving Nedeluxe: A New Stage
それから数日、ヴォルフが率いるネーデルクス軍がブラウスタット前で展開していた。その数、三万を超える兵数。それが全てヴォル フの手足である。対するウィリアムは二万四千の兵を率いていた。ほとんどが首都近郊を守っていた第三軍である。アルカディアが持つ浮いている数少ない戦力、その全てが此処に集っていた。数では多少劣るが、防衛側と考えれば充分な兵である。
「「だが、この戦は防衛戦にはならない」」
ウィリアムとヴォルフは睨み合うカタチで、まったく同じ言葉を放っていた。
「ブラウスタットが強固過ぎるからだ。落とすには三倍でも足りない。ならばどうする?」
二人は最初から同じ結論に至っていた。だから兵数の差はあまり意味を成さない。ここから始まる戦いは、どちらが優れているか――
「狙うのは外堀、後背の建造途上の大橋、北に寄れば山が、さあ、どう崩す?」
それだけである。
「攻めて攻めて攻め潰す。行くぞオメェラァ!」
「訓練以上のことは求めない。各自最善を尽くせ」
白の旗がたなびく。黒の旗が舞い踊る。以前、この地で彼らは出会った。その時はまだ実力も地位も足りなかった。あれから何年の月日が経っただろう。どれだけの修羅場を越えてきただろう。
勝者がどちらであれ、この戦は戦史に刻まれる。白の王と黒の王、軍を率いてぶつかった初めての戦なのだから。白騎士と黒狼は同時に剣を抜いた。そして掲げる。天を突かんと、天を喰らわんと、挑戦者たちがしのぎを削る。
○
戦の始まりは緩やかなものであった。互いに戦意は極限近くまで高まっている。どちらも味方は大きな痛手を受けた。黒狼の猛追、白騎士の殲滅、互いが痛みを知った。ゆえに其処に差は生まれない。士気は双方互角。
「普通の開戦だ。互いがセオリー通り、あの男らしくない」
凡庸な激突。矢で間合いを計り、途切れたところから突撃をする。仕掛けはない。工夫がない。その凡庸さは曲者二人が率いるにはあまりに普通であった。
「いやー、大丈夫ですよ。こういうのは初めてですけど、そういう相手ってだけです」
ギルベルトの隣にはユリアンが恐縮しっぱなしで立っていた。ギルベルトの部隊を指揮するのは十人隊長であるユリアン、本来圧倒的格上であるギルベルトに対して指示をしなければならないという緊張感は筆舌に尽くしがたいものがあった。
「どういうことだ?」
ギルベルトは普通に問うたつもりであったが、ユリアンはびびりまくっていた。それを見てため息をつくギルベルト。これに率いられる自分の情けなさを呪った。
「ぼ、僕らはわからないんですよ。わかる必要もないっていうか」
ユリアンの言葉にギルベルトは少しだけ眉を動かした。随分と自信なさげな言葉を放つ割には、一切の迷いも、一切の惑いもない。
「あ、こっちです。とりあえずついてきてください。答え合わせは終戦後にでも」
ユリアンの眼から感情が消えていた。まるで操り人形のように――
「こいつら、全員同じ眼か」
動き出す白騎士の歯車たち。
○
ヴォルフは加速する。とてつもない速さと強さで前線を蹂躙していく様は怪物そのもの。それを支える左右の牙、彼らが上手く動いてヴォルフに向けられる矢や槍、剣を散らす。もし散らせずともそもそも彼らが強いのだ。つまりは無双の集団。
「ふはッ! こっちだろォ!」
黒狼の嗅覚が相手の急所を嗅ぎ取る。そして即断即決で動く。極限の速さ、本来なら独走になってしまうが、黒の傭兵団はそれに対応できる。十一の狼は縦横無尽に王の跡に続く。それに喰らいつく赤の精鋭、結果としてさらに加速するネーデルクス軍。
ついて来い。さすれば勝利がやってくる。
「んあ? おいおい、ついてくるのかよ」
しかして、急所が消えれば狼の牙は通らない。白の軍はまるで最初から攻められる場所がわかっていたかのように動く。動いた本人たちすら理解出来ぬ動きが急所を消した。むしろそこが厚みを増し、狼をハメ殺す罠と化す。
「……左に抜けるぞ。正面は死臭しかしねえ」
活路は左、かろうじて抜けられるがすでに攻めは潰されている。攻めを継続させるための唯一にして妥協点。黒狼は一瞬でそれを察知し、そちらへ駆け抜ける。
「狼煙に、音の鳴る矢、手信号、全て合図か。どんだけの練度だっての」
ヴォルフに続くニーカが吐き捨てる。流動的に動くアルカディア軍、決して素早いわけでも強いわけでもない。ただ、必ず先読みしているかのように先手を取ってくるのだ。ヴォルフの嗅覚ですら遅いと言われているかのような、高みからの指揮。
「大丈夫だ。団長ならまだ全開じゃない」
黒の傭兵団員の言葉に「んなもんわかってる」と返そうと――
「やべえ! 後ろだガルム!」
ガルムと呼ばれた男は驚愕しながらも背後に刃を向ける。決してわかっていたわけではない。ニーカに言われたとおり、後は山勘、
「ちィ! 死んでおけ狼ぃ!」
突貫してきたシュルヴィアのハルベルトとガルムの刃が重なる。その時点で僥倖、運がついていただけである。
「やっべ、こいつめちゃくちゃ強い!?」
一気に押し潰そうとシュルヴィアの勢いは高まる。破壊力と大物を巧みに操る技術の融和、何よりも武器としての完成度が剣とハルベルトでは大きな差があった。
「お助けぇぇえ……ってわけで死んどけ女ァ」
打ち合うこと三合、普通の戦場ならすれ違った程度、しかしこの場の速度では少々悠長が過ぎた。ガルムが上手く身体を使って彼女の視界を消していたことに、シュルヴィアは気づかなかった。
「軽率!」
伸びる槍が死の音を告げる。「ぐぬ」シュルヴィアの腹を掠め千切った槍の冴え、仕留め切れなかったことに槍を放ったアナトール ではなく、視界を消していたガルムが顔を歪めた。一瞬の攻防、早過ぎる戦場にいつも出来ていたことができなかった。本来なら確実に仕留められた算段、失敗したのはガルムが身を翻すタイミングをほんの少しだけ外したため。
「さすがは『哭槍』、片腕でもこの強さか」
北方にも名が届いていたアナトール。しかし追撃は上手く阻まれてしまった。シュルヴィアを守るように展開する北方の兵は強兵ばかりである。アナトールは仕留めることを諦めた。そもそも此処でシュルヴィアを討つよりも、攻める態勢を作るほうが優先度は高い。
「油断するなァ! あいつがただ守るわきゃねーだろーよ。しっかり狙ってきてるぞ!」
ヴォルフの檄が飛ぶ。隙あらば討たれる。黒の傭兵団、ネーデルクス軍に程よい緊張が走った。容易い相手ではない。集中を、極限まで研ぎ澄ませる。
「まァだ、まだだァ!」
ヴォルフの笑みが迸る。それは、カールの引き出せなかった笑み。好敵手を前にした戦士の笑みである。
○
ウィリアムは全体を見渡せるところで逐一指示を送っていた。最短最速の伝達手段を選択し、歯車たちに指令を飛ばす。機械的に、意思を持たない兵たちは言われた最低限の動きをする。先回りを可能にするのはウィリアムが 秀でているから。そしてその指令を確実に遂行する歯車がいるからである。
「即席にしては上手く機能しているな。敗北のおかげで他の兵も素直だ」
シュルヴィアの奇襲は失敗に終わったが、その三合が稼いだ時間で兵の移動が完了した。これで守りがほんの少しだけ有利に傾く。その積み重ねこそこの戦の勝利を決める。戦場における『速さ』とは単純な速度のことではない。
どれだけ効率的に動き、どれだけ無駄を減らし、どれだけ時間を削れるか、その積み重ねこそが『速さ』となるのだ。相手を妨害して相手の時間を奪うことも速さの一種。それだけ自分の意を通すことが出来る。
(アナトール、それに……あの時の小僧か。良い動きだ。両名がこじ開けた穴に突撃する赤い鎧、マルスランの副将マルサス。王会議で見たまま、素直そうだ)
ウィリアムは指示を飛ばしながら相手を見極める。どんな動きをしているかと言う事実、それがどんな意味を持つのかと言う推測、それらを一瞬で組み上げて先を見通さねばあの怪物が生む純粋な速度には追いつけない。
(だが、あの突撃は本命じゃない。さらに右方、ニーカの動きもブラフだ。破壊力はあるが、姿勢がこっちに向いていない。全軍が右に傾きつつある。狙いがそこならば、お前は、当然こっちにいるよなァ?)
ウィリアムが手を左へ振った。その瞬間、まるで魔法のように軍が左へじりじりと動き出す。素早くはない。しかし確実に相手の狙いを封殺する動き。左方で軍が弾けた。やはりヴォルフが気配を消しながら隙をつく動きをしていたのだ。
(おそらくすぐに退くだろうが、万全を期すためにギルベルトを動かしておくか)
ウィリアムは無言で戦場を模した盤面、そこにある特別な駒を動かす。その瞬間、部下が急ぎ動き出し「ユリアン、左寄れ」と組み立てられた櫓の上に居る兵士に告げた。そこに用意された鏡を、櫓の上に居る男は慎重に動かして反射光を狙いの場所へ放った。対象が気づいてから三度、チカチカと光を送る。対象、ユリアンは手を挙げて了解の意図を伝える。これで命令の伝達が成った。
「さあどんどん縮めるぞ。戦術の工夫で時を超える」
ウィリアムの兵は弱い分、とにかく決まりごとを叩き込んだ。角笛や鐘などの聴覚、鏡や狼煙などの視覚、今はまだ用意していないが嗅覚を用いた戦術も考えている。それらをきっちり覚えさせる。それだけで良い。戦うことは他の部隊にやらせれば良いし、戦うとしてもクロスボウなど力量の必要ない武器を使えばいいのだ。
これがウィリアムが生み出した軍のカタチ。弱きの苦悩を知るがゆえ、ウィリアムは新しい牙を与えてやった。その牙は実体無き虚構のモノ。されどその牙は確実に相手を蝕んでいく。すでにウィリアムは理解していたのかもしれない。これから遥か先、実体なき牙こそが最強の矛になることを――
○
カールはこの戦で役割を与えられていなかった。ウィリアムの隣で戦場を学ぶことが役割。それを言い渡したときヒルダやギルベルトは抗議の声を上げた。カールもまた難色を示した。それでもウィリアムが命令を押し通した理由を、カールはようやく理解する。
「……こんな、こんな戦場があるなんて」
それはあまりにも『速い』戦場であった。
黒の狼は化け物じみた力と速さ、そして多くの経験値と生まれ持ったセンスに裏打ちされた直感、何よりも判断の速度が人間の域じゃない。それに喰らいつく黒の傭兵団、追いかける赤の精鋭、彼らもまた凡百ではなかった。強さが迸る。ヴォルフの加速と共に軍が加速し更なる熱を帯びていく。
黒の王を頭とした巨大な狼が唸りを上げて押し寄せてくる。
白の騎士は本人が動くことなく軍を操る。其処に力や速さは無い。だが、尋常ならざる知識と下準備、効率化と機能性を極めた軍勢は、怪物の速さと渡り合う『速さ』を手に入れていた。凡百ばかりの軍。それが頭であるからこそ、この軍は強い。
白の王が知恵と言う鎧を纏い喰らいつかせた狼を仕留めんと隙をうかがう。
「僕に、これを指揮しろっていうのか?」
「俺と言う駒を逸して勝てるほど容易い相手ではない。俺の軍はまだ未完成だ。今はまだ、英雄が要るんだよ。本意ではないがな」
ウィリアムはカールに学ばせようとしているのだ。まさに命令どおり、しかしこれほど重い役割があるだろうか。ウィリアムの強さは、カールのように守りに 特化した強さではない。どちらも兼ね備えて、かつ攻守とも最高のバランスを常に維持できる絶対の安定感こそ彼の強さ。指揮官が迷い無く最善を選び取るがゆえ、部下たちも迷いなく動ける。逆に安定感を欠けば一気に瓦解してしまう。それが白騎士の戦であり、異次元の強さを誇る黒狼に対するアルカディア軍が持てる唯一の戦い方なのだ。
新たに生まれた星星の頂点こそこの二人。
「一朝一夕で出来るはずが――」
「知識は死ぬ気で覚えろ。感性は研ぎ澄ませ。生き延びたお前に、息つく権利があると思うか? これから先、ずっと張り詰めろとは言わんが、最低でもこの戦に勝つまでは甘いことをぬかすなよ。わかったな軍団長」
カールの顔色が変わった。さらに深く意図を掴んだのだろう。出来ないではない、やらねばならないのだ。人の死を、それも夥しい数の死を背負うモノが、ただの人のように弱音を吐いていいはずが無い。
「……ごめん。……ありがとうウィリアム」
カールの視線がふわりと浮いた。全体を俯瞰しているのだろう。先ほどまでの戸惑いは完全に消失していた。あるのは『理解』しようと全力で見つめる天の瞳。視野の広さは決して狭いわけではない。むしろ広いのかもしれない。まあ、腐ってもあの男の息子なのだ。視野が狭いはずも無い。
「礼は良い。しっかり学べ」
カールとウィリアムの間には未だ大きな差があった。それを真摯に受け止めて吸収する姿勢をカールは持っている。まだまだ伸びる。ある意味でカールはウィリアムが生み出した最初の作品である。もちろん後に特殊な才は開花したが、始まりは平凡以下。ウィリアムが積ませた経験、その積み重ねが今のカールを生んだ。つまりその作品が伸びれば伸びた分、ウィリアムの考えが証明されていくのだ。
ウィリアムは戦場にて更なる高みを目指す。より強くあるには事前に用意した分とプラスアルファが必要になってくる。黒狼という怪物はさらに高めてくるだろう。それに対抗するには今渡り合えていることで満足しては成らないのだ。凡百を用いた英雄殺しの矛は未完成、ならば自分が英雄たるしかない。
(まだ余裕はある。一度抜かれる分には、抜いた先の底に用意した一手で手痛く弾き返せる。とはいえ後背の確認が取れぬまま抜く以上、万全は期してくるだろう。賭けには出ない。互いに致命は遠いな)
だが、英雄としての強さは黒狼の方が上。此方に優位を作るならば英雄と英雄殺しの矛を併用せねばならない。そのためにはカールを仕上げるしかないだろ う。他の部下は考えるように作っていないし、他の将は論外。カールしかいないのだ。白騎士の代わりとして軍を動かしうる可能性を持つもの自体が――
(まあ、一瞬でも手抜かれば即死だがな)
ウィリアムは自然と笑みがこぼれた。さらに加速してくるヴォルフの理不尽。それに対応することが面白くて仕方がないのだ。色々と考えることはある。しかし今は盤面だけに注力していたい。それだけ今この時が美しいとウィリアムは思うのだ。
完成されつつある戦場。互いの高まりがローレンシアの大地に新たな歴史を刻もうとしていた。完成を超え、新たなるステージへと。