Tower of Karma

Tabernacle: The Harshest Workouts

 シュルヴィアは葬儀以来顔を見ていないウィリアムの屋敷に来ていた。門の前に一人ぽつんと立ちすくむ。さまざまな葛藤を経て持参した北方の郷土料理。熊の肉を使用しており精がつく事で人気に、昨今王都でも流行りつつあるものだが、何とお手製であった。

(自分で作った方が安上がりだっただけだ。他意はない)

 シュルヴィアの理論武装としては自分の仇である男が、いつまでも引きこもって力を失っていくのは耐え難い。全力の相手を潰して初めて復讐は成るのだ。と言ったもの。

 ちなみに部下からは「さすがに違うんじゃ」というツッコミが入ったが黙殺。

「なーにしてるんですかー?」

 立ちすくんでいた最中、背後に忍び寄る腕をがっちり捉え反射的に投げ飛ばした。誰かもわからぬ声の主は綺麗な放物線を描いて雪だまりに頭から突っ込んだ。ゆえに投げ飛ばした後でも誰かわからなかった。

「ひ、酷いじゃないですかシュルヴィアさん。僕ですよ僕、ユリアンですってば」

 這い出てきた雪男の名はユリアン。ウィリアムの部下であり意外と使い勝手の良い男である。シュルヴィアの印象としてはそんなところ。

「ああ、貴様か。丁度良い。今からあの男に会うところだ。貴様もついて来い」

 これ幸いとシュルヴィアはユリアンを誘う。必要なのは会う口実、そこはユリアンに任せて自分は堂々と立ち入れば良い。ほっとしている様がありありと見て取れるところに、ユリアンは苦笑を禁じえない。

(いやー、その鍋を持って上がったらどんな言い訳も効かないと思うけどなー。案外そっち方面は抜けてるから通じたりして。まああの人に限って勝ち目はないと思うけど)

 シュルヴィアが持っている鍋は明らかに一人用ではなかった。大食漢であるシュルヴィアでさえ三日はもつ量。それが入った鍋を持っているのだ。普通に目立つ。

「早く来い。さっさと貴様の用向きを済ましてしまうぞ! まったく面倒くさい」

「はーい。すぐ行きますよー」

(ほら僕の用事にした。雪の中半刻も立ちすくんで、手には大鍋、頭に雪が乗ってるのにもかかわらず、僕の用事にたまたま付き添った体で押し通そうって言うんだからあの人は大物だよ。根が単純っていうか。そこが良いんだけどさ、うん)

 先導するシュルヴィアについていくユリアン。ちなみにユリアン、シュルヴィアが自分の分ではない料理を作っているとの情報を北方の兵から聞きつけ、先回りの上この場で待機していた。ユリアンの待機時間、およそ三時間。大物である。

     ○

 ウィリアムは居間でシチューを堪能していた。鍋から皿に移すこともせず、直接頬張る様はとても貴族には見えなかった。部屋着も何とも言えないほどしわしわくしゃくしゃになっている。一言でみすぼらしい。

「ん? 食事に夢中でノックが聞こえなかった。こんな日に何の用だ?」

 二人の前で格好をつけるつもりもないのか、気にせず食を進めるウィリアム。

「一応、この前の会議の内容をお伝えしておこうかと」

「あの件はお前に一任したはずだ。一切を任せる。シュルヴィアは?」

 ウィリアムはシュルヴィアに視線を移す。目が泳ぎ平常でなくなるシュルヴィア。それを見てユリアンはため息をついた。

「たまたまその辺でばったり会いまして。部下への差し入れとして作ったらしいんですけど、あいにく部下たちは出かけておりまして、渡せず捨てるのももったいないと思ったので此方へお持ちした次第です。どうやら此方でも必要なかったようですが」

 ウィリアムは「ふむ」とあごに手をやる。

「必要ないことはないぞ。いや、ありがたい差し入れだ。もらえるならもらっておきたいところだ。シュルヴィアさえ良ければだが」

 この返しには二人とも目を丸くした。

「いや、この量だとお一人で食べるには……丁度昼時なので三人で食べようかと思っていたのですが。たぶん」

 シュルヴィアの心を代弁してやるユリアン。シュルヴィアは偉そうに頷く。

「食べるぞ? 買い置きしていたシチューが丁度切れたからな。その鍋の大きさなら明日の昼までもちそうだ」

 ユリアンは首をかしげる。シュルヴィアもまた目が点になっていた。

「え、と……お一人で?」

「ああ、一人だ。他に誰かいるように見えるか?」

 ウィリアムはいたずらっぽく聞き返した。ユリアンはふるふると首を横に振る。

「冗談だ。最近、一日六食食べている。量はいくらあっても困らん」

「六食!? それはこまめに食事を割り振っているってことですか?」

「いや、一食ごとしっかり食べるぞ。何ならなくなりかけだったからな、今食べているのが一番少ないくらいだ。……どうした? 可哀想なものを見る目で」

 驚愕が薄れ、次第に二人の顔が曇っていく。何かを察している目。

「別に妻と死別して狂ったわけじゃないぞ」

 二人とも再度驚いた顔になる。色々と忙しない。

「身体を鍛え直しているんだ。全力で鍛錬して全力で喰らう。これを日に六度繰り返す。目指すは人を超えた化け物だ。こっちも人外の修練をせねば」

 二人、否、シュルヴィアの顔色が変わった。先ほどまで浮かべていたうっすらした朱色ではなく、自分を恥じているのか真っ赤に移り変わっている。同じ系統の色だが、その中身はまさに別物。

「喪中だからあまり出歩くのも良くない。ならばいっそこの冬季、全力で身体を苛め抜いて見せようと思う。俺程度が何処までいけるのか、限界を超えた先で化け物どもに届くのか、興味が出てこないか? 興味が出たなら試すまでだ」

 よく見るとすでに、記憶の中のウィリアムよりも少し大きく成っていた。そもそもやり方が極端過ぎる。身体への負荷、後々のことを考えれば無茶なことだとわかるはずだ。

「……身体に良くないぞ」

 シュルヴィアはか細い声で食い下がった。あまりにも幼稚な抵抗。

「長生きするつもりはない。あれやこれや全部欲しては届くものも届かんだろう? 俺は凡人だ。成すべきは優先度の高いもの、断つべきは優先度の低いもの、必要なことを必要な分こなす。後は全て切り捨てる。寿命も、後者の内のひとつだ」

 ウィリアムはシュルヴィアの言葉を鼻で笑う。元々、生まれた瞬間から人は格差の海に堕ちる。同じ努力をしても結果は個人によって異なるだろう。それを嘆いても仕方がない。ならばどうするか――

(僕なら諦める。追いかけるから辛いんだ。諦めたら楽になれる。手を伸ばさなければ、楽だからね。でも、この人はそれをしない)

 ユリアンは目の前の狂人を見る。元は同じ凡人、だが其処から積み上げた過程が彼を凡人の枠からはみ出させた。天才に追いつくため修羅をひた走る怪物、狂気と共に邁進する怪物。天才を超える可能性を秘めた凡人。

(私は諦めない、ふりをしていた。目の前の男を見ろ。私が間抜け面でぼうっと立っている間に、この男は一時とて無駄にしてない。追いつく? 追い越す? 馬鹿が! 私は大馬鹿だ! この男が、殊勝にしょぼくれているわけがない。白騎士だぞ、ウィリアム・リウィウスだぞ! 常に先を見据えているに決まっている!)

 シュルヴィアは己が愚かさを恥じた。目の前の男に一時でも弱さを期待した。そのことを恥じた。葬儀の時でさえ弱さを見せなかった男が、愛する人の亡骸を前にして表面は揺らがなかった男が、今このときに揺れているわけがないのだ。

「対人の実戦相手は要らんか?」

「ほう、お前が俺の実戦相手か……くく、面白い。食後の運動に相手をしてやる」

 シュルヴィアの闘気を受けてウィリアムは笑った。ウィリアムとしてはすでに相手にならぬと見ているのだろう。事実、実力差は大きく開いてしまった。あの北方での出会いからそう時間は経っていない。なのに成長の差は日に日に増していくばかり。

 諦めない振りをしていた。目の前の男が諦めず邁進する中で――

     ○

 中庭の雪がとろけるほどの熱気。大量の汗を滴らせ、シュルヴィアはひざをついていた。眼前の男は悠々と剣を構えている。力の差があった。明確な差。それもつい最近計った目算よりも大きくずれている。

 ウィリアムは桁外れに強くなっていた。

(ありえない。確かにシュルヴィアさんとウィリアム様では大きな差があった。でも、此処までどうしようもない差じゃなかったはずだ。シュルヴィアさんだって強くなっている。なのにこれじゃあ……人外の、怪物そのものじゃないか)

 付け入る隙が無い。技も、力も、速度も、全てが高次元。何よりも雰囲気があまりにも異なっていた。以前はあった熱情、怒り、憎しみを初めとするさまざまな熱、それら全てが飲み込まれるほどの虚空、冷たい、あまりにも冷たい雰囲気がそこにあった。

 何人も立ち入れぬ頂に王が君臨する。冷たく、たゆたう孤高の王。

「ま、だ……やれるぞ!」

「今日慌てても仕方がないだろう」

 汗ひとつかかず、ウィリアムは苦笑を浮かべていた。

「慌てるな、だと。今のお前を見て、私が慌てないと思うのか!?」

 息を切らせながらシュルヴィアは叫ぶ。

「今の俺を見て、か。俺の何が変わった? 俺は俺のままだ。なのに今までお前は慌てるそぶりすら見せなかった。普通に、人並みに、鍛錬をこなす日々。それは努力じゃない。ただの習慣をこなして満足している。それがお前だ」

 ウィリアムの顔から苦笑すら消えた。睥睨する目は冷え切っている。

「ぐ、ぐぬ」

 ぐうの音も出ないシュルヴィア。

「強くなりたいなら努力をしろ。目的に対して適切なものを。俺はお前にそれを求める」

 ウィリアムはシュルヴィアに手を差し出した。シュルヴィアはそれを受け取り、立ち上がる。足は震え、手は汗で濡れている。弱い自分に腹が立つ。弱い自分を是としていた己に腹が立つ。弱い自分を見抜かれていたことが恥ずかしい。

「俺はお前に期待している。俺を殺すんだろ?」

 シュルヴィアは握る手の冷たさに驚愕する。体温が消失しているのではないかと疑ってしまうほど冷たいそれは、零度。孤独の冷たさ、孤高の虚無。

「殺してくれよ、出来るものなら」

 シュルヴィアは、ユリアンは、知ってしまった。ウィリアムは自分が変わっていないと言った。だが、変わってしまったのだ。どうしようもなく、狂い切ってしまった。自らを止める物を求めながら、その実止められるとは思っていない。自分が頂点であると、そうなることへの疑いが消えた。恐れも消えた。

「冗談だ。冗談。丁度いいな、運動後にあれを食おう。旨そうだったぞ」

「あ、ああ。これでも料理は得意なんだ」

 残るは王。強く揺らがぬ、絶対の柱。

     ○

 最初の数日は死ぬほど辛かった。今まで行ってきた修練のどれもが児戯に思えるほどの苦痛。食べると言う、詰め込むと言う拷問。吐き気を飲み込むこと幾たびか。それでも決めたのだ。技でカイルを凌駕してなお、理合で制してなお、純粋な力に潰された。足りないのは明確な力。この冬で、付け焼刃でも構わない、力をつける。そのための食事修練。身体の大元から鍛え上げるのだ。

 数日を越え、少しずつ労苦は少なくなってきた。未だ苦痛ではあるものの、徐々に胃が適応してきたのか量が入るようになってくる。これはとうの昔に実践済みの感覚。元々少食だった己に課した人並み以上の食事。慣れると、そう苦痛でもなくなる。

 そして苦痛が完全に消えた時、それは習慣になった。いつだって、どんな訓練も、此処までが辛い。そして此処で止めるのは凡人の性。

「大将、おかわり」

「まだ食うのか? いつもより多いぞ」

 ここはウィリアムのいきつけの食事処であった。アルカス一、否、アルカディア一、

「まずい!」

 まずい飯屋。その中でもぶっちぎりでまずいメニューが、ウィリアムのお気に入りであるウサギ肉のシチューであった。その分、異常に量が多い。店がやっていけるのか心配になるほど量が多いのだ。

「裏に鍋で用意しといたぞ。よくこんなまずいもん毎日食えるな」

「そう思うなら旨くしてくれよ」

「なら量は減るな」

「じゃあまずくて良い」

 おそらくこの店で唯一の常連であるウィリアム。店主との会話も勝手知ったるものであった。この店の扱いはラコニアでもアルカスでも変わらない。餓えに侵された者の最終兵器にして禁断の果実。普通のメニューでもまずいのに、飢えを消すのに最適なメニューはさらにまずいという奇跡の出来栄え。

「コックでも雇ったらどうだ? 金はあるんだろ?」

「俺一人が生きるのにそんなもの要らんさ。金はもっと有意義なものに使う。俺は無駄が嫌いなんだ。栄養補給は此処で充分。こうやって朝一でもやってるしな」

「すぐ店仕舞いだバカヤロウ。誰のために開けてやってると思ってる」

「常連の特権って奴だ。感謝してるよ、大将。また来る」

 ウィリアムは裏に用意された大鍋と今食べた分の金を置いてすっと立ち上がる。この店の良い所は気兼ねせず入れるところ、あと店主がいつまでたってもぶっきらぼうで、自分に立ち入ってこないところが気に入っている。

「有意義な、金、か。そうだな、こいつで行こう」

 ウィリアムは銅貨をひとつ指で弾いた。くるくると回るそれを見て、

 今日の『話』を決めた。