Tower of Karma

Prelude: Beginning Nightmare

 これは夢だ。最近よく見る夢。

 灰色の大地。緑無き世界にぽつりと浮かぶ一個の都市。何故こんなところに都市を造ったのか、僕にはわからない。こんなにも大勢いるのに、栄える要素など皆無の土地なのに、どうしてこれほど立派な都市を造ってしまったのだろうか。

 だが、そんなことはどうでも良いのだ。これは夢で、所詮は自身の妄想、その産物でしかないのだから。その証拠にほら、また、あの二人が戦っている。

「アルカスッ!」

 そう吼えるのは金の髪と赤い眼をした剣士。雷鳴と黄金の炎を身にまとい、まるで鷹のように都市を駆け巡るさまは、まさに勇者アレクシスの名に相応しい。そう、彼は――

「アレクシスッ!」

 世界中で愛される物語。アレクシスの冒険。その主人公である人物こそ雷鳴轟き金色無双の攻めを見せる男の名であった。

 アレクシス・レイ・アルカディア。それが彼の名前である。

 その勇者に対峙するのは黒髪と蒼い眼を持つ男、アルカス・ロン・アルカディア。銀色の炎と疾風をまとう剣士。同一人物とされている二人であったが、この夢では別々の人物で、尋常ならざる力を帯びた勇者の剣を防戦一方ながら食い止めているアルカスもまた怪物である。

「何故諦めるッ!?」

 アレクシスは吼える。

「それしかないからだ。世界を巡った貴様も、この地に残り彼女、■■■と共に研究した俺でも見出せなかった。ないんだよ、それしか。だから、俺がやる」

 一瞬、声が遠くなった。何度もこの場面は夢で見ているのに、あの部分だけ言葉が聞き取れない。まるで、切り抜いたかのような不自然さなのに、次の瞬間には違和感すら忘れてしまう。

「あと一年猶予をくれ!」

「その一年で何人が死ぬと思っている! もう食料は底をつきかけている。そしてこのままでは食料の補充も出来ない。魔術師、その素養を持つ者、全て併せて十万の命。都市半分の炎でもって生存圏を取り戻す。それが、最善だ」

 アルカスの言っていることは滅茶苦茶である。それでも付き従う者たちの眼に迷いはない。その眼が怖かった。父と似ている眼が、その覚悟をこれだけの人間が同じように持つ、その事実が怖い。

「極大魔術ウラノスは一万の犠牲で成った」

「土地と人のみを生かしただけ。都市も、知識も、記憶も、その地が刻んできた歴史すべて捧げて、生きた、だ。間違えるな、其処に在った想いを。違えるな、その覚悟を。すでに霞がかっているが、かの偉大なる魔術の天才、魔術の守り人である彼の王だからこそ成した奇跡。我らに彼はいない。なれば、万全をもって盤石を敷く。間違いなど、失敗など、それこそ許されまい。確実に、完璧に、だからこそ皆、此処に立つのだ!」

 アルカスの言葉。賛同し難きはずの言葉に叛意を示す者は皆無であった。それだけ彼は良き王であるのだろう。

「覚悟がないのは貴様だけだ、アレクシス。創めろ、■■■。未来のために」

 アルカスの背後で黒髪の、顔の無い乙女が詠唱を開始した。

 怖気が止まらない。この先を知っているから、何度も見たから――

「やめろ■■■! 他の皆は死ぬだけで済む。でも、君は違う! 魔術の依り代と成る君は、過去、現在、未来のすべてを失うんだ。名前も、記憶も、共に過ごした全てをも」

「承知の上じゃたわけ。我が愛しき勇者よ。死後の果て、永劫の先で会おうぞ」

「■■■!」

「我が理想郷(アルカディア)のために。極大魔術ニュクス、起動」

 世界が真っ赤に染まる。大地に刻まれる血脈。それは全て人の魔力であり命の色。門外漢でもわかる。これは死だ。破滅の色だ。

「させるかァ!」

「やらせんよ!」

 鍔迫り合い、二つの巨大な魔力が交錯する。

「王たる俺は民を導く責任がある。今、我が覇道は二つの道に分かたれた」

「何か、皆が救われる道は、きっと――」

「勇者アレクシス。我が兄弟、我が半身よ。一人では二つの道は往けぬ。ゆえ、貴様にも半分、担いでもらうぞ。お前の力はニュクスが貰い受ける。俺の命も、だ」

 鍔迫り合いが、均衡が崩れた。アレクシスの刃がアルカスの剣を砕き、腹を貫いていた。

「何故、何を考えているアルカス!?」

「王の名は貴様に。勇者は、やはりニュクスが喰らう。安心しろ、俺の王は貴様と混じる。じき、違和感も消えるだろう。この地を、俺たちの理想郷を、頼むぞ、兄さん」

「アル――」

 人が死んでいく。骨まで魔術の螺旋に組み込まれていく。人が人の形を保てず、液体の如くどろりと大地に飲み込まれる。夢だと分かっていてもおぞましい。

 全てが失われる。其処に立つは一人の王。混濁する記憶の中、彼は責務だけを覚えていた。そして、いつもここで意識が揺らぐ。景色が移ろい――

「不思議よな。わしの知らなかった、気づけなかった事実をも夢は見せる。アルカスとして黎明期を生きたアレクシスであった者。全てを救わんと理想を追い求め、犠牲の上に成り立つ現実に飲み込まれた。わしに気取られぬほど完璧に、冷たい王と成った」

 顔の無い夜色の女性が覚醒と夢想の狭間に立つ。

「理想と現実、嗚呼、ぬしもまた一つ、それを学んでおったか」

 貌の無い魔女が嗤う。

「悪夢は続くとも、理想を追い求める限り、のお」

 嗚呼、やはりまた、僕は見なきゃいけないのか。

 夢想の境界線、魔女が恭しく、道化のように滑稽かつ大げさな身振りで指し示す先、其処には真っ赤な景色があった。血のような、いや、血、そのもの。

 ここからは何かが見せるものではなく、僕自身の悪夢、だ。

「――どうでしょう? 物流網の整備、合理化による削減、テイラーが間に入るだけでこれだけ無駄が省ける。誰が損をするわけでもない。私たちもお客様も、その間で管理して頂くことになる貴方も、皆が勝利するカタチが出来上がるのです」

 すでに目の前の男の顧客には全て話を通してあり、商流は僕が、テイラーが握ることは決まっていた。閉じた市場ゆえにまかり通っていた無駄を削ぎ落とし、利益を生んで方々に還元する。それだけで勝てる容易い相手であった。閉じているがゆえの慢心。それは長い年月を経て顧客にも伝わってしまう。そこを捌いた。合理的に。

 その上で、僕は彼に名目上の役職を与えてあげることにした。とても無駄だったけれど、全て奪うのは可哀そうだから、堅実に生きれば貴族としてやっていけるだけの収入は確保してあげよう、慈悲の心で、敗者である彼に施したのだ。

 デニスさんには苦笑された。メアリーさんには甘いと苦言を呈された。『ニコラ』はアルらしいと笑ってくれたっけ。嗚呼、でも、未だに理解出来ないんだ。

「……私が否と言ったら?」

 だってそれが最善なのだ。細くとも生きる道すら残してあげたのに――

「顧客は全て僕が押さえました。それは不可能で、無意味です」

 それ以外の選択肢は全て潰したんだ。それしかない、僕の意図に沿って指すしかないのに、彼は僕の手を拒絶した。

「貴族とは誇りだ。殿下には分かるまい。生まれながらに勝利を約束され、最強の商会をバックにつけて市場を荒らし回る小僧には、分かるまい! 我らが築き上げてきた、私が、先祖代々が築き上げた、私の全てが奪われると言うことが!」

 閉じていることを良いことに暴利をむさぼる彼らが悪いんだ。全体にとってその是正は必要だった。需要があって供給しただけ。僕は悪くない。

「私は敗者になどならん! 私は、私はァ!」

 彼は僕の手を払いのけて、僕に剣を向けてきた。下手糞の剣、捌くのは容易で数合打ち合うまでも無く絡め取って剣を弾き飛ばした。それを拾いに行く男の背があまりにも哀れで、僕はきっと憐憫の表情を浮かべていただろう。

「くく、殿下には、理解出来まいよ」

 次の瞬間、男が己の剣で自分の首を刎ねた。下手くそだから刎ね切れず、血走った眼で笑いながら、男は狂ったように剣を押す、引く。ぎこ、ぎこ、と、僕はこの光景に似た景色を故郷である北方の工房で見た。のこぎりで木を切る動作に似ていたんだ。

 狂った笑い声と血で満ちた空間。

 込み上がる吐き気と共に僕は気を失った。僕が気付いた時には、この家の家人全てが自害しており、全てが終わった後であった。看病疲れで憔悴しきった『ニコラ』とイーリスの顔を覚えている。それは嬉しかった。嬉しかったんだ。

 テイラー商会の先輩であり、上長でもあったメアリーさんが現れて――

「これで無駄な手間をかける必要が無くなりましたね。最善手です。よくできました」

 僕を褒めてくれた。間接的に人を殺した僕を、あの人は褒めたのだ。其処に慰めとか労りがあったなら、僕はきっと慰めとして受け取っただろう。でも、彼女は心底僕のやったことを、結果も込みで上出来だと褒めたのだ。

 『ニコラ』も、同じ眼をしていた。そして、同じ意見だった。

「戦い、勝利する。勝つとは奪うということ。其処に剣も金も違いはありません。貴方は勝った。勝って奪った。最大の『無駄』を省いて新ジャンルの商流をテイラーにもたらした。アルフレッド・フォン・アルカディアは勝者と成ったのです」

 僕に注がれているのは温かな視線。でも、死に対しては冷たい眼であった。人が死んでいるのに、其処に対しては何一つ揺れていない。

 僕は知った。勝つということを。僕は知らなかった。勝ち続けてきた今までの道のり、その勝利の下にあった踏み躙られた人々を。皆が褒めてくれたから、頑張って勝てるようになった。文武で勝ち続け、商でもやはり負け知らず。

 今まで直接的な死に繋がったことは無かったけれど、同じように勝ってきた。ならば、同じ気持ちを抱いていた人がいてもおかしくない。僕が見なかっただけで、気にも留めなかっただけで、僕が勝ったことで傷ついた人は、きっと少なくない。

「アル?」

 怖くなった。人を傷つけるのが。怖くなった。自分の手で人を殺してしまう可能性が。生きるのが怖くなった。

「アル!」

 だから僕は――

     ○

 本の海にぽつんと浮かぶ仕事机。その上にも本が積み重なっているのだから性質が悪い。

 アルフレッド・フォン・アルカディアは仕事机に突っ伏して寝ていた。眼前には書きかけの帳簿、山と成った伝票は揺らぐことなく其処に在る。当たり前だが処理せねば消えない山。見るも億劫な事務仕事の山脈。

 寝ぼけ眼ながら無意識にアルフレッドはその処理に取り掛かる。

「起こしてあげた幼馴染に挨拶もないんだ」

 目の前に客人がいるにもかかわらず――

「ふわぁ……あれ、ニコラ? おはよう。久しぶりだね。元気だった?」

 ニコラと呼ばれた少女は不愉快極まる表情でアルフレッドを見ていた。折角、美しい金髪に生まれついたのに手入れもせず伸ばしっぱなし、ぼさぼさで寝ぐせもついている。机に突っ伏した状態で寝ぐせがつくはずもないので、この寝ぐせは日を跨いでいるはず。

 優しげでぱっちりした眼は、眠気と疲労により開いているのかもわからない。眼の下にはクマが出来ている。口元には涎の跡が――

 指摘すればきりがないほどだらしない恰好。友達として見過ごせないレベルに達していた。

 ニコラはおもむろに伝票の山を引っ掴む。

「服の修繕、銅貨三枚。汚れ落とし、銅貨二枚。商工区飲食街の清掃、五名一日作業で銀貨三枚と銅貨十二枚。その他諸々併せても金貨一枚にもならないわね」

「あはは、テイラー商会とは違うよ。うちは所詮隙間だからね」

 テイラー商会で辣腕を振るうニコラ・フォン・テイラーにとってはした金をかき集めたような仕事内容は理解し難いモノであった。大金を用いて大金を得る。金貨百枚の仕事などザラ。ニコラの担当は貴金属や服飾関係。食品関係と双璧を成すテイラー商会の花形である。そこで月間トップセールスを叩き出したこともあるニコラにとって通貨は金貨であり、銀貨、ましては銅貨など仕事上取り扱うことすら稀。

「戻ってきなさいよ。こんなの仕事じゃない」

「それでご飯を食べている人がいる以上、それは仕事だよニコラ。君には理解できないかもしれないけれど」

「こんな小さな売り上げの、さらに小さな利益を切り詰めて、給金を捻出する。テイラー商会や他のところから零れ落ちた落ちこぼれの受け皿、ね。私には理解できない。理解しようとも思わない。折角、才能があるのに、それを浪費する貴方のことも」

「買い被り過ぎだよ。僕にはこの程度が分相応さ」

「そうかしら? まあ、商売は実績。結果こそすべてとするなら、確かに貴方は結果を出せていない。さしずめ、落ちこぼれの王様ってとこかしら」

「あはは、耳が痛いや」

「……私と会話している時くらい手を止めたら?」

「時間が、足りなくて」

 猛烈な勢いで事務山を崩していくアルフレッド。眼の端で数字を捉え、細かい数字も違えることなく帳簿に書き連ねていく。才能の浪費、本当ならもっと上のステージで戦っているはずなのに、優しさが彼を底辺に縛り付けていた。

「これ、イーリスから」

 ニコラが差し出してきたのは豪奢な封書。それにちらりと視線を向けたアルフレッドであったが、すぐに興味を失ったのか視線を伝票の山に移した。

「忙しいから行けないや」

「たまには参加しなさいよ。貴方も貴族なら舞踏会の一つや二つ」

「いいよ。僕が行っても変な空気になるだけだし、イーリスに気を遣わせるでしょ? 華やかな場所は僕に似合わない」

 貴族どころか王族である少年の口から出てくるのは卑下ばかり。いつから彼はこうなったのだろうか。天才、神童、誰もが羽ばたくことを疑わなかった。今だって本当なら誰よりも遠くへ、高く飛べるはずなのに、彼は自らの意志で地の底にいる。

 それがニコラには歯がゆくて仕方がない。

「そう、じゃあ伝えておくわ。あの子の十六歳の誕生会は忙しいので不参加ですって」

 すたすたと歩き去っていくニコラの後姿をちらりと見て、乾いた笑みを浮かべるアルフレッド。彼女はきっとアルフレッドのことをイーリスの誕生月を忘れた不届き者だと思っているだろう。それは正しくない認識である。アルフレッドは知っていた。それを忘れたことなど物心ついてから一度だってない。

 アルフレッドは忘れていない。わかっていて、不参加を決めたのだ。

「……行きたくないんだよ。誰が好き好んで、好きな人が色んな男に囲まれている様子を見たいと思う? みんな、僕よりも輝いていて、空しくなるだけじゃないか」

 アルフレッドはため息をついた。小さな頃は何でも出来ると思っていた。強くなって全部を守れる男になる、と。そう誓ったはずなのに――

「今の僕は、この小さな商会を守るので精いっぱいだ」

 あの日の自分が今の己を見たら、自分は何と言うだろうか。