Tower of Karma

Tabernacle: Rumor I

 一人の少年が世界の片隅で一つの事を成した。規模としてはそれほど大きくなくとも世は太平。エスタード、ヴァルホール、エル・トゥーレ、三軍入り乱れての戦など話の種にはもってこいである。

 冬を経て、それらは世界中に飛び火し、酒場をにぎわせていた。

「ァア!? むかつく名前出してんじゃねえぞ!」

 リオネルはロランと対峙しながら吐き捨てる。

 その様子をにやにやと窺うロラン。

「集中、しろやゴラァ!」

「集中しなくても俺、強いのよ」

 突貫してきたリオネルを容易く捌いてみせるロランの剣技。まるで手応えの無い剣はまさに雲を掴むような荒唐無稽さで其処に在る。まだまだ若造には負けない、ロランの意気込みが感じられる絶技であった。

「この、クソ野郎が!」

「ほーれほれ、頑張れ頑張れー。ライバルは順調にステップアップしてるぞお」

「ライバルじゃねえよッ!」

 何度も何度も繰り返された光景である。他にもガリアスの武人たちがウォーミングアップをしながら今か今かと出番を待っていた。そう、これがリオネルなりの覚悟としてロランに頭を下げた結果であり、それにガリアスの武人たちが応えた形。

「次、あたしね」

「お、ラッキーだなリオネル。十戦して十回負けてる相手にリベンジチャンスだ」

「その前にテメエを殺す!」

「無理無理無理のかたつむりっと」

 リオネルの速さと強さ、反応速度は大したものであるが、ウィリアムの剣と同系統の白雲はやはり相性が悪かった。何よりも――

「はい終わり!」

 まだ、彼らの勝負強さには及ばない。リオネルは幾度も痛感する。目の当たりにするのを避けていた自分の立ち位置を。それでも箱庭の王様を捨てて選んだのだ。

 その先へ向かうと。

「巷の噂、ガチなんすかねえ」

 汗をぬぐいながら歓談する合間、今度はリュテスの手数に圧倒されるリオネル。そのわきには今か今かと待っているランスロが剣を振っていた。

 皆、そこそこ暇人である。

「ガチでしょ。僕とバンジャマン、ちょっと離れた場所だけどあの辺で会ったし」

「……それ、報告してないっすよねアダンさん」

「してるわけないじゃん。してたら君、僕らの首が飛んでるでしょ。王妃様、白の奴関連だとガチだし。ま、結構成長してたよ、どっちに振れるかわからない危うさも込みで。どうなるかは知らないけどねー」

 成長、その言葉に聞き耳を立てていたリオネルが反応する。

 その隙を見逃すほどリュテスは優しくなかった。

「余裕だな」

 あざ笑うかのような響きと共に五連突きが正中線に炸裂した。稽古のための棒とはいえそれだけの攻撃を受ければただでは済まない。

 案の定、地べたで悶絶するリオネル。

「未熟者。わき見など百年早い」

 そのまま颯爽と去っていくリュテス。最近、リオネルを叩いてストレスを発散するのが彼女の流行であることは、周知の事実であった。

「夜明けの王、アルフレッド様、ね」

「無敗の王者アレクシスも付け加えなきゃ」

「……噂にゃ尾ひれがつくのが相場だが、はてさて、どこまでがマジなのやら」

 ふらふらと立ち上がるリオネルを見て「あ、次僕ね」と言ってかわいがりに行ったアダンはやはり性格に難があった。だから独り身なのだと言うのは禁句である。

 順番を抜かされて意気消沈するランスロ含め、独り身ばかりの現場でそれを言う者もいないが――

     ○

 社交ダンスのレッスンを終えてひと息、生徒たちとのティータイム。ここでもテーブルマナーや決まりごとはあるのだが、さすがに半年もすれば一期生の彼女たちはそれなりに自然体でこなすようになっていた。

「――それでお聞きになられました? あの御噂」

「ええ、巷ではそれ一色。吟遊詩人がいくつもお歌を創っているとか」

「まあ、まあ」

 彼女たちは元々、大きな商会や地域の有力者の令嬢ばかり。それなりに良い環境で育てられており、ガリアスの貴族化にはそれほど苦労はなかった。よく出来た生徒たち、しかし先生であるシャルロットの顔色は優れない。

「先生、お顔が優れないようですが」

「大丈夫ですわ、お気遣いありがとう」

 シャルロットの憂鬱は、彼女たちのせいでも、何とか経営が軌道に乗った教室のことでもない。巷に流れる噂、アルフレッドとアレクシス、この『二人』を知るがゆえのこと。

(いったいどれが真実で、何が嘘ですの? とにかく無事で、何事も無ければ)

 噂は伝播する。ガリアスにも、別の地域にも――

     ○

「ゼノか、入りなさい」

「失礼いたします!」

 エルビラに呼び出されたゼノ。少しウキウキしているところを見ると中々に未練がましい男である。

「ネーデルクスの件、それなりに片付いたようですね」

「んまあ人伝ですが、隠し玉も戦乱の世であればいざ知らず、今の世ならばさほど気にする必要はないでしょう。戦士としてはこう、滾るモノはありますが」

「キケとゼナがいます。私が貴方にその役目を求めることはありません」

「世知辛いですなあ」

「適材適所、諦めなさい」

「合点承知。王の卵はそのままルシタニアへ向かったようです」

「確かですね?」

「間違いなく。つまり――」

「少し前までエスタードを騒がせ、つい先日ネーデルクスの裏闘技場で暴れ回ったアレクシスは別人、ということになりますね」

「なりますな」

「誰が、何のために替え玉をしているのか。其処にあの少年の意思は介在していると思いますか?」

「先々の彼であればそこまでやるとは思いますが、今のアルフレッド少年は旅の中での学びを優先しているので、まあ、ないでしょうな」

「そうですか」

「……領主殺害のやり口からして、俺はあの御方が絡んでいるのではないかと思っております。何故かは、分かりませんが」

「……そうですね。私も、そう思います。あの時私が天を掴む道を選んでいれば、彼は此処に残っていたのでしょうか? そうすれば――」

「国が滅び、どちらにせよディノ様も戦死されていたでしょう。最善手でした。俺は何度でも断言しますとも。違える運命だったのです、あの御方と我らは」

 エルビラの惑いを一蹴するゼノ。ディノ、兄弟子が絡むと弱気が出るのは彼女の欠点であった。想い人と尊敬する兄弟子、揺れるなとは言わぬが――

「……少し弱気になってしまいましたね」

「お疲れなのでしょう。戦乱の世では大人しくしていた連中が、自分たちの時代と見るやズカズカと王宮を荒らし回っておりますので」

「貴方が男らしくズバっと王の血筋を得て現王を引き摺り下ろせば私も気が楽になるのですが。どうです?」

「お転婆ガールが自らの意志によって多様な選択肢の中から、それでも俺を選ぶのであればそうしましょう。今すぐに、となればあまりにも彼女が哀れだ。政略結婚などつまらぬでしょう。んま、お転婆ガールがどう判断しても、俺は然るべき時に然るべき動きを取るまでです。必要ならば王にもなりましょう」

「ふふ、頼もしいですね。自分には血など必要ない、と」

「必須ではないと思っております。あれば楽ですが、まあ、今までの人生を振り返っても楽な道よりも茨道の方が俺に向いている、と思いますな」

「では、ゼノ王誕生まで今しばらく私も踏ん張ってみましょうか」

「きつくなったらいつでもご相談ください。愚痴ならばいくらでも聞きましょう」

「ありがとう、ゼノ。助かります」

「何のこれしき。その言葉一つでひと月は不眠不休でいけますとも」

「いけませんよ、そういう言葉は大事な人にかけてあげなさい。冗談で多用していると大事な時に響きませんよ」

「……今日は寝ます」

「ええ、そうしなさい」

 ゼノ渾身の一撃はエルビラの無意識によるカウンターによって沈んだ。本当にこれっぽっちも意識してもらえていないのだ、哀れにも。

「ゼノ、望む道を提示してやれず、申し訳ございません」

「望むように生きられる者など、この世界にどれほどおりましょうか。俺は充分に幸せですとも。あの御方の件、俺の方でもう少し掘り下げておきます。まあ、相手が相手ですので空振りに終わる可能性が濃厚ですがね」

「委細任せます」

「では、失礼いたします」

 ゼノが去り、エルビラはバルコニーから一人夜空を見上げる。

「あの少年が貴方の王ですか、サンス・ロス」

 愛憎入り混じった言葉を彼女は天に投げかけた。

     ○

 ネーデルダムではちょっとした騒ぎが起きていた。

「イヴァンが軍をやめたそうだぞ」

「槍術院に置いてあった私物も全部引き払ったそうだぜ」

「ハンナはほら、ヨナタンのこともあったし、顔も、ああなっちまったから分かるけど、あの天才は何を考えているんだ?」

 天才、イヴァン・ブルシークが行方不明になった事件。それは結局、マールテン公爵の密命によって密かにフェランテを追っていた、ということでカタがついていた。指揮系統を無視した行為に一部からは顰蹙を買ったが、軍を抜けるほどの事ではなかったはずなのだ。そのための言い訳だったのだが。

「……商売を教えて欲しい、と」

「はい。視野を広く持てと我が主に言われましたので。それに、槍を使うか金を使うか、違う分野であっても共通項がある。その感覚を養うために、何よりもあの御方の役に立つために、私は私の殻を破りたい」

「それで私に、ブルシーク商会に何のメリットがあるのかな?」

「先行投資です。あの御方と繋がりを持つための」

「……素晴らしい回答だよ。そう、得難い繋がりだ。イヴァン、君が得た繋がりは今の君が考えている以上に価値があるモノだ。それを生かせる知識を君に与えよう。私はブルシークのために、君は君自身のために、それでいい」

「ありがとうございます、父上」

「構わないよ。そこにメリットがある以上、これはもう親子がどうこうではなく、商売の話だからね。じゃあイヴァン、中へ入って」

「はい」

 イヴァンもまた別の道を模索する。彼と共に在るためにはどうすべきか、考えに考え抜いた先に至った答えが、役に立つ、であった。

 メリットが無ければいけないのだ。自分と共にいることで。

 そしてそれは自分で作らねばならない。

 そのために彼は最短ルートとして生家を利用する。利用し、利用される。

 新たなる世界を今度は自分の手で、見てみせる、と。