湖畔で昼食を取った後、レイとアシュレイの二人は再び湖畔に戻っていた。

巨大蛙(ジャイアントトード)を探すため、ターバイド湖の湖畔を歩いていると、二人は蛙の鳴き声がさっきより大きくなっていることに気付く。

一度立ち止まり、二人で顔を見合わせるが、特に異状もないので、更に湖畔を歩いていった。

突然、水辺の葦のような草が大きく揺れ始める。

二人が何事かと周囲を見回していると、セロンと彼のパーティが水辺の方から、急に姿を現した。

武器を構えた彼らに、セロンは驚いた顔をするが、

「何だ、ここで狩っていたのか。俺たちは十分仕留めたから帰るわ。ゆっくり楽しんで(・・・)いけよ。はっはっはっ!」

セロンは上機嫌でその場を後にする。だが、その言葉とは裏腹にかなり早足で去っていくことに、二人は首を傾げていた。

「何だったんだ? 妙に機嫌がよさそうだったけど?」

「そうだな。まあ、訳の判らないところはいつものことだ。気にするな。それより、蛙たちの様子がおかしい。警戒を怠るなよ」

二人は更に騒がしくなった周囲を警戒しながら、湖岸を歩いていく。

更に蛙たちの鳴き声が大きくなり、水辺でバシャバシャと跳ねる音が大きくなってきた。

「嫌な予感がする。一旦、湖から離れるぞ!」

硬い表情のアシュレイがそう言った瞬間、数匹の蛙たちが一斉に彼らの方に飛び跳ねてきた。

二人は飛んでくる蛙たちを避けるのに精一杯で、攻撃を加える余裕はない。

蛙たちから逃れるため、周囲を見渡してルートを探すが、彼らに向かってきた蛙以外にも、数十匹にも及ぶ巨大蛙たちが、滅茶苦茶に飛び跳ねていた。周りを囲まれた二人は、動くに動けなくなる。

蛙たちは彼らを無視して“ゲコゲコ”と鳴きながら跳ねまわり、木や仲間同士でぶつかっているものもいる。

明らかに常軌を逸した行動だが、彼らを襲ってくる様子もなく、何かに怯えてパニックになっているようにも見える。

「周りを囲まれている! アシュレイ、どうしたらいい」

「落ち着け! 私たちを襲ってくるつもりはないようだ。何かから逃げているようだが……あ、あれは!」

彼女が驚きの声を上げ、レイが彼女の視線の先に目をやると、そこには巨大な蛇、頭を多数持つ、多頭蛇竜――ヒドラ――と呼ばれる魔物が鎌首を持ち上げていた。

そのヒドラは三m近い高さにまで、五つの鎌首を持ち上げて、その赤く縦長の瞳孔を持つ瞳で、彼らを見つめている。

「ヒドラだ……レイ、逃げるぞ! 奴は三級相当の魔物だ。二人では倒せない。引くぞ!」

「無理だ! 周りは蛙たちで溢れているんだ。逃げようと思ったら、奴らに巻き込まれて、毒にやられてしまう」

二人の周りには、まだ巨大蛙たちがパニックになりながら、逃げ惑っていた。

レイの言うとおり、逃げるためにはその中を突っ切らなければならないが、パニック状態の蛙たちは常時麻痺毒を飛ばしているため、下手に動くと毒にやられる可能性がある。

更に悪いことに、ヒドラはターゲットを蛙から二人に切り替えたようで、彼らを五対の赤い瞳で睨みながら、急速に接近してくる。

ヒドラはその巨体にも関わらず、地面を人の全力疾走くらいの速度が出しながら、滑るように這い進んできた。

「奴を抑える! レイ! 魔法で援護を頼む!」

アシュレイは焦りを感じさせる声でそう叫ぶと、愛剣を上段に構えて彼の前に飛び出していった。

「一分、一分だけ時間を稼いでくれ!」

彼はアシュレイ一人を前線に出すことに躊躇いを感じたが、生き残るためには自分が使える最大の攻撃魔法「雷《いかずち》」と使うしかないと考えた。

彼は光の精霊を左手に集めながら、じりじりと後退していく。

一方、アシュレイもこの状況を打開するためには、レイの魔法しかないと思っていた。

彼女は五つの首を持つヒドラに接近し、左右に軽快に動きながら、ヒドラを翻弄しようとしていた。

ヒドラの五つの首は、それぞれタイミングをずらしつつ、彼女に向かって次々と襲い掛かっていく。

真中の首が上から覆い被さるように攻撃を掛け、それを回避しても、すぐ右の首が彼女を飲みこもうと口を大きく開けて襲い掛かってくる。

左の端の首は地面を這うように足に喰らいつこうとし、一番右の首も同じように襲い掛かってくる。

見事な連携で襲い掛かってくるため、アシュレイは剣を振るう暇もなく、ただ、回避に専念するしかない。

十数度の攻撃をかわしつづけた彼女は、既に息が上がってきており、その動きに精彩を欠き始めていた。

「まだか! もう限界だ!」

「もう少し! よし、右に跳べ!」

レイの合図で右に思いっきり跳んだアシュレイのすぐ横を、バリバリという音を立てながら、雷光が通過していく。

その雷《いかずち》はヒドラの真中の首の付け根に見事命中し、その太い――五十cmほどの――首はほとんど千切れていた。

“やった!”とレイが喜んだのもつかの間、ヒドラの首は見る見るうちに再生していく。

動画を巻き戻しで見るように、僅か数十秒で完全に元の状態にまで復元していった。

「そんな……アシュレイ! ヒドラの弱点は! どこかに弱点はないのか!」

彼のその叫びに、

「判らん! ともかく、無限に再生できるわけではないはずだ。手を緩めずに隙を見て逃げるしかない!」

その言葉に、レイの中に絶望が広がっていく。

(こっちは一度攻撃を食らえば、動けなくなる……それなのに敵はあっさり再生してしまうなんて……逃げるにしても、あの速度では必ず追い付かれる……でも、何もせずに諦めるのは嫌だ。動けるうちは何としてでも……)

打開する手を思いつかぬまま、二人はヒドラに向かって攻撃を加え続けていく。

ヒドラに攻撃を加えながら、レイは頭の片隅でこの状況をどう打開するかを考えていた。

(“木の呪縛”で足止めをする……駄目だ、あの巨体だと一瞬で木の根は引き千切られる……ヒドラの弱点は何だったか……水系の魔物だから、炎だったような気がする……でも、これも駄目だ。火の魔法で一気に奴を焼き殺すほどの魔法は使えない……再生する前に全部の首を斬り落とせば何とかなるかもしれないけど、これも無理だ……再生できないようにするには……)

彼はヒドラの攻撃を巧みに避けながら、あることを思いつく。

(再生が水の魔法に関係しているなら、炎で傷を与えれば、再生速度は遅くなるんじゃないか。アシュレイたちを助けた時、槍に光を纏わせていたと言っていたから、同じように炎を纏わせられないか……やるしかない)

彼は右手で槍を持ち、ヒドラの攻撃を避けながら、左手に火の精霊たちを集めていく。

数秒で左手に炎ができ始めたので、そのまま槍に移すイメージを思い描きながら、両手で槍を持つと、穂先が赤く輝き始めた。

「よし、成功だ! アシュレイ! 攻撃は僕がやる。君は牽制に専念してくれ!」

彼女は何のことか判らなかったが、彼の槍を見て、瞬時に理解した。

(いつの間に槍に魔法を掛けたんだ……赤いということは火属性を付加したのか……これなら、何とかなるかもしれない……)

彼女はそのままヒドラを牽制するように、前後に大きく動きながら、攻撃を加えていく。だが、その斬撃はダメージを与えるというより、自分の方に攻撃が向くように、手数を多くすることを目的としているようだった。

ヒドラはアシュレイの動きに釣られ、五つの首が一斉に彼女に向かって動く。

レイはその隙を見逃さず、静かにヒドラの右側に回ると、最も右の首に槍を叩きつけるように振り抜いた。

炎の魔法が掛けられた槍の穂先は、ヒドラの硬い鱗を斬り裂き、その首は半ばまで断ち切られ、倒れるように力無く地面に落ちていく。

ヒドラはその攻撃に怒り、四対の目を赤く光らせながら、レイの方に向き直る。

だが、彼に斬り裂かれた首は地面に横たわったまま、先ほどのような急速な再生は始まっていなかった。

「いけるぞ! レイ、魔力は持ちそうか! あと二つくらい首を使えなくすれば、逃げるチャンスが生まれるぞ!」

アシュレイはヒドラの首が再生してこないことに歓喜し、大声で叫ぶが、牽制の攻撃は続けていた。

ヒドラは、小刻みに動くアシュレイと、ダメージを与えてくるレイのどちらに攻撃を向けようか悩むように首を左右に揺らしている。

「もう一度行く! アシュレイ、援護を!」

「判った! だが、無理はするなよ!」

アシュレイは再び左側の首に袈裟がけの要領で愛剣を叩きつける。

直後にヒドラの攻撃が来ることを予想して、左に跳ぶようにして体を投げ出す。体術に優れた彼女は、体勢を崩すことなく、剣を構え、追撃してきた首に突きを放っていた。

レイは彼の方に向いている中央と右側の首を睨みながら、アシュレイの攻撃が終わった直後に、渾身の突きを右側の頭に叩き込む。

ヒドラは首を振って避けようとするが、左右に張り出した十字型の刃に、顔を斬り裂かれていく。

その首は痛みのためか「シャー」という威嚇の声を発したあと、頭を高く持ち上げると、攻撃のチャンスを窺うかのように長い舌をチロチロ出して、彼を睨みつけていた。

右の首が斬り裂かれた時、伸びきった彼の体に、中央の首が襲い掛かってきた。

彼は槍を引き戻していては間に合わないと、槍を回すようにして、石突部分でその首を迎え撃つ。

中央の首は自らの勢いが災いし、口の中に槍が深々と刺さっていた。

のた打ち回る中央の首に槍が奪われそうになるが、彼はバックステップで何とか距離を取った。

中央の首は痛みに悶えていたが、すぐに再生したのか、右の首と同じように鎌首を持ち上げ、彼に攻撃を掛けようと体勢を整えていた。

(魔法が掛かっていないところで攻撃しても、すぐに回復する。一つずつ無力化していかないと、こっちのスタミナが切れてしまう……)

一方、アシュレイは、彼の動きを見て、

(一段と動きに切れが出ている。初めて会った時ほどではないが、午前中より“読み”が冴えているようだ……彼一人なら何とかなるかもしれない。自分がいなければ……)

そして、自分の攻撃が無力であることに対し、

(さっきの渾身の一撃ですら、ほとんど効かないとは……鱗の硬さと回復力……レイの魔力が切れる前に倒せるのだろうか……逃げることを考えずに、断ち切ることだけに専念すれば、私の一撃でも……)

彼女にしては、珍しく焦っていた。

それは、比較的安全な巨大蛙《ジャイアントトード》狩りに来たはずが、こんな危険な状況になり、そのことを負い目に感じていたからだ。

(事前に情報を集めるのは基本中の基本。それなのに……それを怠った私の責任だ……レイといるのが楽しくて、舞い上がっていたのかもしれない……なんとしても、レイ(あいつ)だけでも逃がさなくては……)

アシュレイは、自分の方に向かってくる一番左の首に向けて、渾身の一撃を繰り出そうと、全神経をその首に向ける。

ヒドラの首が上からもの凄い勢いで伸びてくるが、彼女は愛剣を担ぐようにして構えたまま、何かを待つように全く動きを見せない。

その首が彼女を咥えようとした瞬間、彼女は軽く左にステップし、渾身の力を込めてを剣を振り降ろした。

剣はヒドラの頭のすぐ後ろを斬り裂き、その首は口を開けたまま、ゴトリと地面に落ちていった。

「よし!」

彼女が歓喜の表情を見せた瞬間、もう一つの首が彼女の右太ももを咥え込む。

そして、大柄な彼女の体を持ち上げ、子供が人形を弄ぶかのように、軽々と地面に叩きつけた。

レイは、アシュレイの「ああっ!」という悲鳴を聞き、視線を僅かにそちらに向ける。

そこには、右足を咥え込まれ、地面に叩きつけられた彼女の姿があった。

「アシュレイ!」

彼はすぐに助けに向かおうとするが、二本の首が彼の行く手を塞ぐ。

「どけ!」

彼は怒りを込めた叫びを上げながら、槍で中央の首を刺し貫こうとした。

だが、冷静さを失った彼の一撃は、ヒドラの首に届くこと無く、更にはダメージを負った右側の首までが、彼の横から体当たりを掛けてくる。

右の首の攻撃を予想していなかったレイは、その体当たりをもろに食らってしまう。彼は三mほど吹き飛ばされ、白樺の木に背中から激突していた。

彼は痛みと衝撃で意識が飛びそうになるが、何とか堪え、槍を杖にして立ち上がると、再びヒドラに立ち向かっていった。

「アシュレイを離せ!」

彼はそう叫びながら、アシュレイを咥えている左側の首に攻撃を掛ける。

怒りに理性が失われそうになるが、

(駄目だ。冷静になれ。まだ、アシュレイが死ぬときまったわけじゃない。僕の槍の攻撃は奴に効くんだ。一つずつ倒していけば……)

彼は更に槍に魔力を込めると、その穂先は更に赤く輝き始める。そして、その長さも倍以上に伸び、ヒドラの目が一瞬怯んだように見えた。

その瞬間を逃さず、レイは一気にヒドラに接近し、槍を縦横に振るい始める。

もし、その光景を見ている者がいれば、赤く輝く穂先を持つ槍を風車のように回しながら、巨大な蛇を攻撃している一人の騎士の姿が目に映ったことだろう。

その攻撃は、先ほどまではなかなか斬り裂けなかった硬い鱗を持つ外皮を、まるで巨大蛙《ジャイアントトード》の柔らかい腹のように、何の抵抗もなく斬り裂いていける。

彼はアシュレイを咥えた左側の首を狙い、連続して突きを繰り出し、根元から断ち切った。断ち切られたヒドラの首はアシュレイを咥えたまま、ドスンと地面に落ちていった。

彼はすぐにでもアシュレイを助けに行きたかった。

だが、まだ二本の首が残っているため、その思いを無理やり封じ込め、更にヒドラに攻撃を加えていく。

残った二本の首は大きく口を開けて、彼に同時に襲い掛かってきた。

中央の首が彼を叩きのめそうと、胴体を軸にスイングするように攻撃し、右側の首が大きな口で彼を咥え込もうと、直線的に攻撃してくる。

彼には、怒りに我を忘れているヒドラの攻撃が簡単に予測でき、中央の首の攻撃を身を低くすることでかわすと、残った右側の首が攻撃してくるタイミングに合わせ、その口に槍を叩き込む。

槍はその大きく開けた口から脳天に向けて貫通し、その首は数度痙攣した後、そのまま動かなくなった。

最後に残った中央の首は自らの敗北を悟り、逃げ出そうとするが、力を失った四本の首が邪魔になり、なかなか方向転換ができない。

レイは動きの鈍ったヒドラの最後の首を、槍で刎ね飛ばし、止めを刺した。

彼は“勝てた”と一瞬放心状態になるが、気を失っているアシュレイを助けるため、すぐに彼女に駆け寄っていく。そして彼女の右足に食い込んでいるヒドラの口を引き剥がした。

革製の大腿甲《キュイス》には、小さな穴が開いており、僅かながら彼女の足にもキュイスを貫通した牙が突き刺さったようだった。

素人のレイが見る限りだが、骨折などの大きなケガは見当たらない。

地面に叩きつけられた時の衝撃で、気を失っているだけのように見えたが、息が荒く、顔が不自然に赤くなっている。

(もしかしたら、ヒドラは毒を持っていた?)

彼はパニックになりそうになるが、何かで見た毒蛇にかまれた時の応急処置を思い出していた。

(毒を吸い出す? その後は止血するんだっけ? それと毒消し……確かアシュレイの荷物の中に毒消しのポーションがあったはず……)

彼は彼女の大腿甲《キュイス》を外し、下に履いているズボンの布を切り裂き、ヒドラの牙が刺さった小さな傷に口を付けて、毒を吸い出していく。

数回、吸い出した後、太ももの付け根をロープで縛って止血する。

彼女のバックパックから毒消しポーションを取り出し、彼女の口元に持っていくが、意識のない彼女は、ポーションを飲むことができない。

「アシュレイ! 大丈夫か。これを飲んでくれ……」

彼はポーションを口に含むと、彼女の口を開き、口移しで飲ませる。

毒消しが効いたかどうかの判断ができない彼は、この後どうしようかと途方に暮れる。

(魔法か……毒消しだと水属性の魔法なんだろうな。どうイメージすればいいんだ……)

一、二分様子を見てもアシュレイの状況は改善しない。

彼は水属性魔法で毒消しを行うことを決意した。