Trinitas Mundus - The Story of Saint Knight Ray
Lesson 36: The Snake Dragon
ドラメニー湖の湖面には朝霧が立ち込め、幻想的な風景が広がっていた。
遠くから漁師たちの漕ぐ舟の音が聞こえてくるが、その他は聞こえてくる音はない。
二人は薄暗い湖岸を慎重に歩き、大蛇の痕跡がないか探していく。
突然、湖の方から小さな悲鳴が聞こえてきた。
「で、出た! た、助けてくれぇ!」
「逃げろ! 早く漕げ! 早く!」
湖岸から五十mほど離れた場所には、そこで漁をする予定だった二隻の漁船が、大慌てで櫂を動かし、村の方に逃げていく。
その後ろには見えにくいものの、蛇が泳ぐような黒いシルエットが追いかけていた。
漁船は今にもその大蛇に追いつかれそうで、悲鳴を上げながら、必死に逃げていく。
それを見たアシュレイは、「魔法で攻撃してくれ!」と叫んでいた。
レイはその遠距離にどのような魔法がいいか、悩んでいると、
「注意を向けさせるだけでいい。早く撃ち込んでくれ!」
アシュレイの言葉に頷き、彼は最も得意な光の矢を作り出す。
光の矢を放つと、泳ぐ大蛇のスピードを見誤ったのか、大蛇のやや後ろに向かって飛んでいく。
普通の光の矢なら、そのまま外れるところだが、レイの光の矢には追尾機能を付けてあるため、大蛇を追いかけるように軌道を変えていき、見事大蛇の首元に命中した。
レイは心の中でガッツポーズをしているが、大蛇は首を軽く振るだけでダメージを受けたようには見えない。
このままでは漁師たちが危ないと、レイは更に光の矢を放っていく。
次の矢も命中するが、大蛇は全く気にする様子もなく、漁船を追いかけていく。
それでも、三発目、四発目と撃ち続けると、大蛇も鬱陶しくなったのか、ようやくレイたちの方に視線を向けた。
「アッシュ、こっちに呼び込むけど、大丈夫か!」
アシュレイは一言、「任せろ!」と叫び、すぐに「魔力は……」と確認しようとしたが、レイが「問題ない」とその言葉を遮る。
レイは接近してくる大蛇に向け、光の矢を撃ち続けていく。
大蛇は身をくねらせるように泳ぎ、二人に向かって接近してくる。
「森に引き摺り込むぞ! 合図をしたら攻撃を止めて森に向かう……よし! 森に引き返せ!」
大蛇があと十mほどで岸に上陸するというところで、二人は森の中に逃げ込んでいく。
大蛇は水に濡れた、その青黒い鱗を朝日に煌かせながら、ザザッという音を立てて、岸に上がってきた。
「蛇竜《サーペント》だ! 作戦通り、森の中で戦う!」
蛇竜はその巨体――レイには長さが二十m、太さが一mくらいに見えた――をくねらせながら、二人を追ってくる。
金属質に見える鱗のせいで、巨大な橋を支える太いワイヤーのように見え、思っていた以上に大きく見える。
森の中に百mくらい引き込むと、アシュレイは立ち止まり、息を整えながら、蛇竜に向き直る。
レイもアシュレイの右斜め後ろに陣取り、火属性魔法を構築し始めた。
蛇竜はアシュレイから数mくらいの位置で止まると、鎌首を持ち上げ、大きく口を開ける。
アシュレイが、”ハァァァ!”という気合と共に蛇竜の首に、自慢の大剣を叩き付けた。
辺りに”ガッシャーン”という金属を叩き付けるような音が響く。
蛇竜はアシュレイの渾身の一撃を受けても痛痒にも感じていないのか、大きく開けた口でアシュレイに咥え込もうと首を回す。
その動きを予想していた彼女は、打ち込みと同時に左に流れるように移動し、その攻撃を回避する。
回避した直後、人が抱えきれないほどの太さを持つ尾が、彼女に襲い掛かっていく。
アシュレイは、その攻撃も後ろにステップすることで回避していた。
蛇竜が彼女に気を取られている隙を突いて、レイは二mほどの炎の槍を作り出し、蛇竜の首に叩きつけた。
十mも離れていない近距離からの攻撃であり、炎の槍は見事に命中した。
「やった!」と叫ぶレイだったが、炎の槍を受けた蛇竜の鱗は僅かに黒く焦げただけで、本体にダメージが与えられたようには見えなかった。
「駄目だ! 全然効いていない! アッシュ、一旦引いた方が良くないか」
アシュレイも彼の炎の槍が全く効いていないことに驚き、
「了解した。湖を迂回して一旦村に戻ろう」
二人は蛇竜に背を向け、森の中を走り、追い掛けてくる蛇竜を徐々に引き離していった。
五分ほど走ると、蛇竜は諦めたのか、後ろを振り向いても、既に気配は無くなっていた。
「アッシュ、この後、どうするんだ? 村に帰るか、もう一度戻って戦いを挑むか。どっちにする?」
「そうだな、仕切り直しだな。私の剣もレイの魔法も効かない。本来なら討伐隊を編成するべきなんだろうが……」
アシュレイはラットレー村に戻り、キアラン村長に三級相当の緑蛇竜だったと報告するつもりでいる。
だが、ラットレー村では三級相当の討伐依頼を出す資金がないだろうし、モルトンの街も山狩りで傭兵、冒険者たちの数が減っているため、根本的な解決はできないだろうとも思っている。
彼女は歩きながら、そのことを彼に話していく。
レイは彼女の話を聞き終わると、考えをまとめるようにゆっくりと話し始めた。
「今回のことで判ったんだけど、蛇竜《サーペント》って足が遅いよね。陸に引きずり出せば、罠とかで何とかできないかな」
「どのような罠だ?」
「うーん、まだ具体的なものは思いつかないけど、要は動けなくしてから、焼き殺せばいいんだよね。蛇竜っていうから、竜種のように知性があるのかと思ったら、あんまり頭は良さそうじゃないから、何とかできるような気がするんだ……」
「レイがそう言うなら、やって見てもいいが、自分の命を危険に晒すような策は却下するからな」
二時間ほど歩くとラットレー村が見えてきた。
村に入り、村長に大蛇の正体が緑蛇竜であったこと、通常の手段では倒せないことを伝える。
「そ、そんな……三級相当なんて五千C(クローナ)は最低必要に……無理だ……何とか、何とかなりませんか。お二人なら……」
レイは拝むように懇願する村長に、
「大丈夫ですとは言えませんけど、もう少し何とかしてみます。もしかしたら村の人に手伝ってもらうかもしれませんけど……もちろん、危険なことはお願いしません」
村長はできる限りのことはすると約束した。
アシュレイは、当分船でドラメニー湖の南西側には近寄らないことと、ギルドに三級相当の緑蛇竜が出た情報を流すように依頼した。
二人は蛇竜退治のため、ラットレー村に滞在することにした。
オージアス・アトリーは商人たちの会合で、レイ・アークライトという傭兵の噂を聞いていた。
若い身なりの良い商人が、
「レザムでうちの従業員が聞いた話では、何でも槍一振りで森狼を瞬殺していったそうですよ……」
すぐに脂ぎった感じの中年男が、
「なんの、なんの、それだけではありませんぞ。何でも頭に大怪我を負った剣士を、あっという間に治して見せたとか。更にその治療費を請求しなかったとか……元は清廉な騎士だったと言う専らの噂ですぞ……」
細身の鋭い目付きの商人が、
「専属の護衛に雇いたいものですな。あのハミッシュ・マーカットの一人娘と一緒なら、二人で十人分くらいの働きはしそうですな……」
オージアスはその話を聞き、
(兄上が気に入るのも無理はないわ。このままではオリアーナの婿になってしまう。記憶がないという話だが、事情がある落ちぶれた騎士か何かなのだろう……だが、欲がないのは拙いぞ。噂を集めれば集めるほど、正義感に溢れた男のようだ……そんな男が兄上についたら、私が実権を握るなど夢のまた夢に……早急に手を打たねば……)
オージアスは商人たちの会合から帰ると、すぐにある場所に向かった。
商業地区の一番寂れた場所にある小さな商会。商業ギルドの会合でもほとんど出てこない零細企業だが、実体は裏社会との窓口になっていた。
この商会自体は非合法なことに一切手を染めていない。ただ、ある小さな村の出身者たちとコネクションがあるだけだった。
オージアスはその商会に入ると、重そうな皮袋を使用人に渡す。
「トフィンズの者だ。ランファナンに荷物を送りたいのだが」
オージアスは合言葉を言い、面会を申し込むと、その使用人は目を合わさず、
「ランファナンへは明後日に便があります。明日の夜、もう一度お越し下さい」
オージアスは翌日、再度商会を訪れた。
昨日とは別の使用人が現れ、「カーラの店で待つとのことです」とだけ、告げるとすぐにいなくなった。
オージアスは行商人たちが良く利用する、カーラという女性が経営する酒場に足を運んだ。
カーラの店は場末の酒場と言えそうな感じで、オージアスのような大商人がいくような店ではない。彼は目立たないよう、あえて安っぽいマントを身に纏い、店の奥に入っていった。
彼はカウンターにいるバーテンダーに、銀貨を渡しながら、
「トフィンズの者だが、同郷の者が来ていると聞いたのだが」
バーテンダーは銀貨を素早くポケットにしまうと、「二階の一番左の部屋にいきな。合図は……」と小さく呟く。
オージアスは酒も飲まず、そのまま二階に上がっていく。
二階にある小さな部屋の前でバーテンダーに聞いた合図を行うと、中から了承の声が聞こえる。中には顔を黒い布で覆った女性が、椅子に座っていた。
その女性は一言、「要件は?」と呟く。
その女性の声は思ったより若く、二十代から三十代前半くらいの声だが、雰囲気は年を経た貫禄があった。
オージアスは、「ある男を始末して欲しい」と言った後、レイについて説明していく。
「判った。報酬は確実に処分するなら十万C(クローナ)。但し、この場合は三ヶ月ほど時間を貰う。早急な処分を求めるなら、この辺りにいる者、十名だけで実行する。報酬は一万C。準備が不足する分、失敗の可能性がある。わが手の者が全滅した場合は、再度一万Cが必要になる……」
オージアスは、
(十万か……手持ちの金でそこまで使えん。兄上の時に五万も使ったからな……)
彼は前回の依頼をしくじったことを思い出し、
「前回失敗したが、大丈夫か? 奴は手練の槍術士と聞く。それに前回より安くて仕事が出来るのか?」
「前回は“領主”が相手だ。準備にも時間と金が掛かる。それにあの男が現れねば、成功しておった……ふっ、今回は手練とはいえ、ただの傭兵。それに“四級”の手練をつける。更に魔術師にも当てはある……」
自信あり気なその言葉にオージアスも納得し、
「良かろう。前金で五千を置いていく。出来るだけ早く”処分”してくれ」
オージアスは皮袋をテーブルに置くと、そのまま部屋を出て行った。
(二度は失敗せんだろう。まあ、もし失敗しても支障はない。命を狙われたと気付けば、街から逃げ出すだろう……要はオリアーナと結婚さえしなければよい。奴がこの街から出て行くだけでも目的は達せられる。殺すことにこだわる必要はないのだ……)
彼はそのままカーラの店も出て、夜の町に消えていった。
五月六日。
セロンはサルトゥース王国のソヴィニー市に到着した。
街に入る直前、彼は黒衣の集団と別れ、手配された荷馬車の中に隠れて、門をくぐった。
彼は荷馬車から降りたあと、ある商会に向かっていた。
(今しばらく“奴ら”の世話になるが、仕方がないな。これで俺も“奴ら”の仲間入りか……サルトゥースに潜むか、いっそカエルム辺りで心機一転やり直すか……どちらにしても二ヶ月くらいはここに潜む必要がある……)
彼は自分が逃げ出したことを、ラクスの治安当局が知るのにそれほど時間が掛からないと思っていた。
(俺が助けられたのが、四月二十八日。突発時で野営することもあるから、ターブスに到着していないことが確認されたのは翌日の夕方だろう。そこからモルトンの街に向けて早馬が走れば、五月三日には俺が消えたことの第一報がモルトンの守備隊に入ったはずだ。続報を待つとして、五月四日には俺が逃走したと判断するはず……)
彼は目的の商会に入り、二階の一室のベッドに横になる。
(久しぶりのベッドだぜ。横に女がいないのが物足らんが、今日はさすがに疲れた……)
そして、これからの行動について考え始めていた。
(こっちに来て良かったのか?……南に逃げた方が……いや、南に逃げれば、伝手《つて》がねぇ俺はすぐに足がつく。こっちで準備をしてからの方が確実なはずだ……俺は間違っちゃいねぇ……しかし、どうするかな。サルトゥースもあまり長くは居られないだろう……いっそ、魔族の領域(クウァエダムテネブレ)にでも逃げ込むか……無理だな。魔族どもの中で楽しくやれる気がしねぇ。やはりカエルムか……)
そして、この原因になった一組の男女を思い出し、怒りが込み上げてきた。
(それにしても、奴が……レイとかいう奴がいなければ、こんなことにはならなかった。アシュレイもそうだ。あいつが俺になびきさえすれば何も問題はなかった。ただの男嫌いなら我慢してやったが、あの男とくっつきやがった……親父(ハミッシュ)と一緒で俺を馬鹿にしていやがる……許せねぇ……)
まだ外は明るかったが、彼は溜まった疲れのため、知らない間に眠っていた。
その日の夜、彼を訪ねてきた男がいた。
純朴そうな顔をした田舎の村の農夫か樵と言った感じの四十代の男で、人好きのする笑顔を顔に張り付かせ、セロンの前に座っている。
「仕事だそうだぜ。レイとか言う人に会って仕事をして来いってさ」
その男は商談か何かのような、ごく普通の仕事のような口ぶりで話していく。
セロンは隠語の意味を悟り、険しい顔になる。
(レイを殺す依頼が入っただと! 誰が……そんなことはまあいい。モルトンの街に入って大丈夫なのか? どうやってやるんだ?)
「レイはモルトンにいるのか? どうやって会ったらいい?」
「何でもしょっちゅう外出しているから、近くに行けば連絡が入るそうだ。だから、モルトンには行かなくてもいいってよ」
その男はそれだけ話すと、その場を立ち去っていった。
(レイを殺すチャンスか……モルトンの周辺に戻るのか。危険だな……ふっ、どうせ一度は諦めた命だ。いいだろう。乗ってやるよ……)
セロンは商会で旅費と必要な物を受け取ると、モルトンの街近くを目指して、ソヴィニーを出発した。