Trinitas Mundus - The Story of Saint Knight Ray

Episode 73: Stella's Decision, Ashley's Lost

十月九日、正午頃。

レイたちは三日間過ごした隘路出口の戦場から、ミリース村に戻っていく。

騎士団の治癒師たちの活躍により、九十七名いた負傷者は三分の一以下の三十人に減り、自力で移動できる者は百人を数えていた。

更に重傷者たちも荷馬車を使って運ぶことができるまでに回復し、彼らは出発から四時間ほどで村に到着した。

地獄のような戦場とは打って変わり、ミリース村には長閑な空気が流れていた。

秋の高い青空と白い雲、牧場《まきば》の緑が、牧歌的な表情を作り、村人の家畜を追う声でも聞こえれば、魔族の襲撃など、なかったのだと思えるほどだった。

そんな中、レイは死んでいった仲間たちのことで塞ぎ込み、けが人の治療を行う時以外、ほとんどしゃべらなくなっていた。

アシュレイは彼を心配し、甲斐甲斐しく世話をするが、彼の心は晴れなかった。

(僕は傭兵に向いていないな。人が死ぬ、殺し合いをするっていうことが、僕には判っていなかった。デオダードさんが亡くなったときも悲しかったけど、あの人は病気だったし、あの人は自分の死を受け入れていたと思う……)

彼の脳裏に五番隊の仲間、レンツィたちの笑っている顔が浮かんでくる。

(昨日まで一緒に笑っていた仲間が突然死んでしまう。夢も希望もあって、まだまだやりたいことがいっぱいあって……人生を十分楽しむ前に終わってしまう……確かにそんな仕事だと言われれば、それまでだけど、僕には無理だ。それも理不尽な命令を守って死んでいくなんて……)

彼はこれから自分がどうすべきか、考え始める。

(このままこの王国(ラクス)に残るなら、傭兵を続けざるを得ない。あの戦いで散々大言を吐いたのだから。だけど、この国にはいたくない。騎士団長のようないい人もいるけど、基本的にこの国の貴族は嫌いだ。ただ生まれた家が貴族というだけで、なぜあんなに偉そうに出来るんだろう? どうして、同じ人間である平民を道具のように扱えるんだろう? 貴族のいない国……冒険者の国ペリクリトル、学術都市ドクトゥス、商業都市アウレラ、その辺りを目指して旅に出ようかな。アッシュは一緒に来てくれるかな? 折角、ハミッシュさんと和解できたのに引き離すのは悪いかな……)

そして、ハミッシュたちのことを考え始める。

(ハミッシュさんはこれからどうするんだろう? マーカット傭兵団(レッドアームズ)も、半数近くになってしまった。幸い、隊長たちは生き残ったけど、ベテランの人たちの多くが亡くなってしまった。本当だったら、僕も再建に手を貸さないといけないんだろうな……本当にいい人たちばかりで、ここが実家みたいになっているんだけど。でも、死んだ人を探してしまうんだよなぁ。レンツィさんの笑い声が聞こえるような気がして仕方が無いんだ……)

そこまで考えると、自然に涙が浮かび、更に塞ぎ込んでいく。

彼は自分に考える時間を与えないよう、率先して重傷者の治療に当たっていった。

今回の戦闘の特徴として、通常の戦闘で多い、切り傷や刺し傷はほとんどなかった。それは、敵が棍棒を持ったオークであったためで、その分、打撲、骨折、内臓破裂といったものが多かった。

レイはその中でも頭や内臓といった通常の治癒師、従軍している治癒師程度では、治療できない重傷者の治療を任されていた。

「ベルタさん、具合はどうですか?」

アルベリックと行動を共にし、頭に重傷を負った王虎族の女剣術士、ベルタを見舞う。

「ああ、少し吐き気がするけど、大丈夫そうだよ。しかし、あんたがいてくれてよかったよ。アルベリックさんの話じゃ、普通の治癒師には治せないって聞いたからね」

「そんなこと無いですよ。でも、まだ安静にしていてくださいね。頭を強く打った後は何が起きるか判らないですから」

「判ったよ。治癒師の先生。これからもよろしく頼むわ」

それだけいうと、彼女は静かに目を閉じる。

レイには周囲の期待が重く感じられていた。

(確かに僕がいなければ、何人か死んでいたかもしれない。でも、そもそも、あの馬鹿な命令がなければ、もっと楽に戦えていたんだ……期待されても困るよ。こんな馬鹿なことで怪我を負う人をこれからも見続けることなんて、僕には出来ないから……)

彼は更に数人の重傷者を見て周り、魔力ギリギリまで治癒魔法を掛け続けていった。

午後四時頃、重傷者の治療もほぼ終わり、彼は与えられた民家に帰るため、疲れた体を引き摺るようにして、村の中を歩いていく。

緩やかな丘は、元々牛たちの放牧地であったのだが、戦いを前に退避させた先遣隊の馬たちが放されていた。

(そう言えばトラベラーを見ていないな。誰かに乗っていかれたのかな?)

彼がそんなことを考えていると、勢いよく近づいてくる葦毛の馬を見つける。

「トラベラー! 元気だったか!」

彼の下に駆けつけた愛馬は、しきりに顔を擦りつけていた。

「くすぐったいよ。よしよし、寂しかったか?……また、一緒に旅に出たいかい?」

彼の言葉に答えるように、ヒヒィンと嘶く。

(旅に出るか……どこか遠くで、冒険者として魔物でも狩って暮らすかな……)

レイは手綱を持ち、民家に向かっていった。

アシュレイはレイの精神状態が危険であると感じていた。

(レイに傭兵は無理だ。あいつは、人が、特に親しい人が死ぬということに耐えられない……もし、この国を離れたいと言われたら、私はどうすればいいのだろうか? 父上は普段と変わらないように見せかけているが、多くの仲間を失って、辛い思いをしているはずだ。止むを得ないとはいえ、自らの命令で多くの若者を死に追いやったと……)

半数近くにまで減ったマーカット傭兵団のことを思い出す。

(これから、傭兵団の再建にも人手は必要だろう。私がいれば、多少の支えにはなる。だが、私は……私はレイと共にありたい。だが、父上を置いて、彼についていくことができるのか?)

そして、近くに座るステラを見つめる。

(ステラなら迷いも何もなく、彼についていくだろう。そして、私より役に立つだろう。ステラなら……私はあいつと離れられるのか? 愛する男と……)

そして、自分が先走っていることに気付き、苦笑する。

(レイがどのような決断をするのか判らない状況で考えすぎだな。だが……)

アシュレイは、再び、思考の渦に飲み込まれていった。

ステラはレイが落ち込んでいることに気付いていたが、その原因については、あまり理解できていなかった。

(レンツィ様や他の人たちが亡くなったから、あのように落ち込まれているのかしら? でも、私たちは戦うためにいる兵士。死ぬのが仕事。それなのに、なぜ?……今回は僅かな兵力で敵の大軍を押さえ込んだ大勝利。そして、あの方がそれを導いた。それなのに……)

そして、自分のこれからについて、思いを馳せていた。

(レイ様に私は必要? お二人にとって、私は邪魔? 私が一緒にいてもいいの? それとも……あの方は私が考えた結果なら、それを尊重すると。私の心が”奴隷”でなくなった時、あの方の横に立つ資格を得られる。でも、未だに命じられないと動くことが出来ない。レンツィ様の時も……あの時もレンツィ様が自分に指揮権があるとおっしゃったから、ラザレス様を連れて逃げるという判断が出来たわ。もし、その言葉がなかったら……)

彼女が悩んでいると、三番隊隊長のラザレスが、ふらりとやってきた。

「どうした? レイかアシュレイに叱られたか?」

冗談めかしているが、真剣な眼差しで、ラザレスは彼女を見ている。

「いいえ、少し考え事を……」

「聞くだけなら聞いてやる。俺は学がねぇし、レイみたいに頭がいいわけでもねぇ。それでよければ聞いてやるぞ」

ステラは悩みを打ち明けようか悩むが、街道で見せた彼の気遣いを思い出し、彼に打ち明けることにした。

彼女は今考えていたことをポツリポツリと話し始めた。

話し終わると、ラザレスは難しい顔でぽりぽりと頬を掻いていた。

「悪いな。お前さんの言っていることが良く判らねぇ。ただ……」

「ただ?」

「今、いろいろ考えていたんだろう? 何も考えない“奴隷”じゃねぇだろうと思ってな」

「えっ? でも……」

「難しく考える必要はねぇんじゃねぇか。今のお前はちゃんと考えているよ。レンツィの時もそうだ。レンツィが何を言おうと、俺の方に権限があったんだ。それは判っていたんだろう?」

「いいえ……」

「お前さんは、レイを助けるため、出来るだけ多くの仲間を助けるために、最善の決断をしたんだ。命令に従っただけじゃねぇよ」

ステラは思いもよらない言葉を受け、何も考えられなくなっていた。

「その証拠がその涙だ。一緒にいたいんだろう、レイと。だから、悩んでいたんだ。何も考えない奴隷が、そんなことを悩みはしねぇ。それに気付いて泣いているんだろう?」

彼女は自分の頬を伝う涙に気付き、両手を頬に当てる。

(泣いている? なぜ? ラザレス様の言うとおりなの?……)

「ありがとうございました。どうすべきか何となく判った気がします」

「そうか。まあ、何だ。お前さんは俺の命の恩人だからよ。借りでもねぇが、なんとなく気になってな」

彼は照れ臭そうな表情を浮かべて立ち上がり、片手を上げてその場を立ち去る。

残されたステラも立ち上がり、ラザレスに向かって深々と一礼する。

(そう、私はあの方と共にいたい。あの方が望まれなくなるまで。ううん、それでも一緒にいたい。このことをお伝えしよう……)

彼女は背筋を伸ばすと、レイを探しに彼のいる民家に向かっていった。

レイは民家の裏で、愛馬にブラシを掛けたり、アイテムボックスに入れてある砂糖の塊を与えたりと、楽しそうに世話をしていた。

そこにステラが現れる。

彼女はいつになく、晴れ晴れとした顔で彼に話しかけた。

「レイ様、今、お話してもよろしいでしょうか?」

彼は「うん」と頷き、近くの丸太に腰を掛ける。

彼女は彼の真正面に立ち、目を見つめながら

「あなたの側に置いてください。あなたの側にいたいのです。お願いします」

彼は優しく微笑み、彼女の目を見ながら頷く。

「うん。それがステラの結論なんだね。判ったよ」

彼女は何か話そうとするが、言葉にならず、代わりに涙が落ちていく。

「でも、一つだけ約束して欲しい。死なないで。僕のために死を選ばないで。お願いだから……」

ステラは小さく頷くと、

「判りました。できる限りそのように努力します。ですが、私は自分の判断で、それを選ぶかもしれません。その時は……」

「うん、判っているよ。でも、人が死ぬは嫌なんだ。僕は傭兵を辞める。そして……」

「そして?」

「ごめん、まだ、アッシュに相談していないから、それから話すよ。でも、君の想いは判ったから」

彼はそう言うと彼女の頭を撫でてから、アシュレイを探しに、家の中に入っていった。

アシュレイは真剣な表情をしたレイを見て、どのような話になるのか不安になる。

レイは「ちょっといいかな」と言って、彼女の横に座り、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「アッシュも判っていると思うけど、僕は傭兵には向いていない。だから、傭兵を辞めようと思っている」

彼女は静かに頷き、先を促す。

「前にも言っていたけど、旅に出ようと思うんだ。この国にいると、貴族たちの争いに巻込まれそうだし、そうなると、ハミッシュさんたちに迷惑を掛けることにもなる……まあ、それもあるけど、僕が嫌なんだ。一緒に笑っていた仲間が、次の日には死んでいるっていうのが。それが当たり前っていう仕事が……」

「そうか……」

レイはアシュレイの腕を取り、「アッシュ、一緒に来てくれないか」と言って、彼女の目を見つめる。

アシュレイは、彼の目を見つめ返すことが出来ず、視線を外してしまう。

彼はそれに構わず、

「今のところ、ペリクリトルに行くつもりだ。その後のことは決めていない。そこに留まるか、それともドクトゥスやアウレラに行くか、それとも世界を旅して回るか……」

「考えさせてくれ。今すぐ答えることが出来ないのだ……」

アシュレイにしては珍しく、歯切れの悪い口調でそう言うと、再び目を伏せてしまう。

「判った。だけど、できれば王都(フォンス)に戻るまでに決めてほしい。ハミッシュさんにはフォンスに戻ってから話すつもりだから」

「一つ教えて欲しい」

「何を?」

「ステラにはその話をしたのか? ステラは付いて行くと言ったのか?」

「まだ傭兵を辞めるとしか言っていないよ。もちろん、付いて来て欲しいとも言っていない。旅に出る話をしたのは君だけだよ」

「そうか……」

アシュレイがそのまま黙り込むと、レイはゆっくりと立ち上がり、

「ゆっくり考えたらいいと思う。誰に相談してもいい。ハミッシュさんに話してもいい。でも、後悔しないように考えて欲しいんだ」

レイがその場を立ち去ると、アシュレイは俯いたまま考え込む。

(付いて行きたい。離れたくない。だが、私がいなくなれば、父上は……レイにはステラがいる。私は彼女ほど役には立たない。だが、ここにいれば、少しは父上の手助けが出来る……私はどうすればいいのだ……)

彼女は彼と初めてあったモルトンの街でのことを思い出していた。

(あの時、レイは本当に何も知らなかった。私が一緒にいなければ立ち行かぬほどに。そう、あの頃、私は彼の役に立っていたと胸を張って言えていた……)

そして、この遠征での彼の活躍を思い出す。

(だが、今はそう言えない。レイは何でも出来るようになった。父上や隊長たち、更には騎士団長からも頼りにされるほどだ。確かに苦手なこともある。だが、ステラがいれば十分……私の居場所は彼の横に無い。レイの横に立つ資格が私にはない。私はただの女傭兵。父上やアル兄のような圧倒的な力も持たない、ただの傭兵……彼を守る力がない。いや、逆に足手纏いになる可能性すらある)

彼女は自分が剣を振るうしか能が無く、そして、その剣すら彼の役に立たないと自信を失くしていた。

(この想いを誰かに話したい。父上? アル兄? 駄目だ、二人は強い。私と違い魂が強いのだ。誰か、この想いを聞いてくれ!)

うつむくアシュレイの足元には、彼女の涙の跡が徐々に大きくなっていった。