十月二十二日、午後四時。

オーガスタ・キルガーロッホ公爵は、レイの言った案について、考えを巡らせていた。

(暴動発生の直接的な責任は、マッカラムにある。愚か者ではあるが、マッカラム伯爵家の三男。伯爵に一言伝えねば、波風が立つ。いや、それでは遅い。儂の責任において、処分せねばならんな。自害させるか……アーウェルの件は儂の隠居の話と合わせればよい。さて、ファビアンに家督を譲るとして、今から呼び出せば、明後日か。ファビアンなしで公表せねばならんな……)

彼が考えに没頭している時、長男ファビアンが戻ってきたとの知らせを受け、そのタイミングの良さに驚いていた。

「勝手に領地を離れたこと、お叱りは甘んじて受けますが、父上のご心痛を考えると、居ても立ってもおられなかったのです」

「そのことはよい。そなたの言うとおり、我がキルガーロッホ家は真に危うい状況じゃ。ちょうど今、そなたを呼び寄せようと考えておったところであった……」

公爵はファビアンにレイが語った策について、話していく。

途中、自分に家督が譲られると聞き、ファビアンは驚きの表情を隠せなかった。

「アーウェルの不始末で、父上が隠居されるのですか? それほどまでに状況が悪いと……」

「そうじゃ。そなたにも悪者になってもらわねばならぬ。弟を追い落とす兄を演じてもらわねばの。済まぬが、我がキルガーロッホ家のために、耐えてくれぬか」

ファビアンは頷き、二人はこの後の計画を練っていった。

午後五時。

オーガスタ・キルガーロッホ公爵は嫡男ファビアンを連れ、王宮に向かった。

そして、直ちに国王ライオネル十二世に面会を求めると、すぐに国王の執務室に通される。

「キルガーロッホ公、このような時間にいかがしたのじゃ?」

公爵とファビアンは同時に跪き、驚く国王に構わず、公爵は頭を垂れて話し始める。

「この度の一連の不祥事の責任を取り、私、オーガスタ・キルガーロッホは、公爵位を嫡男、ファビアンに譲ることを決意し、そのお許しを頂きたく、参上いたしました」

国王は話の流れが理解できず、「爵位を譲る? 公は隠居すると申すのか?」と、驚きの表情を浮かべ、問いただす。

「御意にございます。魔族討伐軍編成に関わる我が判断の誤り、我が息子アーウェルの不手際とその後の逃亡、更に本日の王都内での暴動騒ぎ、陛下のご宸襟をお騒がせ致したことすべて、私奴(わたくしめ)の責任。本日を持ちまして、隠居いたそうと考えております」

国王は暫し黙考したあと、

「公の潔き身の処し方、余は感銘を受けたぞ。家督相続の件、直ちに認めよう」

公爵は「ありがたき幸せにございます」と更に深く頭を下げる。

国王はファビアンの前に立ち、

「久しいな。此度の急な相続はそなたにも負担になろう。余に出来ることがあれば、いつでも相談に来るが良い」

ファビアンも「ありがたきお言葉。この身を捧げて陛下に、王国に尽くす所存にございます」と深く頭を下げる。

その後、国王は残りの公爵家の当主を集め、キルガーロッホ家の相続の決定が告げる。

三人の公爵たちはそれぞれ思うところがあったが、国王が既に決定したと宣言されたため、特に反対意見もなかった。

ブランドン・インヴァーホロー公爵は、自分が言い出すはずだった隠居の話が出たことを苦々しく思っていた。

(さすがはキルガーロッホ公といったところか。まさか、そこまで思い切るとは。まあ良い。此度のことで、私は何の被害も受けておらぬ。古狐のキルガーロッホ公を排除できたことで満足すべきだろう)

彼は気付いていなかったが、商人たちはインヴァーホロー公に踊らされたことに対し、不信感を抱き始めていた。

彼らは長期的に食糧の供給を確保するように示唆されたため、在庫を確保しようと奔走し、無理な価格で仕入れた者が多かった。だが、暴動が僅か一日で治まったことから、その差額分が損失となっていた。

更に僅か一日とは言え、彼の示唆によって仕入値を上げられた零細の商人たちは、大商人と公爵が短期に収束することを知りながら、故意に噂を流したと考えていた。

賢明であり損害を受けなかった商人たちも、今回の件でインヴァーホロー公は読みが甘いと感じていた。そして、これから先、公爵の示唆に対し、今まで以上に慎重を期すべきと考え始めていた。

今回の件では、彼の読みは比較的正確と評価されても良いものであったが、真相を知らぬ商人たちには彼に対する不信感だけが残る結果となっていた。

グラント・ブレイブバーン公爵はキルガーロッホ公の決定に驚く一方、その対応の速さと大胆さに賞賛の念を抱いていた。

(まさかここまで思い切ったことをするとはな。確かに家督を譲った上、アーウェルに懸賞金を掛ければ、誰もがキルガーロッホ家が画策したことではないと気付くだろう。タイミングといい、大胆さといい、さすがは筆頭公爵と言ったところか……)

だが、同時に違和感も覚えていた。

(……だが、キルガーロッホは民たちの考えを軽く見ていた。それが突然、民たちの考えを理解し、そのまま行動に移す。確か、ファビアン殿はほとんど領地におられたと聞く。彼は領地で民たちのことを見ていたのかもしれぬな。それとも、誰か他の知恵者の考えを聞いたのか? いや、キルガーロッホ家にそれほどの知恵者がおると聞いたことは無い……まあよいか。王都が鎮まったのであれば……)

ブレイブバーン公の下には、ハミッシュがキルガーロッホ公爵から直接、礼を言われたという報告が上がっていたが、第八大隊の騎士からの報告であったため、レイが同行した事実が伝えられていなかった。リーランドが見ていれば、レイが献策した可能性を示唆した可能性があったが、彼は市民たちの誘導に手一杯であり、その余裕はなかった。

その後、キルガーロッホ公の隠居の話が公表され、更にブレイブバーン公が兵士たちを、インヴァーホロー公が商人たちを通じて、噂を広めていく。

当初、疑いの目で見ていた市民たちも、嫡男ファビアンがアーウェルに生死を問わず、十万C(クローナ)(=一億円相当)もの懸賞金を掛けたことから、国王と公爵がアーウェル脱走の手助けをしたという話は聴かれなくなっていった。

更に市民を攻撃したイートン・マッカラムに自害を命じたことと、多額の賠償金を支払ったことから、キルガーロッホ家への嫌悪感は薄らいでいった。

十月十九日から揺れていた、ラクス王国の王都フォンスに、ようやく平穏な生活が戻ってきた。

国王ライオネル十二世は失った民からの信頼を回復するため、近衛騎士隊の改革に乗り出す。

彼は貴族出身者、それも上級貴族の推薦者のみに限られていた門戸を、騎士階級にも開放した。

更に実戦経験がない近衛騎士たちを順次、騎士団や各地の守備隊に送り込み、特権意識の払拭に努めようとした。

(これで余の周りにまともな人材が集まるはず)

そして、自らと兵たちの間に溝を作った、セオドア・ムーアヘッドの処分を考えていた。

(セオドアのせいで、余は兵たちの信を失った。あの者を処分せねば示しが付かぬ。だが、明確な誤りを犯したわけではない。どうすべきか……そうじゃ、騎士団に出向させる形で前線に送り込もう。ヴィクターは嫌がるかもしれぬが、一兵卒として前線に立てば、あの者の考えも変わるはずじゃ)

その後、セオドア・ムーアヘッドはチュロック砦に配転となる。そして、その地でも身分を振りかざして孤立していき、一ヶ月後、厳寒の辺境で凍死した。

原因は、平民の兵士たちの忠告を聞かず、重く見栄えの悪い寒冷地装備を嫌い、見栄えの良い通常装備で偵察に出たためであり、最後まで兵士たちに迷惑を掛けながら死んでいった。

ブレイブバーン公は一人の部下の取り扱いに苦慮していた。

第三大隊の軍監であったダウランド男爵のことだった。

(ダウランドめ、キルガーロッホ公を見限り、私に鞍替えする気のようだな。だが、あの者は信用できん。自らを正当化するため、自分の主人を裏切った。いや、それだけならよい。国のために涙を呑んで、告発したというのであれば……だが、奴は故意に噂を流し、騎士団の名誉を更に失墜させたのだ……)

公爵は自分が嫌うという理由だけで、処分できないことをも理解していた。

(此度の報告は正確であったゆえ、処分することも出来ぬ。更に奴は、自らに与えられた職務に従っただけだ。これでは処分のしようがない……)

中隊長クラスに当たる軍監であり、更に指揮官として無能であることが判っているため、余計にフラストレーションが溜まっていく。

(無能ゆえ、前線に出すわけにも行かぬ。守備隊に配属すれば、司令とせざるを得ない。そうなれば兵たちに迷惑を掛ける。これほど使えぬものを処分できぬとは……無能でも迷惑を掛けぬところか……)

そこで彼はあることを思い出す。

(あったぞ! 良いところが一箇所。それも最近空いたところが……)

彼は家督を相続したファビアン・キルガーロッホ公爵の下を訪れる。

ファビアンは、年長で更に公爵家の当主として長い経験を持つブレイブバーン公が、自らの下に足を運んだことに恐縮する。

「わざわざお越しいただくとは。使いをいただければ、私のほうからお伺いいたしたものを」

ブレイブバーン公は、気にするなというように手を振り、本題に入っていく。

「ファビアン殿、いや、キルガーロッホ公、公の屋敷の警備責任者に空きが出たと記憶しておるが、既に埋まっておるのかな?」

ファビアンは話の目的が判らず、困惑する。

「いえ、未だ後任は決めておりませぬが、それがなにか?」

ブレイブバーン公はにやりと笑い、

「一人推薦したい者がおってな。何、キルガーロッホ家とはゆかりの深い者。どうであろう?」

ファビアンが誰なのかと聞く前に、

「ダウランド男爵のことなのだよ。第三大隊の軍監として”活躍”した、あの(・・)ダウランドだ」

ここまで聞いて、ファビアンもブレイブバーン公の意図を理解した。

(ブレイブバーン公も意外とお人が悪い。我が一門を裏切った者を警備担当とするとは。ダウランドも嫌がるだろうな。裏切り者という視線に毎日耐えねばならないからな……なるほど、ダウランドを排除するための策か。ここは公に恩を売るということで了承しよう)

ファビアンもブレイブバーン公と同じような笑みを浮かべて、

「判りました。ブレイブバーン公のご推薦であれば、私に異存があろうはずがございませぬ。まして、我が一門に連なる者。閣下のご配慮、痛み入ります」

それを聞いたブレイブバーン公は、意外そうな顔で彼の顔を見る。

(領地に篭ってばかりで、政《まつりごと》には疎いかと思っていたが、私の目的を理解しておる。さすがに前公爵の嫡男、”切れ”は父親譲りと言ったところか。もし、今回のことがなくとも、あのアーウェルではこの男の相手にはならなかったであろうな……)

ブレイブバーン公はファビアンの下から、騎士団本部に向かい、ダウランドを呼び出す。

「貴公の新しい配属先が決まったぞ。ヴィクターには伝令で伝えるが、決定と思って良い」

ダウランドは神妙な面持ちで頭を下げ、次の言葉を待つ。

「キルガーロッホ公爵邸の警備担当を命ずる。新公爵にも話は通してある。公も喜んでおったぞ、一門の者であることにな」

その言葉にダウランドは目の前が真っ暗になる。

「閣下、それは決定で間違いないのでしょうか? 変更の余地は?」

「そなたは耳が悪いのか? 先ほど申したであろう、決定と思って良いと」

公爵は人の悪そうな笑みを浮かべて、そう告げる。

ダウランドは肩を落として、公爵の下を辞去し、自分の先行きについて考え始めていた。

(今更、キルガーロッホ家に行くわけにはいかぬ。ブレイブバーン公め、私を排除するためにこのような手を使うとは……だが、既に両公爵の話が付いておる。ならば、騎士団を辞め、領地に戻る以外に手はない……)

彼はその後、騎士団を辞め、領地に戻っていく。

だが、彼の領地はキルガーロッホ一門の領地に囲まれており、針のむしろであることに変わりなかった。