十二月十九日の夜半過ぎ。

西地区に潜む月魔族のヴァルマ・ニスカのもとに、街の周囲を見張っていた翼魔が報告にやってきた。

翼魔は街の周囲に逆茂木などの防御設備を設置していることと、魔術師たちが魔法陣らしきものを設置していることを報告した。

ヴァルマは防御施設については予想していたが、魔法陣と聞き、「……魔法陣? どういったものなの?」と疑問を口にした。

翼魔は獣人の手練《てだれ》が警備しているため、近づくことすらできないと伝える。

ヴァルマが「獣人? 前にリッカデールから御子様と一緒にいた獣人たちのことかしら?」と呟くと、翼魔はその通りであると伝える。そして、彼らに不用意に近づくと気配を消して襲い掛かってくるとも伝えた。

ヴァルマはこの情報にどう対処すべきか考えていた。

(前の連中なら厄介だわ。それにしても、その魔法陣のことが気になるわね……でも、ここで翼魔を失うわけにはいかないわ……とりあえず、オルヴォ――魔族軍の司令、大鬼族のオルヴォ・クロンヴァール――に伝えないと。後は彼に任せるしかないわ……)

彼女はそう結論付けると、紙を取り出し、手紙を書き始める。

書き終わったところで、翼魔にそれを運ぶよう命じた。

「オルヴォにそれを渡しなさい。向こうから何か伝言があるなら、受取ってきなさい」

翼魔は小さく頷くと、再び夜の闇に消えていった。

それを見送ったヴァルマは魔法陣を設置させたであろうレイに対して、不気味さを感じていた。

(何をするつもりなのかしら? 逆茂木は予想していたけど、魔法陣は予想外だわ。昼間に傀儡のミッシェルが持ってきた情報だと、学術都市の学者がこの街の防衛に力を貸しているっていう話だし、我々の知らない防御魔法でもあるのかしら……それにしても忌々しいわね、あの魔術師は。オルヴォは慎重だから大丈夫だろうけど、あの魔術師が考えたことなら、どんなことが起こってもおかしくわないわ……)

十二月二十日の夜が明けた。

レイは早朝からギルド総本部に向かっていた。彼は出撃すると息巻く、光神教の聖騎士、マクシミリアン・パレデスを説得するため、防衛司令官のランダル・オグバーンに意見を具申するつもりでいた。

(聖騎士はプライドが高い。特にあの隊長はその傾向が顕著だ。ならば、その肥大した自尊心を満足させてやれば、手綱は握れるはず……)

本部につくと、すぐにランダルに自分の案を話し始めた。

「聖騎士隊は主力として扱いましょう。我々が聖騎士のもとに敵を引き摺りだしてくるので、それまで待機してほしいと」

ランダルは「それであの大将が言うことを聞くか?」と疑問を口にする。

レイは「それだけでは足りないです」と頷き、

「聖騎士殿の雄姿を街の人々に見せたい。だから、街の近くで決戦に挑んでほしいと」

レイの言葉を聞いて、すぐにランダルが笑い始めた。

「それなら、乗って来そうだな。あとは俺がどれだけあの男を良い気分にさせられるかだな……よし、今から説得に行くぞ。お前も一緒に来い」

レイは苦笑しながら、「判りました」と答え、パレデスらの泊る宿に向かった。

宿に着くと、パレデスらは既に出撃の準備を整えていた。

全員が白い鎧と白いマントを羽織り、騎槍を手に立派な軍馬に騎乗していた。

ランダルはパレデスを見付けると、すぐに話し始める。

「さすがに壮観ですな。聖騎士殿らの雄姿は」

その言葉にパレデスは「田舎者は誰でもそう言うがな」と口を歪めるが、目は満足そうに光っていた。

「いやあ、おっしゃる通り、確かに我らは田舎の出ですからな。聖騎士殿の勇姿を見れば、声を上げたくなるものですよ。ところで、お話があるのですが、よろしいですかな」

ランダルが機嫌を取るように下手に出ているため、パレデスも仕方が無いと言う感じで「出撃前だ。手短に頼むぞ」と言って、馬を下りる。

小姓が用意した椅子に座り、「話は何なのだ?」と尊大な態度を崩さない。

一方、ランダルは笑みを絶やさず、

「話というのは、今の話の続きなのですよ。このように勇壮な聖騎士殿のお姿を、我が街の者に見せぬのは惜しいと思いましてな。そうですな、街の近くで敵の主力を撃破してこそ、聖騎士殿らへの畏敬の念が増すと言うもの。我らの守護神たる聖騎士殿には是非とも街の近郊で敵を撃破して頂きたい」

あからさまな褒め言葉だが、パレデスは鼻息を荒くして満足げな笑みを時折見せている。

「そう思いたくなるのは判るが、敵が我らを恐れて出て来ぬのでは話にならぬ」

ランダルは食いついてきたと、ニヤリと笑い、

「もちろん、そのことは考えておりますよ。我らが敵を街の東の草原、聖騎士殿らにとって最高の戦場に引き込んでみせます。あそこならば、街の者にも皆さんの雄姿が見えることでしょう」

更にランダルは追従を口にするが、パレデスは気付かない。

パレデスは「うむ」と頷き、

「確かにその方が効率が良いな。では、そなたらに任せるとしよう。だが、あまり時間が掛かるようなら、我らは打って出るぞ」

ランダルはそれに頷き、

「もちろんでございます。今から十日、年明けまでには引き摺り出して見せますとも」

ランダルの言葉にパレデスは満足そうに頷き、配下の騎士たちに命令を出す。

「出撃は延期だ! 街の者が魔族の本隊を引き摺り出すまで待機する!」

パレデスの言葉に応じた聖騎士たちは、明らかにホッとした表情を見せる者もいた。

レイはその姿を見て、

(やっぱりこの隊長の暴走か……この隊長を排除したら、もう少しマシな指揮官が出てくるのかな……光神教だし、期待はできないかも。この隊長の方が単純だし、このまま様子を見ようかな)

ランダルとレイは聖騎士たちが宿舎になっている宿に入ったのを見届けた後、ギルド総本部に戻っていく。

その道中、ランダルがレイに真剣な表情で話しかけてきた。

「正直なところ、あの聖騎士たちは厄介者にしかならん。俺は奴らを囮に使おうと考えている……レイ、お前の考えを聞かせてくれ」

レイは囮という言葉に、ランダルが聖騎士をどう使うつもりなのかすぐに理解できた。

(ランダルさんは敵を罠に引き込むための餌として、聖騎士たちを使うつもりなんだ。あの隊長以外、知り合いはいないけど、囮に使うのは嫌だな……)

レイはしばらく黙考した後、ゆっくりと話し始めた。

「正直、聖騎士たち、いえ、あのパレデス隊長には辟易としています。でも、敵を引き込むための餌にするのは……」

最後の言葉は濁したが、レイの考えはランダルに伝わった。

ランダルはレイの肩に手を掛け、

「お前は優しいな。だが、お前の策を成功させるためには誰かが囮にならなきゃならん。それは判っているのだろう?」

レイは小さく頷き、「判っています」と答える。

「なら、あいつらが最適だとも判っているな。街を、仲間を守るためなんだ。意に沿わんだろうが、堪えてくれ」

ランダルはそう言いながら、別のことを考えていた。

(レイ(こいつ)は判っているんだろうか? こいつの策が成功すれば、千五百人の魔族が命を落とすことになる。魔族といえども、魔物ではない。敵とはいえ、俺たちと同じ人なんだ。俺は割り切ることができるが、こいつがこのことに気付いた時、その事実に耐えられるのだろうか……)

レイは何も答えなかったが、ランダルはそこでその話を打ち切り、話題を変える。

「あと十日だが、罠の仕込みは大丈夫だろうな?」

レイは聖騎士たちのことを考えていたが、ランダルが話題を変えたことに少し心が軽くなる。

(聖騎士たちのことは流れに任せるしかないんだろうな。ランダルさんも僕に答えを求めているわけじゃなさそうだし……)

レイはそこで表情を緩め、

「東地区の仕掛けは結構大変ですが、後五日もあれば大丈夫です。一番の問題は、作戦を味方に説明しないといけないんですが、傀儡(くぐつ)が見付かっていないからできないっていうことなんです」

ランダルは「そうだな」と頷くが、

「そこは情報課に任せろ。お前が気を揉んでも傀儡が見付かるわけじゃない。今は作戦に集中するんだ」

レイは「そうですね」と曖昧に答える。

そして、少し吹っ切れたような表情を見せ、

「判りました! 情報課に任せます。じゃ、今から仕掛けの設置状況を確認してきますね」

そう言って、ステラを伴って東地区に走っていった。

残されたランダルは、本当に吹っ切れてくれたのならいいがと考えたが、すぐに山積みになっている自分の仕事に戻っていった。

冒険者ギルドの情報課員イントッシュは、西地区の娼館周辺で聞き込み調査をしていた。彼はまだ二十五歳とリタイアした冒険者が多い情報課員としては若かった。

イントッシュは元々斥候(スカウト)系の冒険者だったが、自分が考え込む性格であることに気付き、瞬時の判断が必要な冒険者という仕事を辞めた。そして、半年ほど前からギルドの情報課に臨時の職員として採用された。未だに正規の職員ではないが、徐々に評価されてきており近々正式に採用されると言われていた。

彼は魔族の傀儡ミッシェルを探して、地道な聞き込み作業をしていた。そして、その情報を整理していくに従い、彼女が娼婦ではなかったのではないかと思うようになっていた。

(今月の頭に娼館に入ったそうだが、ほとんど客は取っていなかった。同じ館の娼婦の話じゃ、金に困っている様子も無かったそうだ……それに近所で顔を見たことが無かったということは西地区の住民じゃなかった。街の外から来たのか、他の地区から来たのか……だとすれば、この地区に潜伏している可能性は低いということじゃないのか?)

そこまで考えた時、彼の視界に一人の女が入ってきた。その女は二十歳前後の若い女で、傀儡《くぐつ》とされたミッシェルの特徴に良く似ていた。

(もしかして目標(ミッシェル)か? しかし、今頃なぜ?)

その女はゆっくりとして歩調で北に向かって歩いていく。

イントッシュは気配を消して彼女の跡を追い始めたが、まだ、頭の中に疑問が渦巻いていた。

(今頃この辺りをうろうろするのはなぜなんだ? 娼館が家捜しされたのは知っているはずだ。もしかしたら罠なのか……だが、今は俺一人しかいない。本部に連絡もできんし、さて、どうしたものか……)

そう考えながらも女の跡をつけていく。

彼女は西に向きを変え、更に歩き続けている。

(とりあえず行き先だけでも確認すべきだな。それから本部に戻って、隠れ家を強襲する。それしかない……)

彼は腰のショートソードの位置を確かめ、更に女を追っていった。

西地区の最も寂れた区画に女は入っていった。イントッシュは周囲を警戒しながら、その区画に入っていく。

そこは元々場末の飲み屋街であり、廃墟も多く、危険な地区と言われていた。ここの住民たちは愛国心の欠片も無く、更に魔族と戦って報奨金を受取ろうなどという気概のある者もいなかったため、魔族の襲撃の噂が広がると、別の街に逃げていった。

そのため、人を見かけることはほとんどなくなり、廃墟という印象がより強くなっていった。

イントッシュは気配を探りながら、

(拙いな。嫌な予感がして仕方が無い……一旦引き揚げてから、人海戦術で虱潰しにした方がいいかもしれん)

彼はそう思いながらも決断できず、ずるずると女の後をつけていた。

彼がようやく見切りをつけて踵を返そうとした時、女は一軒の廃屋に入っていった。

(あそこが傀儡の隠れ家なのか? ここで手柄を上げれば正式に採用される。中を覗くくらいはしておいた方がいいだろう)

彼は廃屋の裏に回り、壁に張り付く。そして、木窓の一つに手を掛けて中を覗こうとした。

その時、彼の後ろで若い女性の声が聞こえた。その声は艶のある魅力的な声だった。

イントッシュは背中に冷たい物が流れ、ゆっくりとその声の方を見た。そこには追いかけていた女とは違う、黒髪に白く美しい涼やかな印象の美女が立っていた。だが、彼女の背中には鴉のような漆黒の翼があり、その横には昨日公開された魔物、翼魔が立っていた。

彼らの体からは黒い霧のようなものが流れており、徐々にイントッシュに向かっていた。

彼はその光景に一瞬息を飲み、声を発することができなかった。だが、すぐに危険な状況にあると気付き、声を張り上げようとした。

だが、声を発する直前、黒い霧が彼に取り付き、意識を失った。

黒髪の女性、ヴァルマは満足そうに、イントッシュを眺めたあと、「家の中に運びなさい」と翼魔に命じた。