Trinitas Mundus - The Story of Saint Knight Ray

Episode 72: The Pericritle Offensive Battle: Part VII

トリア暦三〇二五年、十二月二十六日の午後三時。

冒険者の街、ペリクリトルでの戦い、後にペリクリトル攻防戦と呼ばれた戦いは最終局面に移行していた。

午前中に幕を開けたこの戦いは、防衛側、すなわちペリクリトル側の巧妙な罠により、侵攻してきた魔族軍の七割を葬り去った。正午を過ぎた頃、戦いはペリクリトル側の勝利に終わるかに思われていた。

実際、ペリクリトル側の損害は二割強程度。開戦前に三倍以上あった戦力差はほぼ拮抗するところまで来ていた。更に敵の最大戦力である中鬼族部隊を殲滅し、強力無比な破壊力を誇る大鬼族部隊にも壊滅的な損害を与えたことから、ペリクリトル側の士気は最高潮に達していた。

ソキウス――魔族の国――の西方派遣軍指揮官、オルヴォ・クロンヴァールは、その損害の大きさに、戦略目的の一つであるペリクリトルの占領を放棄した。

だが、彼には鬼人族の矜持《プライド》と、それ以上に敵支配地に深く入り込んだ状況から撤退を選択することはできなかった。彼は自らの意志と、この不利な状況を打破すべく、最後の決戦を企図した。

ペリクリトル軍の指揮を執るランダル・オグバーンは、未だ侮れない戦力を保有する魔族軍を野放しにすることができないと判断。不安を抱えながらも、敵の挑戦を受けることとした。

ペリクリトル軍約千五百五十、魔族軍約千六百は、ペリクリトル市街の北、枯れ草色に染まる草原で対峙する。

ペリクリトル軍の参謀となっているレイは、総司令となった冒険者ギルド長、レジナルド・ウォーベックと共に、前線に出た防衛指揮官であるランダルから少し離れた場所にいた。

彼は騎馬隊の指揮官として見事なカエルム産の愛馬の上に身を置いている。

背後には純白の装備に身を固めたルークスの聖騎士十六名がおり、彼と同じようにすぐにでも出撃できるよう、騎乗したまま待機していた。

緒戦で傷付いた聖騎士たちの馬も既に治療も終え、中鬼族部隊から逃げ帰ってきた時の弱々しい姿はみじんも感じられない。

レイは愛馬の鞍上から、全軍の様子を静かに見つめていた。

司令部の前方には前衛部隊十隊が二段の横列を組み、ランダル直属の百五十名強――東門への撤退戦で約五十名が死傷した――の精鋭が、前衛部隊の後方に三つの隊を形成している。前衛部隊の最右翼には貧弱な装備の一隊、ルークスの農民兵部隊がやや歪な二列横隊を作っていた。彼らの中央には臨時の指揮官である治癒師のヘーゼルの姿があった。

精鋭部隊の左右には二百名ずつの弓兵隊が並び、前衛の援護をしようと弓を構えている。

司令部の横には魔術師五十名からなる魔術師部隊があり、その中にはドクトゥスの魔術学院の教授、リオネル・ラスペードの姿もあった。

ペリクリトル軍の陣形は、両翼が僅かに突き出した鶴翼の陣に近い形を作っていた。

一方、魔族軍は中央に約六十名の重装備の大鬼族戦士と、巨大な棍棒を持つ約百体のオーガが主力として配置されている。その後方には約五百の小鬼族戦士と約九百のゴブリンが控えていた。よく見ると僅かだが中鬼族の姿も見られ、二十名ほどが所在無げに大鬼族部隊の後ろに固まっていた。

こちらは主力の大鬼族と中鬼族が前方中央に、数の多い小鬼族部隊が彼らを後ろから包み込むように展開する魚鱗の陣に近い形だった。

大鬼族の指揮官オルヴォ・クロンヴァールは、強力無比な攻撃力を誇る大鬼族とオーガからなる直属部隊の突撃により、敵を蹂躙しようと考えていた。

(ここに至っては敵に策を巡らす余裕はなかったはずだ。ならば、我らの最も得意とする力勝負。敵の弓など眼や首に当たらぬ限り、恐れる必要はない。狙いは“白の魔術師”唯一人。奴を倒さずして、我らソキウスに未来はない!)

彼の目的は勝利を目指すことではなく、ただレイを殺すことだけだった。

両軍が草原に展開し終わる頃、太陽は西に傾き、空は茜色に染まり始めていた。

ペリクリトル軍のランダルは焦りを感じていた。

(夜戦となれば、我々の方が圧倒的に不利だ。だが、あと二時間もすれば日は完全に落ちる。一応、灯りの魔道具と篝火は用意させた。だが、闇が落ちれば不利は否めん。それまでに敵を殲滅するか、少なくとも大鬼族部隊を潰せねば、街の安全は守れまい。この状況では策も何もない。ただ力で押すしかない……)

ペリクリトル軍の今回採る戦術は、弓兵と若手の冒険者たちが小鬼族部隊に当たり、ベテランと魔術師部隊が敵の主力たる大鬼族部隊と当たることだった。

大鬼族部隊を足止めした上で、小鬼族部隊を殲滅し、少数の大鬼族部隊を包囲殲滅するという策だ。

(策とは呼べんが、仕方があるまい。ここで何かが起こるとすれば、あいつがどう動くかだけだな……)

ランダルは聖騎士隊を従えたレイの姿に目をやる。

(……だが、奴の手札はほとんどない。僅か五十名の斥候《スカウト》の伏兵、奴も含めて十七騎の騎兵、あとは五十名の魔術師部隊……この三つの部隊をどう使うかだが、少なくとも俺では何も手が思い浮かばん……)

ランダルは悲観的になりそうになる考えを振り払うように、全軍に対して命令を叫ぶ。

「全軍前進せよ! 両翼は小鬼族部隊を叩き潰せ! 中央は大鬼族を抑えろ! 街には勝利の美酒が待っている。さっさと片付けるぞ!」

その声にペリクリトル軍から“オウ!”という力強い声が響き渡る。

ランダルの合図と共に戦いの幕が切って落とされた。

ペリクリトル攻防戦の第二幕は、短期決戦を目指さざるを得ない防衛側の攻撃により幕が開けた。

魔族軍のオルヴォ・クロンヴァールは、ペリクリトル軍の前進する様子を見て、ニヤリと笑う。

「敵に策はない! ようやく我ら鬼人族の戦い、力と力のぶつかり合いとなるのだ! 我が同胞たちよ! 目の前の敵を潰して、街に突入するぞ! 突撃!」

彼の命令により、大鬼族戦士六十名と百体のオーガが重い足音を鳴らして前進し始めた。

オルヴォは全軍の指揮官でありながらも、自慢の巨大な両刃斧を振りかざしながら、先頭を行く。

全軍が動き始めてから五分。

両者は寒風が枯れ草を揺らす、ペリクリトル北の草原で激突した。

先制したのは遠距離攻撃手段を持つペリクリトル軍側だった。

四百の弓兵が突撃してくる小鬼族部隊のゴブリンたちに対し、雨のように矢を撃ち込む。

濃密とは言い難い緩い隊列を組むゴブリンたちだったが、ペリクリトルの弓兵たちは的確に獲物を捕らえていった。

弓兵たちが歓声を上げる間も無く、小鬼族の操り手(テイマー)の指示によって、ゴブリンたちが回避行動を取り始めた。巧妙な動きにより、すぐに弓兵による戦果は思うように上がらなくなった。

ゴブリンたちは、操り手(テイマー)たちの指示通り、その矮躯を更に縮め、地を這うようにペリクリトル軍の前衛に襲い掛かっていった。

アシュレイは左翼の若手冒険者約五十名の指揮を執っていた。

ゴブリンたちは醜い顔を好戦的な表情で歪め、雄叫びを上げている。そして、粗末な武器を振り回しながら、冒険者の列に強引に突っ込んでいった。

アシュレイは身を硬くしている若手の冒険者たちにハミッシュ(父親)譲りの大音声《だいおんじょう》で指示を出していた。

「敵はゴブリンだぞ! 雑魚相手に緊張などするなよ!」

彼女の張りのあるやや低音の声は、若手たちの精神(こころ)に染み込んでいく。彼らは直前の緊張を忘れ、すぐに落ち着きを取り戻した。

「槍術士はいつもより低く構えろ! 懐に入れさせるな! 剣術士は後ろに逃すな! さっさと雑魚を潰して大物に取り掛かるぞ!」

アシュレイは部下たちが怖気づかぬよう矢継ぎ早に指示を出していく。そして、「私は少し運動してくる!」と叫ぶと、そのまま部下が制止する間も無く、唯一人、ゴブリンたちの中に踊りこんでいった。

彼女はゴブリンたちの後ろにいる小鬼族の戦士を目指していた。

アシュレイは愛剣である無骨な両手剣を振るい、無人の野を行くようにゴブリンたちを薙ぎ払っていく。

その姿はゴブリンたちの血に塗れ、数分と経たずに彼女の全身は真っ赤に染まっていた。

「ゴブリンでは手応えが無さ過ぎる! 隊列など関係ない! 全員突撃だ!」

好戦的な笑みを浮かべながら、そう叫んだ。

若手の冒険者の中には、彼女の血塗れの凄惨な姿に、一瞬戦慄し目を見開くものもいた。だが、すぐに我に返り、指揮官同様、獰猛な笑みを浮かべ、雄叫びと共にゴブリンの群れに突っ込んでいった。

その時、アシュレイは若手の冒険者たちが思っているより、遥かに冷静だった。

(この戦は短期決戦だ。もうすぐ闇が降りる。敵は夜目が利くが、我々は利かぬ。少々強引だが、小鬼族部隊を早急に殲滅せねば、我々の勝利は無い)

ゴブリンたちの装備は粗末な木の槍がほとんどで、僅かに、東の草原で散った冒険者たちから奪った剣や槍を装備しているに過ぎない。

アシュレイの部下たちはただのゴブリンだと完全に呑んで掛かり、次々と葬っていった。

そんな中、二十歳になるかならないかの若い冒険者が、木を削っただけの粗末な槍を持つゴブリンに剣を叩きつけていた。

彼は「ゴブリン風情が!」とニヤリと笑い、更なる獲物を見つけようと足を止めた。

その瞬間、彼は脇腹に激痛を覚える。

彼が激痛のもとに目をやると、そこには鋭利な短剣が革鎧の隙間から突き刺さり、紅玉《ルビー》のような深紅の血が零れ落ちていた。

彼が脇腹から目を上げると、そこには一人の小鬼族の戦士がニヤリと笑って、短剣を握っている。小鬼族戦士は若者の死角から巧妙に襲い掛かっていたのだ。

「ゴブリンしか相手に出来んのか? 雑魚が!」

小鬼族の戦士は手応えが無さ過ぎる敵にそう吐き捨て、若者の脇腹に刺さった短剣を回収するため、彼の体に蹴りを入れた。その脚力は思いのほか強く、若者は大きく吹き飛ばされる。小鬼族戦士もその反動でバランスを崩しそうになるが、とんぼを切るような後方宙返りを見せ、体勢を崩すことなく見事に着地していた。その動きは訓練された獣人のそれに匹敵するほどだった。

若者は自分に起きたことが信じられず、傷口を押さえながら仰向けに倒れこんだ。

「助けてくれ! 治癒師を! 治癒魔法を掛けて……アァァ! 助けてく……」

彼は助けを求めるが、乱戦になった戦場でその余裕のある者はいなかった。小鬼族戦士に付き従っていたゴブリンに群がられ、彼はそのまま絶命した。

アシュレイは小鬼族戦士の実力を読み誤っていたことに歯噛みする。

(思った以上に強い。小柄だが戦力としてはかなりのものだ。平均すれば中堅どころの斥候職《スカウト》といったところか……このままでは押し込むどころか、突破されかねん……)

「小鬼族の戦士は思ったより手強い! 一人で相手をするな! 訓練どおり班ごとで対応しろ!」

アシュレイは訓練中、五名一斑の班を作って、様々な対応が出来るようにしていた。

これはマーカット傭兵団の編成を真似たものだが、狭隘な東地区での市街戦を想定し、大人数での行動より少人数での行動の方が有利であるとの判断だった。彼女はそれをこの局面でも利用しようとした。

彼女の命令で剣術士と槍術士の混成による班が、徐々にだが形成されて行く。彼女の考えた班構成は、様々な局面に対応出来るよう前衛と中衛を組み合わせたものだった。

五名一班の冒険者たちは、すぐに訓練通りに仲間と連携し、互いの死角を消していく。

そのため、一時は優勢となった小鬼族部隊だったが、アシュレイの指示により、徐々に押し戻されていった。

ペリクリトル軍の左翼は、アシュレイの指揮により何とか拮抗するところまで持ち込むことが出来た。

レイは馬上から戦場を見つめていた。彼も恋人《アシュレイ》同様、小鬼族戦士の戦闘力を見誤っていたことに気付く。

(大鬼族や中鬼族に隠れているけど、小鬼族の戦闘力も馬鹿にならない。捕まえた斥候たちが特別優秀な精鋭だと思っていたけど、どうやら種族としての戦闘能力が高いみたいだ。これだと小鬼族部隊を押し込んで大鬼族部隊を包囲するっていう作戦は難しいな……)

彼は左翼側で行われているアシュレイ隊の戦いに目をやった。

(アッシュの部隊は何とかなりそうだ。押し込むまでは難しいかもしれないけど、戦線が崩壊するほど緊迫はしていないように見える……)

彼は視線を右翼側に動かす。そこで彼の表情が僅かに歪む。

(右翼側は厳しいな。ルークスの農民兵はいつ突破されてもおかしくない。何とかしないと拙いことになりそうだ。だけど、正面の方がもっと厳しいかも……)

彼の正面ではベテラン冒険者による精鋭部隊百五十とほぼ同数の大鬼族部隊百六十が激突していた。

大人と子供より体格差のある両者だが、さすがにベテランたちは老練で、オーガたちを巧みに振り回し、決定的なダメージを受けないように戦っていた。

だが、大鬼族の戦士が相手となると、一気に余裕がなくなる。

大鬼族戦士はその膂力に加え、荒削りながらも武術の心得があった。彼らの使う武器は二m以上ある両手剣や無骨な金棒だが、それらが振られるとブォンという信じられないような重低音の風切音が唸る。今のところ無難に避け続けている冒険者たちだったが、一撃食らえば即死するような攻撃を前に、彼らの精神は徐々に蝕まれていった。

更に大鬼族戦士たちは連携する冒険者たちに対応しつつあり、僅かずつだが冒険者側の戦力を削っていった。

(ランダルさんが前線に立っているから、士気は高い。今のところは何とかなっているけど、既に混戦になっているから、魔法での支援も難しい……)

彼は横にいる魔術師部隊にいるラスペードをチラリと見る。

(魔術師部隊の指揮官はベテランの魔術師だったけど、攻めあぐねているっていう感じだな。ラスペード先生に何か策があればいいんだけど、あの人は魔道具の研究者であって、攻撃魔法の研究をしているわけじゃないし……今はそのことを考えている時じゃないな。とりあえず、一番危ない右翼を助けないと……)

彼は逡巡する時間が惜しいと、最も切迫している右翼の支援することに決めた。

そして、総司令官となっているギルド長、レジナルド・ウォーベックに許可を取る。

「右翼が拙い状況です。私と聖騎士隊で支援に行ってきます!」

ウォーベックは大きく頷き、「お前の判断に任せる。行って来い!」と出撃を許可した。

レイはギルド長に頭を下げると、すぐに聖騎士隊の隊長、ランジェス・フォルトゥナートに声を掛けた。

「右翼の支援をします。右翼部隊の後方を回って敵の側面から魔法で攻撃、その後突撃します。目的は敵を撹乱させること。無用な損害を受けないように注意してください。皆さんにはもっと重要な局面で活躍して頂かないといけませんから」

フォルトゥナートはその言葉に「御意のままに」と頷き、部下の聖騎士たちに声を掛ける。

「アークライト様(・)のご命令通り、敵を撹乱する! 敵を倒すより、倒されないことを考えろ! アークライト様は我らに更に良い舞台を与えて下さるとのことだ。心して掛かれ!」

聖騎士たちは槍を上げて同意の意志を表す。

レイは思った以上に素直に従う聖騎士たちに首を傾げる。

(パレデス隊長――敵前逃亡のため、フォルトゥナートに誅殺されたマクシミリアン・パレデス――ほど酷くないにしても、光神教の聖職者は全員、選民意識の塊みたいなイメージなんだけどな。でも、この人たちは僕みたいな若造の言葉に素直に従ってくれる。助かるんだけど、どうにも調子が狂う……)

頭の片隅でそう考えるものの、すぐに戦場に意識を戻す。

(敵の左翼に側面から魔法を撃ち込んで混乱させる。その後に騎馬突撃を加えて後方に抜ける。奥に入り込まなければ損害はないと思うけど……そう言えば、聖騎士たちの魔力はどのくらい残っているんだろう?)

「皆さんの魔力はどのくらい残っていますか? 光の矢を何回くらい撃てるか教えてください」

その問いにフォルトゥナートが代表して答える。

「最も少ない者で五発程度かと。私とあと五名ほどは十発程度撃てます」

レイはその言葉に頷き、

「判りました。光の矢は私の合図でお願いします。では、出撃します!」

彼は愛馬トラベラーの腹に軽く合図を送る。

トラベラーは嬉しそうに嘶いたあと、一気に加速しようとした。だが、レイが軽く手綱を引くと、やや不満気な感じだが、素直に加速を緩める。

「後ろが追いつかないから。力は残しておいて」

彼は愛馬にそう語り掛けると、チラリと後ろを振り向く。そこには単縦陣を組んだ純白の騎馬隊の姿が見えた。

(ガスタルディ司教――光神教の魔族討伐隊責任者――の言葉じゃないけど、確かに精鋭だな。敵に混乱を与えるだけなら、十分に使えそうだ……)

前方ではルークスの農民兵たちが、ヘーゼルの合図で必死に槍を突き出している。

開戦からさほど時間は経っていないが、既に立っているのは三分の二ほどに減っていた。そして、今も徐々に押し込まれていた。

中央にいるヘーゼルが必死に声を上げているが、彼女の声は農民兵たちに届いているようには見えない。

レイの目には一刻の猶予も無いように見えていた。

(拙いな。やっぱり無理があったんだ……とりあえず、ヘーゼルさんの指示が届くようにしないと……)

彼は農民兵たちの後ろを走りながら、彼らに叫んだ。

「敵を蹴散らします! ですが、無理に前に出ないで下さい! 皆さんはヘーゼルさんの、隊長の指示に従ってください!」

あっという間に農民兵たちの後ろを通り過ぎると、一旦、五十mほど敵から距離を置く。

「光の矢の準備を! 呪文を詠唱しながら突っ込みます!」

彼はそれだけ叫ぶと、愛馬を駆けさせる。

一気に襲歩(ギャロップ)まで加速し、光の連弩の呪文を唱えていった。

「世のすべての光を司りし光の神(ルキドゥス)よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を固めし、光輝なる矢を我に与えたまえ。御身に我が命の力を捧げん。我が敵を貫け! 光の連弩《マルチプルシャイニングボルト》!」

彼の左手から五本の光の矢が次々と飛び出していく。

その直後、十六本の光の矢が彼の頭上を超え、小鬼族部隊に降り注ぐ。

レイの放った光の矢は、狙い通り隊長クラスの小鬼族戦士や操り手(テイマー)に次々と突き刺さっていった。更に聖騎士たちの光の矢も全数が敵に命中する。さすがに光の矢だけでは小鬼族戦士を倒すことはできなかったが、思わぬ攻撃に敵左翼の一画に僅かな混乱が生じた。

レイはその隙を見逃さなかった。彼は「突撃!」と叫ぶと、愛槍白い角(アルブムコルヌ)を低く構えて突撃して行く。

当初、小鬼族部隊はたかが少数の騎馬隊と、かなり侮っていた。だが、二十一本の光の矢と統一された純白の装備に身を固め、重い蹄の音を立てて突撃してくる騎士たちに恐怖を覚えた。

魔族軍の戦士たちの中には、カウム王国――南部の山岳国家。クウァエダムテネブレとの国境トーア砦がある――との戦闘を経験した者も僅かだが存在していた。だが、砦での攻防戦か、斥候隊との遭遇戦しか経験しておらず、重装騎兵による突撃を間近に見た者はいなかった。そのため、指揮官クラスが負傷した部隊では敵にどう対処していいのか判らない者が多かった。

レイ率いる十七騎の騎兵が、恐慌を起こしかけた小鬼族部隊を斬り裂いていく。

レイは先頭に立ち、薙ぎ払うように槍を左右に突き出していく。、彼は無人の野を行くが如く、小鬼族部隊の側面に突破口を切り開いていった。

彼は巧みな馬術により、ほとんど速度を失うことはなかった。混乱する敵の左翼部隊の中をほとんど全速で突き進んでいった。彼に続く聖騎士たちも見事な馬術と槍捌きで、小鬼族部隊に出血を強いていた。

小鬼族の指揮官の「敵は少数だ! 落ち着け!」と言う声が響くが、一度パニックに陥った部隊は容易には立ち直れない。

更にテイマーを失ったゴブリンたちは、その闘争本能に従うだけの存在になり下がり、指揮官の指示を無視して、レイたちに襲い掛かっていく。

これにより、魔族軍の左翼は前方のルークス農民兵部隊と左から襲ってきた聖騎士隊への対応とに分かれ、更に混乱を深めていった。

レイはその混乱に輪を掛けるため、敵後方にいるステラたち斥候《スカウト》隊に合図を送ることにした。

「すべてを焼き尽くす炎の神、火の神(イグニス)よ。大輪の炎の華を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん。天空に開け! 大輪の牡丹(ファイアペオニア)!」

左翼部隊の中心でオレンジ色の炎の花が爆音と共に開く。

東の平原での戦いのとき、遠目には見ていたものの、頭上の爆音と眩い光に小鬼族部隊は混乱する。更に後方から現れた弓兵により、魔族軍の左翼は一時的に指揮系統が麻痺した。

(これで農民兵たちも一息つけるはず。敵もすぐに混乱から立ち直るから、さっさと脱出した方がいいな……)

レイは敵左翼に深入りすることなく、混乱に乗じて側面に脱出した。

彼の後ろに続く聖騎士を見るが、誰一人欠けることなく、縦陣を維持していた。

レイはそのまま魔族軍の後方に向かった。