Trinitas Mundus - The Story of Saint Knight Ray

Episode XII: Conflict within the Demon Clan

トリア暦三〇二六年、一月二十日。

レイたちがレリチェ村を偵察する三日前。

月魔族の呪術師――魔術師に対する魔族の呼び方――であるヴァルマ・ニスカは、昨日までのことを思い出し、腸《はらわた》が煮えくり返るほどの怒りを感じていた。

魔族の希望、月の御子であるルナをソキウス――魔族の国の名――に連れ帰ってきたが、ここレリチェ村にいる鬼人族たちは冷ややかな目で彼女らのことを見ていた。

特に酷かったのは、ルナの護衛であるイェスペリ・マユリら大鬼族戦士に対するものだった。

確かに圧倒的な戦力で冒険者の街ペリクリトルの攻略に向かったものの、敵の罠に嵌り全滅と言っていい損害を被った。更にイェスペリは総大将であったオルヴォ・クロンヴァールの側近であったにも関わらず、月の御子の護衛として最終決戦に参加しなかった。このため、決戦を恐れ逃げてきたと思われており、同族である大鬼族からはあからさまな侮蔑の言葉を掛けられている。特にオルヴォの実弟であるネストリ・クロンヴァールは怒りに任せて彼らを処刑しようとさえした。その光景を見た中鬼族や小鬼族の戦士たちもイェスペリらを侮るような態度をとり始めた。

そこまでならヴァルマも容認できた。鬼人族の中の話として、立ち入らなければいいだけだからだ。

だが、ソキウス軍の指揮官である小鬼族のエイナル・スラングスがネストリらを扇動し、月の御子が贋物であるかのような話を広めていたのだ。

エイナルは今回の敗戦の責任を大鬼族と月魔族に負わせ、この指導的な立場の二部族の評価を下げようと画策した。彼は現状の戦力――大鬼族約七十、中鬼族約二百、小鬼族約七百――でも、眷属を召喚すれば十分に勝算があると考え、自分がその総大将になるべく動いていたのだ。

実際、第一陣であるオルヴォの軍に比べ、オーガの数は減るものの、オークとゴブリンの数を増やすことができる。更にレリチェ村の存在が明らかにされたことから、今までのようにトーア街道付近での行動を制限する必要がなくなり、点在する開拓村や小規模な宿場町を襲うことで、敵を混乱させることができる。その上で、自分たちに有利な森の中に敵を引き込めば、十分に勝機があると考えていたのだ。このため、彼は月の御子の奪還は失敗し、更なる侵攻が必要という理屈を欲した。

そういった事情から、ことあるごとにルナの資質に疑問を呈し、ヴァルマの怒りを買っていたのだ。

ヴァルマはルナの体調を考え、もう数日程度休養してから出発したかったが、ここにいてはいつルナが害されるか判らず、早急に出て行かざるを得なくなった。

(本当に気分が悪いわ。御子様のことなんか何も知らないくせに……魔力を見ることが出来ない鬼人族だから仕方がないのだけど、これだけ闇の精霊に愛されている方など見たことがない。都のイーリス様ですら、ここまで精霊に愛されていないわ……)

ヴァルマは月魔族の都ルーベルナにいる族長であり、月の巫女(・・)でもあるイーリス・ノルティアのことを考えていた。

(イーリス様に伝令は送ったけど、小鬼族の伝令だからかなり時間が掛かるはず。ここにいる翼魔族の呪術師は使えないし……こういう時に転送の魔法陣が使えればいいんだけど、あれは一方通行だし……)

月魔族には転送の魔法が存在する。

月魔族の都、ルーベルナの神殿にある巨大な魔法陣を使って目標となる魔法陣に人を転送することができる。だが、十人以上の高位の呪術師が数日間魔力を送り続けなければ起動しないため、ルーベルナから一方的に送り込むことしか出来ない。ちなみにこの魔法を使い、ラクス王国東部に少数のテイマーを送り込み、奇襲を行っている。

(ないものねだりをしても仕方がないわ。幸い、御子様の体調もいいようだし、明後日にでも出発した方がいいわね……)

彼女は明日一日を出発準備に当て、明後日の朝に出発することをルナとイェスペリに伝えた。

ルナからは「もう少し体を休めたいんだけど」と言われたが、

「既にお感じかもしれませんが、どうもエイナル・スラングスが不審な動きをしております。御子様に危害を加えるようなことはないかと思いますが、出来るだけ早く移動した方が良さそうです。この先は野宿をするようなことはございませんので、お疲れのところ大変申し訳ありませんが、ご容赦のほどを」

そう言って頭を下げる。

ルナはエイナルたち小鬼族の視線に侮るようなものを感じていたため、僅かに躊躇した。

(確かに小鬼族は私のことを小馬鹿にしたような目で見ていたわ。出来るだけ時間を稼ぎたいんだけど、ここは危険かもしれないし、それならこの先の町で理由をつけて移動を遅らせればいい……)

「分かったわ。ここでもう少し体力を戻したかったけど、仕方がないようね」

ヴァルマはルナが承諾したことに安堵する。

イェスペリの方は同族である大鬼族たち、特にネストリ・クロンヴァールからの糾弾が止まず、温厚な彼でも辟易とし始めていた。

(私とてオルヴォ様とともに散りたかった。だが、オルヴォ様より直々に月の御子を頼むと命じられたのだ。その命令書を見せたのにネストリ様は全く取り合おうとしない……ネストリ様本人も、あの狡猾な白の魔術師に嵌められている。そのことは忘れ、我々だけを糾弾し続けるとは……兄君とは器が違うとは思っていたが、これほど違うとは……)

そんな思いがあったため、ヴァルマの決定を歓迎する。

ただ、月の御子という重要人物の護衛ということで、そんな素振りは全く見せず、今後の方針について確認していく。

「護衛はどうされるおつもりか? 御子様の移動手段は?」

ヴァルマは想定していた問いであり、小さく頷くと、

「護衛は今まで通り、あなたたちにお任せするわ。小鬼族や中鬼族は信用できないし、ネストリ殿の配下では……それにここから先はアクィラのような危険なところではないしね。御子様には馬車をご用意するつもりよ」

更に細かい調整を行い、明後日の一月二十二日の早朝に東に向けて出発することにした。

イェスペリに物資の調達を任せ、ヴァルマはエイナルがいる司令部に向かった。

エイナルに面談を申し込むが、多忙を理由に一時間ほど待たされる。その仕打ちにヴァルマは苛立ちを覚えていた。

(大して忙しいわけじゃないのに……まあいいわ。御子様をルーベルナにお連れすれば、それですべては解決するのだし……)

エイナルはヴァルマが到着した頃と態度を大きく変え、尊大な物言いが多くなっていた。

「用があると聞いたが、我らは君(・)が引き連れてきた敵のために忙しいのだ。このレリチェの存在を暴かれたことは我がソキウスにとって、大きな損失。それを……」

長々としゃべり続けるエイナルに対し、ヴァルマは怒りを覚えながら耐えていた。

(ここで短気を起こしては駄目。この男に物資の供出をさせなければならないんだから……)

一分ほど抗議とも嫌味とも言えるような言葉を投げつけ、ようやく溜飲が下がったのか、エイナルが話し終えた。

その機会をヴァルマは逃さなかった。

「それは申し訳ないことをしましたわ。それでお願いなのですが、御子様と共にルーベルナに向かいますので、御子様のための馬車を用意いただけないかしら」

エイナルは「馬車か」と呟き、

「森の中で使った輿でよいのではないか? あの小娘に馬車はもったいない」

小娘という言葉にヴァルマの目が鋭く光る。そして、今まで下手に出ていたことが嘘のように強気に出る。

「月の御子に対するあなたの不敬な態度は看過できないわ!」

ヴァルマの態度が急変したことにエイナルは驚きの表情を浮かべるが、ヴァルマはそのまま押し切っていく。

「あなたはそれでいいのね。ここから先、御子様は必ずどの町でも歓迎される。その御子様が粗末な輿にお乗りになっておられたら……レリチェの司令は御子様を軽んじているという噂が立つわよ」

ヴァルマの反撃にエイナルは小さく唸る。

(確かに実物を見なければ歓迎されるだろう。それに行く先々の村ではそれほど姿を現さぬはずだ。だとすれば、“月の御子”という名は大きな意味を持つ……私の評判にも傷がつく可能性は否定できん……)

「よかろう。馬車と必要なものはこちらで用意しよう。で、いつ出発するつもりだ?」

ヴァルマは僅かに溜飲を下げるが、そ知らぬ顔で「明後日の朝には」と答える。そして、小鬼族たちの非協力的な態度を思い出し、こう付け加えた。

「命令書を頂けないかしら? あなたの命令を聞かないような愚か者はいないでしょうけど、最近は私の指示を聞かないものが多いのよ。それともあなたが指示しているのかしら? 御子様がご不快に思うように行動しろと。あなたがそういうつもりならザレシエで、決戦前に小鬼族の斥候が捕らえられて、情報を漏らしたことを大々的に発表するわよ」

鬼人族の都であるザレシエには、鬼人族の族長たちが集まり、合議制で政治を行っている。当然、派閥が存在し、月魔族に協力的な大鬼族が代表となっている。

ラクス東部のミリース谷での敗因は、中鬼族の暴走が原因と報告されており、更にペリクリトル攻防戦の前にも中鬼族が非協力的であったことが報告されていた。また、総大将である大鬼族戦士、オルヴォ・クロンヴァールの責任も追及されており、小鬼族にとっては鬼人族内での発言権を増す絶好の機会だった。このため、小鬼族の指揮官シェフキ・ソメルヨキらが決戦直前に捕らえられ、情報が漏れたという事実は部族にとって非常に痛い。

今回、ヴァルマは月の御子の奪還という任務があり、オルヴォ率いる西方派遣軍とは完全に独立していたが、月魔族の高位の呪術師の言葉は非常に重く受け止められるだろう。

(この女がシェフキの話を族長会議ですれば、小鬼族の地位は一気に落ちる。下手をすれば敗戦の責任はシェフキにあるとされかねない。不愉快だが、ここはこの女の顔を立ててやろう)

エイナルは鷹揚に頷くと、「命令書は明日の朝に渡す」と答えた。

翌日の一月二十日。

ヴァルマは今後の行程を記載したメモをエイナルに渡し、

「一応、この予定で進むから。馬車は四頭立てで、防寒具もお願いするわ。それと念のため野営をすることも考慮して……」

エイナルは心の中で過大な要求だと思っていたが、「良かろう。ここに命令書がある」と言って、ヴァルマに全面的に協力する旨の命令書を渡した。

ヴァルマは補給部隊の責任者に会いに行くと、話をする前に命令書を渡す。

「エイナル殿からの命令書よ。私に全面的に協力するようにと書いてあるわ。それでは私の要望を伝えるわよ……」

責任者の返答も聞かずに必要な物資について口頭(・・)で指示していく。

「四頭立ての馬車と替え馬二頭。馬車はここにあるもので一番良い物を……防寒具は雪狼の毛皮で作った物があったわね。それを二着お願いするわ。あと二着は普通のもので結構よ……食糧と水、あと甘い物とお酒も欲しいわね……ああ、あとでイェスペリをここに寄越すから、彼の要望も聞いてあげてね」

ヴァルマはエイナルに伝えたよりかなり過大な要求を行い、更に護衛となるイェスペリらの装備の更新も依頼していた。

結局、必要な物資の他に嗜好品まで要求し、手に入れている。補給部隊の責任者がそのことを報告したのは、翌日、つまり、彼女たちが出発した後で、エイナルは不快そうに決裁している。

一月二十二日の早朝。

粉雪が舞う中、大型馬に曳かれた箱型馬車が止まっている。御者なのか三十代くらいの人族の男が御者台に座っていた。

中はクッションが敷かれ、毛布なども用意されており、快適な環境にしようと努力した跡が見られる。

(これから魔族の国に本格的に入っていくのね……大きな町に着くまでに何回か小さな村に泊まるはずだから、そこでチャンスを見つけないと……)

ルナはそう心に誓い、馬車に乗り込んでいった。

ヴァルマと二人の侍女がそれに続く。そして、馬車の前後には装備を新たにしたイェスペリら大鬼族戦士たちが配置されていた。

出発の時間になるが、到着したときのような歓迎ムードはなく、ほとんど見送る者のないまま、一向はレリチェ村を出発した。